第3話

・地球から人類が消滅するまであと24時間――エリアJ‐H


 手つかずの自然を遺そうとして、遺せなかった場所に若い女はたたずんでいた。

 カーキ色のジャケットの下にコットンシャツ、インディゴ色のジーンズ、スニーカー。明るいオレンジのデイパック。と、旅行者らしい姿だった。

 やや軽装といえなくもないが、都市部に向かうならば関係がない。

 この季節、珍しくもない旅行者らしい旅行者だった。

 気軽な一人旅のような雰囲気の若い女――チアキ・ハセガワは、どこまでも広がる大地で大きく息を吸い込んだ。

「ひっろーい! 大きーい!!」

 声の続く限り叫ぶ。

 肌を切るように吹く風が、ありきたりなメゾソプラノをのせていく。

 誰もいない、どこまでも広がるパノラマを、チアキは見つめ続ける。

 あるのは空と、雪の落ちた草原だけだった。

 空が青い。

 流れる雲との対比が痛いぐらいに、澄んだ青だった。

 生命を拒絶する砂漠のど真ん中で見る空と同じくらいに『青い』と思った。

 それは哀しいけれど、不幸ではないように思えた。

 この世界で一番美しい空を見上げている。

 原初の地球には劣るだろう。

 人類が初めて見上げた空には、敵わないだろう。

 だけれども『今』これ以上の青空は知らない。

 19年間生きてきた中で、一番キレイな空だった。

 だから、チアキにとって最高で、最上の空だった。

「……誰もいない」

 当たり前のことをつぶやいた。

 ほんの2、3週間前なら、観光客でにぎわっていたのかもしれない。

 ここは有名な観光地だった。

 J-Hへ来るための特別列車のチケットは一月待ちが当たり前で、発売と同時に売切れてしまうのだ。

 特等席のために、半年前や一年前から待つ人種もいたぐらいだ。

 今日、チアキは特別列車の特等席に座って、ここまで来た。

 チケットは予約していなかった。

 プレミアもののチケットを買うお金なんて、チアキは持ち合わせているはずもない。

 乗れたのは偶然。乗ってきたのも偶然。

 こんな状況で観光をしようと思う人間なんていない。と、多くの人間が考えた。

 常識というものは、その程度の認識で作られる。

 その結果、チアキは乗れてしまったのだ。

 常識を破ったつもりはない。

 保守的で、内向的で、優柔不断なチアキは、ギリギリの土壇場だからこそ、追い詰められるように決断したのだ。

 消去法と差異はない。

 長いかもしれない人生の最大で、最後のチャンス。これを逃したら、もう二度と機会がないかもしれない。

 そんな理由で、生まれて初めての旅行に出たのだ。

 後悔はじわじわとしているが、決断まで後悔はしていない。

 貴重な思い出づくりだ。

「ありがとー!!」

 チアキは叫んだ。

 面と向かったら気恥ずかしくて、とてもじゃないけど言えないこと。

 『誰か』が聴いている可能性もなくはなかったが、見えてない人間はカウントしないことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る