第23話 希望と絶望の選択肢

 カイムの前で怒りと憎しみと、希望と絶望と、あとは……もう、とにかく数えきれない感情が入り混じって、喉が潰れるほどに叫んだ。


 その後の事は、よく覚えていない。ただ覚えていたのは、カイムがニオを守ろうとしたこと。私はそれがキッカケで爆発するような魔力を身に纏ったこと。


 カイムの声だけが朧気ながら聞こえる滅茶苦茶な感覚は、身体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた時、意識と共に途切れた。


 次に目を覚ましたら、目の前には黒い魔族がいた。カイムが魔王だと言って追っていた相手だ。


 いつか、ニオから代替わりしたのだろう。そう理解すると同時に、私は負の感情をぶつける相手を失い、縋ることのできるカイムもいないことに気づいた。


 黒い魔族は言った。「二人は逃げた」と。その時、私の中で何かが途切れた。あるいは、ようやく繋がった何か――カイムの言う”希望”が現実の前に打ちのめされ、ズタズタになってしまったのだろう。


 もはや負の感情に身を任せて暴れることも、泣き崩れることもできなかった。


 だってカイムは、私ではなく、ニオと共に逃げたのだから。


 数百年と一人ぼっちで暗闇の中を過ごした私にとって、カイムはそれこそ、”希望の騎士”だった。絵物語に出るような、光を身に纏う勇者だった。


 なにより私には、囚われのお姫様を助けに来るような、白馬の王子様に見えていたのだ。


 だから縋った。盲目的と知りながらも、カイムにすべてを捧げようと、あの暗闇を出て、外で待ち構えていたかつての勇者を倒すまでは、そう思っていた。


 ニオの名をカイムが口にするまでは。


 あの女は、かつて私たちエンシェントエルフに接触し、三つの種族の均衡を守るためだとか言って近づいてきた。平和のために独自に動いていた私たちは、魔族の王たるニオの提案に賛同し、それこそが平和への道だと信じた。


 信じ、身を捧げ、命の危機を何度も乗り越えながら、同族と共にいくつもの死地を乗り越えてきた。


 全ては、自分たちに与えられた過分な力が争いを加速させるのではなく、止められると信じてだ。


 みんなニオへ信頼を寄せていた。彼女に賭けていた。私だってそうだ。


 だというのに、ニオは裏切った。私たちを利用し、自分たちが安全に得をするために捨てたのだ。


 誰もが恨み、誰もが憎む中、エンシェントエルフは世を追われ、一人、また一人と死んでいった。


 幼かった私だけ、いつも生き残ってしまった。犠牲になるのなら、ニオを信じて決定を下した年長者からでいいと、大人たちが譲らなかったのだ。


 そんな逃げる日々の中で、私たちは知った。魔王が変わっていることを。


 長い歴史の中、魔族を率いていたニオのやり方と、追ってきている連中のやり方はまるで違うと分かったのだ。


 確信はなかったが、ニオが魔族に追われているとの情報も少しずつ手に入り、この裏切りはニオの意思ではない。そういう風に考えるエンシェントエルフもいた。


 でも、誰もがそんな風に簡単に割り切れたら、どれだけよかったか。ニオではないと知りつつも、追ってくるのはニオが率いていた魔族だ。


 他種族を欺き、戦いを好む種族。その長だったニオの影。魔族に裏切られたという真実。


 疑惑により濁った信じる心など、何の価値もない。結局、また一人と死ぬたびに、私たちは生きて逃げ伸びる心の拠り所として、ニオを憎むしかなかったのだ。

 そうしなければ、心が折れていた。ニオじゃない、彼女のせいではない、そう口にするエンシェントエルフも、やがて死んでいった。


 結局白か黒かハッキリしないまま、私だけが生き残ってしまった。一人で怯える私には、抗う意思はなかった。死を受け入れるしかなかった。

 逃げる日々に疲れ、仲間の死に絶望していた私には、もう死ぬことしか救いはなかったのだ。


 だというのに、私は生かされた。決して死ぬことも壊すこともできぬ鎖につながれて、迷宮の奥の底に封じ込められた。


 最初こそは見世物のように魔族が訪れることもあった。とても酷い目に遭わされることもあった。女としての尊厳も、何度も失った。


 だが、魔族の中に掟があったようだ。私が裸にされて散々弄ばれた後、誰かが言うのだ。「魔王様の命令だ、エンシェントエルフはいつか使うかもしれないから、綺麗にしとけ」と。


 ベタベタの身体は冷や水で洗い流され、傷は不器用な回復魔術で治され、衣服は新しい物を着せられた。


 そうして「何もなかった」ように見せかけると、魔族たちは出て行くのだ。


 痛みと恐怖の日々の中、私の心を繋ぎ止めていたのは、たった一つ。


 ”ニオへの憎しみ”だった。あの女が私をここに封じた。あの女は、弄ばれている事を知っていながら見て見ぬ振りをしている。あの女を魔族は崇拝している。


 だから私はこんな目に遭っている。それは、いつしか誰もあの部屋を訪れなくなっても消えることはなく、むしろ私の心の中で憎悪と憎しみとなって在り続け、”復讐心”が空虚な私の心の代わりとなった。


 いつか絶対ここを出て復讐してやる。そう心に決めて、百年、二百年……数えるのも忘れるほどの時の中、復讐心を抱き続けた。


 心が壊れなかったのは、そのせいだ。いっそ廃人になっていたらよかったのに、私の心の中には復讐心が炎となって暗く燃え続け、壊れた部分を補い続けたのだ。


 ……けれど、そんな日々もいい加減に嫌になっていた。どんな業火だって、いつかは消える。私の復讐心も長い時の中で削られ、なくなっていき、もはや消える寸前になって、自分の罪と向き合い始めた。


 私のせいで多くが死んだ。私のせいで世界が歪んだ。私のせいで仲間は滅んだ。


 だから、罪を償おう。でもどうやって? ああそうだ、死んで償おう――そう思っては、死ねない呪いのかけられた鎖を思い返し、頭が割れるほどに痛くなって意識を失っては、やがて目を覚ます。そして朧げな記憶を繰り返す。


 その繰り返しをどれだけ行ったか。分からない。でも、いつしか自己認識できるようにはなった。


 とうとう、本当に心が壊れるときが来た。復讐心も罪悪感も消え果て、そのまま時間と暗闇にすり潰されるのを待っていた。


 けれど、一筋の光が差した。


 それが、カイムだった。鎖を断ち切り、自由を与え、手を差し伸べ、立ち上がらせ、生きる理由を――あらゆる希望をくれた。


 カイムは私の全てになったのだ。封じられた時間からしたら瞬きのような一瞬の出会いが、私の全てを照らした。


 この人と共になら、なんでもやろう。この身を捧げよう。盲目的でも何でもいい。身体だけ残して心が死ぬ寸前になっていたところを救ってくれたのだ。それだけで身を捧げる理由には十分だ。

 だから心に誓った。


 よりにもよってそんな時だ。私を助けたカイムが、私が恨むニオの名を口にしたのは。


 途端に忘れていたかつての記憶が蘇り、復讐の炎が再び灯った。


 同じように、カイムが執着する事自体へ憎しみを抱いた。それは復讐の炎へ薪となって焼べられた。絶対に殺してやると、嘘を言わないよう気を付け、ニオの元へ迫った。


 もう嫌というほどに憎んで疲れ切っていたというのに、復讐心がうずいて仕方なく、私を捕らえて離さなかったのだ。


 それもやっと、あと一振りで終わる。これで私は解放される。カイムと共に未来を歩める。


 「新しい世界を生きるんだ」。きっと狂気に歪んでいただろう私の顔は、抱いていた心の内を全く反映させていなかったろう。


 分かっていた。それでも口角が上がり、興奮するのを押さえられなかった。


 しかしそのせいで、カイムと戦ってしまった。せっかく治した片腕を奪ってしまった。


 だから、そんな私に怒って、もう見捨てて逃げたと思っていたのに……






「カイム……」


 視界の先で、片腕になりながらも今の魔王相手に戦っている姿が見える。

 逃げられたはずなのに、ここへ来た。それはなぜかと考えたとき、カイムの言葉と行い、そして何より、あれだけ憎んだニオの言葉が「私を助けるため」だと教えてくれた。


 私もカイムも真実を知り、同じように裏切られ、同じように地の底へと落ちた。


 でもカイムは、戦い続けることを選んだ。私を助けると言った約束を守るため、無謀な戦いに身を投じたのだ。


 そして、その無謀を終わらせられると言って、目の前でニオが私を見据えていた。


「……勝てるの、ですか?」


 私の成すべきことはなんなのか。そこに未来はあるのか。ニオへ問いかける。


 彼女は一切迷うそぶりも、言い淀むこともなく言った。


 「断言はできない」と。それに続くよう、「けど希望はある」と。


「全ては、君が――エンシェントエルフが力を貸すかにかかっている。もう、ボクに言えるのはこれだけだ」

「私の、力……」


 かつての過ちを起こしてしまった忌むべき力。カイムの腕を結果的に奪ってしまった力。


 それが時を超え、ニオから再び必要とされている。


 全ては私の意思次第。このまま黙って絶望のままに闇へ戻るか、希望に縋り、かつて騙したと憎んだニオの提案に乗るか。


 絶望と希望。どちらか選べなんて問いかけは、あの暗闇の中で何度も願った可能性の一つだ。


 時が戻り、そんな選択を委ねられないかと何度も願った。時が過ぎ去り、私の力が全てを変えられないかと願った。


 ――空想や妄想でしかなかった願いが叶う場所が、今、目の前にある。


 ――今がその時だ。


 弱弱しく震えるしかなかった身体に、これで最後で構わないから力と勇気を込めて決断すると、ニオへ真っ向から向き合った。


「教えてください、私が為すべきことを」


 ようやく、時の彼方に見た彼女の、決して悪意を感じさせない笑顔が見えた。

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