第7話 レモネード
急に暇になったアデルは実家に戻った後にすぐティユーへ旅立った。
妙齢の娘が実家にいても何かと周りがうるさいので、髪が伸びるまでのお疲れ癒し旅と称して温泉に行くと告げて出てきたのだ。
幸いにも今までの蓄えがあり、残業代も出たので少しの間なら余裕がある。
ティユーには新しくできたホテルがあり、コテージになっていて温泉も引き入れているのでプライバシーが保たれると旅の雑誌で読み、以前から宿泊してみたいと思っていたのだ。
一人で静かに過ごしたかったから、専属のメイドも帰した。
頑張った五年間、自分の稼いだお金で自由に過ごしたかったのだ。
親のお金やコネが絡めば、必ず見張りがつきどんな形をとっても筒抜けになってしまう。
勤めている時はどんなに仕事を増やされても嫌味を聞こえるように言われても、眉一つ動かさずに身の前の仕事に集中していたが、心労がなかった訳ではない。
残業が続けば身体にも疲労が溜まり、噂でも耳に届けば心が傷つかないはずもない。
もう完全に切り離されているとわかっているのに、あまり眠れなかったり、部屋にあった子供用の絵本を読んで号泣したり、以前のことを思い出すだけで動悸がしたり。
色々心配かけさせたくないと共に、そんな姿を見られたくないのだ。
お金が続く間に全部癒せるとは思わないが、少しでも何かだけでも良くなれば次へ進むことができるような気がするのだ。
だからそれまで一人で過ごしたい。
このくらいのわがまましても、自分のお金だから、頑張ったのだからいいのではないかと思う。
ふうっと溜息をつくと、鍋にかけているレモンジャムのぶくぶくしている泡が次々消えた。
「そろそろ薄皮と種の袋を取り出した方がいいと思います」
隣でアデルが買ってきた保存瓶を煮沸しているスターレンスが忠告してきた。
ジャムのとろみとなる薄皮と種をトングを使って取り出して、更に灰汁も取る。
あと十分程煮立たせれば完成だ。
「失礼いたします」
声を掛けて入ってきたのはメイドのソフィーだった。
「セルヴェ宿泊支配人がお呼びです、総支配人」
キッチンにある壁掛け時計を見ると、十三時を過ぎている。
もうこんな時間かとスターレンスはアデルに仕事があるのでこれまでだと告げ、調理コートを脱いだ。
「いいえ、こちらこそ。お手伝いいただきありがとうございました」
彼の助力のお陰で作業が捗ったことは間違いないのだ。
そのまま続けてくれというので、キッチンで見送った。
あとは、ジャムを保存瓶に移し替えるだけだ。
粗熱を取って蓋をしたら冷暗所へ置く、とレシピにはあり、ジャム作りはそこで終わるが、メモはまだ続きがあった。
鍋に水を入れて沸かし、鍋に残ったジャムを溶かしてレモネードにするとある。
白い陶器のコップに注ぐとほんのり黄色く色づいているのがわかる。
少し冷ましてから飲むと、強い酸味がした後に甘さが広がり喉に染み渡っていく。
これも頑張ったご褒美の一つかなと、アデルは椅子の背もたれに寄りかかった。
♢
「どうやら、幹線道路計画には宰相周辺の利権が絡んでいるらしい」
暖炉の前の椅子に座って四十代後半の男がガラスの中の琥珀色の酒を飲んだ。
「王都への道が整備されれば物流が活発になって懐事情が変わってきますからね。是が非でも通してほしい領主は色々するでしょうね」
向かいに座る男は空になったグラスに、自身が持ち帰ったラム酒を注ぐ。
「汚職の温床だ」
「あいつは森の整備に反対して罷免されたんですよね」
「ああ。反対派は軒並み左遷されている。あの子は一番目立っていたから見せしめだよ、可哀想に」
「あの森を伐採すれば、レーゼルラント国へ派兵する際には効率的ですからね」
レーゼルラント国はバルギアム国の北東隣の国だ。内政が安定してきたので、最近対外政策に針を振るのではないかとまことしやかに囁かれている。
「浅慮もいいところだ。あの森が王都の防衛の一翼を担っていることは歴史でも証明しているのに」
「まあ、武器も進歩を遂げていますからね」
「ふん。だからといって地の利を無駄にする言い訳にはならん。ところで、あっちの方はどうなのだ」
「フロレンス国とエグラン国がせめぎ合っている中で、レーゼルラント国もちゃっかり勢力をつけていますよ。ですが、どうしても二番煎じです」
「ならば、海外政策よりも領土拡大で我が国に侵攻してくる可能性の方が大きいかもしれんな」
「どうでしょうか。まったく厄介な隣人ですね」
「新大陸はもっと大変だろう」
年嵩の男は向かいに座る息子を労った。
新大陸の勢力争いは少なからず本国にも影響を及ぼす。
それによって政策も左右されるので、国政を行う上で非常に重要な問題になってくる。
「五年間、ご苦労だったな」
「割と楽しかったですよ。人々が夢を見て移住するのがわかる気がします。まあ、現実は夢ばかりではありませんが」
「お前もそうだが、あの子にもその皺寄せをさせてしまった」
「そういえば、アデルは?」
「温泉に行っている」
ルヴロワの隣にできた新しい街に滞在していると話すと、興味をそそられたようだ。
「温泉かあ。いいなあ。俺も行こうかな」
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