第17話 今があればいいエルフ

 頭に柔らかな感触を覚え、意識が闇の底から目覚めてくる。


 とうの昔に死んだ母と似ているような優しい光を目指して闇が晴れると、瞼もまたゆっくり開いた。


「あ、起きた……! よかった……よかったです……!」

「ユウ……ここは、いや……俺は……」


 グルトンを倒した大部屋で、ユウに膝枕されながら目を覚ます。

 起き上がろうとするが、身体中が痛み、自由がきかない。


 それでも起き上がろうとする俺を、ユウが慌てて制した。


「まだ回復魔術の途中です! もう少し待ってください! すぐに全回復しますから!」

「……回復魔術って、すげぇんだな」


 あれだけ無茶をして意識を失ったので、正直死ぬと思っていた。そうでなくても、目を覚ますのにとても時間がかかるはずだ。


 だが、辺りに散らばるグルトンの鱗やら牙が煙を上げていることから察するに、戦いの直後なのだろう。


 死ぬほどの無茶のツケが、あっと言う間に回復する。ユウならば、身体のどこかが欠損していても治せる。


 呆れるほどの力に苦笑いがこぼれたが、ユウはすまなさそうに顔に影を落とした。


「すみません、神話級の魔術を二発も撃ったので、意識の回復に五分もかけてしまいました」


 読んだ知識だが、意識を失うほどの大怪我をした相手の治療には、付きっ切りで丸一日を要する。

 それを消耗しているというのに五分で終わらせたのだ。


 何も気にすることはないと、ユウの太ももに頭を預けながら言ってやる。


「むしろすげぇよ。ここを出たら、お前とタッグを組んで冒険者稼業ってのも悪くないかもな」

「タッグ……カイムと、二人……」

「嫌か?」


 聞くと、ユウは首をブンブンと振って否定した。


「そんなわけありません! むしろ、私の方からお願いしたいくらいです!」

「そうだな……その時は、ニオの奴に道案内でもさせるか」


 数百年と各地を放浪していたのだ。顔も広いだろうし、遠い地域も知っているだろう。

 戦わなくていいから、今度ばかりは逃がさない。そう思っての言葉だったのだが、ユウは顔に影を落とした。


 俺も、これはミスをしたと、見上げながら顔を引きつらせる。


「そんなに、ニオが大事なんですか」

「いや、あのな? そりゃ俺の戦う理由だったし、恩人でもある。だが女として見てるとか、そういうのでは……」

「ですが話を聞くに、カイムの心にはずっとニオがいますよね? かつて出会ったという時から、村で別れるまでの十年と、探した二年と、この迷宮での時間……ずっと、カイムの心にはニオがいますよね」


 思いのほか、ユウの怒りに触れてしまったらしい。それだけ俺の事を想ってくれているのかもしれないが、あまり強く依存されるのは危険だ。


 俺を強く想い続けることは、ユウがいずれ苦しむことになるのだから。


 回復魔術が効いてきたのか、なんとか片腕を上げてユウの肩を掴んで起き上がると、そのくすんだ緑の瞳を見つめる。


「いいか、お前が俺に感謝してる気持ちは分かる。俺としても助けた責任はあるし、感謝以上の感情を向けてくれるのは嬉しい。しかしだな、」


 溜息を零しながら、ユウの事を想って言葉を紡いだ。


「俺は人間だ。間違いなくエルフのお前より早く死ぬ。今伝えるべき事じゃないかもしれないが、この先に何が待ち構えていてもおかしくないから敢えて言う。俺に固執せずに、自由に生きることを考えろ。それはお前の、」


 と、諭そうとしたら、ユウは寂しげな顔で「止めてください」と言う。

 弱弱しい反応に、俺も言葉に詰まってしまった。


「私の心は、もうカイムのものなんです。それなのに、私の想いを否定するようなことを言わないでください……」

「違う! 俺はお前の未来を想って……」

「未来なんて知りません! 私には”今”があればいいんです! ずっと一人で、一人ぼっちだった私には、カイムと過ごす今さえあれば、それ以外はいらないんです!」


 ユウには、何百年と今日どころか昨日も明日もなかったのだろう。

 そんな事を忘れてしまうほどの日々を、暗闇の中、一人ぼっちで過ごしたのだろう。


「だから私だけを見てください! 一緒にいてください! なんでもします! どんな扱いでも構いません! だからここを出ても、私と一緒にいてください……ニオなんて……いえ、他の誰かなんて見ないで、私との”今”だけを見ていてください!」


 救われた俺と過ごす”今”さえあればいいと願う心を、俺は否定することが出来ない。

 しかしだ。


「……確かに、今がずっと続けばいいと思う気持ちは分かる。楽しかったり幸せだったり、そういう”今”が積み重なって明日へとつながっていく。だが俺は、お前のこの先数百、数千と続くだろう明日には付き合えない……だがニオなら、お前の明日にいつまでも付き合ってくれる! だからお前たちの間に何があるのか知らないが、アイツを嫌ってたら苦しむのはお前なんだ!」


 もうすぐ全てが終わるからこそ、伝えておかねばならない。何が起こるかも分からないから、ユウを傷つけてしまっても、心に遺しておかなければならない。


「そんなに……カイムはそんなにニオとの明日が欲しいんですか! あんな魔物の、なにがそんなに……!」

「ちがう! ニオには、ただ――」


 「ユウの事を任せたい」。そう言葉にしようとして、この考え自体が自然と思いついたものだと気づいた。


 あの自分勝手なニオに、ユウを任せる。寄り添ってもらい、数百年先まで生きてもらう。


 だがこれは、ニオへの押し付けではないか。これだけ探させたのだから、そのツケとして任せようとしているのか? いや、そもそも俺の本心ではニオをどう思っている?


 具体的な言葉に出来ず、俺の様子が言い訳を探しているように見えたのか、ユウは唇をかみしめる。


 どうにかしたい。ユウもニオも、長い時を生きる者同士だ。俺では付き合えない遥か彼方まで共に歩める存在なのだ。


 そして、二人とも時代や歴史から爪弾きにされた者であり、俺にとって大切な存在。


 だから二人が手を取り合ってくれたら、俺は存分に希望の剣聖として世界のために戦い、いずれ思い残すことなく死ねる。ニオもユウも、その死に悲しみこそすれ、前を向いてくれる。


 そう生きてほしい。自分の願いに気づき、その一心で言葉を紡ぎ続けようとしても、ユウは「ああ、そうでした」と暗い声で言ってから、くすんだ瞳に闇を映して、不気味に笑った。


「ああそうでした、そうですよ。どうせこの後、どうなるかは決まってるんです。それにこの魔力……ああ、なんだ、簡単な事ではないですか」


 ユウは俺ではなく、扉の方を見据えながらブツブツ呟くと、乾いた笑いを口にして、視線を俺に向けた。


 暗く、しかし暖かさを感じる瞳には、何かの決意が籠っているように見えた。


「なんだ、おい……その目は。何を考えた? 何を思いついた?」

「答えなくてはいけませんか?」

「約束しただろ! ニオの元にたどり着いて、魔王を倒すまで、嘘はなしの関係だって!」

「そうですね、でしたらご安心を。何も嘘はついていません。嘘を考えたり、これから嘘をつこうとかも一切考えていません。しっかりニオの元に行きますとも。魔王だって殺しますとも。なにせ、カイムの心は魔王にも支配されていますからね」


 支配? と聞き返せば、消し飛んだグルトンの鱗へ目をやっていた。


「グルトンのような化け物を相手に命を賭けたのも、魔王とやらを倒す為でしょう? 裏切りの勇者とやらは存じませんが、そちらにはあまり執着はないご様子です。ですので魔王を殺せば、カイムの心にはゆとりが生まれる。そこを私の居場所とさせていただきましょう」


 それくらいは良いでしょう? と問いかけるユウに、俺は眉間にしわを寄せながら考えた。


 そりゃ、魔王のせいでこんな目に遭っているのだ。ニオだって、魔王のせいで捕まったのだろう。


 だから、俺の心には魔王への復讐は常に動機としてある。つまりは、魔王を倒すか捕まえて大衆の目に晒せば、俺の魔王への感情は消え、ユウの入る余地も生まれるかもしれない。


 俺自身気づかずに、今は心の中が魔王への復讐で満ちているのかもしれない。

 それがなくなれば、ユウとの未来についても、もっと深く考えられるかもしれない。


 何かしらの解決策だって、浮かばないとは言えないのだ。


 しばし口を閉じたままだったが、俺は「魔王を倒してからゆっくり考えさせてくれ」と答える。

 どうやらその返答で満足だったのか、ユウはトロンとしたように顔をほころばせ、立ち上がった。


「では行きましょう。魔王はもう、目の前ですから」


 俺の身体もすっかり回復している。なのでユウが行こうとする先――ニオが封じられている部屋の扉へと、立ち上がり、歩き出した。


 もう面倒事は御免だと思いながらも、鼻歌交じりに隣を歩くユウに嫌な予感を感じながら、扉へと手をかけたのだった。

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