幼年期編 第3話 ガストン、盛大にフラれる


 その後、僕は三人の元へと戻った。


 アルフォンスもリリエットもアリアも、ガストンの横暴な振る舞いには怒り心頭な様子だった。


「何なんですの、あの男! お兄様に剣を向けたりして! お兄様は王位継承権第一位の王子なんですのよ!? 頭おかしいんじゃありませんの!?」


「この件に関しては流石にブラコン妹に同意するわ。そもそも、何で陛下はあのような男を放置しているのかしら。せめて牢に入れるくらいのことをするべきでしょ」


「僕も……そう思う。グレイス君に謝ってほしい」


 僕のために怒ってくれている三人。僕はそんな幼馴染たちに、笑みを浮かべた。


「ありがとう。でも、彼らも根っからの悪人ではないと思うんだよ。乱戦の世が始まろうとしている今、内部で争うことを避け、長年険悪な関係だった分家と手を取りあおうとしているお父様のご判断は正しいと思う」


「甘いわね、グレイスは。そもそも、あんたならあのガストンとかいう奴の剣くらい、軽く避けられるはずでしょう? なんで首元に剣を押し付けられて黙ってい―――」


「ご歓談中、申し訳ございません。よろしいでしょうか、グレイス殿下、リリエット様」 


 晩餐会が宴もたけなわとなった頃。一人の騎士が僕とリリエットに声を掛けてきた。


 恐らく、もうそろそろ、僕とリリエットの婚約発表をする時間なのだろう。


 僕は騎士に頷くと、リリエットへと手を伸ばした。


「行こう、リリエット。どうやら時間みたいだ」

 

リリエットは僕の手を見つめたると、顔を上げ、ニヤリと、意地悪そうな微笑みを浮かべる。


「もしかして、このリリエット様をエスコートする気なの? グレイスの癖に、生意気ね」


「君にとって、エスコートする相手が僕なのは不満だと思うけど……ここは王侯貴族の目もある。今だけは王子である僕に、エスコートさせては貰えないかな?」


「だ、誰も嫌だなんて言ってな……フ、フン! せいぜいあたしの可愛さを引き立てられるように頑張ることね。まっ、あんたとあたしじゃ、月とスッポンみたいなものでしょうけど」


 そう言うと、リリエットは僕の手を掴んできた。


 そうして僕とリリエットは、玉座にいる父上の元へと、歩いて行った。


「むきぃぃぃぃぃぃ!! お兄様にエスコートしてもらうというのに、何なんですの、あの態度はぁぁぁぁぁ!! あの女はやっぱりお兄様に相応しくありませんわぁぁぁぁ!! お兄様! 今からでもアリアと婚約を―――もががぁ!」


「ア、アリア! 駄目だよ、邪魔しちゃ!」


「離してくださいまし、アルフォンスさん! わたくしは……わたくしは、お兄様を奪われるわけにはいきませんのよぉぉぉぉ!!!!」


 背後で何やらアリアとアルフォンスの会話が聞こえてきたが……僕は無視することに決めた。





 「おぉ、グレイスにリリエット殿。宴は楽しんでいるかな?」


 騎士に連れられ玉座にいる父上の元に行くと、父上は朗らかな笑みを浮かべてそう声を掛けてきた。


 僕は父上に頭を下げ、口を開く。


「はい、父上。とても楽しい時間を過ごさせていただいております」


 そう言った後。リリエットが僕の手を離し、前へと出る。


 そして彼女はドレススカートの裾を掴み、頭を下げ、カーテシーをした。


「陛下。今晩はブランシェット家をお招きいただき、ありがとうございます」


「ハッハッハ! リリエット殿は相変わらず礼儀正しいお嬢さんだな! さすがは王家に長年仕える由緒正しきブランシェット家の息女だ!」


 リリエットは頭を下げながら、こちらに不敵な笑みを見せる。


 彼女の本性は、礼儀正しいお嬢さんなどではなく、猫被りのお転婆娘なのだが……まぁ、リリエットは素の自分を僕たち幼馴染にしか見せないから、それも仕方ないか。


 僕たちは同時に頭を上げると、父上はうむと頷き、優しく微笑んだ。


「急な話で驚くかもしれないが……実は、二人を呼んだのは他でもない。何と……」


「陛下、既に知っています。私とグレイス殿下が婚約する、というお話ですよね?」


「おぉ! 耳が速いな、リリエット殿は! もしやグレイスも知っていたのか!?」


「あ、はい。リリエットさんから先ほど、その話は伺いました」


「そうか。二人の意志を聞かずに決めたことは、誠に申し訳なく思う。だが、グレイスは次期国王としてこの国を導かなければならない身。その伴侶となるものは、私が決めた信頼できる家の者にしたい。その結果、選ばれたのがブランシェット家のリリエット殿だった、というわけだ。二人は幼馴染故に、仲は悪くないと思うのだが……どうかな? この決定に不満はあるか? 素直に申してみるが良い」


「僕には、不満はありません。ただ、リリエットさんがどう思うかは―――」


「ありません」


 僕の発言を遮るようにそう口にしたリリエット。


 そんな僕たちの姿を見て、父上は嬉しそうな表情を浮かべ、玉座から立ち上がる。


「そうかそうか! だったら、皆にさっそく報告させてもらおう! ――――晩餐会に集まりし王侯貴族、諸外国貴族の諸君! 聞いていただきたいことがある!」


 その言葉に、大広間に集まった貴族たちは談笑を止め、一斉に玉座へと視線を向ける。


 そして父上は僕たちの背後に立つと、僕とリリエットの肩をポンと、優しく叩いた。


「今宵、皆を晩餐会に招いたのは他でもない! 我が息子グレイスとブランシェット家の息女、リリエットの婚約を、皆に伝えるためだ! 二人は次世代のランベール王国を支える者である! 皆、祝福して欲しい!」


 ワーワーと、貴族たちは歓声を上げ、僕たち二人を祝福してくれた。


 その光景を見て、リリエットは僕から顔を背き、ポソリと呟いた。


「……まったく。このリリエット様がグレイスと結婚するとか……本当、あり得ない話だわ」


「すまない、リリエット。今だけは我慢して欲しい。……って、リリエット? 耳が真っ赤だが、大丈夫か? 熱でもあるのか?」


「……ッッ!! うっさい、馬鹿!!!!」


 そう声を掛けると、リリエットは何故か僕の足をさりげなく踏んできた。


 そんなに僕との婚約が嫌なのだろうか? これは申し訳ないことをしたな。


 でも、僕は……。


「でも、僕は……君は不満に思っているかもしれないけど、僕は、自分の婚約者がリリエットで良かったって、そう思っているよ。君は口は悪いが根は優しい子だ。そんな君とならば、僕は、この国を良い方向へ変えることができると思う」


「……あ、あたしも……あたしも、グ、グレイスが、こ、婚約者で―――」


 リリエットがこちらに茹でダコのような顔を向け、何かを呟こうとした、その時。


 僕たちの前に、ある人物が姿を現した。





      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇




《ガストン 視点》


 アグランテ公爵の嫡男であるオレ、ガストンは、ボリボリと皿を抱えて菓子を食べていた。


 まったく、先ほどオレを豚と呼んだ無礼な女といい、王侯貴族どもはアグランテ家を舐めすぎだ。


 どいつもこいつもアホな奴ばかり。


 アグランテ家は王族だぞ? 侮辱したら即死刑にすべきだろう。


 王も王だ。祝いの場だからといって何だ? アグランテ家に歯向かう者は、王族の名を穢した者として、その場で殺し、諸外国に王家の威厳を見せつけてやれば良いというのに。馬鹿なのか?


(まったく。このようなところに居ても、不快なだけ―――)


「――――晩餐会に集まりし王侯貴族、諸外国貴族の諸君! 聞いていただきたいことがある!」


 王のその言葉に、オレは、玉座に視線を向ける。


 そこには、グレイスと並んで立つ、一人の少女の姿があった。


 その少女は、オレンジ色の髪をしており……まるで、天女のように美しかった。


 その姿を見た瞬間。オレの時は止まり、背筋に衝撃が走る。


「なっ……」


 村で見つけた好みの女に夜伽を命じたことはあったが、それらとは比較にならないほどの美しさ。


 あの少女は、まるで彫刻のような、神が造った芸術のような、神秘的な美しさを持っている。


 欲しい……あの女が、欲しい……!!


 何を捨てでも、何を売ってでも、絶対に手に入れたい。


 それほどの魅力が、あの女には、ある。


 だが――――――神は、無慈悲のように、オレに対して残酷だった。


「今宵、皆をここに呼んだのは他でもない! 我が息子グレイスとブランシェット家の息女、リリエットの婚約を、皆に伝えるためだ! 二人は次世代のランベール王国を支える者である! 皆、祝福して欲しい!」






      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇





 僕とリリエットの婚約に、王侯貴族や諸外国の貴族が拍手を鳴らした、その時。


 僕たちの前に、ある人物が姿を現した。


「その婚約、待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 そう叫んで目の前に現れたのは、小太りの少年……ガストンだった。


 ガストンは周囲の目など気にせず、僕たちの前に近付くと、リリエットの前に膝まづく。


 そしてリリエットの手を掴むと、大きく声を張り上げた。


「貴方のお美しい顔を見て、このガストン、一瞬で恋に落ちました! ブランシェット家のリリエット殿! グレイスではなく、このアグランテ公爵の子息、ガストン・オルク・アグランテと婚約を結んでください! オレこそが、貴方を幸せにする運命の男です!」


 先ほどの僕に見せた態度とは一変、ガストンは、丁寧な口調でリリエットに求婚してきた。


 その光景に、周囲は時が止まったのかのように、唖然とする。


 それもそのはずだろう。


 王子の婚約発表を邪魔だけでなく、彼は、王侯貴族が集まる晩餐会で王子の婚約者を堂々と略奪しようとしたのだから。


「なっ……」


 最初に硬直が解けたのは、リリエットだった。


 リリエットはガストンの手を払い除けると、大きく口を開いた。


「い、嫌! あたしが好きなのはグレ……いえ、私が婚約を結ぶのは、殿下お一人です! 貴方様の婚約者には、絶対になりません!!!!」


 強い拒絶。数秒後、周囲の貴族たちの硬直も取れ、彼らは失笑し始める。


「相手と場所を理解していないのか、ガストン様は。王子の婚約者だぞ?」


「グレイス様とガストン様だったら、どっちを取るのかなんて、誰でも分かっているだろうに」


「やっぱりアグランテ家は駄目ですな。陛下の血筋には敵いませぬ」


 ザワザワと失笑の波は広がっていく。


 振り返り、その光景に憤怒の表情を浮かべた後。


 ガストンは、リリエットに、困惑した様子を見せる。


「な、何故なのですか、リリエット殿! オレは貴方の顔を見て、今まで出会って来た数多の女性たちの顔が霞むくらいの衝撃を受けたんだ! こんなにも美しい少女がいるのかって、感動を覚えたんだ! 貴方がオレの婚約者になってくれるのなら、オレは絶対に変わってみせる! 見た目が嫌なら痩せるし、欲しいものがあるなら何でも買ってやる! オレにはたくさんの金があるんだ! だから……貴方を絶対に幸せにしてみせると約束する! お願いだ、リリエット殿! オレの婚約者に―――」


「や、やめんか、ガストン!」


 ガストンを止めに入ったのは、意外にもアグランテ公爵だった。


 アグランテ公爵はガストンを後ろから羽交い締めにすると、怒声を放つ。


「お、王子の婚約者だぞ⁉ 先程、王子の首に剣を向けたことと言い……貴様、正気か!?」


「父上、離せ! オレはどうしてもリリエットが欲しい! 何がなんでも、リリエットを手に入れたい!」


「は、恥を知れ! 行くぞ!」


 アグランテ公爵はガストンを引きずると、奥方のフィリースと一緒に、大広間から去って行った。


 その光景を見て、ゲラゲラと笑う貴族たち。


 大広間の扉を開けて出ていく間際、ガストンは、怒りの声をまき散らした。


「貴様らぁぁぁぁ!!!! 絶対に許さんぞぉぉぉぉぉ!!!! リリエットぉぉぉぉぉ!!!! 貴様を絶対にオレのものにしてみせる!!!! 絶対にだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 その声にビクリと肩を震わせると、リリエットは僕の手をギュッと握ってきた。


 まさかガストンが、あそこまでリリエットに惚れるとは思いもしなかった。


 彼は昔から欲しいと思ったものは絶対に手に入れる、我慢ができない子供だった。


 この先……厄介なことにならなければ良いのだが……。


「う、うむ。少々アクシデントが起こったが……み、皆の者、食事を続けたまえ。リリエット殿、我が甥が申し訳なかった。後でキツく言っておくとしよう」


「い、いえ……」


 こうして、僕たちの婚約発表は、終わりを告げたのだった。







      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇





 晩餐会が終わった日の夜。アグランテ領、公爵家の御屋敷。


 自室で一人、ガストンは苛立っていた。


「くそがっ! どうしていつもあいつばかり、オレが欲しかったものを持っているんだ……! あいつばかりあいつばかりあいつばかり……! グレイスッッ!!!!」


 テーブルの上にあった花瓶を叩き落とし、本棚にある書物を全て放り投げ、ガストンは荒れ狂う。


 ―――その時だった。彼の背後から、何者かの声が聞こえてきた。


「……くふふふふ。随分と王子を憎んでおられるようですな、ガストン様」


「!? 何奴!?」


 ガストンは腰の鞘から剣を抜くと、背後にいる者へと構える。


 開いた窓と、その奥にあるベランダ。


 そこに立っていたのは、黒い外套と山羊の頭蓋骨を被った、妖しい黒魔導士だった。


 魔導士は「くふふふ」と特徴的な笑い声を溢すと、カンと杖の柄を床に叩きつける。


「私の名はハデス。貴方様の願いを叶えし者でございます」


「怪しい奴め! どこから屋敷に入ってきた!? 今すぐ騎士を呼び、貴様の首をねじ切ってやろうぞ!!」


「まぁまぁ、落ち着いてください。くふふふ。良いですか、ガストン様。私には秘策がございます。貴方が全てを手に入れるための、秘策がね」


「オレが全てを手に入れるための秘策、だと?」


「貴方様は幼い頃からグレイス王子と比較されて育ってきた。剣の才格、兵法、座学、容姿、王位継承権。貴方は産まれてきてから何一つ、グレイスに勝つことができなかった。そして今度は、貴方がこの世界の何よりも欲しいと感じた、リリエットまでも、グレイスは手に入れようとしている。そうでしょう? 違いますか?」


「……その通りだ」


「くふふふふ。そんな貴方だからこそ、私は、次の王座を貴方にプレゼントしたいと思っている。そして私の言う通りに動けば……王位もリリエットも手に入れることができるでしょう。どうでしょう? 私の策に、乗ってみようとは思いませんか?」


「王位も、リリエットも、手に入れることができる……だと⁉」

 

 ガストンは目を見開いて、驚いた表情を浮かべる。


 そして、その後。彼はニヤリと、邪悪な笑みを浮かべた。


「良い。話してみよ、ハデス。世迷言ならば、貴様の命はないと思え」


「くふふふふふふふ。流石はガストン様。話が分かる御方です」


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