第2話
(誰よりもお優しい。この人以上に優しい人を私は見たことがない)
幼い頃から城の中で働いてきたソフィア。
ソフィアは第一王子であるヨハン王子以外のご兄弟にも接した事があるし、城に訪れた貴族達にも給仕した事がある。
メイド長に比べれば経験は浅いが、それでも十年の間メイドとして働いて、ここまで国民に寄り添った王族はいないと思っていた。
そんなヨハン王子に仕えていることが、更にソフィアの誇りと責任に磨きをかける。
ソフィアは笑顔で茶葉が入った缶を手に取った。いつもヨハン王子は紅茶を二杯飲む。二杯目の準備だ。
慣れた手つきで二杯目を用意していれば、
「二杯目はいつものを淹れてくれるかい?」
と言われ、ソフィアの手が止まった。
茶葉の缶を見つめたまま、ヨハン王子に視線を向ける事なく、「かしこまりました」と言う。
声は普通だっただろうか。
不安に駆られる。だが、ヨハン王子は特に指摘することはなかった。
「お砂糖は小さじ1、ミルクは小さじ2でお間違いないですか?」
「あぁ。それで頼むね」
「はい」
紅茶はストレートで飲む方だったのに。
ストレートで飲む方が茶葉の良さを感じ取れる、ミルクや砂糖を入れるのは邪道だと、お優しい方が苦言を漏らすほどに紅茶に関しては強い意志を通してきた方だったのに。
ソフィアはゾルティド領の茶葉が入った缶から、ワゴンの端に置いてあった缶に手を伸ばす。
カップと同じく青い缶の中にも茶葉が入っていた。
ゾルティド領のものよりも、甘い、蜂蜜に似た匂いがする。
「この紅茶は蜂蜜に似た匂いがするよね」
「はい」
今回は匂いに関して同じ感じ取り方をしていた。
コポコポコポ。室内にまたもお湯を注ぐ音が響く。
ヨハン王子は目をつぶり、音を楽しむかの如く少し口元を緩ませた。いや、きっと匂いも楽しんでいるのだろう。
カップに蒸した紅茶を移し、缶と同じく端に置いておいたミルクと砂糖を入れてスプーンで混ぜながら彼の顔を覗き見る。
ヨハン王子は読んでいた書物を閉じて待っていた。
「お待たせしました」
「ありがとう」
そう言ってカップを受け取るヨハン王子は、一杯目よりも嬉しそうで。
ミルクを混ぜた紅茶は牛乳のせいで茶葉本来の匂いがしないだろうに、彼は匂いを堪能する。口に含んだ際も、幸せそうに瞳を細めた。
ソフィアはワゴンに置いてあった軽食をトレーに乗せ、それもヨハン王子の前に出す。
「本日はクッキーを焼きました」
「真ん中の赤いジャムが綺麗だね」
「ありがとうございます。お口に合うといいのですが」
紅茶がストレート派だったように、ヨハン王子は甘い物が苦手な人だった。
軽食はいつも砂糖不使用のビスケット、もしくはチーズを挟んだサンドウィッチが定番で。
砂糖たっぷりのイチゴを煮詰めたジャムを使用したクッキーなど、甘い紅茶の口直しにもならなければ、引き立て役にもならない。
なのに。
「大丈夫さ。マーガレット嬢のクッキーで大分甘い物に慣れたからね」
そう言って、ヨハン王子はクッキーを口にした。「うん、甘くておいしい。紅茶にあう」と言う時の顔は嘘偽りがない。
本音そのものだということは、長年の付き合いだからこそわかった。
ソフィアは一杯目で使ったカップをワゴンに戻す。
ワゴンの上にはヨハン王子愛用の皿に乗ったチーズサンドウィッチがあった。
「三杯目は出せる?」
「お待ちいただけるのであれば。ご用意しますか?」
「いや、僕が飲みたいんじゃなくて」
「?」
「ソフィアに飲んでもらいたいんだよ」
ソフィアは片付けの準備に入っていた。
これもいつものルーティーン。朝、ヨハン王子に紅茶と軽食を出したらドアまでお見送りをする。その後に部屋の掃除、洗濯、新しい服の用意……等々をこなすのだ。
だから抽出するために使った茶葉を捨て、片付けにとりかかっていればヨハン王子から声がかかる。ソフィアは彼の提案に「またいつか飲ませていただきます」と答えた。
「ソフィアはこの紅茶を飲まないよね」
「そんなことないです。前に一緒に飲んだじゃないですか」
「貰った最初の一回目だけだろう? それにその時はミルクも砂糖も入れなかった」
「紅茶はストレートが好きなんです」
「甘い紅茶も美味しいよ。特にこの紅茶は甘くした方が美味しい」
幼い頃からの旧知の仲だから。
王子とメイドという関係性ながら、飲食を共にすることが多々あった。
この茶葉をお土産に頂いた時もそう。共に飲み、共に感想を言い合った。
“紅茶にミルクと砂糖を入れるのかぁ”
試飲した時のヨハン王子の表情が容易に思い出せる。
茶葉を渡されて、おすすめの飲み方を言われて、苦笑いしたのも思い出せる。
(ストレートの方がやっぱ好きだなぁと言っていたのにね)
最後の一枚であるクッキーを口にして、紅茶を綺麗な動作で飲んだ今のヨハン王子とは、かけ離れた過去の姿だ。懐かしい。甘い紅茶に文句を言わなくなったのはいつからだろうか。
甘い紅茶を好むようになったのはいつからだろうか。
「そうだ。メイド長から聞いたのだけど、ソフィアは今日の披露宴には出れないんだって?」
「仕事が立て込んでおりまして。それに私は使用人ですから。披露宴に着ていくドレスもありませんし」
「ドレスくらい僕が用意するのに。ソフィアには今までお世話になったんだから、お礼として贈ったよ」
「そのお言葉だけで十分ですよ。ありがとうございます」
尚も片づけをしながらソフィアはヨハン王子と会話をする。
ワゴンの上は種類によって分別されていた。その方が片づけやすいし、煩雑と置いていると見た目が良くないからだ。
紅茶の缶も二つ、並べて置いてある。ソフィアはゾルティド産の茶葉ではない、二杯目に淹れた缶を手に取った。
ピンク色の可愛らしい缶。甘くして飲みなさい!、と缶すらも主張してくる。
ソフィアはそれをゾルティド産の缶の奥に置いた。視界に入らないように。
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