第27話 後悔

 沈んだ気持ちで屋敷の中に戻った真桜は、向こうから歩いてくる八坂の姿に気づいた。


「顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」

 八坂の方も真桜と目を合わせ、心配そうに声をかけてくる。


「いえ、なんでも……」


「私では頼りになりませんか?」

 眼鏡の奥で苦笑いを浮かべる八坂に、真桜は慌てて首を横に振った。


「そういうわけでは、ないのですが……」


「自分一人でなんとかしようとするところも、よく似ている」

 八坂の視線がかすかに遠くを見つめるように和らぎ、彼の表情には懐かしさが滲む。


「えっ?」

 真桜は目をぱちぱちと瞬いた。


 ――似ている? 誰に?


 そんな疑問が顔に出ていたのだろう、八坂は「少しお話をしましょうか」と言って、応接間に案内してくれた。


「東雲家であなたを見た時に、すぐに気づきました。もう忘れたと思っていたのに、ただ記憶に蓋をしていただけだったようです」

 八坂はソファに腰かけ、どこか過去に沈む影を宿した優しい眼差しを送ってくる。


「誰かに似ているなんて言われるのは、母くらいなもので……」

 戸惑い気味に真桜は、彼の向かいの席に腰かけてかしこまる。膝の上に乗せた指先がぎこちなく動く。


「お母上は雪乃さんとおっしゃるのでしょう?」


「え、あ、はい……! 八坂様は母のことをご存じなのですか?」

 八坂の問いかけに、真桜はびっくりして背筋をピンと伸ばす。


「ええ。他人の空似ということもあると思い、確かめもしました。白月家の人間の監視を行うと言えば、おのずとあなたの母親が誰なのか、わかると思って」

 八坂は気まずそうに笑い、眼鏡の位置を直す。声の調子は落ち着いているものの、その指先が微かに震えていた。


「思った通り、雪乃さんで間違いありませんでした。彼女は、現在ご自宅に戻られています。もちろん、我が家の使いの者が密かに交代で護衛についているので、何も知らないまま日常生活を送れているはずです」

 八坂はソファに凭れかかるが、その表情は安堵と後悔が混じったような複雑な面持ちをしていた。


「そうですか。それは……ありがとうございます」

 真桜が深々と頭を下げると、長い髪が肩をすべり落ちる。


「いいえ。もう二度と……雪乃さんをつらい目に遭わせたくないので。それと、彼女の娘である真桜さんのことも」

 八坂の声はほんの少しだけ震えを帯びていた。彼の手が拳を作り、膝の上でぎゅっと握りしめられる。その姿から言葉以上の決意が伝わってくるようだった。


「……母との間に、何があったのですか?」

 真桜が尋ねると、八坂はしばらく無言でいたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「縁が、なかった――など、今にしてみれば言い訳ですね。雪乃さんはもともと名家の生まれで、茶会の席で一緒になったのがきっかけで親しくさせていただいていました。ところがお父上の事業が暗礁に乗り上げ、彼女の家は没落。雪乃さんは借金返済のために花街へ売られたのです」

 語るうちに、八坂の声色はどんどん沈んでいく。


「当時、私は、なんとかそれを止めたかった。しかし彼女は面倒事に巻き込みたくない、自分がなんとかするから大丈夫だと言い張り……私の前から去りました」

 そう話す彼の眉間に刻まれた皺は、過ぎ去った時間を追憶するかのようだった。


「彼女を助けたいとも思いましたが、父がそれを察して勝手に別の女性との縁談を進めてしまったのです」

 言い終わった後、八坂は深い吐息を漏らした。その顔には強い後悔と無力感が交差し、過去の決断がどれだけ彼をさいなんできたのかを語っているようかのようだった。


「お母さん……昔のことは、全然教えてくれなくて……」

 真桜は膝の上で指を組み直す。初めて聞いた母の過去に、戸惑っていた。


「あなたと過ごした日々の方が大切だったのでしょう。私はその後、不甲斐ない自分から目を逸らすため、神具の研究に打ち込んできました。妻が産後の肥立ちが悪く早逝したのもあり、それしか私に残された道はないと思ったのです」

 八坂は静かに目を閉じ、さらに長く息を吐き出した。


 おかげで役に立ちそうな神具の開発は飛躍的に進みましたが、と八坂は自嘲気味に、口元を歪ませる。


「忘れたくても忘れられない、それはきっとあの時、彼女の手を離してしまった後悔が胸の奥でくすぶっているからです。どうか、あなたも一人で抱え込まないでほしい。神の半身であるあなたの心を曇らせているのはなんなのですか? 話せば楽になることもありますよ?」

 八坂はゆっくりと顔を上げた。そこには穏やかな笑みが浮かんでいる。


「私……本当に神の半身でいいのでしょうか? 暁翔様にはもっとふさわしい方がいるのではないかと思うのです」

 真桜は、肩を落とし、幽世かくりよで綾斗から話されたことを、かいつまんで語った。


「ことほぎの儀で私の力が足りなかったから、穢れを祓いきることができなかったんじゃないかって……」

 そう言って真桜は肩を震わせ、小さな声で続けた。


「私を助けてくれた暁翔様のご恩に報いたいのに、私のせいで……」

 彼女の瞳から次々と涙が溢れ、頬を伝い落ちていく。


「綾斗殿がそんなことを……」

 八坂は言葉を選ぶようにそっと口を開いた。


「たしかに、ことほぎの儀は神と人の間に結ばれるこれ以上ない儀式だと伝えられていますが、それはあくまで書物に記されているだけのこと」

 彼は言葉を強調するように、ゆっくりと真桜に向かって身を乗り出した。


「加えて、暁翔殿は、禍ツ神と成り果てていた。それを通常のことほぎの儀と同義に考えていいものでしょうか?」

 真桜を励まそうと真剣な意思が伝わってくる。


「むしろ、ここまで浄化できたことの方がすごいことだと思いますよ」

 穏やかな声色で結ぶと、八坂は微笑んだ。その笑みは暖かく彼女の心を包んでくれるようだった。

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