幼年期編 第2話 アグランテ家の者たち


「あんたみたいな本ばっかり読んでいる冴えない男と婚約とか、本当に、ついてないわ」


 王宮の長い廊下を三人で並んで歩いていると、そう、リリエットが言ってきた。


 僕はそんな彼女に困ったように笑みを浮かべて、言葉を返す。


「お互いの両親が決めたこととはいえ……何というか、すまない。こんなに若くして婚約相手を決められるとは僕も思っていなかった」


「……」


「だけど、そんなに身構えることもないと思うよ。幼少の頃に結ばれた婚約というものは、大きくなってから破棄されることが多いからね。何年か経った後に君に好きな人ができたら、遠慮なく言ってくれ。結婚は恋愛を通してするものだから。幼馴染である君の将来を、政治的に利用されることは、僕も望んではいない」


「……難しいこと言わないでよ。よく分かんない」


「あ、あぁ、ごめん」


「グレイス、あんたはこの超絶可愛いリリエットちゃんと婚約するの、嫌なわけ?」


「え? い、いや、別に嫌なわけでは……」


「はっきり言いなさいよ」


 僕の前に出てくると、腰に手を当てて、グイッと顔を近づけてくるリリエット。


 そんな彼女の姿に困惑していると、隣にいるアルフォンスがポソリと口を開いた。


「好きなら好きって、素直にそう言えば良いのに……」


「アルフォンス!」


「いたっ! な、殴らないでよ、リリエットぉ!」


「うるさい、泣き虫! あんたは本当に余計なことしか言わないわね!」


 何度もバシバシと頭を叩かれ、涙目になるアルフォンス。


 そんな二人の様子を、呆れながら見つめていると……背後から、何者かが駆けて来る足音が聞こえてきた。


「お兄様――――っ!!」 


 振り返ると、そこには、こちらに向かって走ってくるドレス姿の少女の姿があった。


 豪奢な金色のドレスを着たその少女は、傍まで駆け寄ると……大きく飛び上がり、僕の胸へと飛び込んで来る。


僕は慌てて両手を広げて彼女を受け止めると、そのままドシンと、尻もちを付いて転倒してしまった。


「う、うわぁ!? い、いてててて……」


「お兄様! 今日もアリアは、頑張ってお勉強をしてきましたわ! 褒めてくださいまし!」


 お腹の上に乗った少女―――妹のアリアは、僕を見下ろして、ニンマリと笑みを浮かべた。


 僕はそんな彼女に、引き攣った笑みを浮かべる。


「ア、アリア。毎回言っているけれど、何でいつも、僕に突進してくるのかな?」


「アリアはお兄様が大好きだからですわ! むぎゅーっ!」


 倒れている僕の胸に頬を擦り付け、思いっきり抱き着いてくるアリア。


 そんな僕とアリアを、リリエットは眉間に青筋を浮かばせ、睨んできた。


「……お姫様~? いい加減、グレイスから離れたらどうですか~? 苦しそうですよ~?」


「嫌ですわ。わたくしとお兄様の仲を引き裂こうとしないでくれますか? 猫被りお邪魔虫」


「おじゃま……! ちょ、ちょっとグレイス! あんた、あたしと婚約するんでしょ!? 何でいつまでも妹とくっついてんのよ! 離れなさいよ!」


「あ、あぁ。アリア、そろそろ……」


「お兄様。アリア、お兄様と結婚したいですぅ」


「い、いや、妹とは結婚はできないから……」


「フフッ、問題ありませんわ。わたくしは王家の遠縁から引き取られた娘。わたくしとお兄様は血の繋がった本当の兄妹ではありません。ですから……」


「ちょ、ちょっと! ふざけたこと言ってんじゃないわよ! そいつと婚約を結ぶのは、あたしよ!? 離れなさいよ~!!!!」


 その後、ギャーギャーとリリエットと僕のお腹に乗ったアリアは喧嘩をし始める。


 そんな二人を傍で見つめていたアルフォンスは、僕に憐憫の目を向けてきた。


「グレイス君は色々と大変だね」


「いや、見てないで助けてくれないか、アルフォンス……」


 僕はそう口にして、大きくため息を吐いた。





      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇





 ――――午後十九時。王宮二階にある、大広間。


 今日は春と冬に年に二回ある、王侯貴族を招いて行われる春の晩餐会の日だ。


 基本的にパーティは立食形式となっており、招待された王侯貴族や諸外国の要人たちは、談笑しながら食事を行っている。


 晩餐会は主に貴族たちの親交を深めるための催しらしい。


 僕とアルフォンス、リリエットとアリアは、壁際に立ってその光景をつまらなそうに眺めていた。


「何で大人ってみんな着飾ってパーティをするのが好きなのかしらね」


「大人というより、貴族だからでしょ。リリエットだっておめかししてるじゃん」


「そりゃあ、今日はあたしとグレイスの婚約を発表する日なんだし? ブランシェット家の令嬢としてちゃんとしてないと、家の品位?を疑われてしまうもの。……ねぇ、グレイス、品位ってなに?」


「家の格みたいなものかな。そうだね。確かに大人たちが着飾って交流するのは、家の外聞にも関わってくるからなのかもしれないね。つまるところ貴族にとっては領地運営と同じくらい、こういう場は重要なものなのかもしれないな。貴族にとって家同士の繋がりは、無くてはならないものだろうから」


 何処か達観して貴族たちの交流を眺めていると、大広間の扉が開き、そこからある一族が姿を現した。


 一人は、小柄な体躯の毛髪が薄くなった中年の男。


 もう一人は、背が高く、鼻が大きい細めの女性。


 そしてそんな二人の背後を歩く、太った体形の少年。


 あれは、ランベール王家である父上の弟方の一族、分家のアグランテ家だ。


 つまりあの三人は、僕の叔父と叔母、従兄弟にあたる存在といえる。


 アグランテ家の親子が大広間に姿を現すと、周囲の貴族たちがヒソヒソと小声で喋り始めた。


「来ましたぞ、悪逆非道なアグランテの者たちが」


「領民が飢えて死んでばかりいるというのに、重い税を強いたままだそうですよ?」


「嫡子のガストン様は十二歳にして、とんでもない暴君だとか? 領民が言うことを聞かないだけで処刑を行うと聞きましたよ?」


「本当に陛下の弟君なのか疑わしい者たちですね。先代の王妃が外で作った子供なのではありませんの?」


「おい、それは流石に不敬だぞ。王家の名を穢すつもりか?」


 ザワザワと騒ぎ始める大広間の貴族たち。


 僕はそんな彼らの姿を視界に留めた後。


 隣に立つアルフォンス、リリエット、アリアに向けて、笑みを向ける。


「ちょっと、アグランテ公爵に挨拶してくるよ。ここで待っていてくれないか」


「や、やめておいた方が良いよ、グレイス君! アグランテ家は、君のことをよく思っていない! いつも顔を合わす度に酷いことを言われているじゃないか!」


「そうですわ、お兄様! わたくしもアルフォンスさんと同じで、彼らのことは嫌いです! 以前、お兄様がアグランテ家のガストンさんに何をされたのか……お忘れなのですか!?」


「あれは、事故だよ。僕は何とも思っていないさ」


 そう言って僕は右腕を撫でる。


 そんな僕の姿を見て、リリエットは首を傾げた。


「? あたし、アグランテの人たちを初めて見たけど……そんなに酷い連中なの?」


「酷いどころじゃないよ、リリエット! あいつらは、グレイス君の右腕に、消えない火傷の痕を……!」


「やめるんだ、アルフォンス。父上は、弟君であるアグランテ公爵を大切に思っていらっしゃる。僕も、同じ血を引く者として彼らとは親身な関係になりたい。きっと……世間で言われているほど、悪い人たちではないさ」


「グレイス君!」


 アルフォンスの制止をふりきり、僕は、大広間を堂々と闊歩するアグランテ家の前へと姿を現す。


 そして彼らの前に立つと、胸に手を当て、頭を下げ、騎士の礼を取った。


「お久しぶりでございます、アグランテ公爵殿。そして奥方であられるフィリース殿、嫡男のガストン殿。グレイスでございます」


「ふむ……グレイス、か。昨年の冬の晩餐会ぶりだな。顔を合わせる度にどんどんと憎らしい兄上の若い頃に似てきておるわい。腹立たしい」


「本当、うちのガストンちゃんと違って、グレイスは不細工な子に育ってきたわね~。それに比べてうちのガストンちゃんの愛らしさときたら……よしよしよーし!」


 フィリースが、息子のガストンの頭を激しく撫で回す。


 ガストンはというと、テーブルの上にあった皿を手に取り、ボリボリと菓子のクッキーを貪り食べていた。


 その光景を見て、周囲にいた貴族の女性がクスリと笑みを溢した。


「どう見てもグレイス様の方が見目麗しいわよ。ただの豚でしょ、ガストン様は」


 その発言を見逃さなかったガストンは、クッキーの乗った皿を、その貴族に目掛けて放り投げた。


 そして彼は、皿の破片で怪我を負った女性に指を差し、大きく口を開く。


「今すぐその女の首を刎ねろぉ!! 誰が豚だぁ!! オレはアグランテ家の嫡男、ガストン・オルク・アグランテだぞぉ!! オレを誰だと思っているんだぁ、この売女がぁぁぁ!!!!」


「その通りですよ、この下級貴族が! 衛兵、何をしているのです! その女をこの場で殺しなさい! よくも私の愛しいガストンちゃんに豚などと言えましてね! きぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」


 発狂するガストンとフィリース。


 アグランテ公爵はというと、ただオロオロしているだけだった。


 僕はすぐさま二人を止めるべく、女性を庇うようにして前へと出る。


「フィリース殿、ガストン殿、おやめください! お怒りは分かりますが、この場は他国の貴族もいらっしゃる宴の場……! どうか抑えて……!」


「邪魔をするか、グレイス! まさか貴様もオレが豚だとでも思っているのか!? そういうことなのか!?」


「そのようなことは、一切、思ってなどいませ―――」


「邪魔をするな! 愚物めが!」


 ガストンに頬を殴られ、僕はよろめく。


 だが……ギルベルトの稽古に比べれば、この程度、何の問題にもならない。


 僕は口元から血を流しつつも、その場に足をとどめ、再びガストンへと顔を向ける。


「どうか、おやめください、ガストン殿」


「こいつ……!」


 ガストンは僕の態度が気に入らなかったのか、腰の鞘から剣を抜いた。


 そしてその剣の切っ先を、僕の喉元に差し向けてくる。


「!? グレイス殿下!?」


 騎士たちが慌てて僕の元へと駆け寄って来ようとするが、僕はそれを手で制した。


 そして、ガストンへとまっすぐに目を向ける。


「ガストン殿。おやめください」


「お前は……っ! いつもそうだっ! その澄み切った曇りのない目でいつもオレのこと見つめて、馬鹿にしやがる! どうしてお前だけが全てを持って産まれてきたんだ! 剣の才能を持ち、見目麗しい容姿を持ち、王位継承権も持ち……! 何故、オレには何もない! ふざけんじゃないぞ、グレイス! オレはお前が殺したほどに、憎くてたまらないっ!!!!」


「ガストン殿。僕は貴方に親愛の情を持っています。僕たちは同じ血を引いた家族ではありませんか。憎しみ合う必要など、何処にもありません。貴方の容姿を否定する者など、価値のない人間でしょう。王族としてここは寛容な心で見過ごされては如何でしょうか?」


「貴様にこのオレの痛みが、分かってたまるものか……っ!」


 剣の切っ先が強く喉元に当てられる。


 ドクドクと血を流すが、僕はそれでも、ガストンから視線を外さない。


 僕は母上に平和な世界を作ってみせると約束した。


 だから長年続く王家とアグランテ家との確執は、僕が無くしてみせる。

 

 彼らも人だ。話せばきっと、理解し合うことができるはずだ。


 まっすぐと見つめる僕の目を見て、ガストンは怯えた様子を見せる。


「お前……!」


「そこまでにせよ、グレイス、ガストン」


 その時。玉座の背後にある扉が開き、そこから多くの騎士を引き連れた、ランベール王国の国王……ガイゼリオンが姿を現した。


 ガイゼリオンはマントを翻し、手を伸ばすと、壇上から声を響かせる。


「今すぐ武器を捨てよ! これは王命である!」


 流石のガストンも王には逆らえないと考えたのか。即座に、手に持っている剣を床に落とした。


 その光景を見た騎士たちはガストンを捕らえようと動くが……ガイゼリオンはすぐにそれを止める。


「やめよ。今宵は年に二度ある晩餐会、宴の日。争いごとは避けたい。……アグランテ公爵。これで良いな?」


「あ、あぁ。そうだな、兄上。フィリース、ガストン、この場は弁えよ」


「……チッ」「私のガストンちゃんを……クソが、クソが、クソが」


 イライラした様子を見せているが、二人はすぐに大人しくなる。


 流石は父上だ。即座に二人を鎮めてしまうとはな。


 僕もいずれ王になるのなら、王の威厳というものを学ばなければならないな。


「我が一族が騒がしい真似をしてすまなかった。さぁ、今宵は王侯貴族、諸外国の貴族たちを招いた宴の場。皆の者、楽しんで行かれよ」


 王のその言葉に、貴族たちは談笑を再開し始める。


 いつか僕も父上のような立派な国王になりたいなと、そう思いながら……僕は、玉座にいる父上を見つめるのだった。

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