第6話 冒険者の父

「モリアーティ教授……ですよね!」


 少し背の高い老人の前で、リタさんは恐る恐る訊ねた。


 緊張からか全身がガチガチに硬直し、メモ帳を持つ手は残像が見えるほどに震えている。


「いかにも、私が『ゲッコウ・M・モリアーティ』だが……」


 老人、もといモリアーティ教授はそう名乗った。


 するとリタさんの表情はぱっと明るくなり、また更に手元が震え出す。


「どうしたのかな?」


「えと、あの、その……サインをください!」


 リタさんは言いながらメモ帳を教授に押し付けて、早口で続けた。


「私、モリアーティ教授の大ファンで! 塾に入ることはできなかったけど、教授の教本を参考にして、それで――」


 と非常に長々と語っているが、正直な所、俺は彼が何者なのか分からなかった。


 しかも教授も、自分の会話ターンに入ることができずオロオロとしている。


「り、リタさん。モリアーティ教授って、何者――」


「嘘、アンタ知らないの⁉ モリアーティ教授と言えば、数多くの名だたる冒険者を輩出してきた伝説の教授、別名『冒険者の父』! それこそがモリアーティ教授よ!」


 俺の言葉を遮って、リタさんは次から次へと教授の凄さを熱弁する。


 よく見るとその後ろでは、まるで自分のことかのように黒髪の少女が胸を張っている。


 がしかし、張るほど胸は大きくない。


「いやはやお嬢さん、私はただ夢を抱く若者達のお手伝いをしているまで。伝説などとは、恐れ多い」


 言って、教授はリタさんに声をかけ、ペンとメモ帳を返却した。


 リタさんは幼い少女のように大陽のような笑みを浮かべ、モリアーティ教授のサインが書き加えられたメモ帳を眺める。


 相当嬉しかったのだろう、マタタビを与えられた猫のような甘えた声を漏らす。


「して貴方は、服装からして回復術師ですかな?」


 と、教授は俺の方を向いて訊ねてきた。


「ああそうだ、申し遅れました。俺、回復術師のエリックと申します。まあ、今は追放されてしまって、フリーですけれど」


 なんて、俺の身の上話をしたところで、こんな見ず知らずの爺さんにとっちゃ興味のない話か。


 などと心の中で卑下する俺。がしかし、教授の反応は違った。


「なんとそれは勿体ない……! エリックさん、貴方は他の回復術師にはない才能があるというのに!」


「え、そんなことが……」


「顔を見れば分かります。貴方の顔には、相当な苦労をしてきた記録が残されている! 20代の若者でここまでの経験をしている者は数少ないものです!」


 いや本当か? そりゃあ確かに、腐っても元上級冒険者であるラトヌスのパーティに所属していた回復術師だけれども。


 隣で話を聞いているリタさんはリタさんで、教授の生講評に感嘆している。


「それにその目……! 貴方のその目は、凄惨な悲しみを乗り越えた者の――」


「やめてくれ」


 その瞬間、俺は言葉を漏らしていた。


 どうしてもそれだけは、誰にも触れて欲しくない。触れさせたくなかった。


 誰かに重荷を背負わせないためにも。俺自身、心の余裕を保つためにも。


「……エリックさん?」


「……すみません。けれどこれ以上は、たとえ教授でも、掘り返されたくないんです」


「そ、そうでしたか。それは失礼しました……」


 教授はその言葉から察してくれたのか、申し訳なさそうに頭を下げてくれた。


 ただ、俺のせいで折角の大物と対話できる大イベントの空気を壊してしまった。


「えと……そうだ、タオさんだっけ? 大丈夫、怪我はない?」


 何とか空気を保とうと、教授の後ろに隠れている少女に声をかけた。


 が、少女は恥ずかしがり屋なのだろう。黙り込んだまま、コクリと首を縦に振る。


「こらタオ、それが身を挺して君を守ってくれた恩人にする態度なのかい?」


「……ありがとう、ございます」


 流石は老人の圧。少女、もといタオさんは教授に促されるまま前に出て、俺達に礼を言った。


「私からも礼を言おう。我が生徒を守ってくれてありがとう」


「とと、とんでもございません! 身に余る光栄です」


 言いながらリタさんは、お上品にスカートの裾を持ちながら頭を下げた。一体どこの令嬢なんだ君は。


 それよりも、俺は一つ大きな引っかかりを覚えていた。


「しかしタオさんは、どうしてゴロツキに襲われてたんですか……?」


 何故彼女がゴロツキに狙われていたのだろうか、と。


 胸はないけれど、確かに彼女の顔立ちはとてもクールで可愛らしい。


 目元はシュッと鋭さが残っており、肌ももっちりとしていてキメが細かい。


 そして何より口元は、自然とアヒル口のような可愛さ溢れるものになっている。


 動物で例えるとするのならば、彼女はまさに猫だろう。


「そ、それはですね……」


 タオさんはそう言って、怯えながらも話してくれた。


「最近ウワサになってる怪盗団の団員と、ボクが似ているみたいで……教授のお使いから帰る途中に、アイツらが突然言いがかりを……」


「怪盗団……?」


 そういえば何度か、この街で大胆な泥棒に入られたとかいう情報を小耳に挟んだことがある。


 がしかし、怪盗団だなんて初耳だ。


 リタさんを振り返って訊こうとしたが、リタさんはすぐに首を横に振った。


 やはり彼女も知らないらしい。


「ふむ、怪盗団……ねぇ」


 ただ唯一、教授だけは知っている風に呟いた。


「教授は、知っているんです?」


 リタさんが恐る恐る訊く。教授は肯いた後、ゆっくりと俺達に教えてくれた。


「大富豪や悪党に予告状を送りつけ、その予告状に記された日時通りに価値のある物を奪っていく、謎多き泥棒集団のことだ」


「予告って、つまり盗むことを事前に伝えるんですか⁉」


「いかにも、彼らはそれをある一種の『演目』として怪盗行為を行っている。確かに先日、ゴロツキのもとに予告状が届いたと聞いていたが、まさかタオ君が疑われるとは……」


 確かにそれは不幸な事件だっただろう。それも事前に奪うことを予告された上で、逃げられたのだから。


 もし捕まっていれば、野蛮なゴロツキ共のことだ。


 怪盗団全員袋叩きにされて、翌朝そこには大量殺人の現場が完成していただろう。


 流石の俺でもこんな大事件があったら気付いていた。けれども知らなかった。


 それはつまり、ゴロツキ故の面子の問題もあったのだろう。警備兵に言うにも言えなさそうだし。


「まあ未だ謎の多い集団だ。最近は怪盗団の対策部隊を募集する動きもあるが、命が惜しければ出願はやめておいた方がいい」


 カッカッカ。冗談のように言って教授は笑う。


 だがその目は笑っていなかった。それに、『命が惜しければ』という言葉がどうにも強く響いてきた。


 ……いやいや、ただのからかいだろう。ジジイのくせに、面白い冗談を言ってくれる。


「まあまあ、俺なんて怪盗団に狙われるほど貴重なものなんて持ってないし、大丈夫ですって」


「ふむ、確かに怪盗から奪われるほど価値のあるようなものは持ち合わせてなさそうですな」


 このジジイ~! 人が気にしていることをズバズバと言いやがって!


「なんて、失敬。これもまた紳士ジョークです」


 そう言って、教授はリタさんの前に手を出した。


「これも何かの縁。もしまた合う時があれば、よろしくお願いします」


「はい是非とも! 私のことを頼ってください!」


 リタさんは教授の手を両手で包み込み、ブンブンと大きく振りまくる。


 終始落ち着きがなかったな、この子。


 そして腕をほぐしながら、今度は俺に手を向けてきた。


「ど、どうもです」


 軽く会釈を交しつつ握手をする。その瞬間、大きな違和感を覚えた。


 腕から全身にかけて鳥肌が立ち、冷や汗が吹き出した。


 まるで何か、大きな猛獣に睨まれているように、身が竦んでしまう。


「……? どうしたの、エリックさん?」


「い、いや? 大丈夫、です」


 リタさんの声に、何とか戻って来ることができた。


 けれど今のは、一体……?


「それではこれでお暇させていただきます。行くぞ、タオ」


「は、はい。教授」


 最後に一礼をして、教授はタオさんを連れてその場を後にした。


 後ろ姿も、ただの貫禄のある老人だった。


 けれど何か大きな違和感がある。それが何なのか、違和感の正体は掴めないが。


「エリックさん? まさか、今の握手で遂に教授の凄さを理解した?」


「まさか。いやでも、凄い人であることは確かだよ、モリアーティ教授」


 一つ言えることがあるとすれば、彼は他の冒険者にはない類い希なる才能がある。


 だからこそ冒険者塾の塾長として成功を収めているのだろう。


 動くことなく、多勢に無勢のゴロツキを退けた絡繰り。また機会があるのなら、いつしかその秘訣を伝授していただきたいものだ。


「それより気になるのは、怪盗団のことね。教授はああ言っていたけれど……」


「命が惜しければ……。そんなに危険なものなのかな」


「さあね。でもそれって裏を返せば……」


 まさか、嫌な予感がする。


 ギルドに届く依頼の報酬金は、その危険度に比例する。とどのつまり死亡確率が高ければ高いほど、その分報酬金が高くなるのだ。


「いやいや、まだゴブリンをやっと倒したばかりなのに――」


「やるわよ、怪盗退治!」


「やっぱりか!」


 なんとなく分かってはいたけれど、こうも真っ正面から言われると断りづらい……。


「で、でもまだ怪盗団についての依頼が出てると決まったワケじゃないだろ?」


「だから、今からもう一回ギルドに行くのよ! 武器選びなんてその後でいいでしょ!」


「開き直った⁉」


 しかし怪盗団のことはついさっきまで知らなかったのだ。そう都合良く依頼が出ているなど、あるはずがない。


 ***


 ギルドから戻った俺達は真っ先にクエストボードを確認した。


 結果から言えば、怪盗団に関する依頼はなかった。そしていつも通り、リタさんは変装している。


「うーん、やっぱりないわね。依頼……」


「そりゃあそうでしょ。連続して事件を引き起こすほど、怪盗は暇じゃあないんだし」


「そうかしら? 怪盗って物を盗むのが仕事じゃない。仕事をサボってるワケ?」


「それは……怪盗さんにでも聞けばいいんじゃあないかな?」


「それなら捕まえて訊くしかないじゃない!」


「その捕まえる依頼がないなら、どうしようもない」


 なんとか戯れ言を交えながら、諦めるよう説得を試みる。


 いくら文句を言おうと、ないものが出てくることはない。


「さて、今日はまだ時間がある。夜は危険だけど、もう一回依頼を受ける?」


「そうね。残念だけど、今は待ってても出なさそうだし、そうしましょう」


「それじゃあ少し腹ごしらえでもしよう。昼間はどっかのゴロツキのせいで無駄に体力を使っちゃったし」


 言うと俺は後ろの食堂スペースを振り返った。


 今の時刻は4時。俺達と同じ考えを持っている冒険者達が、早めの夕食を摂っている。


 相変わらず酒が入っており、騒がしいったらありゃしない。


 俺も最初は苦手だったが、今となってはこれが日常すぎて、静かだと逆に落ち着かなくなってしまった。慣れというものは怖い。


 そんな騒がしい冒険者達の波をかき分け、空いている席を取る。


「私は、できるだけ仮面を取らないで食べられるものがいいわ」


「やっぱり、前のパーティの人に見られたくないから?」


「当然よ。アイツらの顔なんて二度と見たくないし、私も顔を合わせたくないもの」


 まあ気持ちは分からんでもない。


 俺だってラトヌス達とは二度と顔も合わせたくない。たとえお互い転生したとしても願い下げだ。


「それじゃあ、俺も頼もうかな」


「できるだけ安い奴にしてよね」


 リタさんは最後にそう呟いて、机に突っ伏した。できるだけ顔を隠したいからだ。


 それを横目に俺はウエイターを捕まえ、安くて食べやすそうなホットドッグを注文した。


 それからの数分はただ待つだけ。リタさんが机に突っ伏した今、会話がなくて退屈だった。


(何か面白いことでもあれば……)なんて心の中で呟くくらいしか、楽しみがない。


 だがそんな虚しい楽しみも、ガヤが耳に入った瞬間、破裂するように吹き飛んだ。


「何だって、怪盗団の予告状が見つかった⁉」


「ああ。しかも今日の夜、一等地にある『チラミール博物館』に来るらしい」


 怪盗の予告状⁉ それはまるで、悪魔からの招待状のようなものだった。


「リタさん、今の聞いた?」


「何が? 料理届いたの?」


「料理はまだだけど、怪盗団の予告状が――」


「予告状⁉ それホント⁉」


 リタさんは両手で机を叩き、勢いよく立ち上がる。


 当然だ。彼女が待ちに待っていた怪盗団が、あちら側からやって来てくれたのだから。


 最早、最推しのモリアーティ教授の言いつけすら忘れてしまっているようだった。


「それならきっと、依頼がもう出ているはずよ! ほら、善は急げ! さっさと行く!」


「お、おい! ご飯どうするの!」


 熱の入ったリタさんはまさに暴走馬車のようだ。俺の腕を引っ張って、強引にクエストボードへと突き進む。


「あ、お客様! ホットドッグ二点――」


「すみません! とりあえずテイクアウトで!」


 勿体ないのでに皿に載ったホットドッグを手に取り、リタさんに連れ去られるまま食堂を後にする。


「ほら、早く行く! でなきゃ先超されるわ!」


 やれやれ、なんてそそっかしいんだか。彼女の熱意に疲弊しつつも、俺はリタさんと一緒にクエストボードへと向かった。



 ***


 ――一方その頃。怪盗団のアジトでは、今夜の豪華絢爛なショーのための準備が執り行われていた。


 下っ端と思われる少年少女達はアジトの一室で綺麗に整列し、ボスの指令を今か今かと待ち侘びている。


 彼らは全員暗闇のように真っ黒なラバー製のスーツに身を包み、目元には近未来的なバイザーのようなものを取り付けている。


 そんな異質な格好をした集団の中、1人だけまだバイザーを付けていない少女の姿があった。


「……準備はできたのか?」


「イエス・ボス。今夜は、素敵な夜になりそうですね」


「前回の一件で顔が割れた可能性がある、慎重に頼む。君には期待しているからな、『ネコマタ』。いや――」



「――タオ・シルバディ」

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