十一、推しに願いを







「あのう、オリヴェル様。少々ご相談したいことがあるのですが」


 <ブロルの工房>を訪ねた日の夜。


 岡持を自室に待機させたデシレアは、夕食の席でおずおずとオリヴェルに声を掛けた。


「なんだ?」


「後で、お部屋に伺ってもいいですか?」


「ここでは言えないことなのか?」


 途端、胡乱な目になったオリヴェルに、デシレアは大きく手を振った。


「ふ、不審なことではありません!・・・たぶん」


「多分?」


 ぎり、と睨むような目で見られ、デシレアはその身を小さくする。


「実物を見てもらわないと、何とも」


「かるかんか?」


岡持おかもちです」


 問われ、するっと答えてしまったデシレアだが、それでオリヴェルに通じる筈も無く、傍に控えるノアやエドラ、リナまでもが不思議そうな目をしている。


「分かった。食事を終えたら、話を聞こう。それで、婚約披露の件なのだが」


 かなり不審であろうに、オリヴェルはデシレアにそう答えると、何事も無かったかのように話題を変えた。


 そうして始まった婚約披露の準備の話は、契約であるふたりにとって業務連絡のようなものである筈なのにとても和やかで、デシレアはとても幸せな気持ちになった。








 推しとの楽しい会話とか、食事とか、毎日ご褒美を貰っているみたい。


 私ってば、前世でそんなに徳を積んだのかな?




 夕食を終え、オリヴェルとの楽しい会話を思い出しながら、足取りも軽く部屋に戻ったデシレアは、そこに鎮座している布の塊を見て、足も思考も急停車するのを感じた。


 その布の固まりの正体、というか中身はくだん岡持おかもち


 忘れていたわけではないが、オリヴェルとの会話が楽し過ぎて思考から消えていた。


 否、それを忘れていたというのか、とデシレアはため息を吐く。


「面倒かけちゃうなあ」


 岡持自体は怒られるものではないと思うものの、権利についての話し合いにオリヴェルを引っ張り出してしまうことが申し訳なく、デシレアは無能な自分を情けなく思う。


「でも、私には無理なんでお願いします」


 それでも、選択肢はそれ以外に無いという事実は変わらないと、デシレアは岡持を大事に抱え、オリヴェルの部屋へと向かった。








「それで?これがその<岡持おかもち>か」


 ふたりきりのオリヴェルの部屋。


 惜しみなく燃料を使っているストーブのお蔭で部屋は充分に暖かいはずなのに、何故か背筋が寒くなる思いでオリヴェルに岡持の説明を終えたデシレアは、まるで審判の時を待つかのように畏まった。


「はい」


 はじめ、てっきり菓子を持ち込むと思っていたらしいオリヴェルは、岡持を見て大層驚いていたが、デシレアの説明を聞いた今では、興味深そうにその構造を確かめている。


「なるほど、ここに皿ごと料理を入れて運べるわけか。ある程度平衡を保て、仕切りを変えればそこそこ大きさの違いにも対応できる、と。しかし、埃がするのではないか?それに、途中で何か混入しないとも限らないだろう」


 衛生面に問題があると言うオリヴェルに、デシレアは内心狂喜した。




 そうよね!


 そう思うわよね!


 そう思ってこそ、オリヴェル様よ!




 物語できれい好きだと描かれていたオリヴェルは、現実でもかなりのきれい好き。


 そんなオリヴェルを最近間近で見ているデシレアは、流石という思いでいっぱいになった。


「仰ると思いました!ですが、ご安心ください。そうならないよう、蓋をするのです」


「蓋か。なるほどな。しかし、かなりの場所を取るだろう。料理そのものよりも場所が必要なほどなのではないか?」


 懸念するオリヴェルが岡持の高さを実際に計り始めるのを見て、デシレアはにんまりと笑った。


「ふふ。違いますよ、オリヴェル様。蓋と言っても、見慣れた”あれ”ではありません」


 そこで、邸でも使われているような、高さのあるクローシュを思い出しているのだろうオリヴェルに、デシレアは小さく指を振る。


「違う?しかし、料理に使う蓋といえばあれしかないだろう?」


 それ以外で何かあるのか?と、不思議そうに首を傾げるオリヴェルに、然もありなんとデシレアは頷いた。


「確かにそうなのですが、それだと場所も取ってしまいますし、重さも増してしまいます」


「ああ。だから先ほどから、それがかなりの懸念材料だと」


「はい、流石ですオリヴェル様。ですのでラップ・・・じゃなかった、布に蜜蝋を塗った物を使います」


「布に蜜蝋を?」


「はい。それを使うことで、埃や異物混入は防げます」


「そのような物は初めて聞くが、熱い物にそれで蓋をすれば、蜜蝋が溶けてしまうのではないか?」


 不思議を越えて不可解なのか、その眉を思い切り寄せてのオリヴェルの問いに、デシレアは微笑んだ。


「確かにそうですが、私はそこまで熱いものを運ぶつもりはありませんので、問題ないです。温めるのは、王城でできますし」


 たとえストーブを使う季節が終わっても厨房がある、と思うデシレアにオリヴェルが鋭い声を放つ。


「それでは駄目だ」


「え?」


 同時に厳しい瞳を向けられ、デシレアはぴくりと固まった。




 だ、だめって。


 なんで?


 どうして、だめ?




 最初から、料理を適度に冷ました後に運ぶつもりでいたデシレアは、オリヴェルの強い否定に目を見開く。


「ああ、強い言い方をしてすまない。だが、熱いものにも対応できるよう、蜜蝋を塗ったその布・・・それは、何という名だ?」


「あ、蜜蝋を塗った布ラップ、です」


「その、蜜蝋を塗った布ラップについては、改良しよう。それがあれば、蓋の高さを考えることなく運べるのだろう?」


「はい。それなら、場所は取りません。器に張り付くので」


「なに?蓋が器に張り付くのか?被せるのではなく?それは一体、どういう」




 ですよねえ。


 言われても、想像つきませんよねえ。


 私も実物を見ないと分からないだろうな、とは思っていたんですけど、こんなに早く説明することになるとは思っていなくて。


 岡持が出来上がって来てからで充分、なんて考えていたんですよ。


 それがずれたのは、ひとえに権利の・・・。


 いえ、何でもありません。


 言い訳ごめんなさい。


 不手際お許しください。




 器に張り付く蓋とはなんぞや?と、じっと考え込むオリヴェルを見つめ、岡持おかもち」と同時に、蜜蝋を塗った布ラップも完成させておくべきだったと反省しつつ、デシレアは、なるべく早く作ろうと決めた。


「出来るだけ早く、そちらも作ってお見せします」


 そこはもう、百聞は一見に如かず、である。


「頼む。それで?この岡持おかもちも、その蜜蝋を塗った布ラップも、君の案なのか?」


 じ、と群青の瞳に見つめられ、デシレアは視線を彷徨わせる。


「私の案、というか、お、思いつき?というか」


 前世の記憶です!


 と言う訳にもいかずデシレアが困惑していると、オリヴェルがずばりと尋ねた。


「誰かの案を君が採用した、ということではないかと聞いている」


「誰かの案」


 それは前世の誰かの案、とまたも悩むデシレアにオリヴェルが近づく。


「誰かがこういうものが欲しいと言った、もしくは呟いた物について、君が実際に作成を依頼したのか、と言っているのだ」


 噛み砕くように言われ、デシレアはふるふると首を横に振った。


「それは違います。その、閃くきっかけはありましたが、誰かの話とかではありません」


「ではこれは、君の頭のなかで考えられたもので、君とこれの作成者以外これのことは知らない、ということでいいだろうか?」


「あ、はい。それは」


 前世の記憶が元とはいえ、今現在この可愛い岡持のことを知っているのは、自分と実際に作成したブロルだけだとデシレアが頷けば、オリヴェルも鷹揚に頷きを返す。


「実際の作成者と、権利の話はしたか?」


 そして言われた言葉に、デシレアは流石と言いたくなった。




 っていうか、こういう時は権利が付き物、ってことよね。


 私が考え無さ過ぎなだけで。




『お金稼ぎたい、って割に抜けているわよねえ』


 遠い目になったデシレアは、そう言った時のアストリッドの、呆れたような表情を思い出す。


「いいえ、未だです。実は、それをオリヴェル様にお願いしたくて。私は、そういったことに疎くてですね。ブロルさん・・・あ、岡持の作成をお願いした工房の主さんなんですけど・・・も、オリヴェル様に相談、というか、話し合いそのものをお願いした方がいいだろうと言ってくれていまして」


 


 要は、丸投げしたいです!


 よろしくお願いします!




 そう目に力を込めてデシレアが揉み手状態で言えば、オリヴェルが首を傾げた。


「権利に疎い?しかし君は、既に菓子関連で幾つか契約もしているし、当然権利を有しているだろう?」


 あの英雄ケーキ然り、とオリヴェルに不思議そうに言われ、デシレアは、あははと虚ろに笑う。


「全部、アストリッド様にやっていただきました」


 開き直り、そういった手続きはすべてアストリッド任せだと言えば、オリヴェルが虚を突かれたような顔になった。


「それは・・・ニーグレン公爵令嬢が悪人でなくてよかったな」


 そして苦いものを噛んだように言われ、デシレアは自棄のように胸を張る。


「はい!そして、オリヴェル様も崇高な方と信じております!」


「だから、権利の話は俺に丸投げする、と」


 眼鏡の細い縁を持ち上げながら楽しそうに笑ったオリヴェルが、ぽん、とデシレアの肩を叩いた。


「分かった、任せておけ。それに、ブロルなら信頼できるから、そもそも問題は無い」


「お知り合いなのですか?あ、もしかして魔王討伐の時に何か」


 腕がいいとはいえ、街で冒険者相手の工房をしているブロルと、公爵家嫡男であるオリヴェルの関わり。


 それは何だろうと考え、魔王討伐の際に何か依頼したのか、と思いついたデシレアの額を、オリヴェルが、つん、とつついた。


「はずれ。ブロルとはもっと昔からの知り合いだ」


「もっと昔からの」


 鸚鵡返しに言ったデシレアに、オリヴェルが頷く。


「あいつは、伯爵家の三男だからな。家同士の付き合いもある」


「なるほど、それで・・・って、ええ!?ブロルさんて貴族なんですか!?道理で言葉遣いとか所作とかきれい・・・わあああ。それなのに、かんっぜんに平民の方と話すようにしてしまいました~」


 ブロルのことを平民らしくない、と思いつつ、そのことに思い至らなかった、と頭を抱えるデシレアを、オリヴェルは楽しそうに見つめた。


「気にすることはない。そういう扱いを受けることが分かっていて、あの場所で工房を開いたのだから。まあ、あいつの生家はフォシュマン伯爵家だがな」


「はう~。我が家よりずっと格上ではないですか」


 伝統も実績も財力もある家名を聞き、貧乏伯爵家である自分の家より凄かった、そんな相手にあんな言葉遣いを、とデシレアはがくりとくずおれる。


「楽しい反応だな。ブロルにも教えてやろう」


 こうなると分かっていて、態と言ったのだろう。


 蹲ったデシレアのつむじをつんつんとつつき、オリヴェルが楽し気に笑う。


「オリヴェル様、底意地悪いです」


 じと、とデシレアが睨み上げれば、更に楽しそうにオリヴェルが笑みを深くした。


「権利の話、しなくていいか?」


「よくないです!是が非でもお願いします!」


 がばっ、と立ち上がり、デシレアは咄嗟にオリヴェルの腕を引く。


「必死だな」


「だって、本当に分からないので!」


 だからお願いします、と頭を下げたデシレアの頭を、オリヴェルがぽんぽんと叩く。


「しかし、本当に叩きやすい頭だ。癖になる」


「いつでも提供しますので、お話し合いの方、よろしくお願いします」


「二言は無いな?」


「ありません!」


「俺もだ。安心しろ」


 ふっ、と笑ってそう言ったオリヴェルは、細い眼鏡の縁を、くい、と持ち上げた。



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