第25話 深い深い夜の中で

 なぜ、と果てしなく続く夜に問う。たった独りで戦い続けるうちに、自分というものが消えてしまいそうだった。


 刀を振るう。刀を振るう。刀を振るう。


 蒼い炎を纏った刃を光希はただ振るい続ける。その度に夜の獣は塵になった。光希の行く手を阻む獣は、激しく燃える霊力の炎に焼かれ、朽ちていく。黒い塵は同じ色の世界に溶けて見えなくなる。深い夜の中では、光希の手にした蒼炎の刃だけが煌々と輝いていた。


 生ぬるい風が光希の髪を揺らし、霊力の光が無表情を冷たく照らし出す。


 五星結界の外側、常夜の戦場。

 それが光希の居場所だ。そこで戦うことだけが、光希の存在意義だ。


 なぜ自分なのだ、と変わることない夜に問う。答えは決して返らない。


 だから、きっと。

 この世界に、神はいない。



 ***



「光希を青波学園へ入学させるだと? ふざけるのも大概にしろっ! 出来損ないの分際で!」


 青波学園の入学式を明日に控えた日の朝、相川本邸には相川家当主の怒声が響き渡っていた。話の当事者である光希にも聞こえるほどの怒鳴り声は久方ぶりだ。さしずめ、相川家当主は光希の父親である相川みのるの言葉に怒り狂っているというところか。


 五星内、東に領地を持つ相川家は、十本家のひとつに数えられる霊能力者の名家だ。破魔の力を持つため、対夜徒戦闘を得意とする血筋。また、天宮に次いで閉鎖的な家であることでも知られている。その相川家において、直系の血筋を引いているにも関わらず、光希とみのるは少々特殊な立ち位置に置かれているのだった。


 光希は無表情のまま、木張りの渡り廊下で立ち止まった。家の人間に出くわさないよう周囲の気配には十分意識を払いながら、壁ひとつ挟んだ場所の会話に耳を澄ませる。盗聴や隠形に使う術式は知っているし使えるが、霊力量の細かい調節が苦手な光希が使えば聞き耳を立てていることがばれてしまう。なので、盗み聞きをするには古典的な手段を取るしかないのである。


「……これは決定事項です、ご当主様。既に光希は入学試験を受け、首席で合格もしております」


「わしは許可した覚えはない! お前がわしに隠れて受けさせたんだろうが!」


 抑えた声でみのるが話し、怒声で相川家当主が返す。いつも通りだ。当然これでまともな会話になるわけがなく、最終的にどちらかが一方的に意見を通すことになる。主に相川家当主の方が。


「そも、道具に学生生活など必要なかろう! 教育ならば家の者がすればよいだけのことだ。あれは戦うことだけできればいい! そのためだけにつくられたんだからな!」


 〝道具〟というのは光希を指し、〝教育〟というのは限界まで身体を痛めつけることを指す。血の繋がった人間が吐くには冷酷にすぎる言葉の数々を浴びたところで、光希の無表情は揺らがない。微かに青みがかった黒い双眸は凪いだまま、中庭の散りかけの梅を見た。


 ふっと目を閉じると、瞼の裏には夜の世界が映る。


 どろりと重たい闇の中に吹く生ぬるい風を。か細い星明かりばかりが見下ろす天蓋を。満月の日だけはすべてが青白く照らし出されることを。紅い残照がいなくなった後に訪れる夜の深さと重みを。独りきりで夜の野に立つ心細さを。──光希は、痛いくらいよく知っている。


 多くの霊能力の家がしのぎを削り合う中で、十本家に選ばれ続けることは容易なことではない。特に、破魔の能力者として目立った実力を持つ人間が輩出されにくくなった相川家にとっては。それゆえに光希は戦場へと駆り立てられる。ただ、相川の力を証明し続けるためだけに。相川家当主の嫌う末息子の子だとしても、光希が天賦の才と最高の戦闘能力を持つことだけは確かだったから。


 いつものようにみのるの言葉は撥ね退けられて、きっと光希は本家からは離れることはできないのだろう。青波学園は全寮制。中学に通うことにさえ難色を示した当主が許すとはとても思えない。


「ご当主様」


 氷のような声だった。父親に対して子が放つ声音ではない。けれど、みのると当主の関係性は温もりが宿る余地がないほどに冷え切っていた。


「先ほども申し上げました通り、これは決定事項です。光希があの学校に入学することは、天宮桜さくら様によって定められたことです。貴方にそれを覆す権利はありません」


「なっ!?」


 奇しくも光希が息を詰まらせたのも相川家当主と同じタイミングだった。


「先代の天宮の姫である天宮桜様が未来視の異能をお持ちだったことはご存じの通りです。したがって、光希は青波学園に行かねばなりません」


「っ、お前は……狂っている! 天宮の手先に成り下がりおって! お前が、お前が守り人になったあの日から!」


「……ええ、そうですね。そして、貴方も」


 ふつりと会話が途切れた。そして、光希は跳ねている心臓を落ち着けながら歩き出す。頭では先の話がぐるぐると渦を巻いていた。使用人たちの気味の悪いものでも見るような視線さえ、今は気にならなかった。


「光希、聞いたね?」


 相川直系が与えられるものとしては小さな部屋のドアノブに手を掛けたところで、光希の背中をみのるの声が叩いた。


「……ああ」


 振り返らずにぼそりと頷く。光希の聞き耳などみのるにはお見通しだったらしい。

「今すぐ荷物をまとめて学校に向かいなさい。既に入学手続きは済ましてある。足りないものは後でどうにかしよう。入学式には絶対遅れないようにね」


 早口で言った後、みのるが急ぎ足で行ってしまう気配を感じた。


「待て、一つだけ聞かせてほしい。対価はなんだ? ただでそんな学校に行かせてもらえるわけじゃないだろ?」


 慌てて問うと、振り返った光希の前でみのるが微笑んだ。


「たった一つ、与えられる義務を果たすことだ」


「義務ってなんだよ!」


 みのるは答えなかった。それとも、答えられなかったのかもしれない。その代わり、光希の手には青波学園に行くことができるという事実が乗っていた。夢でなく、本当に。


 その意味を、その時の光希は知る由もなかったけれど。





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