第7話
・地球から人類が消滅するまで、あと52分――宇宙港<ポート> JS‐ポート
世界でも有数のポートであるJS-ポートは、海の上にある。
穏やかな海と呼ばれた海域に、どーんっとある。
開発当初、住民はこぞって反対した。
景観を損ねるためだ。
税金の無駄遣いと言われ続けたそこに、チアキは到着した。
ハセガワ家の人間には、縁遠そうな場所だったが、仕方がない。
逆らうほどの理由もなければ、根性もなかった。
チアキは、一階の自動扉前で歩いてきた道を振り返り、それから周囲を見渡した。
最後の機会だと思うと、どれも輝いて見える。
潮の香りも、波の心地よい音も、二つの境界線のない青も。
眼前に広がる狭い海に、時間が迫っていることを忘れてしまう。
「海だ」
胸のうちに、言いようのない喜びが湧き上がってくる。
懐かしい故郷に帰ってきたような気がする。
チアキの生まれた場所は、山もなければ、海もない、舗装された地面があるだけの商業都市だった。
この間、下見に来たときは感じなかった気持ちだ。
一度、遠くへ行ったから気がついた。
海が目の前に存在している。
今にも『ただいま』という言葉がこぼれそうだった。
海から生まれた生物は、海から切り離せない。
いつまでも、ここにいたいと思った。
でも、時間は残り少ない。
チアキは約束の履行のために、のろのろと自動扉をくぐる。
ゲート付近に、黒服の男がいた。
かっちりとしたブラックスーツに、革靴。
撫でつけてある髪まで黒いから、本当に黒尽くめだ。
「お待ちしていました」
良く見ると、まだ若い。
20代半ば……と言ったところだろうか。
エリートだ。
「市民番号J‐S‐213509です」
チアキはデイパックからIDカードを取り出す。
手の平サイズの端末機に磁気ディスクを通すと、ピーッと音が鳴る。
何度聴いても慣れない音に、チアキは眉をひそめる。
「初めまして、チアキ・ハセガワさん。
ショウ・ヨコヤマです」
読み取りの終わったIDカードは、チアキに返される。
「あなたで最後です」
「……遅刻はしていませんよね」
チラッと腕時計を確認した。
約束の時間まで、まだ30分もある。
「余裕を持って出立する人が多かったので、予想外でした。
どうぞ、こちらです」
ショウは淡々と言う。
「あ、はい」
チアキは、黒服の男の後を追う。
見送りにポート内に入ったことはあるものの、ゲートの先は踏み込んだことがない。
はぐれたら、迷子になる。
……これだけ人がいないと、はぐれようもないけれど。
仮にはぐれたとしても、ショウ・ヨコヤマが見つけ出して、きちんと目的地まで連れて行ってくれるだろう。
「あの……、その……いえ、すみません」
「質問等あるようでしたら、お答えいたします」
「いえ、その。
あのですね。
わたしで最後なんですか?」
「はい」
「罰とか、受けるんでしょうか」
「いいえ。
罰則の規程はありません」
「もし遅れたら、どうなっていたんですか?」
「事前に通達してあるように、IDカードで所在地の確認をしていました。
規定F‐2の基準を満たした場合、強制執行するだけです。
制限時間以内に到着しない……つまり、遅刻も異常行動の一つです。
あと10分遅ければ、迎えに行きました」
「……お仕事、大変ですね」
公務員なんてなるもんじゃないな。
いくら名誉がついてくるとはいえ……と、堅苦しい青年の背を見ながら、チアキは思った。
「市民の皆様は、物分りがよく助かっています」
二人は直通エレベーターに乗り込む。
エレベーターはガラス張りで、JS-ポートの全体が見える。
海に浮かぶ泡のような島だった。
思ったよりも小さい。
いや、地表から離れていっているために、そう感じるだけだ。
指紋をベタベタとつけながら、チアキは外を眺める。
「ご存知でしょうが、確認のため今一度説明をいたします。
この説明は法律で定められているものです。
よろしいでしょうか?」
「はい」
チアキは背筋を伸ばして、ショウを見上げる。
「外を見たままでもかまいません。
静かに聴いていただければ、問題はありません」
「ヨコヤマさんは、優しいみたいですね」
「私は、地表主義を尊重しております」
ショウに淡々と言われ、チアキは途惑う。
あまり嬉しくなかった。
社交辞令やお世辞にしか取れない。
チアキは、複雑な心境のまま外を眺める。
「このエレベーターを出た後は、地球法は無効になります。
替わって、銀河標準法が適用されます。
地球から<リープ>に入るまでの間、親族であっても連絡を取り合うことが禁止されています。
また<リープ>中は、人工睡眠……俗に<キャスケット>に入っていただきます。
期間は、特に問題がなければ、銀河標準単位で720時間の予定です。
期間中は栄養点滴によって体を保持します。
この方法は安全かつ効率がよく、宇宙航行では一般的な――」
ショウは宇宙旅行の基本を説明していく。
何度も講習会に通い、耳にたこができるほど聴かされた話だった。
「――それと、<リープ>直前に一度だけ、地球を見ることが可能です。
希望しますか?」
「え?」
話の締めが、講習会とは違っていた。
チアキはショウを見た。
「希望者の方だけです」
「希望します!!」
「わかりました。
話は以上です。
……、プライベートな質問をしてもかまいませんか?」
チアキは首を縦に振った。
「資料を拝見させていただきました。
何故、あなたは2週間前に乗船しなかったのですか?」
「ギリギリまで、地球にいたかったから……ですけど。
地表主義、で。
書類に不備でもありました?」
チアキはビクビクしながら言った。
やましいことは一つもしていない……つもりだ。
どこかで、何か失敗をしているかもしれない……けど。
「いえ、受理されたからこそ、あなたは今日まで自由に動けたのです。
書類に問題はありません。
ただ……、故郷へ帰るわけでもなく、自暴自棄な行動をするわけでもなかった。
仮に誰よりも、地球に愛着があったとして、あなたが2週間丸まる使うとは考えられませんでした。
せいぜい3日遅れで、友人やご家族と合流すると踏んでいました。
手元の資料から考えた推論にすぎませんが……。
もしかして……。『地球最後の一人』になりたかったのですか?」
ショウは言った。
新しい現象を発見した科学者のような目で、青年はチアキを見る。
条件反射的に、ジリッと半歩下がって、距離をとってしまう。
「ヨコヤマさんがいるので、『地球最後の二人』になるんじゃ」
チアキは困惑し、笑顔になる。
別に『地球最後の一人』になりたかったわけではない。
たまたま、結果的になっただけだ。
それよりも――。
スーッとエレベーターの扉が開いた。
金属製の床がシャトルまで続いている。
視界に飛び込んできたむき出しの配管に、留まりすぎて重苦しくなる空調の空気に、チアキは息を呑む。
映像ディスクのままの内部だ。
本当に、これから宇宙へ出るのだ。
取り返しのつかない場所まで来てしまった……。
「これより外は、銀河標準法です」
ショウはエレベーターを降り、手を差し出した。
「ようこそ。
地球最後の人類、チアキ・ハセガワさん」
映像ディスクのワンシーンのように、ショウは言った。
チアキは一歩踏み出した。
銀河標準暦127年12月31日 12:00 地球上から人類は消滅。
前年8月12日に施行された『地球並びに地球の全ての動植物の権利に関する条約』通称『地球保全法』により、地球外の移住すべて完了。
これより、地球は<ヘブン>となる。
生きた人間の24時間以上の滞在は禁止され、人類の墓標となった。
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