幼年期編 第8話 かくして復讐の悪鬼は誕生する。


「グレイス様、良かった……生きていらっしゃって、本当に、良かった……! この四年間、私は、グレイス様が心配で心配で仕方ありませんでした」


 そう言ってハンナは僕を抱きしめる。


 僕は掠れた声で、ハンナに言葉を返した。


「四年……? 僕が牢に入ってから、四年も経っていたのか……?」


「はい。今はグレイス様が地下牢に入ってから、四年目の春でございます」


 そうか……もう、そんなに時間が経っていたのか……。


 ハンナは僕を背負うと、立ち上がり、牢の入り口に向かって歩いて行く。


「ここから逃げましょう、グレイス様。私が貴方様を外へと連れて行きます」


「ハン、ナ……やめるんだ。見つかったら君まで、ガストンに殺されてしまうぞ……!」


「やめません。そもそも、グレイス様が陛下を殺すなんてこと、あるわけないじゃないですか。陛下が亡くなった直後、アグランテ家は蜂起し、王宮の実権を握り始めました。その行動を見て、私は即座に理解しました。アグランテ家が陛下を暗殺したのだと」


 ハンナはそう口にすると、扉を開けて、階段を上って行った。


 地上へ出ると、オレンジ色の眩しい光が僕の右目に突き刺さる。


 どうやら外は夕方のようだ。


 久しぶりに見た王城一階の廊下に、何処か感慨深さを覚えていると……入り口脇に、一人の騎士が立っている姿が目に入る。


 その騎士と目が遭い、僕はガストンの手の者かとビクリと肩を震わせるが……騎士は胸に手を当てて、こちらに頭を下げてきた。


「殿下。よくぞご無事でした」


「え……?」


 僕が驚きの声を溢していると、ハンナがこちらに顔を向け、ニコリと微笑みを見せてくる。


「この人は、殿下を救出するために協力してくださった騎士の方です。今、王宮内ではアグランテ家を支持している騎士が大多数を占めていますが……彼は殿下が王陛下を殺すはずがないと、貴方様を信じ、私と共に救出の手助けをしてくださいました」


「サイラスと申します、グレイス殿下。今、アグランテ公爵とその嫡子ガストンは玉座の間で王侯貴族たちを集め宴を行っております。逃げるのなら、今の内です」


「サイラス様と私は、この四年間、グレイス様が逃げ出す機会をずっと伺っておりました。守衛の騎士が持つ牢の鍵の保管場所を記憶し、騎士の業務が忙しくなる時間帯を把握し、アグランテ家の監視が緩くなる時を伺っていました。……その全てのタイミングが重なった今が、絶好のチャンスでございます……! さぁ、他国へ亡命しましょう、殿下! このまま王国にいては、危険です!」


「分かった。ハンナ、サイラス……すまないが、僕の亡命を手助けしてくれ」


「はい!」「勿論です!」


 二人に礼を言うと、サイラスは「先導します」と言って、先を歩いて行った。


 そんな彼の後を、ハンナはついて行く。


「……ハンナ。ギルベルトは、もう、王城にはいないのか……?」


「はい。グレイス様が投獄された後、ギルベルト様はグレイス殿下が王を暗殺するはずがないと、ガストンに何度も訴えていました。ですが、ガストンは聞く耳を持たず……結果、ギルベルト様はグレイス様を助けるべく、旧知の騎士たちを引き連れクーデターを引き起こそうとしていました。ですが、それを先読みしていたガストンにクーデターを事前に止められ、騎士位を剥奪され城から追放されました。正直、あまりの手際の速さに、私は違和感を覚えました」


 十中八九、ハデスの入れ知恵だろうな。


 ガストンが元騎士団長であるギルベルトの裏を掻けるとは、到底思えない。


「リリエットと……アルフォンスは……」


「……彼らのことは、お聞きになられない方がよろしいかと……」


 ハンナの顔が苦悶に歪んだ様子から見て、ガストンの言っていたことは正しかったのだと直感した。


 この王城で、僕の味方となってくれる存在は、もう、ハンナとサイラスしかいないのだろう。


 以前ガストンはこの城に僕の居場所はないと言っていたが、どうやら本当にその通りのようだ。


「殿下、ハンナ殿。ここから先はガストンたちがいる王の間の前を通らなければなりません。足音を立てずに、静かに参りましょう」


 サイラスは足を止めると、こちらに顔を向け、シーッとジェスチャーを取る。


 ハンナは頷くと、サイラスと同じ歩幅で、ゆっくりと歩いて行く。


 その途中。王の間の扉が少し開いているのに、僕は気が付いた。


 その隙間に広がっていた光景は、玉座を見上げる貴族たちの姿と――――王の玉座に座る、アグランテ公爵とその妻フィリース、そしてその横でリリエットと手を繋いで立つガストンの姿だった。


 玉座の前で、彼ら守るようにして一列になって並んで立つのは、王国の騎士たち。


 そこには随分と背が大きくなった、アルフォンスの姿もあった。


 その光景を見て、僕の心の中にいる何かがザワリと、動く感触を覚える。


「さて、皆の者、今日は我が息子ガストンとブランシェット家の息女、リリエットが正式に婚約を結ぶ日である! 四年前にあった兄上がグレイスに殺された事件は悲しいものだったが……今日はそんなことは忘れ、多いに宴を楽しんでいってくれ!」


 わぁぁぁぁぁぁぁぁと、歓声が巻き起こる玉座の間。


 ガストンとリリエットは手を繋ぎ、玉座の前へと出る。


 そしてガストンは広間に集まる貴族や騎士たち向けて、大きく口を開いた。


「グレイスは王殺しの対罪人であった! 四年前の陛下が崩御なされた事件は、今でも私の心にトゲを残している……! だが! 奴が事件を起こしてくれたおかげで、私は将来の妻となるリリエットと婚約を結ぶことができた! 彼女には、一度、私はフラれてしまったが……どうやら四年前の事件でグレイスを捕らえたことで、私を認めて貰えたらしい!! 私たちは真実の愛を見つけたのだ!! なぁ、そうだろう? リリエット? あんな男よりも私の方が、君に相応しいだろう?」


 そう言って、ガストンはリリエットを抱き寄せる。


 リリエットはそんなガストンを突き飛ばすことなく、真顔で口を開いた。


「はい、ガストン様の言う通りです。危うく、王陛下を殺したグレイスなどという悪魔と結婚するところでした。私の夫となるのは、ガストン様です」


 その言葉にガストンは満面の笑みを浮かべると、リリエットの顎に手を添え、自分の顔を彼女の顔に近付けていった。


「……殿下。行きましょう」


 ハンナはそう言うと、僕の目元を手で覆い隠した。


 そしてその後、僕たちは玉座の間を後にした。


 ――――――僕は、今になって、気が付いた。


 僕は、多分、リリエットに恋をしていたんだと思う。


 僕は、コロコロと変わる彼女の表情が、好きだったんだ。


 だから今、こんなにも胸が張り裂けそうで、痛くて、悲しくて……それと同時に、強い憎悪を抱いてしまっているんだ。


 憎い。僕を地獄に堕としたハデスもガストンも、僕を信じることもせず、助けに来てくれなかったリリエットとアルフォンスも。


 奴らは……僕の敵だ。

 

 貴族たちの歓声を耳にしながら、僕の胸中は、憎悪でいっぱいになっていった。




 城を出て、城下町を出た後。


 王都周辺にある森を、僕たちは歩いていた。


 辺りは暗くなり、サイラスが松明片手に先導して前を歩いている。


 その後ろを、僕を背負ったハンナが、ついていった。


「グレイス様。今のところ亡命先は、神聖国家が良いと考えています。クリーベンスの森を抜け、ブランシェット領に入ったら、領都で神聖国家行きの馬車に乗りましょう。神聖国家の聖王は、亡き陛下とは親友の仲。事情を説明すれば、必ずやグレイス様の亡命を受け入れてくれるでしょう」


「亡命した後は……僕は、どうなるのだろう……?」


「私とサイラスが殿下の身の周りのお世話をさせていただきます。まずは、長年牢に入って衰弱された殿下のお身体を回復しなければなりませんね」


「そうです、殿下。神聖国家に行っても、私どもがついているのでご安心を。私たちは何があっても、殿下のお傍におります」


 前を歩くサイラスが、そう言って明るく笑った。


 そんな彼に、僕は先程から気になっていた疑問を投げる。


「ハンナは分かるが……サイラスはどうしてそこまでして僕を助けてくれるんだ? 僕は、君とはそこまで関わりはなかったはずだが……」


「亡き陛下……騎士王ガイゼリオン様は、私の命の恩人なのです。ガイゼリオン様は以前戦場で、一兵卒である私の命を救ってくださった。王自らが、矢面に立って騎士を助けたのです。その日から私は陛下に身を捧げました。私はただ、その恩義に報いるために、グレイス様をお助けしているのでございます。勿論、グレイス様が王陛下を殺すことなどないと、考えてのことです。関わりはなくとも、貴方様の人となりは、私も十分分かっておりますから」


「そうか……お前は、誠の騎士だな、サイラス……」


「勿体なき御言葉でございます、殿下」


 そう言ってサイラスが僕に微笑んだ―――その時だった。


 背後から、馬の嘶き声と、複数の馬の足音が聞こえてきた。


 その音を聴いたサイラスは、僕たちの背後に行くと、鞘から剣を抜いて構える。


「殿下! ハンナ殿! 恐らく追っ手です! 先に行ってください!」


「ま、待て、サイラス! お前まさか、囮になるつもりか!? や、やめろ!!」


「……殿下をお頼み申す、ハンナ殿」


 その言葉にハンナは頷くと、森の中を走って行った。


 僕はハンナの背中で、遠くなっていくサイラスの背中と、徐々に近付いてくる松明を持った無数の騎馬を確認する。


「サ、サイラス! 待て……待ってくれ!」


「殿下! 口を閉じてください! 舌を噛みます!」


「だが、ハンナ……サイラスが……!」


「彼も覚悟の上でございます」


 僕はその言葉に、顔を苦悶の表情に歪めるのだった。





「ゼェゼェ……こ、ここまで来れば、恐らく大丈夫でしょう……」


 ハンナはそう言って、足を止めると、ゼェゼェと荒く息を吐く。


 追っ手の騎馬も、背後から迫ってきている様子はなかった。


 恐らく、サイラスが足止めしてくれているのだろう。


 ハンナは息を整えた後、おぶっている僕をゆっくりと地面に降ろし、横にする。


「グレイス様、今のところ追っ手の者がやってきている気配はありません。今の内に、まずは御怪我の手当を致しましょう」


 そう言って彼女は僕の服を脱がし、鞄から包帯と薬液を取り出すと、僕の怪我の手当をし始めた。


 そして彼女は全身に包帯を巻き終えると、最後に僕の頭に包帯を巻き、左目を眼帯のように覆い隠した。


 その後、ハンナは僕に服を着せると、僕の顔を見つめて優しく微笑んだ。


「さぁ、行きましょうか、グレイス様。森を抜けたらすぐにブランシェット領に―――」


 その時だった。


 突如、正面の木々の隙間から矢が飛んできて、ハンナの肩に矢が突き刺さった。


「え……?」


 ハンナはよろめくと、肩を押さえ、木々の隙間を睨み付ける。


 するとそこから、数名の騎士たちと……ガストンが姿を現した。


 「ふははははははは!! このオレから逃げられるとでも思っているのか!! 間抜けどもめ!!」


「ガストン……!!」


 ハンナはガストンを鋭く睨み付ける。


 そんな彼女に、ガストンはチッと舌打ちを放った。


「メイド風情が……このオレを呼び捨てにするな!! オレは次期騎士王となる男だぞ!! 無礼であろう!!」


「正統な騎士王の血を引くのは、グレイス様だけです。貴方ではありません」


「生意気な口を……!」


そう口にして不機嫌そうな様子を見せるが……ガストンはニヤリと、邪悪な笑みを浮かべた。


「片目も潰れ、筋力は落ち、やせ細った惨めな王子。どうせグレイスは長くは持つまい。貴様が命がけで助けようとしているその男には、最早何の価値もない。潔くグレイスを引き渡せ、メイド。そうすればその命、助けてやろう。だが、反抗した、その時は……」


 ガストンが手を上げると、背後にいる騎士たちは矢を構える。


 その光景を見て、ハンナは背後に横たわる僕を庇うと、懐からナイフを取り出し、構えるのだった。




 




      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇






 王宮の中庭。


 そこでリリエットは、夜空に浮かぶ満月を見つめていた。


 そんな彼女の背中に、アルフォンスは声を掛ける。


「……大丈夫? リリエット」


 その言葉に振り返ると、リリエットは小さく笑みを浮かべた。


「やっぱりあたしって、演技が下手みたい。さっき、王の間でガストンにキスされそうになった時……思わず突き飛ばしてしまったもの」


「仕方ないよ。君の好きな人はガストンではなく、グレイスくんなんだから。僕もガストンが衆目の前であんな行動に出るとは思ってもみなかった。……咄嗟に身体が動きそうになったよ」


「あら? 泣き虫アルフォンスの癖に、いっちょ前にこのあたしを守ろうとしてくれたわけ?」


「当然だろう? 僕たちは幼馴染なのだから」


 そう言ってアルフォンスはリリエットの隣に並ぶと、中庭に聳え立つ大木を見上げる。


「グレイスくんは陛下を殺してなどいない。そんなことは、幼馴染である僕たちが誰よりも分かっていることだよね」


「ええ。だからあたしたちは、グレイスが投獄された四年前、それぞれの方法で彼を

助けることに決めたのよ。あたしはガストンに取り入り、婚約を餌にグレイスとの面会を、何とかあの男に約束させた」


「僕は、騎士としてガストンに忠誠を誓う振りをして、グレイスくんが何処に囚われているのか、知らべることに決めた。……お爺様……ギルベルト元騎士団長や王に忠誠を誓っていた騎士たちが全員解雇された今、王城に残ってグレイスくんを助けることができるのは、僕達だけだ。慎重にいかなければならない」


「ねぇ、アルフォンス。14歳になったあたしじゃ……綺麗になったかな? グレイス、まだあたしのこと忘れてないかな? 大丈夫、だよね……生きているよね……また彼に会いたい……会いたいよぉう……」


 そう言ってリリエットは深緑の間に見える満月を眺めながら、大粒の涙を溢していく。


 そんな彼女を見て、アルフォンスは苦悶の表情を浮かべた。


「ガストンは、グレイスくんのことを昔から恨んでいた。きっと、酷い拷問を受けていたと思う」


「……ひっぐ、ぐすっ……」


「でも、彼のことだ。人攫いたちと戦った時のように、絶対に何があっても、彼は戦うことをやめない。諦めない。きっと生きていてくれるさ」


「あたし……嘘だとしても、ガストンの婚約者だなんて名乗りたくない! グレイスのことを悪く言いたくない! あいつに触れられるのは、悪寒が走る程嫌だった! でもグレイスのために、我慢したわ! あたしは彼のことが誰よりも……大好きだからっ!」


 リリエットは自分の身体を抱きしめ、肩を震わせると、そう声を張り上げた。


 そんな彼女を見て、アルフォンスが俯き、何も言えなくなっていた……その時。


 彼らの背後から、一人の騎士が駆け寄ってきた。


「リリエット様! こちらにいらしたのですね!」


 ガストンの配下である騎士が姿を現したその瞬間、リリエットは涙を拭い、ガストンの婚約者リリエットとしての仮面を被った。


「そんなに慌てて、何か私に用でしょうか? 今は一人で過ごしていたいのですが……」


「王殺しの悪魔、グレイスが、メイドの手引きで牢獄から逃げ出しました! 今、ガストン様と騎士団が、捜索中です!」


「……ぇ?」

 

 その言葉に、リリエットとアルフォンスは、目を丸くさせるのだった。







      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇





「おいおい、正気かぁ? そんな小さなナイフごときで、この騎士団を相手にするつもりか?」


 ガストンが「ふははははは」と笑うと、騎士たちも同じようにして馬鹿にするように笑い出す。


 僕は地面を這いつくばりながら、ガストンに叫んだ。


「ガストン……! 僕は大人しく投降する……! だからハンナだけは逃がしてやってくれ!」


「!? 何を仰ってるのですか、殿下!?」


 こちらに驚いた顔を見せてくるハンナ。


 僕はそんな彼女に、引き攣った笑みを浮かべ、口を開いた。


「僕はもう、大切な誰かを目の前で失いたくはないんだ。リリエットとアルフォンスが敵となった今、僕にとって残されたのは、ハンナ、君しかいない」


「ほう? それは良いことを聞いたな。では……そのメイドを、ここにいる騎士たちに襲わせてみるのも一興だな? たった一人残った大事な者が慰み者になったら……貴様は、どのような表情を見せてくれるのかな? グレイス?」


「き……貴様ぁ!! ガストン!! お前はどこまで非道になれば気が済むんだ!!!! お前は人間じゃない!! 悪魔だ!!」


「悪魔はお前だろう、王殺しの対罪人。くくく、さぁ、騎士ども! あのメイドを凌辱しろ!」


 ガストンはそう騎士に命令を出すが、その命令に、騎士たちは何処か戸惑いを見せている様子だった。


 そんな彼らに、ガストンは怒鳴り声を上げる。


「おい、オレの命令を聞けないというのか!! オレに反抗した者たちがどうなったのか……知らんわけでもあるまい!!」


 その言葉に騎士たちはビクリと肩を震わせる騎士たち。


 ―――――その時だった。


 ハンナはその隙を狙い、僕を背負うと、そのまま背後を疾走していった。


 その姿を見て驚きの表情を浮かべたガストンは、騎士たちに命令を下した。


「!? 撃て!! 奴を逃がすなーーーっ!!!!」


 上空から無数の矢が飛んでくる。


 ハンナは立ち止ると、背中の僕を降ろし、抱きしめて、僕の壁となった。


「やめろ、ハンナ――――――ッッ!!!!」


「グレイス様。どうか、生きてください」


 ハンナが微笑みを浮かべながらそう言った、直後。


 ドスドスッと何かが刺さる音が聞こえ、ハンナの口元から血が零れ出る。


 その後、ハンナは僕に倒れかかり、徐々に目を閉じて行った。


「ハンナ!? おい、ハンナ!?」


 何か、ぬるっとしたものが手に触れる。


 それは、手のひらに付いた、真っ赤な血液だった。


 ハンナの背中を見ると、そこには――――無数の矢が突き刺さっていた。


 僕はその光景を見て、悲鳴にもならない、掠れた声を溢してしまった。


「あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」


 ハンナはドサリと地面に倒れると、徐々にその目を閉じていった。


「……グレ……イス様……ハンナは……貴方と過ごせた日々が……何よりの……宝……でした……」


 ドンと、地面に拳を叩きつける。


 何度も何度も、拳を、叩きつける。


 その時。僕の傍に、ガストンが近付いてきた。


「グレイスの前で、メイドを騎士たちに凌辱させる予定だったというのに……ふざけた真似をしおって! このオレの興を削いだ罪は重いぞ、メイドォ!!!!」


 そう言ってガストンは、ハンナの遺体を蹴り上げた。


 その光景に、僕の中にいた獣は……暴れ狂った。


「殺してやるぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! ガストンンンン――――――ッッッ!!!!」


 僕は全力で身体を持ち上げて立ち上がり、ガストンに向かって徒手空拳で襲い掛かった。


 起き上がれるとは思っていなかったのか、ガストンは僕を見て怯えた表情を浮かべる。


「ヒ……ヒィッ!?」


 ガストンはドサリと、その場に尻もちを付く。


 僕は奴の喉笛を噛み千切り、腸を裂いてやろうと、手を伸ばした。


 だが――――その腕は、クロスされた槍によって阻まれた。


 二人の騎士が、ガストンを庇うようにして、前に立ったのだった。


「貴様らぁぁぁぁ!! 誰の許しを得てこの僕の邪魔をしているッッ!!!!! 今すぐ退け、不遜者めがッッ!! 貴様らにも地獄を見せてやるぞッッッ!!!!」


 騎士たちは僕の顔を見てゴクリと、唾を飲み込んだ。


「こ、これが、王殺しの悪魔の正体か……! ガストン様が仰っていた、今まで善人の顔をしていたのは全て演技で、本来のグレイスは悪魔のようだと仰っていたが……これが、そうなのか」


「血に飢えた獣の如き、悪魔のような顔をしている……!」


「誰が……誰が僕を悪魔にしたと思っていて……!! うぐっ」


 身体に激痛が走り、僕はその場に倒れ伏してしまう。


 ガストンはそんな僕を見て「はは」と笑い声を溢すと、立ち上がり、僕の傍までやってきた。


「火事場の馬鹿力、という奴か? 少し驚かされたぞ、グレイス」


「フゥーッ、フゥーッ、ガストン……! 殺してやる……殺してやるぞ……!」


「そんなズタボロの状態で、どうやってオレを殺すというんだ? グレイス!」


 ガストンは僕の腹を蹴り上げる。すると僕は為す術もなく、ゴロゴロと地面を転がっていった。


「ははははははは!! もう紙切れも同然の軽さではないか!! 腕や脚は極度の栄養失調でやせ細り、最早、自分の意志で動くこともままなるまい!! ここで貴様を殺してやろうとでも思ったが……オレが手を下す必要も無さそうだ。いや、むしろお前にはこの死に方の方がお似合いだ!!」


「フゥーッ、フゥーッ……」


「この森には多くの狼型の魔物が多く生息している。グレイス、お前はこの森にいる獣にでも喰われて死ね。生きたまま喰われて、このオレの前に立ちふさがったことを後悔しながら死んでいけ」


 そう口にすると、ガストンは騎士たちを引き連れ、その場を去って行った。


 僕はガストンの背中を見つめて、咆哮を上げる。


「いずれ必ず貴様らに地獄を見せてやる!! ハデス、ガストン、アグランテ家の者、王国の騎士ども、アルフォンス、リリエット!! 僕……いや、俺は必ずここに戻ってくる!! 奪われたものを取り戻すために、必ず戻って来るぞ……!!」


「はっはっはっ! せいぜい獣に喰われないよう地面を這いつくばって逃げ惑うのだな、芋虫王子!! ふはははははははははははは!! はーっはっはっはっはっ!!!!」


 遠くの丘の上にある城に向かって、去っていくガストンと騎士たち。


 俺はその城を見つめ、誓った。


 ガストンから国を盗ってみせると。


 そして、自分だけの信頼できる、王国に対抗できる騎士団を作ってみせると。


 俺の武器は頭だ。ガストンを倒すには、俺に付き従う剣がいる。


「力だ……俺の復讐を叶えるには、駒がいる……!」


 そう口にして、俺は、地面の土を握りしめた。

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