私の王子は優しくない

あずま もも

第1話


 ソフィアはヨハン王子のメイドだった。

 だがその他のメイドとは一線を画しており、特別な立場のメイドである。

 というのも、彼女はヨハン王子の養育係の実子。ヨハン王子と血こそ繋がらないものの兄妹のように育ってきた。

 日本で言うなら乳母子めのとごに近い。

 幼い頃からヨハン王子の身の回りのお世話をするのはソフィアの習慣であり、日常であり、特別であった。



「ヨハン様のお支度をお手伝いするのも今日で最後になりますね」



 ソフィアがヨハン王子の身支度を整えつつ、そう話しかけた。

 彼にこうやって話しかけられるのも、ソフィアの特権だった。幼い頃から兄妹のように育っている旧知の仲だからこそ、身分を超えて普通の会話が出来る。

 ヨハン王子もソフィアに話しかけられるのを当たり前だと思っているので、何一つ嫌な顔はしない。



「そうだね。君が明日からいないと思うと寂しいよ」

「そのようなお言葉ありがとうございます。私は城の中にはいますから、何かあればお申し付けください。すぐに参ります」

「はは。頼もしい」



 どちらも笑顔が絶えない。

 朝からヨハン王子の気分がいいのを見ると、ソフィアも気持ちが良くなる。

 彼は穏やかな性格。寝起きも良く、朝早くに身支度を整えられても文句など言わない。むしろ「いつもありがとう」と言うほどだ。彼は誰に対しても心配りが出来る、優しい王子だ。



「腕、失礼します」



 身体を動かしてもらい、服を一つずつ着付けていく。

 皺も汚れも何一つない真っ白なシャツ。その上に赤いベスト、更にはジャケットを重ね着。

 ベストとジャケットは同じ赤でも深みの違う色で、隣り合うことでお互いを引きたてる。

 施された金糸の刺繍はさりげなく、でも彼が王族であると称えるには十分な出来。

 ヨハン王子専属の仕立て屋は、彼の人となりをしっかりと理解している。ヨハン王子には今日の服もよく似合う。

 


「ブローチをお付けしますね」



 針を肌に刺すことのないよう、最新の注意を払って胸元へ付ける。

 宝石をあしらった、王家の紋章入りのブローチ。それをつければヨハン王子の完璧が究極に進化した。

 ソフィアはブローチが傾いてないか確認すると、最後にヨハン王子に着つけた服を優しく上から下へ、二度ほど手で撫でつける。

 着るときに出来た凹凸をなくすためだ。

 幼い頃、ヨハン王子はこの動作をくすぐったいと言って毎回逃げてたな、と昔のことを思い出した。

 良い思い出だ。その思い出と比較すれば、ヨハン王子は背丈や顔つきが成長するだけでなく、立ち振る舞いもまさしく王子らしくなった。



「ヨハン様。今日の紅茶はいかがされますか? 以前気に入られておりましたゾルティド領の紅茶を手に入れましたが……」

「珍しい。あそこの茶葉が手に入るなんて。流行り病で作り手がいなくなり農場を閉鎖したと聞いていたのに」

「生き残った方たちで農場を復活させたそうです。村おこしの一環もかねて」

「なるほど。では一杯頂こうか」

「はい。かしこまりました」



 ヨハン王子がいつもの椅子に座るのを見届けると、ソフィアはワゴンへと向かう。

 手に取ったのは青いカップとソーサー。ポットに茶葉を入れ、用意してあったお湯を注ぐ。ゾルティド産の紅茶はお湯を注いだ時はスパイシーな香りがし、カップに移した時はフルーティーな香りに移行するのが特徴だ。

 

 鳥のさえずりが聞こえる朝早い時間。

 静かな室内にソフィアがポットからカップに紅茶を移す音が響いた。

 ヨハン王子がその音を聞き、ゆっくりと目を閉じる。

 そんな彼の横顔にもまた、ソフィアは心の中で感嘆のため息を吐く。



「お待たせしました」

「ありがとう。ん?」

「どうかされましたか?」

「以前、飲んだ時と少し匂いが違うような」

「私にはわかりませんでした。どうされますか? 違う茶葉にでも、」

「いや、このまま頂こう」



 ニコッと聞こえてきそうな笑顔。

 ヨハン王子は自身の鼻先にカップを持っていくと、指摘した紅茶の匂いを確認してそう言った。

 慌ててソフィアもポットにて残り香を確認する。だがソフィアにはヨハン王子の言う違いがわからない。

 新しい茶葉を用意しようと動き出せば、目で制される。

 ヨハン王子はもう一度匂いを嗅ぐと、ゆっくりと口にした。



「うん。味は変わらない。美味しいよ、ソフィア」


 

 その言葉にホッと安堵する。良かった。

 別にヨハン王子に好みではない紅茶を淹れたことで咎められる、とかそんな理由で安心したわけではない。ソフィアが仕事を全うしたいからだ。

 ヨハン王子の毎朝のルーティーン。それを担う人物として、ヨハン王子には常に気分よくいて欲しい。

 人間は朝から良い気分であれば一日の良いスタートを切れるし、逆であれば最悪なまま一日が締めくくられる。たかが紅茶、されど紅茶。

 ソフィアはヨハン王子の身の回りのお世話に誇りと責任をもって臨んでいる。



「僕は前の匂いも好きだったけど、この匂いの方が万人受けするかも。茶葉は余ってるかい? 今度、城でパーティーがあるからその時に振る舞ってほしい」



 そしてその誇りと責任はヨハン王子が王子然としての行動を取ることによって、心を満たしてくれる。

 ソフィアはヨハン王子の言葉に「かしこまりました」と返事をした。



「よろしくね」


 

 ヨハン王子はそう言うと、紅茶を飲みながら書物を読み始めた。

 ゾルティド領は依然、流行り病で多くの死者を出した場所。生き残ったのは数人だと聞く。産業の担い手がいなくなり、財政はひっ迫しているとも。

 ヨハン王子は以前よりゾルティド領のことを気にかけていた。

 領民は苦しんでいないだろうか、何か出来ないだろうか、と。



(いつだってお優しい方)



 この国では王子はまだそこまでの権力も権威も持っていない。

 介入できるまつりごとなどごくわずか。

 だが王子は何もせず、ただ指をくわえているようなことはしたくないお方なのだ。

 パーティーでこの茶葉を振舞う、ということは、この茶葉が貴族の間で有名になれば良いとのお考えなのだろう。

 良い取引先が見つかれば領の名産品となり財政は快復。雇用も生まれ、領民の暮らしは今より良くなるはず、と。

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