二十六、その時、王城では ~オリヴェル編~
「オリヴェル。本当にもう、すっかり元気なようね。王城で薬を盛られたと聞いた時は、なんて間抜けなと心配もしたけれど、後遺症も無いようでなによりだわ」
「かなり強い薬だったからな。抜くのに苦労しただろう」
言葉とは裏腹、とても楽しそうな両親を前に、オリヴェルはげんなりした。
何も今日、来なくてもいいだろうに。
オリヴェルが、薬を盛られて数日。
事件の当事者ということもあり、色々後処理に追われたオリヴェルではあったが、現行犯で主犯のローン侯爵が捕らえられていたこと、オリヴェルが瞬間移動で自邸へ戻った後、王城へ残った父公爵の動きが早かったことで、それほど大きな問題が起こることもなくすべては収束した。
オリヴェルに、少しの瑕疵も無いよう動いてくれた、そんな父に感謝しているし、母にも心配をかけただろうとは思う。
だが今日は、デシレアとゆっくり過ごす筈だったのに。
はあ。
絶対に、帰宅時間までも計算して来たのだろうな。
早期に収束したとはいえ、この三日ほど朝はいつもよりずっと早くに出、邸に帰るのは真夜中過ぎという生活を強いられた。
以前であれば気にもならない期間ではあるが、今のオリヴェルにはデシレアがいる。
無理にもオリヴェルの時間に合わせて、見送ろう、出迎えようとするデシレアからは、今もオリヴェルの体調を案ずる気持ちがひしひしと伝わって来て、オリヴェルは嬉しくも申し訳ない気持ちになる。
それでなくとも今回の件で、デシレアには心臓が止まるほどの驚きと心配、その上多大な迷惑までもかけた自覚のあるオリヴェルは、なるべく早くきちんと礼がしたい、本当に元気になったと安心して欲しい、と何とか今日、普段の仕事も
そのすべては、それらをデシレアと共に楽しんで、ゆったりとした時間を過ごすため。
使用人からばれた、か。
約束をしていないがために不安ではあったが、王城からの帰りにデシレアの工房へと向かい、運よく戸締りをしているデシレアを拾うことが出来た。
これは幸先がいい、と喜んだオリヴェルだったが、屋敷に帰って間もなく、両親がふたり揃って『良い鴨が手に入ったから』などと、ふざけた事を言いながらやって来るという、思いもしない事態に遭遇してしまった。
オリヴェルと共に帰宅したばかりだったデシレアは『メシュヴィツ公爵ご夫妻のご訪問・・・』と呟き、一瞬気が遠くなったようではあったが、混乱しつつも手際よくふたりを迎え入れ、お茶の支度の指示を出していた。
「オリヴェル。いいお嫁さんを貰ったわねえ」
一度動き出せば、てきぱきと判断し指示を出す、そんなデシレアを見ていた公爵夫人の言葉は、オリヴェルも嬉しいものではあったが、そこでふと疑問が湧いた。
「母上。急なご訪問は、俺への嫌がらせかと思いましたが、もしやデシレアを試すためですか?」
「違うわよ。確かに、デシレアの女主人ぶりを見て安心はしたけれど、貴方がいそいそ面白いことをしているって聞いたからに決まっているじゃない」
「はあ。やはりそうでしたか」
きっぱりはっきり言い切られたオリヴェルは、ため息を吐きつつ応接室への廊下をゆっくりと歩く。
「オリヴェルってば、そんなにも残念そうな顔をするなんて。よほど、デシレアとふたりきりが良かったのね。何だか、初めて貴方への悪戯が成功した気分。オリヴェルのそんな顔が見られるなんて、長生きはするものね」
「未だ未だ、これからでしょう」
「ええ、もちろん。可愛い孫たちに囲まれる幸せを、存分に味わうのだもの。ああ、楽しみだわ」
うっとりと言う母、公爵夫人に、オリヴェルは苦い顔を向けた。
「・・・・・それ、デシレアには言わないでくださいね」
「跡取りを早く、なんて、重圧をかけることはしないから安心して」
「絶対ですよ?」
「はいはい。絶対に言いません」
茶目っ気たっぷりに両手を軽くあげて見せる母に、オリヴェルは本当に大丈夫だろうかと疑念を抱く。
跡取りを早く、とは言わずとも、早く孫と遊びたいとは言いそうだな。
「安心なさい。鴨が手に入ったのも本当だから。デシレアに、とびきりおいしい鴨をごちそうするわよ。時間のかかる幾つかは、調理済みの物を持って来たし、もちろん、こちらで自由に調理できる物も用意したわ」
デシレアとの婚約が、契約だなどと口が裂けても言えない、と頭が痛いオリヴェルに何を勘違いしたのか、公爵夫人がそう言った。
「鴨の心配はしていませんよ」
「まあ、そう言うな。本当に良い鴨だから、ゆっくり味わおう。それに、お前が薬を盛られた件での私の働きぶりも、デシレアに話ししてやらねばならないからな」
「不要です」
「何を言っているの。どうせ貴方は、碌な説明をしていないのでしょう?」
「お前は、優秀なくせに口下手だからな。詳しい説明は、この父に安心して任せるがいい」
「はあ」
「ふふふ。デシレアも、鴨が好きって言っていたから、絶対に喜んでくれるわ。今晩は、貴方が薬を盛られた話を肴に盛り上がりましょうね。あ、もちろん、泊めてね」
嬉々として言う父と母を前に、オリヴェルはもう一度深い溜息を吐いた。
「デシレア、鴨のお味はどう?」
「はい、とてもおいしいです。コンフィも、ローストも。この辛みとも凄く合って」
オリヴェルとデシレア、それにメシュヴィツ公爵夫妻で囲む晩餐のテーブル。
そこに並ぶのは、公爵夫妻持参の鴨料理と、同じく持参された鴨肉含めた様々な食材を、オリヴェルの私邸の料理人が調理した料理の数々。
「ふふふ。良かったわ。ところでね、デシレア。オリヴェルが間抜けにも薬を盛られた時のお話、どの程度聞いているのかしら?」
「間抜けで悪かったですね」
「まあ。機嫌の悪いこと」
「誰のせいですか、誰の」
「あ、あの、わたくしが聞いたのは、犯人はローン侯爵であったということくらいで、詳しいことは何も」
ああ、いけない。
デシレアが、俺と母上の板挟みになってしまう。
分かっているのに、いつものように上手く立ち回れない。
ゆったりとワインを口に運び微笑む母が、悔しいくらいに動揺しない。
いつもなら、心理的に俺はもっと楽でいる筈なのに。
いつもなら、俺の方が主導権を握っているのに。
否、分かっている。
俺が、いつになく母を喜ばせる心理状態となっているだけだ。
だが、仕方が無いじゃないか。
予定では今頃、デシレアとふたりで過ごしたいた筈なのに。
こんな事なら、いっそ何処かに寄ってくれば・・・っ。
「そうか。何処かに寄ってくればよかったのか」
ぼそりと呟いたオリヴェルに、メシュヴィツ公爵夫妻が楽し気に見つめ合って、微笑んだ。
「聞きました?あなた。あのオリヴェルが」
「ああ、確かに聞いた。情緒が漸く育ったようで、デシレアには感謝だな」
「あの、すみません。オリヴェル様が薬を盛られた件のお話は?」
ぽんぽん飛んでいるようにしか思えない話の内容に、デシレアが戸惑った声をあげた。
「おお、やはり真相を知りたいか」
「はい。お聞きしたいです」
メシュヴィツ公爵に問われ、デシレアは深く頷きを返す。
「ではオリヴェル。まずは貴方が話ししてあげなさい」
それは決定事項だと言わぬばかりの公爵夫人に、オリヴェルが反対の声をあげた。
「母上。俺は、デシレアには聞かせずとも良いと判断しました」
その、きりりとしていながら、何かを惑う表情に、公爵夫人が隙ありと攻め込む。
「まあ。それはなぜ?他の女性と何も無かったとはいえ、貴方に盛られたのが、媚薬だったからかしら?」
「び、媚薬!?あれって媚薬だったのですか!?オリヴェル様、本当に大丈夫なのですか!?後遺症は!?」
公爵夫人の言葉に、デシレアが飛び上がって驚き、オリヴェルへと向き合った。
「大丈夫だ。もう何の心配もない。君の中和剤のお蔭でな」
「でも媚薬なんて・・・どうして。でもそれでは、犯人の目的は、オリヴェル様の苦しむ姿を見ることでは無かったのですね」
「・・・オリヴェルの苦しむ姿を見る?デシレア、それはどういうこと?」
公爵夫人に不思議そうに問われ、デシレアこそは首を傾げる。
「夫人は、最初から媚薬だと聞いていたのですか?私は、神経興奮剤のようなものを盛られたと聞いていて」
「神経興奮剤。そうね、それも間違いではないわね。けれど、デシレア。貴女は、その薬を盛られた状態のオリヴェルと対峙したのよね?」
「はい。瞬間移動で、わたくしの部屋へいらっしゃいましたから。呼吸がとても苦しそうで、お身体も凄く熱くて。それが、時間を増すごとに酷くなっていって」
本当にお辛そうでした、と純粋な、それこそ自分こそが辛そうに伝えるデシレアに、公爵夫人は大きなため息を吐いた。
「それだけの症状に気づいていて、その症状を治める手早い方法があるということが分からない、とうこと?では、本当に薬だけで対処したのね。手早い方法の部類は何もせず」
「当たり前ではないですか。未だ婚約期間なのですよ?」
心底残念そうな母にオリヴェルが言い切るも、夫人は楽しそうに微笑むばかり。
「まあ。耳が赤いわよ、オリヴェル」
「っ」
「あの」
「ローン侯爵はね。オリヴェルに強い媚薬を盛って、自分の娘と関係を持たせようとしたの。その責任を取って婚姻、というのが狙いね」
「っ」
「安心しなさい。すべては、私が完膚なきまでに潰しておいたから」
息を飲むデシレアに公爵は優しく微笑みかけ、その視線を毅然とした公爵のものへと変えて、真っ直ぐにオリヴェルへ向けた。
「だが、何があったのか、デシレアも知っておいた方がいいだろう。オリヴェル、きちんと説明しなさい」
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