第3話 奈落の底へ

 奈落の底へ落ちていく中、なんとか身をひるがえし、アステリオンを落下方向へと向ける。


「エンチャント! 【光来剣】!」


 詠唱すれば、アステリオンの刀身に光が宿る。そして切っ先から光が奈落の底へと伸びていった。

 ただの光だが、どれだけ深いところまで落ちるのか確認することはできる。


 グリモワール大迷宮は地下百層と聞いていたが、いくら深くても人間が落ちるのなんてあっと言う間だ。アステリオンの力で身体が強靭になっているとはいえ、そんな高さから落ちたらミンチもいいところだろう。


 つまり、落ちる前に何とかしなくてはならない。そのためにはこの穴がどこで最下層を迎えるのか把握しなければならないのだが、


「ッ! あれは!」


 最下層と思しき場所で何かに反射して光が見えた。その瞬間にアステリオンを崖に突き刺すと、全身の力を込めて落下スピードを落とす。

 こんなことは悪あがきなのは承知だが、落下スピードが遅くなってくれれば、落ちても耐えられるかもしれない。


 だが、エンチャントもなしに力づくで突き刺したアステリオンは崖から抜けてしまい、そのまま最下層へと落ちていく。


 ある程度は落下スピードを減少させたが、地面に叩きつけられたら耐えられるわけがない。他の魔術を使えないことがこんなところで首を絞めるとは思わず、舌打ちも打てないままに最下層へと落ちたのだが、衝撃は思ったよりも少なかった。


 というより、痛みこそあれ、ここは……


「プ八ッ!」


 痛みに耐えながらもがき、なんとか上を目指して”泳ぐ”と、辺り一面が水で覆われている。

 どうやら光が反射したのは水だったようで、ずいぶんと広く水面が広がっていることから、ここはどうやら地底湖のようだ。


「……悪運に救われたか」


 ここが地面だったら死んでいただろう。そう思いながら陸地を探すと、視界の先にボンヤリと光る場所が見えた。


 痛む体でなんとか泳ぎ、光の元へたどり着くと、ヒカリゴケの一種が辺りを照らしている。


「ああクソ……痛てぇ……冷てぇ……」


 なんとか地面にも上がり、一息つく。落下の衝撃で身体は痛み、頭もクラクラする。オマケにずぶ濡れだが、命に別状はない。


 とはいえだ、ここまで起こったことを文字通り頭が冷えて考え直すと、非常に深い溜息が出た。


 信じていた勇者には裏切られ、あろうことか魔王と結託している様子であり、仲間の女魔術師たちは魔物に食われるか、尊厳から何まで奪われるのだろう。


 ジークはこれを”シナリオ”と言っていたが、もしかしないでも仕組まれていたことは確かだ。


 『勇者パーティーが魔王に挑むも力及ばず、勇者一人が逃げ伸びる』。


 ジークの口ぶりやあの状況から、少なくともそれを目的にしていることはうかがえる。    


 しかし、目的も何も見当がつかない。


 だが、これがシナリオだというのなら、俺が生き残ったのは本来のシナリオでは起こりえないイレギュラーだろう。事実、ジークはアステリオンで俺を殺そうとしていた。


 つまり、俺一人が勇者と魔王の真実を知っている。

 遥か上にいるだろうジークと魔王を睨むように真っ暗な頭上を眺めると、ふつふつと怒りが湧いてきた。


 裏切られ、殺されかけ、アステリオンさえ奪われかけた。いや、そもそも最初からアステリオンが欲しいというだけで、俺を剣聖に選んだ。


 怒りは憎しみを生み、憎しみは怒りを増長させる。


 女魔術師や王都に人々を含む人間族は勇者が魔王を打倒し、世界に平和をもたらしてくれることを願っていたのだ。


 俺とて、名を上げるためだけに勇者パーティーにいたわけではない。

 片田舎のチンピラに過ぎなかった俺にも夢があった。光り輝く剣を携え、魔物を倒す『希望の剣聖』になることだ。


 部不相応な夢で、子供染みていることは分かっていた。それでも俺は、人々に希望を与えられる存在になりたかった。


 このアステリオンを、とある人から託された日からの夢だ。


 だから剣聖に選ばれ、勇者と共に戦えるとなったとき、誰よりも喜んだのは生涯忘れないだろう。


「それを全部、あのクソ野郎が台無しにしやがったってか」


 人々の希望も俺の夢も無下にし、あろうことか魔王と手を組んでいた。

 そして俺はアステリオンを誰にもバレることのないグリモワール大迷宮の奥で奪うために利用された。


「……なぜ俺がこんな目に、だとか……俺が何をした? とか、泣き言を言うつもりはねぇが……」


 痛む身体のまま立ち上がり、アステリオンを遥か頭上のジークへ向けて、宣言してやる。


「魔王もろとも報いは受けてもらうからな……! なんとしても這い上がって叩きのめしてやる……!」


 ここはグリモワール大迷宮の、何層とも知れぬ深き闇の底だが、必ず這い上がって、この胸で怒りと憎しみが形になった感情――『復讐心』を存分に満たしてやる。


 いや、なによりも人々の希望になりたいのなら、あの二人をそのままにしておくわけにはいかないのだ。


 そのためには、もう手段を選んでいられないし、どうやら選ぶ余裕もなさそうだ。


「グルルルル!」


 地底湖に落ちた音を聞いてか、それとも匂いを嗅ぎ付けてきたのか、どんどん獣型の魔物が集まってくる。

 そのどれもこれもが、地上では見たことも聞いたこともない魔物であり、とてつもない魔力を秘めていた。


「ずいぶんとお早い歓迎だな」


 こんな化け物たちが冒険者ギルドに討伐依頼として張り出されたら、どんな高レベルパーティーでも躊躇うだろう。しかし鼻で笑ってやり、アステリオンを構える。


「こっちは魔王と勇者を叩きのめすって決めたんだよ! 邪魔すんなら容赦しねぇぞ!!」


 パーティー内でのコンビネーションを気にした戦い方とか、剣聖としての品位を気にした戦い方とか、そんな物はかなぐり捨る。


 なにせここは、誰もいない地の底だ。いるのは化け物クラスの魔物と、俺一人だけ。


 まぁ早い話が、


「お行儀のいいのはここまでだ!!」


 聖剣……いや、魔剣アステリオンを手に魔物の群れへ突っ込んでいく。

 エンチャントで纏わせるのは、呪われた黒炎だとか、死霊の魂が宿った霧だとか、人の目につくと魔族の一人だと勘違いされてもおかしくない物ばかりだ。


 だが知った事か。落ちるところまで落ちたのだ。そして復讐心を抱いて這い上がってやると誓ったのだ。


 五臓六腑を撒き散らしてでも生き残り、ジークも魔王もをぶった斬る。殺しきれなかったら、真実をバラして社会的に殺しやる。

 そのためなら、悪魔の力と揶揄されそうな力をアステリオンに纏わせてでも、道を切り開く。


 しかし一つ気がかりな事がある。

 どこかに、上層へと登る階段か何かはあるのか、ということだ。


 落ちたのは偶然できたような穴であり、ここは先ほどまで歩いていたグリモワール大迷宮の整備された通路とは違い、洞窟のような場所だ。


「……階段とか、あるよな……?」


 この際、そんな都合のいいものじゃなくていいのだが、せめてよじ登れる壁くらいはあってほしい。


 魔物をひとしきり倒すと、当面の目的は「グリモワール大迷宮の上層へ続く道の探索」へと変わったのだった。

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