第1ゲーム 影との再会(1)

 白羽しらはいおりは、その先輩を見かけるたび心の中で「委員長」と呼んでいた。そして実際、彼女は委員長どころか生徒会長を務めているらしい。よし、見つかる前に部室へ逃げよう。そう思った瞬間、先輩が振り返り、こちらに向かってつかつかと歩いてきた。


「白羽さん!なんでまだここにいるんですか!」


 なんで見つかるんだ。心でも読めるのか? いおりは肩をすくめ、視線をそらした。


「掃除が長引いちゃって……いや、というか、まだ半ですよ? 部活が始まるまで時間あるじゃないですか、楓ちゃん」

「いいえ。下級生は部室と体育館の掃除、そしてネット張り!今日から新入生の部活体験が始まるんですよ。なのに、先輩をちゃん付けで呼ぶのはやめてください。何度言わせれば気が済むんですか」


 鋭い目つきでいおりを睨む鷲見すみ楓。彼女の情熱的な説教が始まった。


「いいですか白羽さん、最初が肝心なんです。我がバドミントン部は設立以来、最も人数が少ない危機的状況にあるんですよ。それなのに、あなたのような態度を後輩が見たら、どう思うと思います? 示しがつきませんよ!」

「あー、確かにそうですねー。でも入っても続かなきゃ意味ないですし……」


 曖昧に笑いながら、時計をチラリと確認。すでに五分が経過している。内心、さっさと掃除を終わらせたかったいおりだが、これは残業コースだと悟る。


「今年こそ! インターハイを目指します! 翡翠さんも最近ようやく基礎ができてきたんですし、このまま経験者が入れば――」

「それじゃ後輩ちゃんが入りたくなるように、今から部室行きます!さよなら!」


 そさくさとその場を離れるいおりを見送る鷲見の声が、鋭く響いた。


「白羽さん! 話はまだ終わってませんよ!」


 無視するように部室へ急ぎながら、いおりは苦笑いを浮かべる。彼女の熱意は本物だ。部のために本気で尽力しているのはわかる。でも、そこまで熱くならなくてもいいじゃないかというのがいおりの本音だった。


「まあ、なんとかなるでしょ」


 そんな楽観的な言葉を胸に、いおりは歩き続ける。


 天翔てんしょう学園。スポーツの名門校で、校内には真剣な表情で練習に打ち込む生徒たちがあふれている。そんな中で、彼女の所属するバドミントン部は異色の存在だった。部員はたった七人。以前はもっといたはずだが、いろいろあって今はこの人数。緩い雰囲気の部活だが、それがいおりにとって唯一の救いでもある。


 部室の扉を開けると、親友の翡翠ひすいあかりが着替えを終えたところだった。


「あれ、いおり。『今日は絶対早く帰る』って昼に言ってなかった?」

「楓ちゃんに捕まったんだよお……疲れたあ」

「あー、ね? あと、バレたらまた怒られるよ?」

「ほんと、考え方が古臭いと言うか。一昔前の体育会系って感じなとこあるって、あの人」

「まぁ、良い人なんだけどね、真面目すぎるというか」


 翡翠は苦笑し、肩をすくめた。


「でも楓ちゃ……鷲見さん、部のことは一生懸命考えてるよね。人数も少ないし、焦ってるんだと思う」

「だよねー。ウチらは気楽にやってるけど、鷲見さんみたいな人がいないと部が潰れるし……って、そろそろ始まるから行こっか」


 翡翠はわざとらしく慌てて荷物を持つと、その半分をいおりに押し付けた。


「ほらほら、後輩が入ってこないと雑用係が1年延期しちゃう」

「そーだね。新入生、どんな子たち来るんだろうね?」

「うーん、強い子が来たらラッキーだね。まあ、無理に勧誘しなくても、やる気がある子は勝手に残るでしょ」

「それもそうだね」

 

 二人は気楽な雰囲気のまま、ゆっくりと練習の準備を進めていった。


 部室を出ると、体育館からはすでにシャトルを打つ音が聞こえてきた。翡翠といおりは、お互い顔を見合わせてから軽く笑い、自然と足を速めた。体育館に着くと、何故か先に到着していた鷲見がネットの高さを調整しているのが見えた。体育館には新入生らしき数人の姿もあるが、どこか落ち着かない様子で端に立っている。いおりはその様子を一瞥しながら、軽くため息をついた。


「さて、新入生開拓を手伝いますか。こう、程々にやる気が一定ラインの子に限るけど」

「はいはい。その本音、鷲見先輩にバレない程度にね」


 翡翠が苦笑しながら返すと、いおりは気軽な様子で準備に取りかかった。そうこうしている間に、鷲見が新入生たちに声をかけ始める。


「みなさん、集まってください!ようこそバドミントン部へ!」


 いおりと翡翠が準備を進める中、鷲見の声が体育館に響き渡る。いおりはその熱意のこもったスピーチを耳にしながら、ふと新入生たちの表情を観察した。


「うーん……微妙な感じだね」

「まあ、いきなりこんな情熱的な先輩に話しかけられたら、ちょっと引くよね」


 翡翠の言葉に、いおりは小さく笑った。確かに鷲見の熱意はすごいが、いきなりあれをぶつけられる新入生たちは戸惑うかもしれない。


「でも、あの子たちが入ってくれたら助かるよね」

「うん。今の人数だと練習試合も厳しいし、インターハイなんて到底無理だし」


 そんな会話を交わしていると、鷲見が振り返り、鋭い目でいおりを睨んだ。


「白羽さん、何を呑気に話してるんですか!新入生たちにもっと積極的に声をかけてください!」

「えー!もう十分、楓ちゃんがやってるじゃないですか」

「だから、その呼び方をやめてくださいってば!」


 鷲見の声に新入生たちが振り返り、気まずそうに視線を交わす。いおりは小さく肩をすくめると、翡翠に目配せして、新入生の方へ歩み寄った。


「こんにちは、翡翠あかりです。高校から始めた初心者なんで、一緒に楽しんでやろうね!」


 新入生たちは少し緊張している様子だったが、翡翠の柔らかい声と明るい笑顔に安心したのか、笑顔を見せ始めた。そんな様子を横目に、いおりは軽く肩を回して準備運動を始めた。


「白羽いおりです。一応経験者です。あー……先輩としてバドミントンや上手なサボり方をレクチャーします。よろしくね」

「白羽さん!」


 なんてことを!と目を剥く鷲見とは対照的に、新入生は緊張が解けたようにくすくすと笑を零した。いおりは鷲見の反応に肩をすくめ、「冗談ですよ」と軽く笑ってみせた。だが鷲見は「本当に冗談にならないんですよ」と、冷ややかに答える。一方、翡翠はと言うと新入生たちとすっかり打ち解け、軽いストレッチをしながら話しかけていた。彼女の明るい性格は、初心者の緊張をほぐすのに絶妙だった。その姿を見て、いおりは新入生たちに向き合った。

 

「ねえ、みんな。とりあえずラケット持ってみない?バドミントン、けっこう楽しいよ」


 にこやかに声をかけると、新入生たちは少しずつ緊張を解いて笑顔を見せる。いおりのカジュアルな雰囲気は、新入生にとって楓の熱血さとはまた違う安心感を与えたようだ。


「おお、いおりが珍しく真面目にやってる」

 

 翡翠が後ろで冗談めかしてつぶやき、いおりは小さく振り返ってウインクを返す。「さて、じゃあそろそろ練習始めますか」と、いおりが新入生たちの方を向いて言うと、鷲見が指導に戻り、全体を仕切り始めた。


「まずは基礎練から!ウォームアップをしっかりやってから、ラケット握ってくださいね!」


 いおりはのんびりと肩を回しながら、新入生たちの様子を眺める。彼らが楽しんでいる様子を見て、いおりは少し微笑んだ。「こうやって新しい子たちが入ってきてくれると、部も少しは賑やかになるかな」と心の中で思いつつ、いおりも軽く準備運動を始めた。

 鷲見はいまにも獲物を捉えるが如く、鋭く目を研ぎ澄ましているが、いおりの中ではそれらしい新入生は見当たらなかった。見たところ、とりあえず運動部に興味を持った男女ばかりで、バドミントンそのものを目的とした一年生は見受けられなかった。しかし、それでいい。鷲見には悪いが、こうしてようやく手に入れた平穏な部活生活に『ガチな』新入生が来てしまっては困る。いおりがしめしめと腕を伸ばしていると、新入生の一人がいおりに話しかけてきた。


「あの、白羽さんって、経験者なんですよね?」

「んー、一応ね。小学生の頃からだらだら続けてるって感じかな」

「そんな頃からなんですね……すごく堂々としてて、その……かっこいいです」


 新入生の純粋な視線に、いおりは少し照れくさそうに笑う。


「そっか。じゃあ一緒にやろうよ。まずは打ち合いから慣れてみない?」

 

そう言ってラケットを掲げるも、どこかまだ曇りのある新入生の顔に首を傾げた。しばらくその顔を覗いていれば、不意に新入生は口を開く。

 

「あの、先輩。部員ってこれだけ……ですか?それに、部長って確か男の人のはずですよね」

「『部長』って響き、なんか懐かし!うちの主将さんはねぇ、今家の用事でちょっと帰省してるみたい。だから本格的に部活に顔を出すのは来週あたりかな。部員は……まあほぼこれだけだね。前は居たんだけど、辞めちゃったの」

「えっ」


 途端に新入生は顔を青くする。


「も、もしかしてめっちゃ練習が厳しいとか?なんか、噂聞いたんですよ。今年からコーチが変わるって」

「え?ないない、辞めたのは全然違う理由だし」


いおりは「うちの部はそこまでガチじゃないから安心して。緩くて楽しいよ」と笑顔でフォローした。新入生はほっとした表情を浮かべたが、どこかまだ警戒心を抱いているようだった。その視線が自然と体育館の片隅にいる鷲見楓へ向かう。


「鷲見さんは……確かに真面目でちょっと怖いかもしれないけど、あの人がいるから部が成り立ってるって感じかな。だから、あんまり気にしなくていいから」

「そうなんですね…ありがとうございます。ちょっと安心しました」

 

 新入生は苦笑いしながら礼を言ったが、その言葉がいおりの胸に小さな疑問を残した。


「新しいコーチ、か……」


 その話を耳にしたのは初めてだったが、ただの噂とも思えなかった。噂にしても、部員が少ないこの部に新しいコーチが付くというのは不自然に思えた。


「何か変な空気だなあ…」

 

 いおりは軽く首を振り、頭からその考えを追い払おうとした。しかし、新入生たちの緊張した表情を思い返すと、気にならずにはいられなかった。

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