第6話

・地球から人類が消滅するまであと117分――エリアJ-Tの中心地近く


 チアキは腕時計を見る。

 見間違いをしないように配慮された24時間計は『117』となっていた。

「あれ?」

 前に見たときは『09:57』と表示されていた……。

「2時間切ると、こんな風になるってことか。

 時限爆弾みたいだな」

 大差ないのかもしれない。

 ゼロになったら、爆発するかもしれない。

 その可能性も、なくはなかった。

 腕時計を支給したお役所が短気じゃないことを祈るのみだ。

「どっちでもいいか。

 とりあえず、何か飲み物っと」

 道端に設置してある自動販売機に近寄る。

    キュルリィ  リィィャン

 機械特有の起動音と共に、本体がパッと発光する。

『いらっしゃいませ。何をお求めでしょうか?』

 愛想の良い自動販売機は、好感の持てる女性の声で話す。

「えーと……」

 ズボンのポケットから電子貨幣<カード>を取り出しかけて、しまいなおす。

 334時間前だか、333時間前の、つまりは2週間前から<カード>は使えなくなっているのだ。

 人類は減少傾向にある。

 お金のやり取りは、意味のないものになってしまった。

 少なくとも、この地球上では。

 貨幣経済の破綻間際の苦肉策。

 チアキはデイパックのポケットから、IDカードを取り出す。

 表面の盛り上がった英数字は『J‐S‐213509』。

 チアキ・ハセガワを意味する英数字だ。

 下6桁が数字だけで構成されているのがちょっとした自慢だったりする。

 自動販売機のスロットにIDカードをスキャンさせる。

『チアキ・ハセガワ様ですね』

 初対面の機械に名前を呼ばれる。

 くりかえしても慣れないものは、世の中に五万とある。

 きっとこれを考えた政府のお偉いさんや、人権保護団体さんは、親切のつもりだったのだろう。

 市民番号で呼ばれるほうがマシだったと思う。

 文句をつけようにも、考えた人たちはお空の上なのだ。

 つけようがない。

「んー」

 ふと思い立って、缶ビールのスイッチを押してみる。

 生真面目なチアキはこれまで買ったことがないが、<カード>で購入できるはずのものだ。

『エリアJ-Sの法令で、20歳未満の方にはお売りできません。

 ご了承くださいませ』

「うわっ、スゴイ!

 自販機全部、IDカード式にしちゃえばいいのに。

 社会問題一つ片付くし」

 感心しながら、チアキはアイスウーロン茶のスイッチを押す。

『お品物になります。どうもありがとうございました』

 チアキの腰の辺りで自動扉が開き、缶のウーロン茶が出てくる。

「冷たっ!」

 缶を受け取ると、チアキは再び歩き出す。

 自動販売機はシュンと音を立て、休止モードに入る。

 手の平で缶の冷たさを楽しんだ後、プルタブを上げる。

 気温、湿度共に調整された都市部は、軽い運動に適していない。

 少し動くと、うっすらと汗をかくのだ。

 喉も乾く。

 トイレが近くならないのは、幸いだろう。

 350mlの缶をグビグビと飲み干す。

「熱中症になったら、どうするんだろ?

 …………ごちそうさまっと」

 チアキは道端に設置された、小型の半円形のフォルムを持つ機械に向かって、空き缶を投げる。

 空き缶は、チアキの期待を裏切って、明後日の方向に飛んでいってしまう。

 が、小さな機械――都市部小型清掃機械は起動して、伸縮式のアームで空き缶をキャッチする。

 それを横目で見ながら、チアキは足を進める。

 この世界は人間がいなくても、管理されている。

 食べるものも困らず、寒さを知らず、お金も存在せず、身分や階級もなく、優劣もない。

 理想郷とは、こんな世界を指すのかもしれない。

 人間を介在しないからこその……。

 チアキは大きく息を吐き出した。

 複雑な気分になる。

 目的地まで、あと少し。

 鈍くなりがちな足を叱咤激励する。

 旅行には出発と到着があるのだ。

 留まることはできない。

 必ず、目的地へ向かう。

 それが約束なのだ。

 この選択をしたのは自分なのだから、と弱くなっていく心を励ます。

 太陽の向かう先とは逆方向を、まっすぐと歩く。

 海に向かって、ひたすら歩く。

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