14歳ーリリエット警護任務編 第18話 蠢く影

「……」


 馬車に身体を揺らしながら、リリエットは窓の外を眺めていた。


 そんな彼女の姿を見て、向かいの席に座っているモニカはそっと声を掛ける。


「如何なされましたか、リリエット様? お顔の色が優れないようですが……体調などに問題はございませんか?」


「問題ないです。私はただ、王都に向かうことが嫌なだけですから」


「そうですか……」


 リリエットは窓の外、夕焼け空に飛び交う鳥たちを見つめて、続けて開口する。


「貴方、モニカさんと言いましたっけ? 貴方には好きな人っていますか?」


「え? えぇ!? そ、そのような方は、私にはおりませんが!?」


「そうですか。私には、幼い頃からずっと好きだった人がいたんです。彼は私が見て来た中で誰よりも優しい人だった。幼少時に、王宮の中庭で怪我をした小鳥を拾ったことがあるんです。私は小鳥を見て泣いていることしかできませんでしたが、その時、彼は小鳥を大事そうに手で抱え、城中を駆け回って助ける手段を探してくれたんです。大人は小鳥なんて捨て置けって言ってきましたが、彼はどんな命であろうとも必死になって助けようとしていた」


「……とても素敵な方だったんですね、その方は」


「はい。ですが……彼は突然王を殺した罪を被せられ、地下牢獄に閉じ込められてしまった。彼は、けっして、そんなことをする人ではないというのに。実権を握ったアグランテ家は聞く耳を持たず、彼を殺してしまった。私は今からそのアグランテ家の嫡男と食事をするのです。こんな酷いことが他にあると思いますか、モニカさん? 父は私に、御家存続のために憎き男の元へと嫁げと言ってくるのですよ? 私に……彼を殺したあの男に、愛想を振りまけと言ってくるんですよ?」


「…………リリエット様……」


「いっそ、鳥になってしまいたい。もう私にとってこの世界は、地獄でしかないから」


 リリエットのその言葉にモニカが苦悶の表情を浮かべていると、突如馬車が停車した。


 モニカはリリエットと彼女の隣に座るエリーゼに断りを入れると、剣を構え、扉を開けて外へと出た。


「なーに身構えてんだよ、モニカ」


「何だ、ルーカスですか」


 馬車の前に立っていたのはルーカスだった。


 モニカはホッと胸を撫でおろし、剣を鞘にしまった。


「レイス殿から何か伝令ですか、ルーカス」

 

「あぁ。もうすぐ日も落ちて、夜盗が多く出現する時間帯だからな。そろそろ野営地を決めた方が良いってよ。流石に夜に走行するのは夜盗に見つかるリスクが高まるからな、ここらで一休みした方が良い」


「承知致しました。それでは私は引き続き、リリエット様の警護に当たります」


「おう。……いや、ちょっと待て、モニカ」


「? 何か?」


 ルーカスはモニカを引き留めると、後頭部をボリボリと掻き、ため息を吐いた。


「こういうこと言うのは俺のキャラじゃねぇんだが……あんまり警護対象に肩入れすんなよ? お前は人一倍真面目ちゃんだからな。気ぃ付けな」


「貴方が人の心配をするとは、珍しいですね。他人に興味などない方かと思いましたが?」


「俺だってもう烏の爪の一員だ。レイスの目的のためにも、仲間のケアくらいはしてやるさ」


「レイス殿、ですか。ルーカス、この任務が始まってからというものの、レイス殿の様子がおかしいのには気が付いていますか?」


「それ、さっきアビゲイルも似たようなことを言っていたな。ルキナもだったか? まぁ、そうだな。軍師殿は随分とあのお嬢様のことを気にしているようだ。だけど、今後利用できるかどうか見定めてるだけの話だろ? ガウェインの馬鹿みたいに、あの冷徹な軍師殿が色恋沙汰でお嬢様を気にしているとは俺はどうも思えねぇな」


「……リリエット様の以前の婚約者は……グレイス殿下……レイス……? これは、単なる偶然……?」


「おい、どうした、モニカ。ブツブツと喋って」


「い、いえ、何でもありません。では、警護任務に戻ります」


「あぁ。こっちは周辺で手頃な野営地を探してくるよ。ちょっと待ってろ」


 そうして、モニカとルーカスは、別れたのだった。






      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇






 烏の爪とリリエット一行は、森の中の開けた場所に野営地を設置した。


 とりあえず、この見晴らしの良い場所なら敵の奇襲からも即座に反応できることだろう。


 俺は焚火の傍で薪をくべ、隣ではアビゲイルが鍋番し、ルーカスがナイフで根菜の皮を向いていた。


 ルキナとガウェイン、ジェイクは周囲の警備に当たっている。


 マリーゴールドとモニカはリリエットの傍で、警護を担当していた。


「ったく、なんでこの俺が調理の手伝いなんてしなきゃならねぇんだよ」


 文句を言いながら皮を向いた野菜を鍋に放り入れるルーカス。


 そんな彼に、アビゲイルは恐る恐ると声を掛けた。


「ル、ルーカスさん、乱暴に鍋に野菜を投げ入れないでください……私の顔にスープが飛んできますので……」


「あ? 何か言ったかよ? 根暗」


「ひぃぃぃ!!」


 アビゲイルは悲鳴を上げると、俺の肩に抱き着いてきた。


 そしてぼそぼそと、小声で愚痴を言い始める。


「……どうしてルーカスさんは私のことを根暗って呼ぶんだろう……口も悪いし当たりが強いしいつも私に酷いこと言ってくるし、あの人本当に嫌い……この前行った魔道具店で買った藁人形で、あの男のこと呪ってやろうかしら……呪殺呪殺呪殺呪殺呪殺」


「ア、アビゲイル?」


「はっ! レ、レイスさん、何でもないです!! と、というよりも、はわわわわわっ!! 私の胸をレイスさんの腕に当てちゃっていました! わ、私なんかの汚いものを当ててしまい、申し訳ございません! 申し訳ございません!」


 平謝りしてくるアビゲイル。


 そんな彼女に俺が困惑していると、背後から笑い声が聞こえてきた。


 何だろうと振り返ると、そこには、笑みを浮かべるモニカとマリゴールド、そして、小さく微笑を浮かべているリリエットの姿があった。


 どうやらあの二人は、リリエットと上手く会話ができている様子だった。


 この烏の爪の中で、女性だけに限定すれば、あの二人が一番人当たりが良いのは間違いないだろうからな。


 不器用なルキナと人見知りなアビゲイルでは、リリエットの傍に置いても、上手く交流はできないだろう。


 何はともあれ、リリエットの表情に色が戻って良かっ―――。


 ――――――違うだろ。


 俺はブランシェット家利用するために、リリエットと交流がもてそうなモニカとマリゴールドを配置しただけだ。全ては信頼を勝ち取るため。


 目的を履き違えるな、レイス。あいつは俺を裏切ったんだ。


 ハンナと逃げる際、玉座の間であいつはガストンに何と言った?


 あいつは「危うく、王陛下を殺したグレイスなどという悪魔と結婚するところでした。私の夫となるのは、ガストン様です」と、俺の目の前で言ったんだ。


 そしてあいつはガストンとキスをした。


 絶対に殺すべき敵だろう。俺を裏切ったアルフォンス共々、許しては置けない。


『そうだ……殺せ、殺し尽くせ、グレイス……』


 ハンナを目の前で殺され、復讐を誓ったあの日から……俺の視界には、腹部に剣が突き刺さり、血の涙を流している父上と、背中に矢が突き刺さり血だらけとなったハンナの姿が、時たま現れる。


 今だってそうだ。二人は林の隙間に立って、瞳のない空虚な眼窩で、こちらを睨め付けている。


 二人は俺が憎悪や怒りを忘れそうになると姿を現し、『殺せ殺せ』と呟いてくる。


 二人が俺の造り出した幻影だっていうのは分かっている。


 父上もハンナも、俺に復讐なんて求めていないだろうことは分かっている。


 だが、それでも―――二人の命を無駄に終わらせるわけには、いかない。


 俺はアグランテ家を、ガストンを……リリエットをアルフォンスを……王家を裏切りガストンに寝返った貴族の豚どもを皆殺しにする。


 俺は血の涙を流す二人を見つめ、静かに口を開いた。


「分かっているよ、父上、ハンナ。僕がいつか必ず……リリエットも殺してやるからね」


 





      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇





 

 深夜午前二時。俺は焚火の前に座り、見張りを行っていた。


 するとその時。リリエットが寝袋から出て、立ち上がり、フラフラと林の方へと歩き始めた。


 現在、モニカもエリーゼも眠りに就いている。


 俺は「チッ」と舌打ちした後、そのままリリエットの背後を追いかけた。




 草原の上で、リリエットは空に浮かぶ満月を静かに見つめていた。


 俺はそんな彼女に、背後から声を掛ける。


「リリエット様。夜の散歩は危険ですよ?」


  そう声を掛けると、背後を振り返り、リリエットは苦悶の表情を浮かべた。


「……このまま私を何処かへ行かせてはいただけませんか? レイスさん?」


「なりません。外の世界には危険が満ち溢れております。それは貴方も重々理解しておられるのではないのですか? 幼少の頃、人攫いにあったとお聞きしましたが?」


「よくご存知なのですね。父から聞いたのですか?」


「まぁ、そのような感じです」


 俺はそう言ってため息を吐くと、リリエットに穏やかな口調で声を掛ける。


「何をそんなに戸惑う必要があるのですか? ガストン様は次期騎士王になられる御方だ。そんな方と一緒になることができれば、貴方の将来は安泰。富も権力も思いのまま。私には羨ましい程この上ありません」


「貴方にとって一番大事なものは、富と権力、なのですか?」


「逆に問いますが、それ以外のものに価値などありますでしょうか? 所詮、力無き者は喰われる定めにある。私は力が無かったが故に、大事な人を目の前で失った。私に力があれば、彼女はまだ生きていた。だから……力を手に入れるチャンスのある貴方が、憎い・・くらいに、羨ましい」


「酷い考えですね。私には共感できません」


 酷い考え? 共感できない?


 ……何を言っている?


 お前はそのような人間だったはずだろう、リリエット・フォン・ブランシェット。


 俺は思わず、腰にある剣の柄に手を当ててしまう。


『殺せ……殺せ……』と、背後から父上とハンナが催促してくる。


 ここでこの女の首を刎ね、ガストンの目の前で晒してやったら……あいつはどう思うのか。いや、この女とガストンに子供ができたその日に、二人の前で赤子を真っ二つに割ってやるのも面白そうだ。


 ククク、貴様らは本当にお似合いの二人だ。


 権力に溺れ、この俺を裏切った、豚どもめ。


 あぁ……我慢できない。その腹に剣を突き刺し、仮面を外して俺がグレイスだと知ったら、お前はどんな表情を見せるんだ……リリエット。


 俺は剣を抜き、リリエットの元に近付いて行く。


「リリエット様。貴方はグレイス殿下のことを覚えていらっしゃいますか?」


「? レイスさん? 剣を抜いて……どうしたんですか?」


「ククク。お前にとってあの男はゴミも同然の存在だったろうからな。流石に覚えていないか」


 俺はそう口にし、リリエットの元へと向かっていく。


 そしてリリエットの前に立つと、彼女は首を傾げた。


「レイスさん? いったい何を――」


 ―――その時だった。


 突如、俺の耳に、シュッという風切り音が聞こえてきた。


 俺は瞬時にリリエットを押し倒して前のめりに転倒する。


 すると俺の足元に……矢が刺さっていた。


「馬鹿者! リリエット様に矢が当たっていたらどうするつもりだ!」


 そう言って森の中から姿を現したのは、白銀の甲冑を着た、五人程の騎士だった。


 その先頭に立っていたのは―――成長したアルフォンスだった。


「アルフォンス……?」


 俺は剣を構えて、背後にいるリリエットを守るようにして立つ。


 するとアルフォンスは剣を抜き、口を開いた。


「ブランシェット伯爵から話は聞いている! リリエット様を誘拐した『烏の爪』の長よ!! 尋常に縄につくが良い!!」


 アルフォンスのその発言に、俺は……ブランシェット伯爵に嵌められたのだということを、理解した。

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