第二章 青の彼方
第5話 八方塞がり
明かり
真桜はぎゅっと膝を抱え、かじかむ指先を握り込んだ。
(今夜は眠れないかも……)
震えながらため息をつくと、目の前にふわりと毛玉が飛んできた。
「あ……」
暁翔の懐に隠れていた妖たちが出てきたのだ。真桜の手の甲を撫でたり、冷たくなった鼻の先をくすぐったりして、なんとか温めてくれようとしているらしい。
「ありがとう」
真桜はふわふわの毛並みにそっと触れ、笑顔を見せた。彼らの優しさに、こわばっていた心がほどけていく。
「あの……暁翔様は寒くありませんか?」
真桜は土間の一角に凛然と佇む暁翔に声をかけた。
薄い装束にも関わらず、背筋はまっすぐでその気高さは損なわれていない。
「寒さや暑さが
彼が言葉を紡ぐたび、妖たちは嬉しそうにふよふよと宙を舞う。
「暁翔様は……封印した者やその子孫を、怒ったり恨んだりしていないのですか?」
真桜はおずおずと尋ねる。
「怒りか。そのような感情はとうに捨てた」
その顔には微笑すら浮かんでいる。
(さすが……神様は達観されているのね)
ほんの少しのことで、いちいち感情を揺り動かされてしまう自分はなんと未熟なのだろう。
暁翔と同じとまではいかなくとも、何事にも動じない強い心が欲しいと真桜は思った。
「俺が怒れば村一つ簡単に消し飛ぶ。そうなると人間たちは困るのだろう? だから、いつしか怒ることを止めた」
その一言に、真桜は目が点になった。
(どうやら、怒らない理由の次元が違うみたいですね……!)
やはり、彼はまぎれもない『禍ツ神』なのだ。
その時、ふと廊下の方から足音が響いてきた。床板を踏みしめる音はやや乱暴だ。それだけで相手が苛立っているのがわかる。昼に握り飯を一つ持ってきた下女とは明らかに違った。
そして真桜はその足音には覚えがある――。
「真桜! 仕事の時間よ。さっさとついてきなさい」
乱暴に扉が開き、鼓膜を突き刺すような玲華の声が土間の空気を震わせる。
「は、はい……」
真桜は咄嗟に毛玉たちに目配せすると、その意図を理解してくれたようで、彼らはすぐに暁翔の懐に飛び込んだ。それを確かめてから着物の裾を払って立ち上がる。
「どんな妖が出たんですか?」
「手足の長い
そこで玲華はにんまりと笑った。
霧島といえば御三家の一つで、そこの嫡男と玲華の縁談が上がっていると下女たちが話していた気がする。霧島家は武術や剣術に優れていた。そこに
しかしながら守りの力が弱いという欠点がある。以前に比べて霧島家から助力の要請が入るとは感じていたが、もしかしたらその縁談がらみなのかもしれない。
(私には、関係のない話……)
もしかしたら、玲華が霧島家に嫁げば自身が退魔師として現場に行く必要がなくなるかもしれない。
だが父はずっとこの家にいるし、暁翔の力を何かに利用するつもりらしい。
八方塞がりだ、白月家に来てからずっと息が詰まる。心が安らぐのは、封印の祠に赴く時だけ。
(思えば不思議ね。『禍ツ神』が封じられている場所に逃げ場を求めていたなんて)
真桜は眉根を下げた。
「いいこと? 霧島様の足を引っ張るなんて許されないんだからね。しくじるんじゃないわよ! あんたの母親の命は私たちが握っていることも忘れないで」
玲華の声で現実に引き戻される。棘のある言葉を浴びせられる度に、胸が痛み、泣きそうになることもあった。
暁翔のように心を
「……わかりました」
「いつも通り、後ろでじっとしているだけでいいわ。霊力をすべて私に送りなさい」
玲華はそう言って握り込んでいた手を開いた。
そこには金と銀の二つの指輪がある。嵌っている石は黒く、表面はつるりとしていた。この指輪は結びの力で繋がっていて、銀から金へ霊力を送ることができた。
白月家が所有する霊具だが、使用すると指輪が熱くなり火傷したような痕が一時的につく。玲華はそれを嫌がり、退魔の依頼が入った時だけ、片割れを真桜に持たせていた。
離れれば離れるほど力の伝わり方も時間がかかるため、真桜は退魔師の「見習い」と称して現場まで連れていかれているのだ。
「そいつには、絶対にここから出ないよう言っておきなさい」
玲華はそう言い捨てると、暁翔の方をちらりと見た。彼女の目が一瞬だけ鋭い光を宿し、すぐに
「暁翔様。どうか、ここでお待ちください。必ず戻って参りますから」
真桜は彼に深くお辞儀をした。一つにくくった黒髪が胸元にするりと滑り落ちる。
「……おまえがそう言うなら」
暁翔は何かを伝えたがっているようにも見えたが、それ以上は何も言わなかった。
「馬車を待たせてあるのよ。さっさとしなさい!」
玲華は、怒鳴りながら何やら黒い珠のようなもので結界に触れた。
すると部屋にあった赤い糸がふっと消え失せる。どうやらその霊具によって部屋の結界を結んだり解いたりできるらしい。
真桜が部屋を出るとすぐに玲華は呪を施した。
「いってきます」
真桜はその場を立ち去る前に、ほんの少しだけ姿を見せた毛玉たちに小さく手を振ると、床を軋ませて歩き出す。
夕闇に覆われた廊下は、まるで出口の見えない迷路のようだった。
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