四十五、推しと幼友達 3
「では、これからよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく頼む」
お互いが、その目に強い光を宿して固く結ばれる握手。
そこには、この先に明るい未来が視えているようで、デシレアも嬉しくなった。
この企画は、絶対にうまくいく。
そう思うほどに、今回の商談は充実していた。
王都でも、実力、人気ともに最高峰と言われる装飾店が、レーヴ領産色硝子を正式採用した。
それはつまり、色硝子を装飾品として使う地場が整ったということ。
その歴史的事実に、装飾店の扉の前で見送る店主が見えなくなり、馬車を停めている場所へと来た今となっても、レーヴ伯爵もヴィゴも、未来への展望が開けた、明るい笑顔だけを浮かべている。
ああ。
これで、レーヴは本当の意味で立ち直れる。
メシュヴィツ公爵子息オリヴェルという大きな支援を得たうえ、自領の産業が大きく飛躍する。
今の、復興途上にあるレーヴ領、レーヴ領民にとって、それはとても大きな出来事だとデシレアも嬉しくなった。
「・・・はあ。ほんとによかった」
緊張しつつも父であるレーヴ伯爵と硝子職人ヴィゴと共に色硝子について懸命に説明、紹介をしたデシレアは、その役目を終えて大きく息を吐き、肩から力を抜いた。
ああ、お腹空いた。
そして、安堵した途端に感じる空腹。
思えば昼食を食べるどころではなかったのだった、とデシレアは、今日これまで過ごした怒涛のような時間を思い出す。
「伯爵。お時間大丈夫であれば、少し休憩されていきませんか?」
「いいですね。私もそう思っていました。ですがお恥ずかしいことに、私は余り店に詳しくなくて」
「では、私が決めてしまってもよろしいでしょうか?」
「お願いできれば、幸いです」
うーん、お茶。
お茶かぁ。
スコーンがあるといいな。
レーヴ伯爵とオリヴェルの会話を聞きつつ、デシレアは思う。
通常、カフェで供される品といえば、飲み物の他はケーキやクッキーなどの焼き菓子がほとんど。
それらももちろん好むデシレアだけれど、空腹を感じている今、お菓子よりもお腹に溜まる食事系が食べたい。
しかしそれと同時、久しぶりに会った父や幼友達ともう少しゆっくりしたいのも事実。
「ありがとうございます、オリヴェル様」
「ああ。任せろ」
なので、馬車に乗る際手を貸してくれるオリヴェルに、父や幼友達と過ごす時間をありがとうございます、という意味を込めて言ったデシレアは、にやりと笑ってそう返してきたオリヴェルの<任せろ>は、恐らく個室を用意して寛がせてくれるに違いない、という風に解釈した。
そして事実、それ自体も当たっていたのだけれど。
うわああ。
サンドイッチがある!
スープも!
その店のメニュウを見た瞬間、デシレアの瞳が爛々と輝いた。
恐らくは、平民であるヴィゴも遠慮しないで済むように、というオリヴェルの配慮なのだろう。
その店は、庶民も多く集うというオリヴェルの説明通りとても賑わっていたけれど、商人が接客にも用いるという個室に入ってしまえば、とても静かで清潔感があり、身分問わず寛げる雰囲気を醸し出していた。
た、食べたいサンドイッチ!
でも、ひとりだけがつがつ食べる訳にも・・・。
「伯爵。夕食はどうなさるのですか?こちらのローストビーフやサーモンのサンドイッチは、なかなかお薦めなのですが」
思うデシレアの耳に届いたのは、天啓のようなオリヴェルの言葉。
「今夜は、宿へ食事の支度を頼んでありまして。ですので私は、焼き菓子をいただこうと思います。ヴィゴ、お前は遠慮せずに食べるといい」
そして、レーヴ伯爵の言葉にヴィゴがぴくんと耳を動かす。
「いいんですか?」
迷うように言ったヴィゴに、更にオリヴェルが、天使の如き言葉を告げた。
「そうしてくれると助かる。私とデシレアも昼食を摂っていなくて」
「ならおれ、喰いたいです!・・・あ」
「気にしなくていい。そうしたら、サンドイッチとスコーン、それと焼き菓子を頼もうか」
「はいっ。お願いします、オリヴェル様」
「ああ。任せろ」
オリヴェルの判断に、ヴィゴ同様目をきらきらさせて言ったデシレアへ、オリヴェルが見せた意味深な笑み。
そして、小さく囁いたその言葉。
え?
なに?
・・・・あ!
さっきの<任せろ>って、こういうこと!
思えば、少し前まで昼食を抜くことが通常だったオリヴェルが、そこまで食に固執するとは思えない。
となれば、この店に来たのも、自然な流れでデシレアに食事をさせてくれるため。
オリヴェル様!
ありがとうございます!
理解したデシレアは、その感謝を満面の笑みに籠めて、一心にオリヴェルを見返した。
「公爵子息、本日は誠にありがとうございました。お陰様で、契約が叶いました」
品物を注文した後、レーヴ伯爵が改まってオリヴェルに頭を下げれば、ヴィゴもデシレアもそれに自然と続く。
「「ありがとうございました」」
そんな彼等に対し、オリヴェルは特に顔色も変えることなく、平静な様子で答えた。
「礼を言われるようなことは何も。本当に素晴らしい品ですから、当然のことです。私の力ではありませんよ」
それは真実、今回契約が成ったのは色硝子の実力そのものだという物言いで、少しも自身に驕ることは無い。
けれど、だからこそ、それを聞いたデシレアは、オリヴェルが成してくれたことを言葉にし、その感謝を伝えたいと願った。
「いいえ。そもそも、私が色硝子の加工を試みているとオリヴェル様が知っていらっしゃったから。そして、あの場で口にしてくださったからこそ、開けた道です。本当にありがとうございます」
そしてそのデシレアの気持ちに同調するよう、レーヴ伯爵も自身の心情を口にする。
「我が領への惜しみない支援、心から感謝しております。そして今回の色硝子。お心に応えるためにも、必ずや、この事業を成功させます」
「これからのレーヴ領の発展を、楽しみにしています。助力は惜しみません」
ぐうう。
オリヴェルとレーヴ伯爵。
双方が信頼に満ちた視線を交わし合い、共に未来を拓く決意をした、その時。
未だ個室の扉は叩かれないものの、ちょうど料理が運ばれて来たのだろう匂いに釣られ、デシレアのお腹が鳴った。
「すっ、すみませんっ」
真っ赤になったデシレアが頭を下げたところで、扉を叩く音がし料理が運ばれて来る。
「一足先に察知したか」
「相変わらず、いい鼻してんな」
オリヴェルとヴィゴに笑いながら言われ、その場で益々小さくなったものの、デシレアは店員によって手際よく並べられていく料理が気にかかる。
わあ、美味しそう。
ローストビーフもサーモンも、結構な厚さなのに、柔らかそう。
それに薫り高いパンも、しゃきしゃきしていそうな野菜も。
うん、決定。
あれ、絶対に美味しいサンドイッチ。
「さ、いただこう。デシレアは・・・ああ、スープからか」
「はいぃ・・・・わっ、美味し!ヴィゴも早く!冷めないうちがスープは美味しいから」
そしておずおずと、けれどしっかりとスープを口に含めば、一気に食欲が全開となり、自分がうつむきそうだったことなどきれいに忘れ去り、デシレアは、遠慮している様子のヴィゴにも笑顔で声を掛けた。
「デシレアといると、食欲が増す」
そのうち太るやも、と苦笑しつつ自分もサンドイッチに手を伸ばしたオリヴェルに、レーヴ伯爵が嬉しそうに微笑む。
「公爵子息は、本当にデシレアを大切にしてくれているのですね。見ていれば分かります」
「むむ。お父様。それはその通りなのですけれど、今おっしゃると、まるで私の食欲全開をも受け止めてくださって、と言っているように聞こえます」
「うん。そう言ったからね」
「お父様!?」
悲鳴のような声をあげたデシレアに、ヴィゴが複雑な目を向けた。
「なあ、デシー。本当に大丈夫なのか?そりゃ、領主様だって伯爵様だけど、子息様はそれよりもっと偉くて金も権力もあるんだろ?婚約披露の時だって、どこかのご令嬢がデシーに突っかかったって聞いたぞ」
「なるほど。やはりヴィゴの<大丈夫>は、そちらの<大丈夫>だったか。それなら安心してくれ。デシレアの事は、必ず私が護る」
デシレアが答えるより先に言葉を発したオリヴェルの言葉に、デシレアは首を傾げる。
「オリヴェル様?<大丈夫>に、そちらもこちらもあるのですか?」
「あるだろ。さっき。馬車の中での俺の<大丈夫か>に、お前は自分が子息様に相応しいかどうかで答えただろうが」
オリヴェルに先んじて、呆れたようにヴィゴに言われるも、デシレアにはぴんと来ない。
「ええと、つまり?」
「子息様を狙っている女は、山ほどいるだろう、って言ってんだよ!」
しびれを切らしたように言われ、デシレアはぽんと手を打った。
「なるほど。ねえ、ヴィゴ。それって、オリヴェル様が女性に人気だから、気にしてくれているってこと?」
「そうだよ。レーヴのみんな、デシーを心配してる。王都にひとり残されて、貴族らしくないデシーが苦労してんじゃないか、って。だって、婚約相手はまさかの公爵子息様だからな。ほんとにその、対等な縁談なのか、とか」
レーヴ伯爵を窺うように言ったヴィゴに、デシレアは目を見開いた。
「みんなが、そんなことを?」
「ああ。言ったろ。レーヴでデシーの幸せを願わない奴はいない、って」
「うん。ありがとう。確かに、王都の邸を売り払って、家族もみんな領地に帰ってしまってから、心細くもあったけど、貴族だって優しい人もいっぱいいるんだよ?それに私は、オリヴェル様の傍に居られるだけで幸せだから、その辺はまったく心配しないで。オリヴェル様が素敵だから、何か言って来るご令嬢もそりゃいるけど、いつもオリヴェル様が助けてくれるし、護ってくれるお蔭で心から安心していられる・・・って、オリヴェル様?どうかしたんですか?」
嘘偽りまったくなし、心配不要、と笑顔で言い切ったデシレアは、片手で顔を覆っているオリヴェルを不思議そうに見るも、反応は無い。
「デシレアが幸せそうで、私も嬉しい。あの婚約披露の時も、メシュヴィツ公爵家の皆様が、お前のみならず私達のことまで気に掛けてくれて。ああ、デシレアは本当に幸せになれると実感したものだ」
「お父様」
「お前には、本当に苦労を掛けた。学院も諦めさせ、年頃なのに茶会も夜会も行かせることが出来なかったうえ、貴族令嬢なのに収益を求めるなどと蔭口まで叩かせてしまった」
しみじみと哀し気に言う父レーヴ伯爵に、デシレアは大きく首を横に振った。
「それはもう、過去のことです。それに、今となっては理解し得ない相手だっただけだと思うことも出来ます」
「しかし、そう悟るまでには随分嫌な思いもしただろう。だがね。私達は、いつも感謝しているよ。そして、だからこそ、もう仕送りはしなくていい」
「え?」
「ずっと、送ってくれてありがとう。父として不甲斐ないことだが、とても助かった。マレーナもミカルも、デシレアのお蔭で飢えることが無かったと、本当に感謝している。そして幸せになってほしいと、レーヴ領の皆と心から願っているよ」
唐突に母と弟の名を出され戸惑うも、だからこそ、とデシレアは思う。
「お父様。だったら、これからも」
「レーヴは、メシュヴィツ公子息の支援で生き返ることが出来る。その目途が立ったからね。これから、デシレアのお金は、自分で好きに使いなさい」
優しく言われるも、納得できないデシレアは、首を振りながら訴え続けた。
「お父様。そんなの寂しいです。私も、家族なのに」
目を潤ませ、言葉を詰まらせるデシレアに、レーヴ伯爵も瞳を潤ませながら、それでもこれ以上の仕送りは必要無いと言い切った。
「それならば、デシレア。これからは、何か贈り物をするというのはどうだ?」
そんなふたりを見つめ、オリヴェルがそっとデシレアに提案する。
「贈り物、ですか?」
「ああ。デシレアが、伯爵のため、伯爵夫人のため、そして弟君のため、とそれぞれ選ぶんだ」
その言葉に、沈んでいたデシレアの表情が明るさを取り戻した。
「それは、素敵ですね」
「だろう?伯爵の、伯爵夫人の、そして弟君の好きな物を知っているデシレアが選んで贈れば、とても喜んでくれるのではないか」
「はい!流石です、オリヴェル様。では、お父様。まずは、こちらのお支払いを私にさせてくださいませ!」
「「え」」
泣きそうな顔から一転。
晴れ晴れとした表情になったデシレアのひと言に、しかしレーヴ伯爵のみならずオリヴェルまでもが固まる。
「今日は、レーヴ領復興、いえ隆盛の大きな第一歩を踏み出した日です。是非、そうさせてくださいませ」
「いや、気持ちは嬉しいが。今日はそれこそ、我がレーヴがメシュヴィツ公子息に多大なる恩恵を受けた日だ。となれば、領主たる私が、礼をするのが妥当だろう」
「私は、そのお礼をすべきお父様の子です。であれば、私がお支払いをすることによって、オリヴェル様のお礼にもなり、親孝行も出来、と一石二鳥ではありませんか」
ほら、効率的、と笑って言うデシレアに、オリヴェルがそっと囁いた。
「確かにそうでもあるが。では、私達から、ということにしたらどうだろう。夫婦になるのだから、片方が、というよりいいのではないか?」
「でも、それでは」
「それとも、デシレアは未だ俺が家族ではないと哀しいことを言うのか?」
「そんなことありません!」
絶対にありません、と力強くデシレアが首を横に振る。
「なら、俺達からということにしよう。俺も、親孝行ができるようで嬉しい」
「本当ですか?」
「ああ。デシレアと一緒に、俺にも親孝行させてくれ」
「では今度、私もメシュヴィツ公爵ご夫妻に何かしたいです」
「もちろん、それも一緒にしよう」
「ありがとうございます、オリヴェル様!」
嬉しそうに言ったデシレアをオリヴェルは心底嬉しそうに見つめ、そんなふたりをレーヴ伯爵は優しく見守る。
「ああ。なんか、俺、ごちそうになるばかりで悪いな」
そんななか、ぼそっと気まずそうに言ったヴィゴに、デシレアが満面の笑みで応えた。
「いいのよ!ヴィゴには、これからたっくさん頑張ってもらうんだから」
「ああ。是非こき使ってくれ!」
そんなデシレアに、ヴィゴも明るい笑顔で返し、その場が笑いで包まれる。
「己から、奴隷的使役を希望するとは」
「いいんだよ!デシーのためなら」
「健気だな。気づかれてもいないようだが」
「あんたには言われたくねえ!つか、デシーを不幸にしたら許さねえからな!」
「それは、肝に銘じておく」
レーヴ伯爵と、楽しく母や弟の話をしているデシレアを遠目に、オリヴェルとヴィゴ、婚約者と幼友達のふたりは、そんな会話を繰り広げていた。
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