第26話 追走劇
天宮楓が失踪した次の日。
早朝に目が冴えてしまった光希は外に出ていた。白んだ空が暁を告げている。小鳥が無邪気に囀る声を聞いた。男子寮を出てすぐのベンチに腰掛け、刀を握りしめる。報告があれば、すぐに
「光希、場所は分かったわ。五星結界の東、
長い黒髪を振り乱して走ってきた木葉はなぜか私服だった。言い終わるや否や、木葉は光希を引っ張っていく。東門を出ると、そこには黒い車が一台止まっていた。
「助手席に乗りなさい。さっさと行くわよ」
いつの間にか運転席に乗り込んだ木葉がじれったそうに、助手席の座席を叩いた。
「あ、ああ」
光希がシートベルトをした直後、車のエンジンが凄まじい音で吼える。タイヤが地面を擦る音まで轟き、光希は背もたれに激しく押さえつけられた。
「うわああああああああっ!」
「口閉じてなさい! 舌噛むわよ!」
明らかに街中で出していい速度ではない。だが、木葉は平然とアクセルを踏み込んで車を駆る。半ば暴走車だ。引きつった顔で光希は街ゆく人々が驚愕している様子を見送る。市街を抜け、道が一本になったところで揺れは少しだけ収まり、光希はやっと口をきくことができるようになった。
「って、おまえ! 免許は持ってるのかよ!? 一応高一だろ!?」
「ええ。そうよ。高一だし、免許もばっちりよ。ああでも、免許は二十歳くらいって書いて取ったような気がするけれど。まあ、そんな細かいことはどうでもいいでしょ」
「よくないだろっ!?」
相変わらずエンジン音が暴走車のそれなので、騒音に負けないようについつい怒鳴ってしまう。木葉は悪びれもせず微笑み、さらにアクセルを踏み込んだ。
「行くわよー!」
「あぐっ──ッ!?」
舌を噛みかけて、光希はもう黙っているほかなくなった。外の景色を楽しむ余裕も当然なく、振り回される。気分はもうミキサーにかけられた野菜や果物と同じだ。だというのに、上のミラーに映る木葉は心底楽しそうで、なんなら歓声まで上げている始末だ。ちなみに光希の顔は青を通り越して真っ白になっていることがミラーによって確認された。
五星結界の端を意味する白いのっぺりとした壁が見えても、木葉がスピードを落とすことはなかった。直に門の前で土煙を上げて急停止。光希は額をフロントガラスに思い切り打ち付ける。
「こ、困ります! 許可のない方が車で外に出て行かれましてもっ! しっ、しかも学生同伴だなんてそんな! 今日、火曜日ですっ!」
門番をしている霊能力者二人が必死に木葉を止めていた。木葉は笑顔で殺気を垂れ流し、仕事を遂行しているだけの哀れな二人を威圧する。
「私は天宮の任務でここに来ているの」
「で、ですが車はお控えくださいぃぃ!」
「はあ? 車の何が悪いのよ! いいじゃない!」
「ただでさえ外の住民と我々霊能力者の仲はあまりよろしくないんです! 乱暴な運転の車で乗り込めば、関係性が崩壊しますぅ……」
男は汗を拭いながら涙ぐましい努力をしていた。さりげなく木葉の運転に文句を付けている辺り、図太いのかなんなのか。
「……おい、木葉。足で行った方が速いだろ。それに、こんなことで時間を食っている場合じゃない」
乱暴な運転でくらくらしていたが、光希はようやく車を降りて木葉を止めるだけの冷静さを取り戻す。不満そうな木葉をつついて、哀れな門番二人を通り過ぎる。通行許可自体は木葉が事前にもぎ取っていたらしい。
門をくぐれば、黄昏に沈んだ街に入った。五星結界の内部に比べて空気が淀んだような気がした。この感覚を覚えるのは霊能力者たちだけなのだという。空気中にある霊力が増えるせいだとも言われている。とはいえ、空気中の霊力は霊能力者たちが術式を使う際に使用する霊力とは性質が異なるため、霊力量の底上げには使えないのだが。
「目的地はこっちでいいのか?」
道を走るのでは遅いと屋根伝いに移動する。眼下では人々がひしめいていたが、ほとんど上を見上げる人はいない。風のように屋根を駆けている二人を見とがめる人もいない。
「ええ、間違いはないはずよ。この地区を越えて、あの山を目指して目標は動いているわ」
木葉が指し示した方角、夜へ変じる境目を少し越えた辺りに低めの山が顔を出していた。まだここからではだいぶ遠い。
生ぬるい風で木葉の髪が翻る。木葉の耳にイヤホンが装着されているのが見えた。どうやって連絡を取っているのか疑問だったが、逐次報告を受けていたからだったようだ。
「誰が桜木たちを追っているんだ?」
「影よ。天宮の諜報組織。特に名前はないのだけれど、影とみな呼んでいるわ。私たちの担任の佐藤和宏もその一人」
「追えるなら、その影っていうのが天宮を助けてもいいんじゃないのか?」
この手で助け出したい、というのは光希の願望でしかない。もしも、光希よりも早く救い出せる手があるならその方がいい。
「追えるからといって、手が出せるとは限らないわ。足が速い者に追わせてはいるけれど、高い戦闘能力を有しているわけではないもの。それに、やっぱりお姫さまは王子さまに救われるってものでしょう?」
ふん、と光希は鼻を鳴らした。つくづくふざけていると思ったけれど、状況的に光希が行くしかなさそうなので仕方がない。
光希は足に力を入れ、屋根から飛び降りる。ひび割れたコンクリートの上に軽やかに着地し、畑と草原が入り混じった景色を眺めた。居住区を抜けたとはいっても、未だ落陽の中。傾いた太陽は後ろにある。まだ遠い目的地の山を見れば、手前の空は夜へと変じるグラデーションを描いていた。とろりとした蜜色から甘やかな
「……っ! 何があったの!? 報告しなさい!? ねえっ!」
木葉の叫び声に光希は我に返った。
「どうした!?」
耳に付けていたイヤホンをひらひらと振って、木葉は一緒に頭も横に振った。
「連絡が途絶えたわ。あの山の方なのは間違いないけれど、もう詳細はおそらく分からないわね……」
「影が殺されたってことか?」
「その可能性が高いでしょうね。あの山は夜にあるから、
光希と木葉は細い獣道を歩き出す。一歩進む度に虫が舞うし、伸び放題の草が顔を叩いてくる。光希はいつもの仏頂面をして、足を進めた。
「どうしてっ──
途中で言葉が途切れたのはクモの巣を食べてしまいそうになって口を噤んだからだ。
「それは私も気になっていたわ。けれど、確かにあの辺りは霊能力者たちの手が届かないところよ。
夕暮れの森から一匹の黒い獣が姿を現した。大型の虎ほどの大きさの
「見事なものねー。さすが学年首席だわ」
やる気のない木葉の拍手に光希は思いっきり顔をしかめた。
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