第5話 孤独が生んだ「死」という望み

 ここは魔王の居城とされるグリモワール大迷宮の地下深くであり、ここまで戦ってきた魔物の強さからして相当深い深度だろう。


 野生化しているようも同然な化け物クラスの魔物や、探索に何日も要した広さの洞窟も鑑みると、魔王ですら棄てた、もしくは閉鎖した区域かもしれない。


 そんな異常で危険な地下空間の、あからさまに何者かの手が入った一角。

 その中で、明らかに守られているような扉があり、最奥には魔力封じの鎖で見るからに封じられている、自称エンシェントエルフ。


 冒険者十人に現状を説明してどうするべきか聞いたら、聞いてもいない他の冒険者まで話に割り込んできて「引き返せ」と言うだろう。


 この状況もそうだが、エンシェントエルフは田舎育ちの俺でも知っているほどに凶悪な力を持つのだ。

 

 人間と魔族の両方を敵にして暴れ回った末、当時の勇者や魔族により絶滅させられた程の逸話が残っているのだから。


 ドワーフや竜人族など、あらゆる亜人族の意思を奪って他の種族を襲ったとも言い伝えられており、同族である他のエルフたちも恐れているそうだ。

 エンシェントエルフのせいで、亜人族が虐げられるようになったという説もある。


 言うなれば、あらゆる種族にとって”災厄”とでも呼ぶべき存在だ。


 だが、どうにも引き返すのは納得がいかなかった。

 そりゃ、通常のダンジョン攻略でこんな相手と出会ったら、迷わず引き返してギルドに報告し、しかるべき対処を取ってもらう。


 しかし、ここはグリモワール大迷宮の一角なのだ。下手をすれば、迷宮区画から外れた完全な地下空間かもしれないし、懸念したように魔王が棄てたか封鎖した一角かもしれない。


 目を背けていたが、ここから俺一人で這い上がるのは現実的ではない。どんな形でもいいから情報と力が必要だ。


 そして、エンシェントエルフは話が本当ならとてつもない力を秘めている。ここに縛られるまで、どういった道筋を通ってきたか覚えているかもしれない。


 なにより、


「……どう、したのですか? ずっと、黙って……」


 虚ろな瞳で、感情を感じさせない言葉を話すエルフの少女。


 エルフ族は長命であり、成人すればほとんど老けないと聞く。


 人間と血が混じったハーフエルフでも、百年は若い姿のままだ。

 その上位種のハイエルフで千年と聞く。


 とてつもない力を持つと言われるエンシェントエルフともなれば、想像もつかないほどに長い時間を、変わらぬ姿でいられるのだろう。


 ユウとやらの見た目は十六かそこらだが、はたしてどれだけの時間を生きてきたのか……いや、どれだけの時間をこんな暗闇の中で生きてしまったのか。

 いくらなんでも、罰にしては重すぎる気がした。


 しばし思考を巡らすと、ユウと名乗ったエンシェントエルフに質問を投げかける。


「お前はいつからここに居る?」


 問うと、ユウは瞳を閉じた後、ブツブツと何かをつぶやいてから、やがて首を振った。


「数えようとしたのですが、二百年を超えたあたりから記憶するのを忘れてしまい……ごめんなさい……ごめんさない……ごめんなさい……」


 大雑把でも分かれば良いと思っての質問だったのだが、それに応えられなかったユウは、ひたすらに「ごめんなさい」と繰り返す。

 『壊れたように』と物語などでは例える事があるが、ユウのそれは違った。


 感情の籠らない声だが、何かを恐れるように「ごめんなさい」と繰り返す。

 喉がかすれて声を出すのも苦しそうだというのに、何度も繰り返す。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめ……なさい……ご、ごめんなさ……」

「わ、分かった! とりあえず二百年以上だというのが分かったから、もういい。そんなに無理して謝るな!」

「で、ですが、あなたはやっとここに来てくださった唯一の方なのです……機嫌を損ねるわけには……」

「妙なことを言う奴だな……? 俺の機嫌を取って、どうしてほしいんだ? まさか、」


 この鎖を解いてほしいのか。


 俺はそう続けるつもりだった。しかし、ユウは首を振りながら、遮るように言う。


「あなたには、私を殺してほしいのですから」

「ッ! お、お前は死ぬことを望んでいるのか!?」

「……それが生き続けてしまった私の、たった一つの”希望”ですから」


 初めて、ユウから感情の籠る声を聞いた。だがよりにもよって「希望の感情」とは。

 上辺だけではない、今の言葉に含まれていたのは、心からの『希望』の感情だった。


 死こそ救済と謳う宗教は数あれ、本当に心の底から『死ぬことに希望を見出している』言葉を聞いたのは初めてだ。


 正直、聞いた瞬間は驚いた。ここからの解放なら、機嫌を取る事に合点は行くが、まさか殺してほしいとは。


 だがしかし、少し考えれば分からなくもない。


 解放してほしいなら、まず自分から危険なエンシェントエルフだなんて名乗らない。

 精々、長命のハイエルフだとか、魔王の人質とか、そういう嘘をつく。


 だが、そうしなかった。出会って言葉をそれほど交わす前に、ユウは自分がエンシェントエルフだと明かした。


 相手が相手なら、それだけで首を斬り落としていただろう。それほどまでに、エンシェントエルフは恐ろしい存在として語り継がれている。


 しかしだ。解放ではなく死が望みなら、いくらでも利用出来る。


 おおかた二百年以上もここにいて、心に傷を負い、生きるのが嫌になったので死にたいのだろう。

 ならば死を望む絶望に寄り添って、数百年と心に刻まれた傷を癒して、女として慰めてやればいい。


 そうすれば俺に依存させて、ここからの脱出の力にさせることも簡単だ。

 ジークや魔王との戦いに戦力として連れて行く事だって出来る。

 エンシェントエルフということを隠せば、全部終わった後にパーティー仲間にすることだって……




 ――あばよクソッタレの田舎村が! こんな故郷、俺の方から出て行ってやるよ! けど絶対に追い出した事を後悔させてやるからな! たとえ呪われてようとも、俺はあの人に誓って、世界の”希望”になってやる!




 半ば諦めかけていたグリモワール大迷宮からの脱出。そこに差した一筋のくすんだ希望の光に心が飲まれそうになったとき、故郷を追われながら、アステリオンを天に掲げて誓った言葉が、魂から響いた。


「……ああクソ……分かってる。今考えたことをやった方が合理的で、危険じゃなくて、ここから出た後の安全やらまでついてくるのは分かってる。だってのに……私欲だけでそんなことしちまったら、俺は……」


 裏切者のジークを嗤えない。この窮地を乗り越えた先で笑えない。


 剣聖として人々の”希望”になるという夢と向き合えない。


 俺は戦乱と種族間の差別が蔓延るこの世界で、魔王を倒した剣聖として希望の象徴になりたいのだ。

 偶然にも、それは勇者の隠された真実を暴いた者としての実績も合わさり、より人々を照らす光となれるだろう。


 そこに至る過程で、どんなに苦しい道でも、目の前で死を望む少女を汚い方法で利用することも、殺すことも出来やしない。


 ”してはならないのだ”


 むしろ、俺が死を望む少女にしてやるべきことは――


 深く息を吐き出すと、ユウに再度向き直り、言った。


「殺してほしいだなんて、大金積まれても御免だ……代わりに、生きろ。その手伝いならしてやる」


 そうしてアステリオンを振り上げると、ユウを封じていた鎖を斬った。


「えっ……」


 鎖が解け、力なく床に倒れるユウは状況が理解できていないようだが、懸念していることはあるので様子を見る。


 もしかしたら数百年の恨みを晴らさんと、世界で再び暴れまわるかもしれないのだ。

 

 そうでなくても、災厄と呼ばれる存在を解き放ってしまった。


 なんにせよ何をしでかすか分からない。万が一暴れ出したら、俺個人のエゴで自由にしてしまったので、責任を取る必要がある。


 再び暴れて世界の敵になるならここで倒す。それ以外でも、俺がなんとかする。


 だが願うことなら、ここから一緒に脱出し、その後は身を隠しながらでも生きてほしい。


 俺が救った世界で、希望を胸に生きてほしいのだ。

 

 だから、重ねて言う。


「死なんて願うな。せっかく自由になれたんだから生きろよ。これから俺が世界を希望で満たしてやるから」


 ぶっきらぼうなのは百も承知だがそう告げたとき、手足が動くことを不思議そうにしていたユウは、やがて無表情のまま俺に問いかけた。


「この鎖は、切断は不可能なはず……いえ……そんな事よりも、」


 ユウは俺を見据えると、ゆっくりとその口を開き、問う。


 「どうして助けたのか」と


「殺さないなら、そっとしておいてくれればよかったのに……!」


 どこかで読んだ話で、長い時の封印から覚めた途端に美しい姿から老婆になってしまった魔女の逸話があったが……まさか、その手の呪いでもかけられていたのか?


「なぜ? なぜ? なぜ? なぜ私を――」

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