十、推しへとランチを運ぶなら
「料理を運ぶ鞄、ですか?」
その日、平民街にある<ブロルの工房>を訪ねたデシレアは、怪訝な顔で問い返す相手、ブロルに何枚かの図面を差し出した。
「ええ、そう。こんな風に中が幾つかに分かれていて、お料理を盛りつけたお皿・・・もちろん、上に布は被せるのだけれど・・それごと運べるようになっていて」
オリヴェルの元へ昼食を届けることになって、デシレアが欲しいと思ったのは、デリバリーバッグ。
もちろん、この世界にそのような物は存在しないので、欲しいと思ったら作るしかないが、残念ながらデシレアにそのような技術は無いので、ならばとこうして工房を訪ねている。
ブロルさん、すっごく怪訝な顔をしている。
分かりづらいかな?
そもそも料理を何処かへ運ぶなんて風習が無いから仕方ないけど、でも、この図面で何としても理解して造ってもらわないと。
何といっても、オリヴェル様の昼食事情がかかっているのだもの。
自分で描いた図面というのが
残念ながら、保温や保冷といった技術も無い世界なのでその要素は取り込めないが、ただ単に食事を運ぶ為の物なら作れる筈だ、と門外漢ながらデシレアは確信している。
料理を運ぶ鞄と聞いて、今デシレアの目の前で怪訝な顔をしているブロルのように、オリヴェルもまた、驚いたり忌避したりする可能性もあるが、容器に料理を入れ、布に蜜蠟を塗ったラップを施していけば衛生的でもあるし、容器を耐熱のものにすれば王城で温めることも出来ると説明すれば、納得してもらえるとも思っている。
でも、ラップのことはオリヴェル様以外には言わなくてもいいと思うのよね。
そもそも、実際に使うのは私達だけなのだし。
というか、説明しても分かってもらえる気がしない。
この世界にはラップもなければ、ラップのように容器に密着させて何かを保存するという発想も無い。
それを懸命に説明したところで、実物を見せない限り実感もわかないだろうというのがデシレアの結論だった。
そして、これから作ってもらうデリバリーバッグ自体がオリヴェル専用なのだから、他の人間が知る必要もないとデシレアは判断し、ブロルにはただ食器には布を被せるとの説明で済ませた。
そうよ。
オリヴェル様専用だから、説明は不要。
それに、デリバリーバッグを作ってもらうだけのブロルさんには、ラップの説明をしたって迷惑なだけよ。
などと誰に対してともなく言い訳していると、ブロルが食い入るように見ていた図面から顔をあげた。
「なるほど。これがあれば色々な料理を皿ごと運べる、ということですね」
「そうなの。どうかしら?ブロルさん、出来そう?」
ブロルは、主に冒険者相手に武具と防具以外だったら何でも作る、街の何でも屋さんとして親しまれている工房の主。
デシレアも、菓子工房の雇われ主として街の工房主の会に参加することがあるため顔見知りで、その端正な顔立ちと品ある佇まいは、平民とは思えないと街娘たちにとても人気だが、当のブロルは何とも思わないのか、いつも平然と対応している。
確かに、素敵なひとよね。
オリヴェル様には敵わないけど。
ひとり勝手な事を思いながら、デシレアはブロルの返事を待った。
「これは、材質を選ぶのが難しそうですが、着想がとても面白いですね。内部の造りも、工夫がされていて興味深いですし。分かりました。造ってみましょう」
「お願いします」
「はい、お任せください。それにしても、凄い物を思い付きましたね。私など、この様な物は考え付きもしません」
心底感心したように言われ、デシレアはゆるく首を横に振った。
「いえいえ、そんな。必要になった、と言いますか、あったらいいなと思ったものですから」
出されたお茶で口を潤し、デシレアは今更ながらに取り繕い、出来るだけ令嬢然とした笑みを浮かべる。
でもまあ。
デリバリーバッグについて必死に説明しちゃった後だから、もう無駄かもしれないけど。
内心冷や汗ものでちらりとブロルを見れば、彼はデシレアよりも図面が気になるらしく、デシレアの心配はただの杞憂に終わった。
これも、杞憂って言うのかな?
大丈夫だった、というよりは、まったく気にされていない、という状況に首を傾げながらも、未知の製品だからか、わくわくとした感じを隠す様子もなく、きらきらした瞳で早速素材について呟き出したブロルを、デシレアはほっとした思いで見つめていた。
それから僅か三日。
ブロルから製品が完成した、と連絡を受けたデシレアは、驚きのままブロルの工房を訪ねた。
「随分、早かったですね」
もっと時間がかかると思っていた、と言うデシレアを、ブロルは満足そうな笑顔で出迎えた。
「楽しくて、夢中になって造ってしまいました。本当に素晴らしい発明ですね、これは・・・っと。ああ、すみません。まずは、気に入るかどうか見てみてください」
興奮冷めやらぬ様子で言いかけ、はっとしたように呼吸を整えたブロルは、掛けてあった布を丁寧に外した。
お、岡持!
ビニールという素材が無い以上、唯一代替となりそうな革で作るのは難しい、というか匂い的に無理だろうとは思っていたし、バスケットのように上部が開くのではなく、前部がまるっと開くようにして欲しい、とも言った。
ファスナーという便利グッズも無いのにそう言ったので無理もない話とはいえ、目の前にあるのはどう見ても岡持。
金属製。
しかも、何だか凄く可愛い。
「デシレアさん?駄目、でしたでしょうか?」
自信があったのだろう。
岡持を見た瞬間の、デシレアの反応を見たブロルの瞳が翳った。
「あ、いえ・・・凄く可愛いからびっくりして・・・開けてみていいかしら?」
「もちろんです」
ブロルの許可を得て、デシレアはまずそっとそれを撫でる。
岡持仕様ではあるが、全体的に丸みを帯びたフォルムは優しく可愛いし、全面に柔らかな色で鈴蘭が描かれていて、それが更に可愛さを引き立てている。
鈴蘭。
鈴蘭は、デシレアにとって特別な花。
それをブロルが知る筈も無いのに、と思いつつデシレアは岡持を持ち上げた。
しっかりとした金属で出来ているようなのに、見た目に反して然程重くなく、デシレアの手にもとても馴染む。
そしてデシレアの希望通り、前部は開閉可能となっており、内部も幾つかの段に分かれていて、しかもその段の高さや区切りは変更可能な造りになっている。
「完璧だわ」
「中に入れた料理が斜めにならない工夫、というのも頑張ってみました。後は、使ってみて、何かもっと要望や改良点があれば教えてください」
ブロルに言われ、デシレアはうっとりと鈴蘭柄の可愛い岡持を見つめた。
「ほんとに可愛い。それにこの間仕切りがあれば、ほんとに色々なお料理を運べるわ。ありがとう、ブロルさん」
「お気に召してよかったです。それで、デシレアさん。もしこれを他の人が作って欲しい、と言って来た場合なのですが」
きりりとした表情になって言うブロルに、けれどデシレアは首を傾げた。
「他のひとが?これを欲しいなんて言うひと、いるかしら?」
そんなひとは居ないのでは、と言うデシレアにブロルは真顔で頷く。
「デシレアさんは、これを持ち歩くのですよね?となれば、間違いなくそのような事態になるかと思いますので、きちんと取り決めをしておきたいのです」
「ああ・・・なるほど。つまりは、著作権とか、そういう」
ブロルの言葉に、デシレアは遠い目になった。
デシレアは菓子を作るのが好きで、商品開発をするのも好きだ。
しかし、権利、というものに関してはまったくの無知。
英雄ケーキを作る際も、許可が必要だろうな、と思いつつアストリッドに丸投げしてしまった過去がある。
「もしかして、苦手、ですか?」
デシレアの様子から察したのだろう、ブロルが苦笑してそう言った。
「はい」
憚ることなく大きく頷いたデシレアに、ブロルが笑みを深くした。
「では、ご婚約者のメシュヴィツ公爵子息に同行をお願いして、話し合いをするというのはいかがでしょう?」
困り顔のデシレアにブロルが出した案。
それに、デシレアの顔がぱあっと明るくなった。
「はい!そうします!」
そして、そう言ってから苦い笑みを浮かべた。
「そのお話・・・婚約のことをブロルさんが知っている、ということは、結構な噂になっている、ということですよね?」
恐らくは平民であろう街の何でも屋さんであるブロルが知っている、というその事実にデシレアは顔が引き攣る思いがする。
「いえ。噂、になっているかどうかは知らないのです。申し訳ありません」
「え?」
噂になっているかどうかは知らないのに、婚約の事実は知っている?
そういえば確かに、婚約者、って断定していたから、噂を聞いたわけではないということ?
それは一体どういうことなのか、問おうとしたデシレアは支払いの話となって、すべての意識をそちらへ持っていかれた。
「では、今度はオリヴェル様・・・メシュヴィツ公爵子息様と一緒に参りますね」
「はい。お待ちしております」
そうして支払いを済ませたデシレアは、ブロルの見送りに会釈で応え、受け取った岡持を持って揚々と歩き出す。
この岡持ほんとに可愛くて、性能良さそうで、使うのが楽しみ。
それに、どうしてブロルさんがオリヴェル様と私の婚約を知っているのか謎だけど、権利の話はオリヴェル様にしてもらえるから良かった。
お邸に帰ったら早速・・・・って、ちょっと待って。
ということは、オリヴェル様のお手を煩わせるということになるじゃないの!
平民街から貴族街へと続く、賑やかな道の真ん中で。
その事実に遅まきながら気づいたデシレアは、布に包まれた岡持を抱き締めて戦慄した。
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