T君は当時、東京の多摩地区にある大学に通っていた。

その大学には、環境学に関する学部が設置されていたせいか、

キャンパス内に農場があったり、小さな森があったりと、

なかなか自然に恵まれた環境であった。

天気のいい日は、そういった所に設置されたベンチでお弁当を食べるのが、

T君の何よりの楽しみであったそうだ。


彼はその日も生協でお昼ごはんを買うと、さっそくお気に入りの場所に向かった。

大好物のから揚げ弁当は、すでに生協のレンジでホカホカに温められている。

いただきます!と言ったところで、T君は、なにやら物音がするのに気が付いた。


彼が腰かけたベンチの脇には、背の高い藪が広がっている。

がさごそ、がさごそ

音はその中からするようだ。

T君が藪を眺めていると、まもなく、

スーツを着た中年の男がそこから這い出して来たではないか。


不審である。

そして運の悪いことに、目と目が合ってしまった。

するとそのおじさんは、少しバツが悪そうに、


「あの、すみません、タヌキ……タヌキを見ませんでしたか?」


などと寝ぼけたことを言う。

なんでも、構内でタヌキを見つけて追いかけているうちに、

気が付いたら藪の中に迷い込み、出られなくなっていたらしい。


その藪、さきほど「広がっている」と表現したが、

一周しようと思えば3分もかからない程度、とても迷うような規模ではない。


「おかしいな……なんで追いかけようなんて思ったんだろう……おかしいな……」


そうぼやきながら去っていくおじさんを見やりながら、

(あのおじさん、化かされたんじゃないのか……って、昔話かよッ!)

とT君が内心でツッコミを入れていると――


がさごそ、がさごそ、がさごそ、がさごそ、がさごそ、がさごそ


また藪の中から音がする。おまけに今度は数が多い。


すぐに、女の子たちが3人、藪の中から這い出して来た。

「あれ、ここ、どこ?」

「いないよ、こっちじゃないんじゃないの?」

「やだっ!手ぇ切れてる!サイアクー」

そんなことを大声で言い合って、はしゃいでいる。


すると、そのうちの一人が、

「あの!すいません、ここらへんでタヌキを見ませんでしたか!?」

と元気な声で話しかけてきた。

やはり彼女たちもタヌキを見かけ、追いかけていたのだという。


――タヌキは見ていないが、ついさっき、おじさんが、

君たちと同じようなことを言って藪から出てきた


T君がそのことを教えてあげると、

「え……なんか気持ち悪くない?そんなおじさん、いた?」

「見てない。それにこの藪、そんなに広くないし、

さんざん歩き回ったんだから、私たち以外がいたら気付くでしょ?」

すると、女の子の一人が、

「え、なに?あたしたちタヌキに化かされたの?」

などと言うものだから、彼女たちは大騒ぎである。

T君も、そのおしゃべりにしばらく付き合うことになった。


しばらくして、気も済んだのだろう。

彼女たちは口々にお礼をいいながら去って行った。


こうして、T君が食事を再開しようとすると――


(あれ、無い……)


ベンチの上に置いておいた弁当が、影も形もなく消え失せていた。

落っこちたのかと思い、ベンチの下もよく見てみたが、見当たらない。


(もしかして、無意識のうちにカバンの中にしまったのかも……)


そう思って確認したが、もちろんそんなことはなかった。







(なるほど……化かされたのはオレかよッ!)




彼は、話の最後にこんなことを言っていた。

「いやさ、もちろん、全ては俺の勘違いだと思うよ。

弁当だって、もっとよく探せば、案外近くに見つかったかもしれない。


……でも、最初に出てきたおじさんも、

その後に出てきた女の子たちも、

どうしても顔が思い出せないんだよ」

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