空橋天使

第5話 空橋の様子がおかしい

 あの時はまだ、中庭に桜が咲いていた気がする。


 「お前ら、ちゃんと復習しろよ。マジでひどかったから」


 現代文の教師が、前回行われた小テストを返却している。


「有田浩二、井上修哉…………相馬加奈、園崎久留美、空橋そらはし……天使てんし?」

「先生、違うってジェルの名前。エンジェルだよ」

「あ、ああ悪い空橋、エンジェ

「――気にしないでください……うわ、点数やば! っていつものことか〜!」


  俺はいつか、確かにそんな会話を聞き流した。でも、本当は気づいておくべきだったんだ。




 坊主の告白を邪魔した翌朝、俺たちは校門前で挨拶運動という名の風紀チェックをしている風間をみんなで下の名前で呼んでみようという話になり、集まっていた。


 誰もあいつを名前呼びしているところを見たことがない、もしかしたらうまいこと動揺させられるかもしれないのだ。これでアイツの顰めっ面を崩すコツが掴めれば、エロいことさせて風紀を乱す作戦に繋げていくこともできるだろう。


 そんなわけで、学校へ続く並木道の校門より少し手前で作戦会議をしている。


「いや〜なかなかいいと思うぜ、その作戦。アイツのこと美紀みきって呼んでみたいわ」


 中村が悪い笑みと共にサムズアップしてきた。発案者は俺なのだ……ってどうでもいいわそんなこと。


 側から見たら俺、完全に陽キャの一員みたいになってる……。


 絶え間なく通り過ぎる生徒達。


 他の学年の生徒達はそもそも俺のことをよく知らないので完全にスルーしているが、同じクラスや去年クラスが一緒で俺を知っている生徒達には、必ず二度見されている。


 一回目は「あいつら何やってんだ?」みたいな眼差し。


 そして二度目は「ファッ!?」という目を大きく見開いた、まるでツチノコでも発見したかのような驚愕の表情である。あの、こんなとこいてすみません……。違うんです、別に陽キャ化したとかそういうんじゃなくて……無意識に心の中で何度も謝ってしまう。


 なんか身体がムズムズするな……非常に居心地がよろしくない。


「どうする? みんなで一斉に美紀ちゃん! って呼んでやる?」


 銀髪ショートボブの彼女……いい加減名前は覚えた思岩志帆おもいわしほは両手を平らな胸の前でぐっと握って興奮した様子を見せている。他の一軍の皆さんも大体そんな感じの様子だ。


 ただ、一人を除いて。


 あの明朗快活な空橋の様子がおかしいのだ。元気がなさそうにずっと俯いている。


 俺の作戦が気に入らなかったのだろうか。だとしたら申し訳ない。


「そんじゃ行こう」


 俺がそう言うと中村があ、と何かに気づいたような声を上げた。


 他の陽キャの面々がどうしたと尋ねると、彼は道の向こうに見えている風間かざまを凝視しながら提案した。


「あのさ、俺たちもお互いを名前呼びした方が違和感がないんじゃないか? こちらが一方的に美紀って呼ぶだけだと、あの風紀委員長のことだ、多分相手にしてくれない」


 確かに、一理ある。陰キャ的には結構メンタル削られるが、ここはやるしか――



「ジェル、どこいくの!?」



 一つの足音と共に、思岩おもいわの叫び声。


 突然、空橋そらはしが走り去った。


「何やってんのジェルー!」

「おーい、どしたんよ」


 学校と逆側だ、陽キャ達の声のクソでかい声は確実に耳に届いているはずなのだが、彼女はそれらを振り払ってひたすらに足を前に送り出している。


 突然のことでみんな動揺を隠せない。周囲の生徒達も何事かと空橋の背中と俺達を交互に見つめている。


 そして並木道を曲がり、ついに空橋の姿は見えなくなった。



 ……待て、冷静になるんだ。



 この作戦を考えたのは俺だ、だからきっと俺に原因がある。


 彼女は集合した時からずっと暗い面持ちだった。


 でも、それだけでこの作戦に原因があるとは言えないだろう。彼女にも友人とのいざこざとか、家庭のこととか、体調とか、いくらでも気分が落ち込む要因は考えられる。


 だが、作戦について話し合っている最中――中村が提案をしたその直後、空橋はこの場を去った。


 中村が提案したのは……あ


「ちょっと俺見てくる!」


 気づけば咄嗟にそう叫んで走り出していた。


 背後から声をかけられる。


「おい佐々木、荷物!」


 そこには、こちらに手を差し出した金髪パーマの一軍男子。


 確か名前は横山だったか……。


 リュックを持っていてくれるのだろうか、多分そうだろう。普段人と会話しなさすぎて、省略して言われるとすぐに察することができないのが情けない。


 背中をからリュックを降ろしてみると、重たいはずのそれは風船みたいにまるで重さを感じなかった。


 横山に丁寧に手渡す。


「ありがとう」

「おう……重たっ」

「あ、ごめんやっぱ……」

「いいから行けって」


 預かってくれるということはつまり、空橋のことを任せられているという証拠。


 相手が陽キャであるとか関係なしに、こうやって誰かに信頼される感覚が新鮮だった。


 その高揚感と、空橋に対する焦燥感が入り混じるなか、全力で走りだす。


 いつかのアイツの、冷め切った声音を思い出してしまったから。




思岩志帆おもいわしほ


 横山に言われて、佐々木が走り出した。

 

 一心不乱に並木道を駆けていく。


 佐々木真事……最近私らのグループに加わった(?)男の子。あまりに影が薄くて、関わるまで存在を認識していなかった。


 でも、あんな奴でも意外と面白いこと考えてるんだって思った。


 だからとりまノってやるかって感じだったんだけど……全力でジェルを追うあいつの後ろ姿を見て気が変わった。


 変わっちゃった。


 そんなにジェルが心配? それとも好きなの? まぁ、どっちでも良いんだけどさ、そんな不器用で真っ直ぐな姿見せられると私……それ全部自分に向けさせたいって思っちゃうんだよね。


 久しぶりに見たよ、あんなに誰かのためにすぐに身体が動く人間。


 私の周りがそうなだけかもしんないけど、普通高校生ってもっと冷めてるって。


 自分は自分は他人は他人って感じでさ。


 ってなわけで、恨むなよ佐々木真事。私はあんたに執着する。


 その必死な姿を、私のためだけに見せて?


 


 


 


 


 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る