第3話 イーセの国のナァシフォ

 少女は番傘が落ちている場所の近くに滑らかにブルーマーを降下させていくと、やがて伸ばした両足を苔類が柔らかく受け止める。

「いい腕だな」

「どういたしまして」

 ガイガはブルーマーから降りると、空からも確認したがもう一度周りに危険がないか確認すると兜を脱いで無精髯が伸びた顔を晒す。

「ふう」

 晒された顔に魔界の風が心地良い。

 戦闘において兜は大事だがやはり心理的に息苦しい。差し迫った戦闘がないようなら脱いでおきたいのが心情だ。

 ガイガは苔に埋もれた番傘を拾い上げた。

「ふう、壊れてないな」

 ガイガは拾った番傘を開いたり閉じたりして壊れてないことを確認する。羽百足の一撃を受け止めても骨が折れていないし傘地も破れていない。古臭い番傘ようでいて素材は失われつつある科学文明の技術で作られていて、例え破れたり骨が折れても水を与えて日の光を浴びさせておけば直る。今の時代これと同じものを生み出せる技術が残っているかはもはや分からない。

「おじさん、番傘は大丈夫だった?」

「おじさん・・・」

 ガイガは少女におじさん呼ばわりされて顔を顰める。まあ確かにそう呼ばれても可笑しくない年頃の男性だが気持ちはまだまだ夢見る青年、久しぶりに現実を突きつけられるとちょっと心が傷付く。

「あら、ならなんて呼べばいいの?」

 少女はいたずらっぽく笑いながら言う。

「おにー・・・、いやおじさんでいいや」

 無駄な抵抗は見苦しいなと辞め、そして急に真面目な顔になると少女に向かって姿勢を正した。

「俺はガイガ。流離いの旅人だ。助けてくれてありがとう」

 ガイガは一瞬ここが魔界ではなく王宮の謁見の間とでも錯覚するように美しく一礼する。それに対して少女も礼儀として飛行帽を取るとセミロングに伸ばした栗色の髪がふわっと広がった。そして少女も姿勢を正して名乗る。

「どういたしまして、ガイガさん。

 私はこの先にあるイーセの国のナァシフォです」

「いい名前だな。

 さっきは助かったよ。君が助けてくれなかったら大怪我をしていたかもしれない」

 魔界の地面は苔類に覆われ柔らかいとはいえ、あの高さから落ちたら打撲でしばらく動けなくなっていたかも知れない。魔界で動けなくなるということがどれほど危険なことなのかガイガは身に沁みて知っている。

「でも凄かったです。私あんな方法で魔蟲を狩る人なんて始めて見ました」

 ナァシフォは少し離れた場所に墜落し動かなくなっている羽百足を見て興奮気味に言う。その姿は推しの吟遊詩人に熱狂する年頃の少女のようであり、魔蟲の死骸に熱狂しているので無ければ微笑ましい光景と言えたかも知れない。これが男の子ならまだ分かるんだが。

「バンジーハントという昔ながらの狩りの流儀だが、ここいらでも廃れているのかな」

 重力加速度を利用した一撃必殺の技。たしかに硬い甲羅を持つ魔蟲に対して有効な打撃を与えられるがリスクも高い。当然の如く空を自由に飛べる魔蟲に空中戦を挑むのはやはり分が悪く、空の魅力に取りつかれ墜落する者も後を絶たない。今の主流はブルーマーを利用した集団戦である。

「君達の国ではどうやって狩るんだい?」

 初めて訪れる国の狩りの方法に興味が惹かれたのかガイガは尋ねる。

「私の国では今はほとんど狩りをしてなくて、昔はどうやっていたかは分からなくて」

 ナァシフォは少し悲しそうに首を振って答えた。

「そうか」

 ガイガは少し訝しげな顔をしたがそれ以上は何も言わずに腰に刺したナタのように分厚い刃のナイフを取り出した。

「悪いが先に解体をさせてくれないか、鮮度が重要でね」

ちらっと羽百足を見た後ガイガはナァシフォに聞く。

「はい。見学していいですか?」

「いいが、お嬢さんが見るもんじゃないと思うが」

「私はお転婆なんです」

「そうか」

 言われてみれば一人で魔界に入るような少女だったなと腑に落ちたガイガは警戒しつつ羽百足に近づいていく。

 地面に墜落した羽百足は腹を見せて転がっている。そしてガイガが近付いても何の反応を見せない。今後こそ本当に死んだようだ。

 ガイガはリュックから手袋とケースを幾つか取り出すと軽快に羽百足の上に飛び乗った。手袋を嵌めるとサクッサクッとナイフを羽百足の甲羅の隙間に入れて解体していく。その手付きは手慣れたもので無駄がなく一流の料理人が食材を捌いていくようであった。

 目玉、心臓その他よくわからない器官を丁寧に取り出し、それらを見かけのグロテクスさを無視するようにガラス細工の宝物でも扱うように大事に丁寧にケースに入れていく。

 血塗れの作業だがナァシフォは目を逸らすどころか真剣に見ている。

「ふう、終わった」

「残った部分はどうするの?」

「残念だがここに置いていくしかないだろ。人手があれば運びたいんだがな。この甲羅からなら結構な武具や道具が作れるぜ」

 ガイガが甲羅をナイフを叩くと澄んだ甲高い音が響く。

「だったら私のブルーマーで運びましょうか?」

「運べるのかい?」

「空を飛ぶ魔蟲はその巨体の割には軽いんですよね。筋肉とか内蔵を削ぎ落として貰えればなんとか私のブルーマーで運べると思います」

 ガイガはナジャーヒのブルーマーを見る。

 少し古そうだが手入れは行き届いていそうで先程乗った感触だがエンジンの出力も申し分なく回転具合もいいようだ。

 ナァシフォの言う通り解体して軽くすれば運べなくもないとガイガは判断する。

「そうか。それは良いな頼むよ」

 これだけの部材があれば小さい町ならかなり活気づく。それを魔界に放置してしまうのは命を奪ったものとして申し訳ないとも思っている。ガイガは人里に行ったら臨時のパーティーを組んで取りに戻るつもりでいた。その手間が省けるとなれば、それだけ久々の人里を堪能できるというもの。

「報酬は君が七でいいかな」

 ガイガは先程の礼を兼ねて本来なら全部ナァシフォに譲ってもいいと考えているが、それはナァシフォが遠慮すると思って七三を提案している。

「それはいけません」

 案の定ナァシフォは遠慮してきた。

「君がいなければ運べないんだ。遠慮することはないぜ」

「狩人には敬意を示します。折半で」

 これ以上の遠慮はかえって無礼と思ったのであろうナァシフォは折半を提案してきた。

「分かった。それでいこう。

 それで君に助けられた礼だが前に立ち寄った国でいいアクセサリーを・・・」

「やったあ。最近素材不足だったから、これだけの新鮮な素材が手に入ればみんな喜ぶな」

 彼女自身はこれだけの素材が国に還元されて国のみんなが活気づけばれば自分自身への報酬はいらないとでも思っていたようである。ガイガは羽百足は仕事として礼は別のものを渡そうとしたがナァシフォはガイガの言うことなど聞いていない。目を輝かせて羽百足に駆け寄って甲羅をまるで宝石でも触るように撫でる。

「まあいいか」

 ガイガは今は無粋かと彼女自身への礼はまた後でいいかと話を引っ込めた。

「そういえばお嬢さんは一人でこんな魔界で何をしていたんだい?」

 ここは魔界。一人で気楽にハイキングに来れるような場所ではない。水墨画のような風景が広がり生と死の境すら曖昧な世界である。

「魔物の死骸採集です」

 すらすらとナァシフォは言い、嘘を言っているようには見えない。

 死んだ魔物の肉は他の魔蟲や魔獣に食われるが骨や甲羅などは残る。それを道具の材料として魔界に入って集めている職業がある。魔界ハンターに比べれば直接戦わないだけ危険度は下がるが、それでも人の身で魔界に入る以上相応の危険はある。普通の女の子がする仕事ではない。よほど生活に困っているのかと思えば貴重なブルーマーを所有している。

 ガイガはナァシフォの正体に少し興味が湧いてきたが、ぐっと抑える。

 無意味な好奇心は無礼であるし己の身を滅ぼすことを身に沁みて知っているからである。

「じゃあ解体が終わるまで少し待っていてくれ」

「あの、私にも手伝わせて貰えないでしょうか」

 ナァシフォは遠慮がちだが引き下がりそうもない意思を込めて言ってくる。そして社交辞令で言っている訳じゃないことを示すためにナイフを取り出した。

「お嬢さんの仕事じゃないぜ」

 派手な戦闘と違い、根気が入りどう頑張っても血塗れになる地味な作業。だがハンターとして避けられない重要な仕事とも言える。

「いいえ。逆です。私こそ率先してやらないと。

 そうだおじさまにお願いがあるんですが」

 いつの間にやらおじさま呼び。若い娘がこういうときには碌なことがないことを経験上骨の髄まで身に沁みているガイガは身構える。

 夜のお店のお姉さんならちょっと高いアクセサリーで済むが、無垢なお嬢さんのお願いは突拍子もなく場合によっては金を毟られるよりたちが悪い。

「イーセの国に滞在している間だけでいいですから私を弟子にしてくれませんか?」

「悪いが弟子は取らない主義なんだ」

 一瞬の躊躇もなくあっさりとガイガは断る。

「イーセに滞在中は私の家に泊まっていいですから」

「街の宿屋でいいよ」

「遠慮しなくていいですよ。宿屋は高いですし」

 ナァシフォは意外と食い下がってくる。

「安心しろ遠慮してない。人の家なんか花街に行きにくくなるじゃないか」

 イーセの国はここら一帯では大きな国で人が多く、人が多ければ当然そういう所もある。一人旅を続けるガイガも人肌が恋しく無いわけではない。

「おじさま、お花が好きなんですか?」

「ああ好きだ。綺麗な花は好きだよ」

 若い女の子は兎角潔癖だ。侮蔑の眼差しを向けられると思っていたガイガにしてみれば純真な目を向けられると背中がむず痒くなる。

 お嬢さんと戯けて言ってはいたが本気でいいとこの、もしかしたら貴族のお嬢様じゃないかとガイガは思い出した。尚の事厄介になるわけには行かない。

 堅苦しいのは苦手なガイガである。

「そうなんだ。今度私が育ている花を見せてあげますね。

 あっ急がないと日が落ちちゃう。急ぎましょ」

「ああそうだな」

 結論をナァシフォの方からはぐらかされた感じである

 まあいいさ、若い女に嫌われるのは簡単。ガイガは昔仕込まれたように厳しく容赦なくナァシフォに解体技を仕込む気になる。

 こうして二人は羽百足の解体作業を始めるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る