第12話 ブイヨン

 じゃが芋や人参、玉葱や蕪の皮を剥く。


 剥いた皮はスパイス(ローリエ、クローブ)と生姜、にんにくと一緒に鍋に入れて、水と白ワインをひたひたになるくらいまで入れてから火にかける。


「おっ、やってんなあ」


 次の工程を確認しようとした時に、キッチンの入り口に現れた。


 入浴して髪をまとめ髭を剃り小綺麗になると、在りし日の兄の面影を持つ男になっていた。


「……やっとお兄様に会えました」


「おお、やっと認めてくれたか」


 兄は腕を広げたが、アデルは動かず、両手を腰に当てた。


「私のことは妹と認識してくれましたか?」


「もちろんだとも。そのでこっぱちは見紛うことなくアデル・マリーだ」


 料理の邪魔になるので、髪留めで前髪をポンパドールにしていたので広い額が丸見えだった。


 どこで覚えた言葉なのかは知らないが、兄弟にはそう言って小さい頃から揶揄われていた。言い方も相変わらずなので、口の端が上がる。


 アデルは兄に向かって駆け出し、その腕の中に飛び込んで首に縋りついた。


「もう会えないのかと……でも、ご無事で何よりです」


 詰まりそうになりながらそう告げると、兄は優しく頭を撫でた。


「今までごめん。お前にもいっぱい心配かけたな。俺のせいで大変な思いをさせたし」


 目頭が熱くなり、兄の首に巻いている腕に当てた。


 溢れてくる言葉や感情が喉元で重い石に堰き止められて、苦しい息を吐くしかなかった。


 そんなことを知ってか知らずか、兄はアデルの背中を摩る。無理しなくてもいいとでも言うように。


「俺の代わりに兵役に就いてくれたんだよな。すまなかったな」


「貴族の子女の務めです。怠ってギレム家だけに咎めがあるならまだしも、領地領民にまで累が及ぶのは忍びありません」


「おお、さすが我が妹。立派な矜持だ。お前がサンゼイユ侯爵を継ぐか?」


「何を馬鹿なことを。これ以上、代わりをさせられるのはごめんです」


 顔を上げて睨みつけると、冗談だよと額を突き合わせる。


 その時、ことことと鍋が煮立つ音がした。


 野菜のくずを煮ている鍋が沸き立ってきたようなので、慌てて火を弱めた。


「ブイヨン・ド・レギューム(野菜のだし)か?」


 頷いて答えてから、鍋に入っている中身を伝えた。


「ふむ。ポトフ作ってるんだったな。よし、俺も手伝う」


 上着を脱いで腕まくりをしたので、予備である調理コートを渡した。


「ダサいコートだな」


「ですが、下に着ているものはほとんど汚れません。実に機能的ですよ」


 そうなのか、と訝しみながらも袖を通して手を洗った。


 じゃが芋を渡し、アデルは人参を手に取る。


 兄が手慣れた様子で乱切りにしてから、きちんと面取りをするのを見て、普段なら面倒なので省いているがアデルも倣うことにした。


 面取りをすると味が染み込みやすい上に煮崩れ防止になる。

 煮込み料理の基礎だ。


 要点を外さないところは兄らしい。


「……お父様から聞いたよ。騎士団本部では大変だったってな」


 じゃが芋の面取りが終わり、蕪に手を伸ばして大きさを揃えて切る。


「そうですね。でも、いい勉強になりました。侯爵令嬢としてずっと屋敷にいたら、言えば誰かが動いてくれますが、社会では自分が動かないと物事は回り始めないと知ることができました」


 セロリを取り、斜め切りにしながらアデルは答えた。


「私だけが動いてもうまく回らないことも、他人の意見もすり合わせなくては独りよがりになることも。悔しい思いもしましたが、命令ではなく、賛同で人が動く嬉しさも分かち合うことができました。なので、兵役もその後の内務省勤務も経験できて良かったです」


 騎士団の事務改革は成功したが、内務省では成し遂げることができなかった。


 自分の意見だけでは物事を動かせないことをまざまざと見せつけられた。


 思い出せば無念が今でも滲むが、どうすることもできない。


 社会に出なければこんな煩悶も知らずに済んだのかもしれないが、侯爵令嬢として単純な狭い世界で特権を振りかざす人間になっていたかもしれない。


 世の中は複雑で、人は我欲に満ち、平気で他人を踏みつけにする。


 そして、自然ですら管理下に入れて利便を追い求めようとしている。


 それに抗えない、権力や大多数に負けた無力な自分もいる。


 社会の中では、何の力も声もない自分が。


 そして、令嬢の兵役なんて腰掛けなんだから言われたことだけやって早く退役してくれよ、ただでさえ婚約もしてないでかい令嬢なんだから売れ残るのわかりきってんだろうと言っていた上司と、お追従で笑っていた同僚の顔が芋づる式に浮かんできた。


 セロリを切るのに、包丁を叩きつけるように振り下ろした。


 まな板にあたる音で兄も肩を震わせてアデルを見る。


「ど、どうした。硬い筋でもあったか?」

「いいえ。思い出したら腹が立ってきただけです」

「包丁を持っている間は忘れろ。仕上がりか悪くなる」


 食材の切り方で味の染み込みや食感も変わり、出来に影響が出るのは確かだ。


 後はセロリと玉ねぎなので兄にまかせ、アデルはブイヨンの灰汁を取ることにした。


 だが、包丁からレードルに持ち替えても、一度温度の上がった腹の内はなかなか冷えるものではない。


「ああ、だめだ。苛々が収まりません」


「わかった。わかったからかき回すな。ブイヨンが濁る。終わったら酒飲もうな。全部聞いてやる」


 だが、作り終えるまで抑えられる気がしない。


 アデルはブイヨン・ド・レギュームに使って出しっぱなしにしてあった白ワインをコップに注ぎ、一気に煽った。



   ◇


・ブイヨンを漉す。


・ベーコンとソーセージを切り、深い鍋で炒

 めてそこに漉したブイヨンを流し入れる。

 

・野菜も入れてしばらく煮込む。


 それらの作業はセドリックがすることになった。


 アデルは作業テーブルで白ワインを片手にクダを巻いて、兄に酒のツマミも作るように言い放った。

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