四十三、推しと幼友達







「お、オリヴェル様、どうして」


「話は馬車で。急ぐぞ」


「あ、はいっ」


 さっと差し伸べられたオリヴェルの手を借りて、急ぎ馬車に乗り込んだデシレアは、動き出した馬車のなか、ほうっと大きく肩の力を抜いた。


「助かりました、オリヴェル様。ありがとうございます」


「いや。そういえば、予定とは大分違う動きのようだが?確か君から聞いた予定では、今の時間、邸で着替え終わっている筈ではなかったか?」


 きらりと目を光らせて言うオリヴェルに、デシレアは苦笑するしかない。


「そうなんです。想定外のことが、色々次々起こりまして」


「そうか。俺が同席することを、拒んだ罰だな」


「うぐ」


 にやりと笑われて、デシレアは痛い所を突かれたと胸に手を当てた。


「だが、よく頑張った」


「はうぅ。報われます。頑張ってよかった」


「安心するのは未だ早い」


 オリヴェルからの誉め言葉に、へにゃあっと表情を緩めたデシレアだが、その直ぐ後、諫めるように続けて言われ、しゃきっと背筋を伸ばした。


「そうですね。未だ到着した訳ではないですから」


「その前に、もう一仕事だ。ほら、着いたぞ」


「え?待ち合わせのカフェは、もう少し先」


「いいから、ほら。降りるぞ」


 戸惑うデシレアを急かして、オリヴェルは躊躇うことなくその店へと入って行く。


「オリヴェル様、ここって」


 馴染の店なのか『いらっしゃいませ、メシュヴィツ公爵子息様』という声がかかるのを聞きながら、デシレアは店内を見渡した。




 広い。


 それに、凄い品ぞろえ。




 既製品ではあるが、ちょっとした集まりに着られそうなドレスから、普段用と思しきドレスやワンピースなどの他、きれいに飾られた靴やアクセサリーを照明が効果的に見せている。


 客層も、裕福な平民から貴族まで広そうだと思いつつデシレアが見ている間にも、話はどんどん進んで行く。


「店主。すまないが時間が無い。最速で、貴族同士の商談の場に出ても恥ずかしくない装いを整えてくれ。もちろん、彼女に最上似合う物を」


「畏まりました。さ、お嬢様、こちらへ」


「え?え?え?」


 何が何だか分からないまま、デシレアは笑顔のオリヴェルに見送られ、奥へと連れて行かれた。








「お嬢様。お会い出来て、光栄でございます。わたくし、この店を営んでおります、カーリンと申します」


 歩きながらも腰を落とした丁寧な挨拶を受け、デシレアもまたカーリンへ親しく返事をしようとして、ここがオリヴェル御用達、もしくは、オリヴェルが過去、贈り物に選んだ品が数多くある店らしいということを思い出した。




 うーん。


 オリヴェル様の真意は分からないけれど。


 そもそも私をこの店に連れて来た、というのが、ひとつの鍵だと思うのよね。


 私は契約婚約の相手だから、妙に隠す必要も無い、というか、むしろ知っていてもらった方が都合のいい過去。


 つまりはオリヴェル様が、何方どなたかへの贈り物を、自らこちらで念入りに選んで、それらを直接相手の家へ送り届けるようにと、店へ依頼したことがある、ということに他ならない。


 そして、今後もそのようにしたい、という意思表示。


 故に、契約相手である私に秘密にするよりは、知らしめてしまった方が都合がいい。


 というよりは、今回の事で、言わなくとも分かれよということ、なのかな。


 ・・・うん。 


 それかな。


 これぞ契約婚約、っていう気がするし、その方がとっても自然。


 オリヴェル様が、自ら選んで贈り物をしたい、その相手というのが、聖女様一択だとしても。


 


 思い、デシレアは前世で読んだ話を思い出す。




 それはもう、物凄く切ないのよね。


 オリヴェル様は、一心に聖女様だけを見つめ続けるのに、聖女様はぜんっぜん気づかないのよ。


 いくらオリヴェル様ご自身が気づかれないようにしたからといって、あれほど見つめられ、想いを捧げられて気づかないなんて、どうかと思うレベル。


 本当に、なんでかしらと思うわよね。


 


 そこまで思って、デシレアは、はっと気づく。




 で、あるならば。


 オリヴェル様が何方かへと贈った過去の品々を、カーリンさんは知っているということ。


 しかも、送付先によって、相手が誰なのかも容易に特定できてしまう。


 それにそもそも、初めからオリヴェル様が単独でこの店を知っていたというよりは、誰かに紹介されたという方がしっくり来る。


 その誰かとは、誰なのか。


 オリヴェル様に、この店を紹介しうる人物。


 それはもう、オリヴェル様の母君である、メシュヴィツ公爵夫人しか有り得ない、と言えるほど、オリヴェル様と親しい女性はいない。


 だからこそ鮮明に、オリヴェル様にとって聖女様が特別なのだと納得出来るのだけれど。


 ということは、メシュヴィツ公爵夫人もカーリンさんと親しく、オリヴェル様が過去に贈った品についても詳しいこと間違いない、ということ。


 


 メシュヴィツ公爵夫人もカーリンさんも、優しいですね。


 私が、お飾りだと分かっていて尚、この丁寧さ。


 あ!


 ということは、夫人はすべてをご存じ。


 ああああああ。


 気づいていませんでした。




 思いつつも、デシレアはカーリンの気遣いに応えるべく、貴族令嬢然として向き合う。


「ご丁寧にありがとうございます。わたくしは、デシレア・レーヴと申します」


 オリヴェルに、店主、と呼びかけられていた女性、カーリンに、デシレアは心から尊敬の念を持つ。


 その《店主》という言葉は即ち、既に自立して、己を養える利益を得ているということるのだから。


「ああ。本当に漸くお会い出来たという気持が強くて・・・申し訳ありません。由緒ある御家のご令嬢に」


「いえ、お気になさらないで。家名は先祖の力ですもの。カーリンさんこそ、そのお若さでご自分の店を持たれるとは、素晴らし・・・え?今、漸くとおっしゃったの?漸く?わたくしに?」


 歩きながら嬉しそうに言われた言葉に、デシレアは目を丸くした。


 そんな風に言われる心当たりが、デシレアにはまったく無い。


 それはもう、誰かと間違えているのではないかと思うほど。


「はい。ご本人にお会いしないまま、何着かお納めさせていただきました。雰囲気や瞳、髪の色、それにサイズは教えていただきましたけれど」


 そこまで言われて、デシレアは漸くぴんと来た。


「あ!オリヴェル様がご用意くださった」


 オリヴェルの私邸へ住むようになった時、既にクローゼットに用意されていた様々なドレスや靴。


 あれはここで購入したものだったのか、とデシレアは納得した。


「随分、真剣にお選びでいらっしゃいました。よく分からないから、と助言も求められて。とても誠実な方なのだと、皆で驚いたものです」


「え?ということは、オリヴェル様ご本人が?」


 恐らく使用人か誰かに選ばせたのだと思っていたデシレアは、その言葉に驚くも、だから店員がオリヴェルの顔を知っていたのか、とも思う。




 でもそうなると、聖女様への贈り物は?




「左様でございますよ・・・さ、こちらです」


「ありがとうござ・・・わああ」


 着いたその場所は、色とりどりのドレスやワンピースが印象的に並んでいる他、大きな姿見やドレッサーもある明るい部屋で、着道楽ではないと自負しているデシレアでも一瞬で気分が高揚した。


「お嬢様。本当であれば、じっくりとお話をお伺いしてから、お衣装をお選びしたいのですが、時間が無いとのことですので、本日はわたくしがすべて選ばせていただきますね」


「はい。よろしくお願いします」


「では」


 言うや否や、カーリンはするすると移動して、次々と品を選んで行く。


「失礼いたします」


 その間に、どこからか現れた他の店員が、デシレアを着替え用なのだろう絨毯の上へ誘導し、着ている服を脱がせて行く。




 うわあ。


 今日って下着、何を着ていたっけ。


 そこまで可愛くは無いけど、オリヴェル様に恥をかかせることは無い、はず。




 貧乏伯爵家時代だったらこうはいかなかった、とオリヴェルに感謝しながら、デシレアは着せ替え人形と化す。


 着ていた物を脱がされ、新しく選ばれた物を着せられ、靴を履かされ、髪を結われ、薄化粧までもを施された。


「速い、凄い」


 三人がかりとはいえ、素晴らしい速さだとデシレアが絶賛すれば、仕上げとばかり大きな姿見の前に立たされる。


「いかがですか?」


「素晴らしいです!ありがとうございます」




 ほんとに凄い!


 この短時間で、お出かけ仕様に!




「お礼は、公爵ご子息様に」


「もちろん、オリヴェル様にもお礼を言いますが、皆さんにも。本当にありがとうございました」


「こちらこそ、ありがとうございました」


「お気を付けて、いっていらっしゃいませ」


 笑顔で言えば、同じように笑顔で優しい言葉が返って来る。


 それを嬉しく思いながら、デシレアは再びカーリンに導かれ、オリヴェルの待つ場所へと足を進めた。


「ほう。いいな」


 デシレアの姿を見るなり満足そうに言ったオリヴェルに、デシレアは自分の顔が上気するのを感じる。


「ありがとうございます、オリヴェル様」


「ああ。では行こう。店主、世話になった」


「ありがとうございました。お気をつけて」


 カーリンに見送られ、再び馬車でオリヴェルと向かい合って座ったデシレアは、改めて礼をと小さく頭を下げた。


「オリヴェル様、本当にありがとうございました。これで気後れすることなく会合に臨めます」


「どこから見ても立派な貴婦人だ。自信をもて」


「ふおぉ。オリヴェル様ってば人たらし」


 何を言われたのか理解した瞬間、余りの衝撃にデシレアは思わず仰け反ってしまう。


「何だ、その反応は」


「だって、物凄い褒め上手じゃないですか。私、うっかりその気になりましたよ」


「うっかりではなく、しっかり受け止めろ」


 眉をしかめてオリヴェルが言うも、デシレアはいやいやと首を振る。


「だってそれでは、本気ということに」


「むしろなぜ、本気でない前提になっている」


「え?オリヴェル様だから?」


「お前な」


 ぐったりと疲れた様子のオリヴェルに、デシレアは尚も言い募る。


「だって、オリヴェル様ってあんまり女性を褒めな・・・あ!実は口説き上手!?普段、出し惜しみしておいて、それで・・・っ」


「・・・口説き上手なら、こんなことにはなっていないだろうな」


「え?今なんて・・あ!着きました!あのカフェです。あ、父がお店の前に・・・!」


「時間ぎりぎりだからな。心配になったのだろう。行くぞ」


「はい」


 予定外だからだろう。


 メシュヴィツ公爵家の紋章入りの馬車が停まるのを見て、デシレアの父であるレーヴ伯爵が目を白黒させている。


「お父様、お待たせしてすみません」


「あ、ああ、いや、公爵子息。ご無沙汰しております。領の事、本当に感謝申し上げます」


 おろおろしつつも、そこは、流石の伯爵の威厳を取り戻し、しっかりと礼を言う父伯爵を、デシレアは尊敬の目で見つめた。




 それに。


 お父様、お元気そう。


 


 思い安堵していると、今度はオリヴェルが礼を返す。


「こちらこそ、ご無沙汰しております。また、いつも丁寧な礼状と品をありがとうございます」


 店の前ではありながら、ふたりとも和やかな雰囲気で一通り挨拶を交わす。


 それが途切れる頃合いで、デシレアはレーヴ伯爵が足元に置いているトランクへ視線を移した。


「お父様、このトランクに入っているの?」


「ああ、そうだ。自信作だぞ」


「職人さんは、誰を連れて来たの?姿が見えないけれど」


 辺りを見ても見当たらない、というデシレアに、レーヴ伯爵は優しい笑みを浮かべる。


「今、会計をしてくれている。連れて来たのは」


「よっ、デシー。久しぶりだな」


 レーヴ伯爵が言い切るより早く店の扉が開き、軽妙な雰囲気の男がひとり出て来た。


「デシーだと?」


 そして親し気な様子でデシレアの前に当然と立ったその男に、オリヴェルが不機嫌に呟く。


「オリヴェル様。デシーとは、私のことです。ほら、デシレアだからデシー」


「それは、分かる。分かるからこそ」


「デシー、紹介してくれよ。こちらから話しかけちゃいけないとか、色々あるんだろ」


 オリヴェルとデシレアの会話に割り込むように言葉を掛けるも、その表情に悪意はまったくない。


「ああ、うん。オリヴェル様、こちら色硝子職人のヴィゴです。若くて軽い感じですが、腕は確かです。そして、こちらメシュヴィツ公爵家ご子息のオリヴェル様よ、ヴィゴ」


「ヴィゴ、というのか。私は、メシュヴィツ公爵家嫡男で、デシレアの婚約者だ。レーヴ領の色硝子には期待している」


 にこにこしているヴィゴに対し、不機嫌な様子のオリヴェルを気にしつつもデシレアが間に立てば、苦虫を噛み潰したような表情になりながらも、オリヴェルが名乗った。


「ヴィゴ、もうしゃべって平気だよ」


「はじめまして、公爵子息様。レーヴ領へのご支援、いつも感謝しております」


 流石に真顔になって言ったヴィゴに、オリヴェルもそれなりの礼を返す。


「いや、デシレアの婚約者として当然のことだ。私にとっても、レーヴ領は最早大切な土地だからな」


「デシレアは幸せ者だな。この恩を、決して忘れてはいけないよ」


「はい。肝に銘じて」


 そんなオリヴェルの言葉にレーヴ伯爵が深く感動したようにデシレアに言えば、デシレアももちろんと頷く。


「では、馬車へどうぞ」


 そんな四人で馬車に乗り込み、今日の会合場所である件の装飾品店を目指す。


「しかし、デシレアが公爵家のご子息様と婚約するとはな。大丈夫なのか?」


「色々勉強中。大丈夫かと言われれば、自信は未だ無い。今、培っているところ」


「心配せずとも、デシレアはよくやっている。その才能は特に素晴らしく両親も得難い嫁を得たと言っているほどだ」


「ほう。それは有難いことです。デシレアには色々苦労をさせてしまいましたから、幸せになって欲しくて」


「お父様」


「何泣きそうになってんだよ、デシー。デシーの幸せを願わない奴なんて、レーヴには居ない」


 言い切るヴィゴに、デシレアの瞳が益々潤む。


「変わらないな、デシー。見かけは凄く綺麗になったのに、半べそかくと昔のままだ」


「それ、褒めてるの?貶しているの?」


「さあな。子息様、こいつ昔っからお転婆で、貴族令嬢だっていうのに俺達と一緒になって野山を駆け回っていたんです。ほんと、貴族だって忘れるくらい、一緒にいました」


 少し懐かしむ目になったヴィゴを、オリヴェルが鋭く見遣るもデシレアは気づかない。


「もう、ヴィゴ!そんなこと、オリヴェル様に言わなくていいじゃない!」


「お。もしかして、ご子息様の前では猫被ってんのか?何十匹?」


「そんなに必要無いもの。せいぜい二、三匹くらい?」


「被ってんじゃねえか」


「あっ。オリヴェル様、今のはその」


「猫。デシレア。俺とふたりきりの、あの状態でも、猫を被っているのか?」


 オリヴェルが意味深に言葉を切って言えば、ヴィゴが僅かに眉を寄せた。


「あの状態?」


 そしてそのヴィゴの前、オリヴェルの隣で、デシレアがそわそわと落ち着きを失くす。


「ああああ、あ、オリヴェル様!あの状態とは、あの状態のことで、でっ、ですか?」


「それ以外に何がある。そんなに焦らなくともいいだろう。ん?」


 焦るデシレアは、オリヴェルが殊更に醸す甘い空気にも気づけないが、デシレア以外にはしっかりと伝わって、レーヴ伯爵は少々複雑ながら優しく見守る目を、ヴィゴはあからさまにならないぎりぎりで、不機嫌に唇を噛み締めている。


 そしてひとり、見当違いな焦りを募らせていくデシレア。


 あの状態。


 オリヴェルが匂わせているあの状態と、デシレアが焦っているあの状態とは違うもの。


 本人であるデシレアが、その場に居るにも関わらず気づかないうち、とある熾烈な戦いの火蓋が今、切って落とされた。


 



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