第2ゲーム 新入生たちの実力(3)


「あー……ちかれた」


 十分な休憩時間を取り、いおりが体育館の床に寝転がると、頭上からふわりとタオルが降ってきた。


「お疲れ様。ウチはまだまだ行けるよ」

「そりゃ、あなたは経験者におんぶにだっこでしたもんね」


 いおりは苦笑しながら、タオルを受け取った。


「いやぁ、笑えるよね。どっちが新入生なんだか」


 翡翠は軽快に笑いながら、いおりの横に座り込んだ。

 

「んで、どうよ?ペアの子は」

「まあ、はっきり言えば初心者だね。それに全体的に見ても経験者は漆羽くんと結城くんくらいだったし。……あ、漆羽くんのペアは多分、テニスの経験者っぽいかな。あの打ち方は」

「へーえ、やっぱいおりよく見てるわぁ。ウチそんな余裕なし」

 

 翡翠は肩をすくめて、ゆっくりと息を吐いた。その表情には、少しの余裕と共に疲れが見え隠れしていたが、いおりの観察力に感心している様子がうかがえた。


「ありゃ初心者って事実以上に萎縮しちゃってミスしてるね、あの子」

「まあ、そりゃそうだよ。ダブルスって、一人の責任が重いって感じちゃうから、どうしてもプレッシャーになるんだよねえ。特に漆羽くんのペースに合わせるの、難しいと思うな。そういう意味ではあの子、ちょっと可哀想かも」

 

 そう、チラリと翡翠は漆羽のペアの少女を見遣るが、翡翠の心配とは裏腹に、他の女子生徒と固まって何やら楽しそうに話をしていた。若干顔が赤らんで見えるのは、試合による疲れからか、それとも興奮故なのか。

 

「あー……そーゆー感じね。けっ、どーせ現部員には顔面イケメン要因はいませんよーだ」

 

 翡翠は何とも言えないため息をつき、ふんっと鼻を鳴らした。


「でも今のマッチで目立ってたのはウチらってか、結城くんの方だったね。盛り上げ上手というか、お調子者って言うか」

「……まあ、ダブルスにも相性があるから。あかりも頑張ってたんじゃない」


 いおりがフォローすると、意外にも翡翠は少し悔しそうに眉をひそめた。


「そうなんだけど、さ。ウチ、やっぱり――」

「なんの話してるんですかーおふたりとも!」


 その時、突然二人の目の前に結城が現れた。いおりは慌てて起き上がると、結城はにっこりと人懐っこい笑顔を浮かべていた。


「ずっと気になってたんすけど、二人、仲良いですよね!ずっと一緒にいるし」


 結城の言葉に、いおりは少し驚き、そして苦笑しながら答える。


「まあね」


 その返事に、結城は楽しそうに笑いながら腰を落とし、隣に座った。


「なんか良いですね、こういう感じの雰囲気。気を使わなくて、すごくリラックスできるし、ゲームの時もそれが強みになってるんじゃないですか?」

「まあ、確かにプレイしてる時はお互いに気を使わない方がうまくいくかもね」


 いおりは少し恥ずかしそうに目をそらすが、翡翠は結城に視線を向け、何かを考え込むような顔をしてから、再び笑顔を見せた。


「そーゆーこと言う結城くんも、なかなかいい奴だね。たまにはちゃんと褒めてあげようかな」


 結城はその言葉に照れたように笑いながら、肩をすくめた。


「いや、褒められるようなことしてないっすよ。でも、そういう言葉も悪くないな、って思いますけどね」


 少し和やかな空気が流れ、三人は談笑する。そしてふと、結城は思い出したかのようにいおりに顔を向けた。

 

「そーいえば白羽さん、漆羽と知り合いっすか?」

「え、なんで?」


 いおりは驚き、思わず声が硬くなってしまう。まさかこんなタイミングで漆羽の名前が出るとは思わなかったからだ。結城はその様子に気づくことなく、笑いながら言葉を続けた。


「いやぁ、昨日の練習の時、漆羽とちょっと話してたんすよ。なんか、白羽さんとなんか関係あるって言ってたような気がして。気になって」

「関係って、別に大したことはないよ。ただ昔の後輩ってだけで」


 いおりはどうしても漆羽の名前を口にするのがためらわれた。彼のことをあまり口外したくない理由が、どこか胸の奥に引っかかっていた。結城はその反応を気にせず、目を輝かせた。

 

「え――てことは、白羽さんもあの鳳凰学院出身!?」

「あー……まあ、そうなるね」


 必然とこの話になるのを、無意識に避けていたのかもしれない。自然と歯切れの悪い言い方をすると、翡翠がチラリと気を使うようにいおりを見やる。大丈夫、と声に出さず口を動かせば、いくらか安心したように翡翠は口元を弛めた。

 

「へえーすげぇや。レギュラーじゃなくてもあそこ、かなり練習厳しいで有名ですもんね」

 

 結城は興奮気味に話しながら、無邪気に感心している。結城の中では、いおりは当然のようにレギュラーではないらしい。否定すれば面倒になりそうだと感じ、いおりは微笑みながらただ「はは」と軽く返すだけだった。

 

「あれ、でもあそこって確か中高一貫じゃなかったっけ――受験したんすね、わざわざ」


 結城がその後、驚いたように言うと、いおりは少しだけ肩をすくめながら答えた。


「うん、まあ……ね」


 その言葉に、結城はますます興味津々な様子で質問を続けようとしたが、いおりはそれをさえぎるように軽く手を振った。

 

「ま、あんま期待に添えるような話はないよ。漆羽くんとは、まあそこそこ付き合いはあったけど、受験するためにバド部辞めちゃったから、そんなよ」

「へぇ、そうなんすか。なんか、漆羽って白羽さんのこと、よく見てるような気がしたんですけど、気のせいかな?」

「はあ?」


 思わず声を上げると、結城は悪びれる様子もなく、さらに言葉を続ける。


「いや、なんか……さっきの試合中もあいつ、結構白羽さんを気にしてるっていうか、なんか独特の目で見てたような気がするんすよね。気のせいかな?」


 いおりはその言葉に一瞬言葉を失う。漆羽が自分を気にしている、そんな感覚はあまりない。むしろ、彼の目線が常に冷たいものであることが多いし、どうして結城がそんなことを言うのか理解できなかった。


「うーん、それ、どうだろうね。練習とはいえ試合ってそんなに人の事見れないし、気のせいかもね」


 いおりは少しだけ強がるように言った。漆羽のことについて触れたくない気持ちが強く、それ以上この話を続けたくなかったからだ。

 結城は少し考え込んだ後、またにっこりと笑って、気を取り直すように話題を変えた。


「まあ、白羽さんが気にすることじゃないっすけどね。じゃ、次の試合に向けて、気合入れていこう!」

「おー!」

 

 いおりはようやくほっとして、笑顔でうなずいた。結城の軽いノリに合わせて、気分を切り替えることができたが、漆羽のことが頭の片隅に残ったままであることを感じていた。

 

「いやー、ほんっと!バド部の体験来てよかったです。彼女欲しいいんすよね」

「え……か、彼女?」

「…………」


 いおりは思わず声を上げ、翡翠は黙ったままだった。結城は特に気にする様子もなく、むしろその話題を楽しそうに続けた。


「うん、彼女。今まではなんか忙しくて、部活と受験の合間に恋愛なんてしてる暇なかったっすけど、無事入学できたし、ちょっと余裕できたんでね。なんかいい人いないかなーって」

「そ、そうなんだ……」


 いおりは困ったように笑ったが、心の中では結城の話に少し戸惑いを感じていた。彼女が欲しい、というのはよくある話だが、何となくその言葉が軽く感じて、どう反応すべきか迷ってしまう。


「うーん。しばらくは遊びたいんすけど……あ、ちなみにお二人は彼氏とかいます?」

「え、ああ……別に、そういうのは特に」


 翡翠も同じように、少し照れくさそうに手をひらひらと振りながら言った。


「ウチも全然そんな感じのないよ、なにせ遊ぶのが一番楽しいんで」

「あ、分かる。意外と友達と遊ぶので満足しちゃうかも」


 結城はその返答を聞いて、ややがっかりしたような顔をしてから、またにっこりと笑った。


「そっかー、残念っすね。でも、まあ気が向いたら付き合ってくれたら嬉しいなって思うっすけどね」


 いおりと翡翠は顔を見合わせて、思わず笑いがこぼれる。


「いや、気が向いたらって言われても……」


 結城は無邪気に笑いながら、まるでその場の空気を気にせずに続ける。

 

「それこそ、白羽さんとか漆羽と感動の再会みたいにならなかったんすか?そっからの進展なんて――」

 

 結城がいおりを見て、少し冗談っぽく言うと、いおりはすぐに手を振って否定した。


「ちょ、ちょっと待って!それはないから!」


 結城は楽しげに笑いながら、「あー、わかってますよー」と言ってから、別の話題に切り替えた。いおりはほっとして、ひっそりと息を吐いた。感動の再会どころか、顔面にショットを打ち込まれたなど口には出来まい。


「いやー、でも本当に、彼女が欲しいんすよね。バド部に入ったからには、ちょっと恋愛もしたいって思って。せっかく形式なんだし」


 いおりはその言葉を聞きながら、何となく不思議な気分に襲われた。結城が言っていることは軽い冗談のようにも思えたが、どうにも本音が混じっているような気がした。それに対し、若干の違和感が残る。彼女が欲しい、その理由だけでここに来たのだろうか。だとしたら、鷲見はそれをどう思うだろう。


「まあ、バド部の活動はこれでも忙しいから、恋愛とか難しいんじゃない?」

 

 いおりが少し慎重に言うと、結城はまたニヤリと笑って肩をすくめた。


「うーん、それもそうっすけど、高校生になったからには運動部には入っときたいし。けど、天翔ってガチ練習厳しいじゃないっすか。その点、バド部は楽かなって」

「え……」


 いおりは結城の言葉に一瞬耳を疑った。バド部が楽?その言葉の裏に、どこかとんでもない本心が見え隠れしているような気がして、思わず目を細めた。


「楽って……そんなに甘くはないと思うけど」


 いおりは少し気を使って言うが、結城は軽く肩をすくめ、にやっとした笑顔を浮かべた。


「いや、もちろん、ガチでやってる人もいるみたいっすけど、他の部の練習見てたらここは比較的リラックスしてる感じに見えたんで。コーチもいないし」


 結城がそう言うと、いおりは少し黙って考え込む。確かに、バドミントン部は比較的和やかな雰囲気があるし、厳しさの中にもみんなの協調性が感じられる。でも、結城が言う「楽」な部分がどこにあるのかが、どうにも引っかかる。

 いおりはその言葉に少し戸惑いながらも、なるべく言葉を選ぶように言った。


「その、確かにそう見えるかもしれないけど……けど、本当に鷲見さんはインターハイを目指しているよ」


 結城は一瞬、沈黙した後、少し恥ずかしそうに肩をすくめた。


「すみません、ちょっと軽い感じで言っちゃった。そんな深く考えてなかったっす」

「そう、だよね」


 いおりは複雑そうに笑いながら、ふと翡翠が結城をじっと見つめているのに気づいた。昨日から、何となく翡翠の様子が変だと感じていたが、まさか結城に対して何か思うことがあるのだろうか。それとも彼女の勘が働いているのだろうか、いおりは心の中で思案した。


 その時、ふと頭に何かが当たった。慌てて振り向くと、シャトルが転がり、足元にまで達していた。それを拾い上げたのは漆羽だった。


「……そろそろ、練習が始まるみたいですよ」


 いおりは驚きながらも、すぐに顔を上げ、漆羽を見た。無表情でシャトルを拾い上げた彼の言葉に、自然と緊張が走る。漆羽が現れると、周囲の空気が一変するような気がしていた。


「え、もう?」


 翡翠が慌てて立ち上がると、漆羽は静かに頷いた。


「はい。みんな、準備してますから」


 その言葉に、いおりは軽く頷き、結城も気まずそうに笑ったが、すぐに練習に切り替えた。


「よし、次の試合に向けて気合い入れて行こう!負けませんよ、白羽さん!あ、漆羽も!」

「うん、頑張ろう」


 いおりが答えると、翡翠もにっこりと笑って頷いた。しかしその瞬間、漆羽の存在感が一層強く感じられる。いおりは何となく彼の方を見たが、漆羽はすでにペアの元へと歩いていた。


「……なにあいつ」


 頭に感じたはずの軽い衝撃が、なぜか鈍い痛みに変わったような気がして、いおりは思わずその感覚を振り払おうとした。

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