六十、婚礼衣装と推しとの約束







「いらっしゃい、デシレア。待っていたわ」


 その日、メシュヴィツ公爵家の王都にある邸に招かれたデシレアは、満面の笑みを浮かべる公爵夫人に迎えられて丁寧に礼をし、挨拶を返した。


「こちらこそ。お招きくださいまして、ありがとうございます」


「上出来。とても綺麗な礼だったわ。さ、堅苦しいのはもう終わり。わたくし、今日をとても楽しみにしていたの。こちらよ、デシレア」


 言いつつ夫人は、デシレアを、とある部屋へと連れて行く。


「お待ちしておりました。わたくしは、セルマと申します」


「デシレア・レーヴです。よろしくお願いします」


 そこで待っていたのは、今回、婚礼衣装を依頼する王都でも指折りの仕立て職人。


 主に婚礼衣装を専門としている彼女の人気はとても高く、貴族令嬢なら誰もがセルマの作った衣装で式を挙げたいとの憧れを持っていると言っても過言ではないほど。




 わああ。


 物凄く有名なひと、来た。




 デシレアもその名前くらいは知っているが、正に雲の上の存在で、まさか自分がそのひとの仕立てた婚礼衣装を着て式を挙げることになるなど、想像もしていなかった。




 でもそれでいくと、雲の上の筆頭みたいなオリヴェル様と知り合いになって、それこそ筆頭の公爵家にお嫁に行くのだから、契約とはいえ我ながら凄いことになっている気がする。




 思いつつもデシレアは、セルマの言うがままに手をあげ、後ろを向き、横を向き、と身体のあらゆる箇所の採寸を終える。


「はい、これで終了です。お疲れ様でした」


「お疲れ様です」


 正直、終わった時には疲労困憊していたデシレアだが、そこは公爵家へ嫁入る身。


 きちんと最後まで姿勢を正し、淑女の笑みを忘れなかった。


 そこから、お茶も用意され三人でテーブルについて、ドレスについての相談が始まる。


「ドレスの基本的な型とトレーンの長さ、それからヴェールの長さや形は、どのようになさいますか?」


 言いながらセルマがテーブルに並べた幾つもの図案を見つめ、デシレアは公爵夫人と共に婚礼衣装を考えて行く。


 とはいえ、公爵家の格式の事を思えば、デシレアは余り口を出さない方がいいだろうと思っている。


 


 これは、公爵家の伝統や格式について学ぶ好機。




 結婚式は、最大の慶事といっても過言ではない。


 そして、国としての伝統以外にも、各貴族の家々で受け継がれて来たものがある。


 デシレアは、時折公爵夫人が好みについて聞いてくれるのを有難く思いながら、メシュヴィツ公爵家の伝統と格式あるドレスを学ぶことに夢中になった。




 おお。 


 やっぱりトレーン長い。


 流石、王家に次ぐ家柄。


 それに、ドレスにもヴェールにも金糸や銀糸で刺繍をして、宝石も付けるとか凄い。


 そして、ヴェールに入れる刺繍は、メシュヴィツ公爵家の紋章。


 


 紋章入りのヴェールを纏って嫁ぐ。


 それは、その家の家族、ひいては一族の一員となると同時に家名を背負う事でもあるのだと、デシレアは改めて気を引き締めた。








「公爵夫人。私の婚礼衣装までご用意させてしまって、申し訳ありません」


 一通りの話を終え、セルマが帰った後。


 デシレアは、ふたりになった部屋で公爵夫人にきちんと向かい合って頭を下げた。


「何を言っているの。うちはオリヴェルひとりだけだから、娘の婚礼衣装を選べるみたいでとても嬉しいのよ?それよりも、本当にお母様のご意見は取り入れなくていいの?貴女だって、ひとり娘でしょう。楽しみにしていらしたのではなくて?」


「母は、今領地から出て来るのが難しいので。それに、ドレスや装飾品に関して疎いので、むしろ公爵夫人に見ていただけるなら安心だと言っておりました。お手数をおかけして申し訳ないけれど、と」


 言いつつデシレアは『いいこと、デシレア。公爵家の伝統や格式をしっかり学び、きちんと身に付けて、万が一にもメシュヴィツ公爵家の恥じにならないようにするのよ?申し訳ないけれど、母にそのような格式高い素養はありません』と言っていた生家の母を思い出す。




 お母様、顔が引き攣っていたわよね。


 それもそうか。


 娘が公爵家に嫁ぐなんて、考えたことも無かったでしょうから。




「それならば、お任せなさい。素晴らしいドレスを仕立てましょうね」


「はい、お願いします」


「でも、お母様から何かご希望があれば、いつでも聞きますからね」


「ありがとうございます」




 ご希望かあ。


 それは、結婚式当日、私も自分達も失敗しないことだと思う。


 うちの家族にとって、私の結婚式って最早、重要な公式行事のような物だろうから。




 かちこちに緊張する様子が目に浮かぶ、と苦笑しかけて、その結婚式で誰よりも注目を集めるだろうオリヴェルの隣に立つのは誰なのかを思い出し、デシレアは思わず身震いをした。


「デシレア?どうかしたの?」


「いえ、夫人。結婚式の際、オリヴェル様はさぞかし麗しく、衆目を集めることでしょうと思いまして」


「麗しく、って。デシレアは本当にオリヴェルへの賛辞を惜しまないわね。まあ、確かにオリヴェルは見目良い姿をしているけれど、デシレアだって負けていないわよ。とってもお似合いだもの」


 公爵夫人は真顔でそう言うが、デシレアは表面で笑うばかりで頷けない。




 せめてもの救いは、結婚式で超絶麗しいだろうオリヴェル様の隣に並ぶ私を、自分は直接見ることが無いってことね。


 ほんと、それだけは救いだわ。




 思い、デシレアは紅茶のカップに口を付けた。








「今日は、母上と婚礼衣装の相談だったのだろう?」


 夕食の席でオリヴェルにそう話しかけられ、デシレアはこくりと頷いた。


「はい。素晴らしい婚礼のお衣装になりそうです。着るのが私というのが、申し訳ないくらいに」


「デシレアが着なくては意味がないだろう」


 しょんぼりと言うデシレアに、オリヴェルがさり気なく言い切るも、デシレアは大きなため息を吐く。


「その時だけでも、見た目三割増しになる魔法とか無いですか?」


「無い」


「ですよねえ」


「時にデシレア。その三割というのは、どう計算すればいい?元となる数は?」


 にやにやと笑うオリヴェルを、デシレアがじとりと睨んだ。


「そういうの、揚げ足取りって言うんですよ、もう」


「次は、俺も一緒に行く。婚礼の衣装は、男がなるべく見ない方がいいというが、披露目のドレスなら問題無いそうだからな」


 嬉しそうに言ったオリヴェルの言葉に、デシレアがぱちぱちと瞬きをする。


「え?お披露目のドレス、ですか?結婚式の時は、婚礼衣装のままなのでは?」


 デシレアの知る限り、といっても範囲はとてつもなく狭く、直接聞いたのは母だけなのだが、ともかくその母が、一日中素敵な婚礼衣装で過ごした、と少女のように頬を染めて話ししていたのは間違いない。


「ああ。そういう家もあるようだが、我が家は王都でも領都でも式を挙げ、どちらもそのまま披露目の夜会を開くからな。ずっと婚礼衣装を着ているとなると、色々問題が生じるだろう」


「確かに。白いドレスですから、汚れたりしたら大変」


 納得、と頷いたデシレアに、オリヴェルが楽しそうに笑い掛けた。


「という訳だ。それに、これから夜会や茶会の誘いも増えるだろうから、幾着か用意しよう。となると、装飾品も一緒に選んだ方がいいのか。細工は後からとしても、石だけでも押さえて」


「お、オリヴェル様」


「ん?どうした?」


 とんとんと進んで行く話にデシレアが慄き呼びかければ、オリヴェルが不思議そうな目を向けた。


「こ、こちらに来てから私、オリヴェル様にたくさん贈り物をしていただいて」


「婚約者なのだから当然だ。あれくらい普通だろう」


「ですが」


「俺の選んだ物は、気に入らないか?」


 やや眉を寄せ、気弱な表情で言ったオリヴェルのそのひと言に、デシレアはぴこんっと反応して、瞬間、背筋を伸ばし顔をきりりとあげる。


 そこには、今さっきまであった、自信無く怯える様子は微塵も無い。


「気に入らないなんて、とんでもありません!オリヴェル様に贈っていただいた物は、すべて宝物です。普段着ている物も、王城へ着て行っている物もたくさん用意していただいて、どれも大好きなうえに大感謝ですが、特にといえばやはり婚約披露の時にいただいた一式。あれは本当に素敵で素晴らしくて、オリヴェル様の瞳のような装飾品などはもう国宝級に最高です」


「なら、問題無いな」


「あ」


 言い切り、やり切った感いっぱいでいたデシレアは、オリヴェルの決定のひと言に絶句した。


「そうだ。今度は揃いにするか」


「え?」


「嫌なのか?」


「そのような事をすれば、月とすっぽんぶりが顕著に」


 デシレアの答えに、オリヴェルは考える顔になる。


「なるほど。俺は、すっぽんか」


「なっ。そんな訳ないですよね。オリヴェル様は月、私がすっぽんです!もう、分かっているくせに」


 向きになって言うデシレアに、オリヴェルが悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「そうか。デシレアは、すっぽんか。道理で可愛いわけだ」


「何ですか、その謎理論」


「何、って。デシレアが言ったのだろう。亀が可愛いと。すっぽんも亀だからな」


「・・・・・」


「どうした?」


 一本取った、と言わぬばかりのオリヴェルは、わざとらしく眼鏡の細い縁を触りながら、何やら黙り込んでしまったデシレアに、付け加えるべく口を開いた。


「まあ、デシレアが可愛いというのは本当」


「オリヴェル様」


「な、何だ?」


「今、思い出していたのですけれど。すっぽんは、余り可愛いという感じではないかと」


「え」


「あの噛み付く感じとか、お顔もしゅっとしていますし。可愛いというより、凛々しいかも、と」


「・・・・・すっぽん、見た事あるのか?」


「え?ああ、ぜん・・っぜん、見たことありませんっ。ただ、話を聞いたのと図鑑で見て。お、オリヴェル様は?」


「昔雇っていた、家庭教師から聞いた」


「オリヴェル様、知識の幅広いですよね」


 本当に死角がない、と呟いてデシレアはワインのグラスを口に運ぶ。


「子どもの頃は、勉強や鍛錬が趣味だったからな」


「勉強や鍛錬が趣味・・・鍛錬は分かる気がしますけれど、勉強が趣味とはこれ如何に」


 余りに予想外、デシレアとしては有り得ないオリヴェルの言葉に、難解な問題を出されたかのように、デシレアの表情が難しいものになった。


「そんなに深く考えることか?例えば、知らなかったことを知ることが出来たり、不思議に思った事が解明するのは楽しくないか?」


「あ、それなら分かります。よく分からない式とか、小難しい言葉や言い回しで書かれた文章でなければ」


 しみじみと、何故この世にはあのようなものが存在するのか、とため息を吐くデシレアに、オリヴェルがくすりと笑う。


「机上の事務処理より実践派だものな、デシレアは」


「む。どうせ私は能無しです」


「そんな事言っていないだろう。それより、デシレアから見たら、勉強が趣味などつまらない、と言いたいのではないか?デシレアは、幼い頃どのように過ごしていた?」


「思い切り遊んでいましたよ。走り回って、丘の上からそりで滑り降りたり」


 デシレアの言葉に、オリヴェルがやわらかく微笑む。


「雪が積もった時の楽しい遊びか」


「あ、いいえ違います。雪そりではなくて、草の上を滑り降りるんです」


「ほう。楽しそうだな」


「楽しいですよ。ふたりで組になって、競争したりしていました」


「ふたりで?それは、ふたりでひとつのそりに乗るということか?」


「はい。ふたりでひとつのそりに乗って、重心を上手く移動させるのって結構難しいんですよ。でもあれで、協調性も養われた気がします」


「そうか。ふたりで」


 そこでオリヴェルは、むっすりと黙り込んだ。


「オリヴェル様?」


「ああ、いや。俺も、デシレアの幼友達になりたかったと思って」


「それは、楽しそうですね。オリヴェル様とそり。緊張しそうですけど」


「ヴィゴには緊張しないのか?その、ヴィゴとも一緒に乗ったのだろう?」


 オリヴェルに胡乱な目を向けられるも、デシレアは気づくことなく当然と頷く。


「ヴィゴに緊張なんて、しません」


「それが羨ましい。いや、男として意識されていないから緊張しない?となると、俺が有利なのか?」


「オリヴェル様?何かおっしゃっていますか?」


 ぶつぶつと言い出したオリヴェルに、よく聞こえない、とデシレアが耳をすます。


「何でもない。デシレアと一緒に、そり遊びがしたかったと思っただけだ」


「なら、やりますか?小高い丘と、そりがあれば出来ますから」


「大人が?」


「別に、年齢制限はないですよ。まあ、人目があると色々言われちゃうかもですが。大人がふたり乗れるそりさえあれば、可能です」


「なるほど。人目が無ければいいわけか。なら、メシュヴィツの王都の邸でやろう」


「え?」


「こちらの邸では無理だろうが、あちらなら手頃な場所がある。ついでに、庭園の案内もしよう。ちょっとした探検も出来るぞ」




 凄い、公爵邸。


 そり遊びどころか、探検まで可能。


 恐るべし、公爵家。




 楽しそうに言うオリヴェルを、デシレアはあんぐりと口を開けそうになりながら見つめていた。


~~~~~~~~

あけまして、おめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

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