第8話 (第1部・完)
・地球から人類が消滅するまであとマイナス1時間――宇宙船<シャトル> アーク
チアキは、大型のビジョンに写された地球を見る。
太陽の光を受けて輝く地球は、青かった。
大きく、青い惑星だ。
人類が生まれた故郷星だ。
海から生まれたものが海に還っていくように、青い星から生まれた生物たちは、やがてこの星に還っていくのだろうか。
1時間前までいたのに、今は……こんなに遠い。
帰りたい、と。
呼吸すら忘れてしまいそうになる。
懐かしさは穏やかな感情ではない。
胸をえぐり、差し迫る。
激しい喪失感に、ずるずるとチアキは座り込んだ。
冷たくもない奇妙な床の質感が旅愁を駆り立てる。
『今』を否定して、帰りたいと願う。
チアキの目は地球から離れない。
心は、もっと恋々としている。
帰れない、と知っているから、帰りたい。
「必ず、帰ってくる……から」
チアキは呟いた。
「きっと、もう一回。
だから……」
言葉にならない。
別れは告げたくない。
地球に人類が住めなくなったのは、自分たちのせいだった。
誰もが『王』になろうとして、地上では争いが続いていた。
恒久平和を求めて、地球を立ち去ることが決定されたのだ。
誰のものにもならない、誰のものでもある地球。
そんな精神論を受け入れてしまうほど、人類は疲弊していた。
そして、地球はもっとくたびれていた。
「……」
スッと自動扉が開き
「人工睡眠の準備ができました」
地球は音もなく消えた。
チアキはゆっくりと首をめぐらす。
ショウが立っていた。
気の毒なものでも見るように、黒尽くめの青年は微笑む。
「この船の目的地である惑星CA-N。通称『カナン』は、美しい星です。
地表主義の方の多くが移住先に選び、あなたのご両親もいらっしゃいます。
きっと気にい……」
「本来の『カナン』の空は何色なんですか?」
ショウの言葉をさえぎって、チアキは尋ねた。
地表主義が好む惑星は、<エデン>の中で最も美しい<エデン>だろう。
かけがえのない故郷星に、よく似た環境が整っているだろう。
「マゼンダです。
もっとも、『カナン』も<エデン>の一つですから、住居区では地球と同様の色となっています」
「マゼンダ色」
チアキは大きく息を吐き出す。
息を吸い込むための準備だ。
泣いたりはしない。
これは別れではないのだから。
立ち上がる。
惑星CA-Nの空を想像してみる。
エリアJ‐Hで見た空のように、おわん型のマゼンダ色の空。
マゼンダ色の空の下の世界は、何色をしているのだろう。
きっと、今までと違う色の世界だ。
「毎日が朝焼けで、夕焼けだ……。
楽しみです」
チアキはポツリと言った。
「きっと気に入ると思いますよ」
ショウは先ほどの続きを言った。
どんな星も、地球の代わりにはならない。
でも、惑星CA-Nは二番目ぐらいにはなるだろう。
「どうして<リープ>直前に、地球を見せてくれたんですか?」
絶対、ホームシックになるの、わかってるだろうに。
興奮状態での<キャスケット>の使用は危険だ。
あくまで人工的な睡眠なのだ。
精神安定剤を無理やり投与することも可能だが、そのことが人権保護団体に知れたら、何かと問題になりそうだ。
「法の下で約束された権利です」
ショウは淡々と言う。
「お仕事、大変そうですね」
「自分で選んだ職業です。
やり甲斐を感じています。
……それに、私は地表主義の意見を尊重しています」
「どうしてですか?」
チアキは眉をひそめた。
宇宙時代となった今、地表主義は前時代的で、役立たずだ。
この生き方も考え方も、自分のものになってしまったから、変えるつもりはないけれど、自分の子までそうなるのは、少しかわいそうだと思う。
「あなた方は、天国に程近いからです」
「宗教的ですね」
意外な答えに、チアキは何とか答えを返した。
「哲学的なつもりです。
ところで、心の準備は終わりましたか?」
「あ、はい!」
沈んでいた心は、話をしているうちに、だいぶ浮上してきた。
未練はたらたらとしているが、チアキにとっては身近なことだった。
これから一生をかけて、後悔していくことになるだろう。
故郷との離別。
一生悔やんでいても、誰も文句は言わないはずだ。
「残念ですね」
「は?」
「どうぞ、こちらです。
次にあなたと話すのは、672時間後。
惑星CA-N到着48時間前です」
「はあ」
ショウの後をついていきながら、チアキは相槌を打つ。
隣の部屋には、真っ白な繭のような人工睡眠機械が何台も設置されていた。
アークは<シャトル>の中でも、比較的小さいサイズらしいが、乗員2名は予想外だろう。
かぱっとふたの開いている<キャスケット>が一台あった。
チアキは講習会で習ったとおりに、<キャスケット>の中に横たわる。
『棺おけ』と呼ばれる理由がわからなくもない。
薄暗く、ほのあたたかい、狭い空間。とても居心地が良い。
このまま二度と目覚めなくてもいい、と感じる。
ずっと、ここにいたい。
自然にまぶたが重たくなる。
意識がとろんと溶けていく。
ポタージュのようにとろけていく。
「惑星CA-Nの通称を決めたのは、あなた方です。
『カナン』は約束の地。
地球由来の古い宗教で、重要視された地の名前です。
特定の神をあがめることをしない地表主義の方々が、何故その名を選んだのか。
あなたなら、解けるのでしょうね」
「……え、決め。やくそ……く……?」
きちんと言ったつもりなのに、舌が回っていない。
耳に届いた言葉は、我ながら不明瞭だった。
「目覚めたら、どんな夢を見ていたか教えてください。
では、良い夢を」
まっすぐと歩いていた。
どこまでも続くような道を、潮騒を聞きながら、若い娘は歩いていた。
永遠の暁の中、約束の場所を目指して。
ただ、まっすぐと歩いていた。
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