第22話 ニオの願い

 静寂が流れる。ボクの言葉を聞いて、ユウは全てに絶望したような顔のまま、プルプルと震えているようだった。


 果して、彼女はボクの言葉をどう思うだろう? そもそも、どこまで知っているのだろう?


 ……いや、ある程度は推測が出来る。


 見たところ、さっきアステリオンで壁に叩きつけられた以外に目立った怪我はないので、ボクとカイムが転移した後、グレインと戦ったとかではないのだろう。

 ここまでグレインの後をトボトボ歩いていたようだったから、もしかすると、絶望を受け入れてしまったのかもしれない。


 グレインに従えば、もう一度封印されるのは分かっていたはずだ。けれど、抵抗することなく、グレインと共にいた。


 まさか、グレインがユウを仲間にするだとか、そんな事を口にするとは思えない。一緒に来たら助かるだとか、そんな事を言うとも思えない。


 グレインの本性ならよく知っている。狡猾で残忍で、プライドが高く欲深い。邪魔する者も従わない者も力でねじ伏せようとする短絡的な奴で、ボクが魔族を率いていた時も扱いに困ったものだ。


 ボクだけには勝てなかったから裏でヒソヒソとクーデターなんか企てていただけで、力で勝る相手にはとことん上から迫るタイプの魔族。従わなければ、無理やり従わせるか殺すだけしか考えていない。


 典型的な”小物”。たちの悪いことに、そんな小物が力を持ってしまったから、歴史すら捻じ曲げてしまった。


 その小物が、傷つき心のよりどころだったカイムを失って絶望しているユウに優しく語り掛けるはずがない。


 ユウは、グレインにとっては一対一なら本気で歯向かわれたら勝てない”かもしれない”相手だ。


 グレインだって馬鹿じゃない。ついでに、真っ向から戦って黙らせるほど真摯な奴でもない。


 本気になったエンシェントエルフが魔力を暴走させて暴れていたら、憔悴しきるまで姿をくらますだろう。


 その様子でもない。たぶんカイムに気絶させられてから、目が覚めた瞬間には今の状態だったのだろう。


 仮にカイムの言葉だろうと、もはや絶望が心と耳を閉ざして聞き入れなかった。当然グレインが何を言おうと、聞こえてすらいなかったろう。


 なら言いくるめられた可能性も、戦って負けた可能性もない。


 だとするなら、


「全部、諦めてしまったんだね」


 果てしなく長い間憎み続けたボクの言葉だけは違うだろう。

 推測が当たってか、震えていたユウの身がビクンと跳ねて、明確な反応を見せた。


 もう一度封印されても構わないと、それくらい捨て身になってしまうほどだったのに、ボクに己を決めつけられることだけは我慢できなかったようだ。


 華奢な体からは想像もつかないような声が、ボクへと向けられた。


「あなたに、何が分かるというんですか……!」

「ごめん、ある程度しか分からない。ボクは君個人を知らないから」

「ある程度……? ある程度ですって……? でしたら、その尺度で考えてみてくださいよ。過程はどうであれ、自分が始めた事のせいで、仲間も信頼も自由も希望も”何もかも”失った気持ちを……!」

「ああそうだね、よし考えた。敢えて口にするのなら、”絶望”かな」


 こんな風に答えられるとは思っていなかったのだろう。自分の中にある闇をありったけ込めた呪詛のような問いかけに対し、煽るように即答してくるなんて、考えもしなかったのだろう。


 だけど、ボクは逃げない。ボクの引き起こしてしまった悲劇のせいで抱えた闇から、一歩だって引いてやるものか。


 今、ユウは絶望の底へ落ちる瀬戸際にいる。少しでも助けることを躊躇えば、奈落の底へと落ちていく寸前なのだ。


 カイムがもたなくなったら、それで終わり。時間はなく、悠長に喋ることはできない。自分の罪を一つずつ、丁寧に言葉を選びながらゆっくりゆっくり謝っていく責任の取り方はできない。


 煽って怒らせる形でもいいから、とにかく感情を表に出させるのだ。今は、「この言葉は真実だけど、相手を傷つけたり怒らせてしまうから遠回しに言おう」という、誰かと接する時の定石は通じないのだ。


 だから、言葉の強さもチョイスも知った事か。腰が引けて全部終わるくらいなら、最後までボクらしく抗ってやる。


「ハッキリ言わせてもらうよ。全てはボクのミスだった。ボクのせいで数えきれない命が犠牲になり、世界は歪み、君個人に深い絶望を抱かせてしまった。それに対し、ボクに出来る贖罪は、今ここにはない。君だってボクに謝られても、頭を下げられても、何なら土下座されたって赦さないだろう? だから赦してくれとは言わないよ」

「では、何を……! いまさら何を私に言うつもりなんですか! あなたが私を封じたわけじゃないのは聞きました! けど、何百年と逃げ回っていたようなあなたの言葉を、そう簡単に聞くわけがないんですよ!?」

「うん、逃げてた。ずっと世界を救う術を探しながら逃げていたよ。そうしてカイムを見つけて、アステリオンを託した。だから君は解放され、ボクも助かった」

「開き直って……! そうやって冷静な態度でいれば、私が赦すとでも思っているのですか!!」

「だから赦してくれだなんて思ってないんだ。今この場で赦してくれとも、今後赦してくれとも思っていない。ボクの願いは一つだよ」


 背後で、カイムの戦う音がする。逃げられたというのに、片腕の身で、知り合ったばかりのエルフのために命を懸けている。


 その姿を思い浮かべ、ボクはユウへ願いを込めて言った。


「ボクと一緒に戦ってほしい。こんな状況でも諦めていないカイムと共に、アイツを倒す手助けが欲しい」

「アイツって、まさか……」

「名前はグレイン。今の魔王にして、君を封じた張本人にして、このままだとここにいる君以外を殺し尽くし、君を再び封じる相手――カイムが命を懸けて倒そうとしているけど、一人じゃ勝てなくて殺される。ボクは、それが嫌だ。ボクは死んでもいいけど、カイムは死なせたくない。だから繰り返すけど、君には共に戦ってほしい」


 全部伝えたつもりだ。今何が必要で、何をするべきか。


 けど、言葉では分かっても、納得しきれない事は沢山ある。迷ってしまうことは誰にだってある。


 現に、ユウは「勝手ですよ」と言いながらも、カイムの事を心配そうに見ていた。

 奈落の底から一歩遠のいた。ようやく絶望に染まっていた瞳に、僅かながら今のカイムが映ったのだ。


 あともう一歩、絶望の崖の淵から遠のいてほしい。そのために、ボクは残された魔力をほとんど使って、ユウの傷を癒した。


 立っていられるのもやっとで、フラフラとしながらも、ボクは言葉を紡ぐ。


「今ならボクを殺すこともできる。邪魔は入らない。気に食わない相手はすべて、この部屋ごと神話級の魔術で吹き飛ばしたってかまわない」

「それは……」


 カイムが死ぬだろう。流石に、この状況で神話級の魔術を使いながらカイムは守れない。

 まずグレインが止めに来るだろう。カイムは覚悟を決めて、それを止めるだろう。


 もし、ユウがカイムすら恨んでいたら、それでお終いだ――一つの結果だろう。


 傷ついたのはユウだ。そして傷つけたのはボクとグレインで、カイムは不幸にも巻き込まれてしまった。


 そんな結果で満足なら、彼女が神話級の魔術を詠唱し出しても止めない。いや、そもそも止められない。


 今のボクに出来るのは、信じることだけだ。ユウの中にある、あれだけ暴れるほど、カイムの見せた希望への執着が、この場でも現れてくれることを。


「私、は……私なんかが下手に加勢しても、あの魔物には勝てません」


 そうだろう。エンシェントエルフは圧倒的な魔力を持つし、魔術の腕だって凄まじい。


 けど、今のグレインには勝てない。さっき”勝てるかもしれない”と思ったけど、どうにも回復したユウの魔力量じゃ太刀打ちできない。

 エンシェントエルフは元々、戦闘向けの種族じゃないんだ。だからこそ、ボクは最初に頼ったんだ。


 それだけエンシェントエルフの力は理解しているつもりだ。この状況を切り抜けられる、たった一つの希望だって生み出せると確信している。


「誓って言うよ。一緒に戦うのなら、策はある」

「そんな都合のいいものが、本当にあるとでも……?」

「疑ってくれて構わない。この先一生、それが変わらなくても構わない。ただ、カイムだけは信じてあげてほしい。そして生き残らせてほしい――彼は希望の剣聖となる男だ。こんな地の底で死なせるわけにはいかない。それに、」


 「なにより、ボクが嫌だ」。再び、心を込めて伝えた。


 ユウも同じ気持ちであってくれと願ってだ。最後の最後は神頼みならぬ、まさかの自分を恨んでいる相手頼みなんて、馬鹿げている。


 だけど信じよう。逃げ続けたボクの、ようやく見つけた希望が、ここまで紡がれたという真実を。


「……私、は――ッ! 私は!」






 私は、どうするべきなのだろう。一刻を争う戦いと、数え切れぬ時を憎んだ相手を見ながら、自分に問いかけていた。


 今の私が、成すべきことを。

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