六十一、推しと遠乗り・・・そして聖女様の乱入。







「デシレア。明日は、何か予定があるか?」


 出勤して行くオリヴェルをいつも通り見送りに出たデシレアは、そう問われて首を横に振った。


「未だ、改装中なのでお仕事はお休みですし、特に出掛ける予定も特別に何かする予定もありません。まあ、図案考えたり描いたりはありますけど、切羽詰まっている訳ではないので。何か御用ですか?」


「用、というか。明日は、俺も休日だろう?何処かに出掛けようと少し調べたら、隣街で異国からの参加もある露店の市が開かれるというので、一緒にどうかと」


 眼鏡の細い縁に意味も無く触れながら、やや緊張した面持ちのオリヴェルに誘われ、デシレアは嬉しく頷く。


「行きたいです!」


「そ、そうか。良かった・・・それで、だな。馬車ではなく、馬で行こうと思うのだが」


「馬、ですか?」


「ああ。隣街へは街道を行くのが一般的だが、裏道というか、草原を越えて行く方法もある。ただ、そこだと馬車は通れない」


 オリヴェルの言葉に、デシレアは目を輝かせた。


「すっごくそそられるお話です。馬で草原を行くなんて素敵です。是非!」


「では、明日。楽しみにしている」


「はい!楽しみにしています。いってらっしゃいませ」


 弾けるような笑顔のデシレアに見送られたオリヴェルは、自身も馬車の中から小さく手を振り返すと、王城へと出発して行った。






「わあ、立派な葦毛のお馬さん。オリヴェル様のお馬さんですか?」


「ヘイムダルだ」


 その日、オリヴェルと共に朝食を摂ったデシレアは、いざ行かん隣街、ということで厩舎まで来て、既に鞍を着けて厩舎前に待機していたヘイムダルを紹介された。


 立派な体躯に反するよう、ヘイムダルは大人しく厩務員の指示に従っている。


「わあ、賢そうな目。はじめまして。私は、デシレアというの。これから仲良くしてね、ヘイムダル」


「デシレア。こいつは、俊足で持久力も抜群だが、大食漢だ」


 苦笑して言うオリヴェルに、デシレアはきりりと敬礼をして見せた。


「承知しました。では今度、何か貢物を持ってきますね、ヘイムダル」


 そしてヘイムダルに向き直ってデシレアが言えば、それが分かったかのように鼻を鳴らすヘイムダルの首を可愛いと撫でながら、デシレアがオリヴェルに問う。


「ところで、私にお貸しいただけるのは、どの子ですか?」


 厩舎の中を覗き込むようにして聞かれ、オリヴェルは一瞬固まった。


「デシレア、もしかして馬に乗れるのか?」


「はい、乗れます。あの、それで遠乗りに誘ってくださったのではないのですか?」


「違う。乗れるとは思ってもみなかった。そうか、乗れるのか」


 一瞬、想定外の事に逡巡したオリヴェルだが、次の瞬間にはきりりと立ち直ってデシレアを見る。


「今日、準備が整っているのはヘイムダルだけだ。だから、デシレアには俺と共に乗ってもらう」


 その言葉に厩務員は目を丸くするが、賢くも音にすることは無い。


「オリヴェル様。もしかして、こちらには横乗り用の鞍が無いですか?それなら私、横乗りでなくても乗れま・・・あそうか。乗馬服じゃないから。すみません、お手数かけて」


「いや、きちんと確認しなかった俺が悪い。気にするな」


「オリヴェル様、優しいです」


 きらきらと目を輝かせてデシレアが言った時、厩務員の顔が一瞬引き攣ったが、同じように頬を引き攣らせたオリヴェルに依って、何も言葉にすることなく黙った。


 共犯成立である。


「では、乗ろう」


「分かりました。先に乗った方がいいですか?それとも後の方がいいでしょうか?」


 抵抗なく答えたデシレアに、オリヴェルが聊かむっとした。


「乗せてもらうことにも、慣れているのか?」


「父も母も得意なので、子どもの頃から慣れています」


「そ、そうか。ご両親か。その、幼友達は」


「流石に馬はないですね。領内の見回りの時とかに乗っていたので。ひとりで馬に乗れるようになってからは、主にひとりで乗っていました」


 あっさりとデシレアが言えば、オリヴェルがほっとしたような顔になるが、そんなオリヴェルの表情の変化を見ているのは、角度的に厩務員のみ。


 表情豊かなオリヴェルに驚いた様子の厩務員にも気づくことなく、デシレアはさっさと馬上のひととなった。


「では、行って来る」


「行ってきます」


 そして、見送る厩務員を後に出発したデシレアは、大変な事に気づく。




 この体勢、オリヴェル様と密着状態。




 思えばどきどきもするが、それよりも乗馬をしているオリヴェルを見られないという事実に思い至れば、そちらの残念が増していく。


「オリヴェル様。今度は、別々の馬で移動したいです」


「俺と一緒は嫌だということか?」


 ぽろりと零れた嘆願に、オリヴェルが険しい声を出した。


「違います!これはこれで、凄くどきどきしますけれど、とても嬉しく、幸せでもあります」


「では何故」


「何故ならば、オリヴェル様の超絶格好いい乗馬姿を見られないからです!ヘイムダルと一体となって駆ける姿、きっと物凄く絵になるので、間近で拝見したいのです」


「超絶、って。君は本当に」


 オリヴェルが苦笑した時、風に乗って背後から馬車と騎馬の気配がした。


「ここは未だ街道だからな。草原に入るまでは、こういうこともある」


 そう言ってオリヴェルは、ゆっくりと歩かせているヘイムダルを道の端へと誘導した。


「オリヴェル!どうして迎えに来てくれなかったの!?」


 しかし、そのままやり過ごす筈だった馬車からオリヴェルを咎める声がして、デシレアは固まってしまう。




 え?


 この声、もしかして。




 ぎぎぎ、と音がしそうな動きで馬車を見たデシレアは、予想通り馬車から聖女エメリが下りて来るのを見て、咄嗟にオリヴェルを見あげた。


「迎えも何も、聖女とは約束などしていませんが」


 走り寄る聖女を見下ろすオリヴェルは、ただ安心させるようにデシレアの髪を撫でるばかりで、ヘイムダルから下りようともしない。


「お、オリヴェル様。下りた方がよろしいのではないですか?」


 こそっとデシレアが言えば、オリヴェルは面倒そうな顔をした後、ひらりとヘイムダルから下り、両手をデシレアへと伸ばした。


「ほら」


「ありがとうございます」


「オリヴェル。わたくし、オリヴェルの馬で一緒に行きたいわ」


 その手を借りて下りたデシレアのことなど見えてもいないように言う聖女エメリは、満面の笑みでオリヴェルの前に立つ。


「俺は今日、休暇ですが」


「知っているわよ。何処へ出かけようか、って色々調べていたそうじゃないの。楽しみに待っていたのに、置いて行くなんて酷いわ」


「婚約者と出かける先を探していただけで、聖女には関係ないかと」


「折角追い掛けて来てあげたわたくしに、言う台詞がそれなの?」


「護衛も侍女も連れず、婚約者とふたりで休暇を満喫しようとしている所を邪魔されているのです。早々の帰城を願いたい所存」


 不機嫌を隠しもしないオリヴェルと、苛立ちが募っていく様子がありありと見える聖女エメリ。




 え?


 どういうこと?


 聖女様って、オリヴェル様が好きだったりするの?


 でも既に第二王子殿下と婚約されているし、仲睦まじいからそれは無い、と思うけど。


 でもこの感じは、好きな人が自分を置いて行ってしまったという状況だと、聖女様は言っているわけで。


 つまり、聖女様はオリヴェル様と出かけたかった?


 しかも、王子殿下抜きで。


 うわあ、こんな展開知らない。


 どうする?


 どうしたらいいの?


 オリヴェル様推しの身としては、オリヴェル様が幸せならこの場は聖女様に喜んで譲るけど、でもそれって王子殿下から見たら不貞で、それで、下手したら大変なことに・・ああ、でもオリヴェル様が望むなら・・・って、望んでもいないこの様子はこれ如何に。




 オリヴェルと聖女エメリ。


 そのふたりを順繰りにおろおろと見て、デシレアは、溢れる疑問に頭が爆発しそうになる。


 本来、聖女に恋をしているオリヴェルの方が、切なく聖女エメリと王子カールを見つめている筈なのに、実際には、聖女エメリがオリヴェルとその婚約者の元へと元気よく、積極的に迫ってきている。


「オリヴェル。そんな意地悪言わないで。一緒に、闘い抜いた仲じゃない」


「その討伐は既に完了し、俺達は手に入れた未来を生きている。違うか?」


「そうよ。漸く手にしたの。だから、わたくしとふたりで、楽しくお出かけしましょうよ」


 うる、と甘えるように目線をあげた聖女に、デシレアはうきうきと目を細めた。




 凄い。


 近くで見ると、ほんとに可愛い。


 何でも言うこときいてあげたくなっちゃう。




「デシレア。違うだろう」


 しかし隣のオリヴェルに苦い顔で言われ、デシレアは慌てて表情を引き締めるも、まったく理解はしていない。


 


 違う、って何が?




 思い、横目でオリヴェルに問えば、思い切り肩を引き寄せられた。


「俺は、デシレアとふたりで出かけて休日を満喫する。その予定に変更は無い」


 言い切ったオリヴェルに、聖女エメリがデシレアを睨む。


「わたくしより、デシレアさんを選ぶというの?」


「当然だろう」


「わたくしを優先すべきよ!」


「俺は、聖女の騎士でも婚約者でもない」


「それでもよ。いつだって、オリヴェルはわたくしを優先すべきなの」


「何故」


「それが道理だからよ」


「意味が分からない。先にも言ったが、聖女の役目は既に終えている。今の貴女は、第二王子の婚約者という立場だ。それなのに、このような軽はずみな真似。その立場に相応しいと言えるのか?」


 その時、オリヴェルの言葉に誘発されたように聖女エメリの後ろから侍女が進み出た。


「聖女様。メシュヴィツ公爵子息様の仰る通りでございます。ご帰城を」


「なら、オリヴェルの馬で!それ以外は、認めないわ!」


「はあ」




 え?


 ため息?


 オリヴェル様、今ため息を吐いたの?


 ほんとにどうなっているの?


 本編終了後にこんな波乱の展開があるなんて、思ってもみなかった・・・!


 しかも、聖女様にまたも睨まれている私って一体何者。




「デシレア。巻き込んで、すまない」


「はへ!?」


「可愛い」


 聖女に睨まれ、オリヴェルに抱き寄せられた状態で混乱するデシレアは、指先にオリヴェルの唇を感じて更に混乱し、最早思考回路など破綻した状態で、耳まで真っ赤になってひたすらオリヴェルを見あげていた。



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