第9話

 障子戸を開け放つと蛻の殻であった。


「情報が漏れていた?」


 そんなはずはないとかぶりを振るも、浄の魂は冷たい汗を流す。ともかく目標がいないのではどうしようもない。屋敷を探索している余裕もない。目的不達成で捕縛されてはつまらない。浄は守宮のように低い姿勢をたもったまま、百八十度身体の向きを変えた。


 廊下の突き当りに大きな人影があった。


 息子の部屋は二階の突き当り左側であるから、浄の後背は壁である。間接照明のもと大きな甕が飾ってあるのみ。


 みしり。影が一歩踏み出す。饐えたような蒸れたような独特の臭気が浄の鼻腔に漂う。


 みしり。相当大きい。浄も長身であり体格も良いが、その浄をして大きいと思わせる。


 全体的に丸みを帯びたかたちをしている。筋も贅も必要以上に身に蓄えた者の体格だ。みしり。その証拠に影の肩口は首が埋もれるほど盛り上がっている。


 みしり。


 一歩一歩詰めてくる。警報は鳴っていない。庭の犬も騒いでいない。ならば眼前の巨人のみが、浄の存在に気付いたのか。


 浄は意を決する。眼前の山を越えねばならない。


 浄は床を蹴り、巨躯の前に躍り出た。どこかで見た顔だ、咄嗟にそう思った。


 丸太のごとき太い腕に突き飛ばされて、浄の身体は廊下の突き当りまで吹っ飛んだ。甕にぶち当たり盛大に割れる。


「相当の覚悟でこの場に臨んでいると思うが、違うかい?」


 影の声。意外に高い声だ。


 浄は答えない。声とて残すものかと思っている。彼の目的はまだなにひとつ達成できていない。


 影は大きな手で、垂れた前髪を掻き揚げた。

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