第6話 兵役

 父はバルギアム国南西部、サンゼイユ領を代々治めているギレム家の当主だ。


 小麦の産地として国内でも指折りの農業地帯であり、近年は品種改良を試みて病害に強くそれでいて旨味が多く食感が良い小麦の生産出荷をしている。


 『サンゼイユ領産の小麦』といえば、王都ブリュールでも王室御用達のブーランジェリーでも取り扱われるようになっている。


 そしてその名は国内だけではなく、近隣各国にまで知られており、何度か農業研修が来たこともあった。


 国内外と交流があり、生産管理と販路を築き上げたギレム家は代々爵位を上げ、アデルの祖父の代から侯爵に叙爵した。


 貴族の間では「にわか侯爵」「小麦侯爵」などと揶揄されることもあるが、小麦の出荷を制限するという制裁をかければ次々に口を慎んだ。


 剛腕で知られた祖父に比べると、父はどうしてもぼんぼん育ちを隠しきれないが、それでも堅実に領地経営をしている。


 母は、元は東隣のギレンフェルド国の南にあるエステルベルク国のヴァイオリニストだった。


 楽団の演奏会で王都ブリュールに来た時に、父が一目惚れをして周囲の反対を押し切ってまで結婚した。


 当時は、侯爵家の跡取りと平民の音楽家の格差婚が話題になったそうだが、揶揄う者がいたら出荷制裁をかけると脅して黙らせたらしい。


 国の胃袋を掴んでいるので、非常に有効な脅しだった。


 祖父が常々言っていた「胃袋を掴め」という言葉の重みを立証する実例となったのだ。


 夫婦には三人の子供が生まれ、全員無事に成人してる。


 アデルはギレム家の長女で、兄と弟がいる。


 兄は文武両道で、次期ギレム家当主、次期侯爵として幼い頃より教育を受けてそれに充分に応えていた。


 だが大学を卒業し、西国旅行へと旅立った先で行方不明になった。


 どんなに手を尽くしても見つけることは叶わず、父は消息を絶ったというイスパール国まで出向いたが、有力な手がかりもなく帰国してきた。


 この国では、貴族の子女に兵役の義務がある。


 十四歳から十八歳の間に二年間勤めをしなくてはならず、全員ではないが兄弟のうちの一人は必ず入隊しなくてはならない。


 旅行から帰ってきたら兄がその役務に就く予定だったが消息不明となり、弟は身体が弱く療養中だったので、アデルが引き受けることになった。


 男性の子女がいない場合など、女子での兵役は過去に数例あり、大抵は後方支援部門か事務に配属される。


 アデルも王都にある騎士団本部の事務に従事していた。


 初めのうちは仕事を覚えるのも大変だったが、慣れてくるとやるべきことがある使命感と帳簿の煩雑さに気付き出した。


 上司に改善を求めたが慣例だからと言って取り合わなかったので、他部署の同職者や関連業務者に根気よく聞き取り調査や改善について会合を重ね業務改善に取り組んだ。


 表立って進めなかったことが癪に触ったのか、上司は事あるごとに嫌がらせや嫌味を言ってきたりした。


 ある時、そんなに仕事熱心になら男だったら良かったのになあ、出世したぞ、と騎士団本部の玄関ホールで大声で言い放った。


 地方勤務をしている隊長部会があった後で、大勢の隊員がいる前だった。


 次の日、アデルは髪を切り、騎士団の制服を着て出勤した。


 そして、これからは男性職員と同等に仕事をすると上司の机の前で宣言した。


 それから嫌がらせは更に増し、明らかに男性職員よりも多く仕事を課せられた。


 アデルは粛々とこなし、その合間には業務改善の方策をしなくてはならない過重労働が続いた。


 残業はほぼ毎日で、時間内に終わらせられないことを能力不足と言われる毎日だった。


 だが、協力者はそれに反して日毎に増えていった。


 上司が仕事を増やそうとすると、公平に割り振りするべきだと事務のベテラン女性職員が進言してくれたり、それに同調する他の女性事務員もいた。


 アデルのいない所で上司や取り巻きの部下が悪口を言っていたら、それを聞き咎めた他部署の部長秘書が父の伯爵に言いつけて抗議の書簡が本部に届いたり、省庁の人事を担当している女性職員が聞きつけて内部調査が入ったりした。


 上司は次の人事異動で地方勤務が決まり、アデルは仕事が減り、業務改善計画は参画してくる人数が増えた。


 その後、無事に業務改善計画案を提出し、異例の早さで承認された。


 噂が噂を呼んで、社交界にまで知られているようになって、夜会に参加した公爵令嬢から王女、そして国王の耳にまで届いていた事件だったので、早急に決済されたという事情がある。


 また、髪を切り男装してまで理不尽に立ち向かったアデルは、まだまだ男性優位の社会で圧力に屈せず毅然と対峙した果断の麗人として広まり、そのままでいてという女性職員や貴族令嬢の懇願が殺到した。


 兵役期間満了まで勤め上げたので領地に戻る予定だったが、改善計画案が内務省で評価され、是非にと請われて勤めることになった。


 都市計画部門に配属されて三年、王都の郊外にあるノワイヨン=シュル=ロワの森の伐採計画に反対して罷免されたのだ。

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