第16話 私も一緒にいますよ

 相手は山のような地龍。こっちは剣一本とちょっと鍛えた人間の身体。


 戦うなんて、馬鹿がやる度胸試し以下の愚行だ。チンピラの喧嘩以下の見るに堪えない行為だ。


 だがやるしかねぇ。倒すしかねぇ。倒して退かして、そうしてやっと、戦い続けた二年間が終わる。

 

 こうなりゃ細かいことはなしだ。息を吸い、歯を食いしばり、腰を据えて、足に力を籠めたら、合図はいらない。


 共に戦ってきた相棒に問うだけだ。


「――準備はいいな、アステリオン」


 そうして、真っ向から突っ込んだ。グルトンからすれば、ネズミが口元に這い寄ってきたにすぎないだろう。

 削り取られた大岩のような牙の並ぶ口を開き、深淵のような喉の奥から赤黒い炎が垣間見える。


 だが避けもしない。逃げもしない。あんなデカい口から出る炎を斬れるはずもない。

 だから、ただアステリオンを振り上げ、力の限り叫ぶ。


「エンチャント! 【断崖剣】!!」


 血反吐と共に叫べば、「死んでも知らねぇぞ!」とアステリオンが怒鳴ったような気がしたが、知った事か。もしそう言っているなら答えは一つ。


 「とっととやれ」だ。


 通じたのか、それとも呆れたのか、アステリオンを岩が包む。それは鉄塊剣の比ではない。


 とめどなく、天井という頂から低きに流れてきた水のように岩がアステリオンに集まると、見上げるように天井まで積み重なった。


 山には山をぶつけるように、アステリオンの刀身から歪な岩の塊が遥か頭上に伸びると、黒い魔力の刻まれた身体で支える。


「やる気になったか! なんたって急がねぇと道ずれだからなぁ!! テメェも腹くくったか!!」


 グルトンの口から炎が聞かれる寸前、天井を突き破らんとする岩の塊で顔面を”ぶっ叩いた”。正確に言うなら、ただ振り下ろしただけだけだが。

 こんな重たい物、アステリオンの力を借りても振るえるわけがない。出来てもせいぜい、振り落ちる方向をある程度決めるだけだ。


 そう、炎を今にも吐かんとする馬鹿でかい口へと。


「テメェの炎はテメェで味わいやがれ!」


 地響きが走り、グルトンの口どころか顔面に断崖剣が振り下ろされる。

 開けていた口は無理やり閉じられ、再び開くことは叶わず、外へ出るはずだった炎は口の中で爆炎と共に逆流した。


 グルトンの巨体が大きく捻じれた。断崖剣も限界を迎えて砕けると、ようやく開いた口からは空間を震わせる咆哮が響いた。


 真っ赤な瞳も俺を捕らえ、ようやく敵だと認識したようだ。


「ハッ!」


 しかし、もはや身体を包む痛みと精神を蝕む魔力のせいで意識はメチャクチャになり、意識を途切れさせないようにアステリオンがこの身体に限界以上のバフを施している。


 ここまで来たら、アステリオンと気合が意識と身体の自由を繋ぎとめている間に仕留め切れるかの勝負だ。


「次行くぞ! エンチャント! 【空絶剣】!!」


 バフのかかった足で力の限り飛び上がり、アステリオンに『気流』を纏わせる。

 竜巻のように渦巻いた魔力を帯びた気流は、空の果てまでぶった斬る衝撃波として放つものだ。


 それを、グルトンの頭上から馬鹿でかい図体へ振り下ろす。ひたすらに、何度も何度も振り下ろし、その度に空を割る気流の衝撃波がグルトンを切り裂いた。


 だが、どうやらデカい図体と何千年と生きてきた岩のような鱗は伊達ではなかったようだ。血飛沫こそ上がったが、致命傷にはなっていない。


 今度は逆に、俺のピンチだった。地に降り立つと、その巨体を振るわせ、見上げるような尻尾が薙ぎ払うように迫ってくる。


 エンチャントが間に合わない。しかし、今の身体なら耐えられないことは……


 わからない。そう思った直後、前面に防護壁と、数えきれない岩の壁が召喚された。


 それらが数舜でもグルトンの尻尾を止めている間に飛び退くと、ユウの声がした。


「こうなったら私も一緒に戦います! カイムは攻撃に集中を! 守りと援護は任せてください!」


 慣れない力で飛び退いたせいで着地点を見誤りつつ、ユウの覚悟が決まった声に感謝する。


 俺が二年間一人で戦って得た仲間は、災厄とさえ呼ばれたエンシェントエルフだ。

 災厄の名が嘘であれなんであれ、そう呼ばれるだけの力はあった。


 なら、限界まで付き合ってもらうまでだ。そして俺はもう限界を迎えているが、ユウはまだだ。


 全力を出していない。なら出してもらおうと、俺のメチャクチャな脳裏に一つの案が浮かぶ。


「ユウ! さっき言ってた神話級の魔術とやらを使うのにどれだけ時間がかかる!!」

「えっ……まさか使えと言うのですか!? 駄目です! 衝撃が強すぎて、この部屋そのものが吹き飛んでしまいます!」

「だったら尚のことやれ! そうすりゃこの化け物は殺せる! なに、自分の身くらいは守れる! お前も防護壁を展開してからにしろ!」

「で、でも……」


 とっととやれ、と言おうとして、口から血の塊を吐き出していた。

 片膝をつき、肩で息をする。心臓の鼓動が異常なまでに速くなり、視界は霞み、全身を流れる血液が沸騰するようだ。


 だとしても、もうひと踏ん張り――いや、限界の先の先の、その先まで行ってやる。


 全ては、ニオ、アンタに……


「恩返しするためにやってんだ! あんな村から出させてくれた礼を言うために命賭けてんだよ!! おいアステリオン!! テメェを長い間守ってきた奴は目の前だってのに、ここで終わる気か!? それとも限界なのか!? 違うってんなら、テメェが認めた俺を信じやがれ!! ありったけ力を貸しやがれ!! じゃなきゃテメェはそこらの”なまくら”と同じだって、あの世で笑ってやるからな!!」


 もはや自分で何を言っているのか分からずに叫ぶと、アステリオンは黒い魔力を纏いながら、その刀身を眩く煌めかせた。


 光だ。暗黒の中で輝く、希望の光。


 身体が動く。雲のように軽くなる。全身に力が満ちる。

 だが心臓の鼓動も沸騰するような血液も変わらない。


 デメリットは消せないようだ。アステリオンが魔物であるニオが手にしていたのなら、この黒い魔力は一人の人間が扱う代物ではないのだろう。


 それでも動ける。まだ無茶がきく――戦える。いや、最後の一撃はユウに任せる。

 俺はその未来を切り開くまでだ。


 そうさ、ユウの話が本当なら、「一発撃つ時間と衝撃波」さえなんとかすりゃいい。


 だったら……!


「ユウ! 神話級の魔術を撃つまでにかかる時間は!?」

「え……本当に使うんですか!?」

「いいから答えやがれ!!」


 怒鳴ると、ユウは面喰いながらも、「もう知りませんからね!」と両手のひらをグルトンへとかざした。


「六分ください!」

「六分だな! だったらお前は神話級の魔術をぶち込むことだけ考えろ!!」


 やがて、ユウの両手のひらに感じたことのない魔力が集まっていく。


 グルトンも危機だと察してか、俺からユウへと狙いを変えたようだ。

 その巨体をユウへと向けようとしている。


「シカトしやがって……おい、聞いた通りだ。あと六分だけ無茶するぞ……アステリオン……!」


 両の手で構え、六分の時間を稼げるエンチャント――【轟雷剣】を発動する。


 刀身に激しい雷が走り、俺の身体にも伝わってくる。

 もはや痛みなど感じない身体を笑ってやり、轟雷剣の真髄である、剣を握る俺自身にも与えられる俊敏さでグルトンの身体へ飛び乗る。


 持てる力の限りで轟雷剣を岩のような鱗に突き刺すと、そこから内部へと雷を流し込む。


「ゴアァァァァァァ!!!!!」


 グルトンの咆哮が響く。そりゃそうだ。どれだけデカくても、コイツは龍だ。

 本で読んだ知識だが、ほとんどの生物の身体中に水分はある。それが雷を受けているのだ。


 巨体は麻痺し、動けなくなる。そんな様子に、俺も身体をブルブルと震わせながら言ってやった。


「デカブツよぅ……! どっちが先にギブアップするか、我慢比べと行こうじゃねぇか……!」


 当然、俺の身体も雷を帯びている。それをアステリオンが必死に守り、意識が何度途切れそうになろうと、意地と気合で柄から手を離さなかった。


 果して、数千年と生きたグルトンは持っているか? 本能のままに暴れまわった化け物は、誰かのために戦う覚悟や気合を持ち合わせているか?


 例え今の俺が化け物でも、知性と理性と魂を持ち合わせた意思の化け物だ。

 本能だけで暴れまわる化け物と意思で耐え忍ぶ化け物。どちらが勝つかは、もう分からない。


 ユウはたしか、六分と言った。限界なんて言葉じゃ表せない体で、俺は何分耐えた?


 それとも、まだ一分たりとも耐えていないか? 十秒と経っていないか?


「……グッ」


 アステリオンを握る力が弱まる。途切れなかった意識が闇に飲まれそうになる。


 もう、この身体もアステリオンも出せるものは全て出した。やれることは全てやった。


 耐えることも、限界を超えることも、何もかも費やした。


 ふと、もしそれでダメなら、悔いはないかと思った。本当の本当にやれることは全てやったのだ。まだ魔王だって残っているというのに、これだけやったのだ。


 なにより、神話級の魔術の衝撃波をエンチャントで防ごうとしたが、それはどうにも間に合わない……というか、発動もできないだろう。


 ここまでだ。だがきっと、ユウならニオを助け、共に魔王を倒してくれる。世界に真実を伝えてくれる。


 それでいいではないかと、アステリオンから手が離れそうになった時、俺の手に白い手のひらが覆った。


「ユ……ウ……?」


 そこには、凛然とした表情で俺と共にアステリオンを握るユウの姿があった。

 かつて、世界から争いをなくすために戦ったエンシェントエルフの姿が、俺を支えてくれている。


「転移の魔術でここまで来ました。安心してください、”三分目”で攻撃用の神話級の魔術は詠唱を終え、頭上で私の合図を待っています」

「三分、だと……? じゃあ、残りの半分は……」

「この部屋全体と、私たちを衝撃から守る”防御用の神話級の魔術”の発動のための時間です。だからあと少し、動きを止めてください……! お願いです! 頑張って! カイム!!」


 朧げな瞳で見ると、アステリオンを支えるユウの手のひらからは、拒絶の黒い魔力が発していない。


 ああそうか、ニオも言っていたな。余程の悪人でなければ、持てると。


 ユウにも資格があったのだ。契約を結んでいないのに持てているのは、俺の手と共にあるからだろうか。


 なにはともあれ、ユウが共に握ってくれるから、俺も手放さずにいられる。ユウも、俺の手を握る力が強まった。


「私の残った魔力も託します……! だから、カイム――信じてますから!」

「ああ……やるぞ、俺たちが勝つ……!」


 グルトンの身体に流れる雷に、ユウの魔力が加わった。

 今までにない咆哮を上げ、暴れまわり始めた身体に必死に齧り付き、やがてその時が来た。


「今です!! 頭上から来ます!! アステリオンを引き抜いてください!!」

「――ォォォオオオ!!!」


 最後の力で雄たけびを上げ、引き抜くと同時に、ユウは俺を抱きしめると、転移の魔術を発動した。


 一瞬でグルトンの遥か頭上に転移すると、巨大な青い光の塊がグルトンを押しつぶすように落下した後、激しい閃光と共に爆裂する。


 咄嗟に目を覆い、ユウはその衝撃から俺たちとこの大部屋を守る。

 刹那とも無限とも分からぬ時の末、俺とユウはひび割れた石畳に立っていた。


 目の前には、消し飛んだのか、グルトンの牙やら鱗が散らばっている。


「や、やった! やりましたよ! カイム! ……カイム?」

「……わりぃが、流石に限界……」


 そう言い残し、俺はその場に倒れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る