第8話 火種
翌朝、いつもより早い時間に目が冷めた。
隣のベッドを見ると、仁はまだ寝ていた。
仁は早起きタイプで、俺がいつも、だいたい七時前に目を覚ますときには、既に起きて日課の修行をしている。
俺は物音を立てないように起きて着替えた。
昨日あんな事があったっていうのに、俺のあそこは朝勃っていた。さすがに夢精はしていなかったが、自分の節操無さに笑える。いや、笑えないか。
一晩ぐっすり眠れたことで、気分はだいぶ落ち着いていた。
今までだって、ちょっといいな、とか、かわいいな、と思った女子に、他に好きな男がいたなんて経験はあった。それと同じだ。
ほんの少しだけ、好きになりかけの状態だ。
「深入りする前に気付いてラッキーだ」
鹿島神宮の境内をトレーニングしながら走っていると、綺麗な緑色の景色が滲んできた。
「やっぱ、けっこうキツイかも……」
誰もいなかったから声に出してみた。
そしたら、それが俺の本心なんだと腑に落ちてしまった。
鹿島神宮内の御手洗池という場所に来た。
澄み切った湧き水の池と、その中に建つ鳥居が神秘的な場所だ。
今までそんなことしたことはないが、靴を脱いで裾をまくり上げ、池の中に足をいれてみた。
池に建つ鳥居と、もたれかかるように生える木、背後に茂る青々とした葉。
何か理由があって池に入ったわけじゃない。
でも、そうすることで自分の気持ちに素直になれて、そして悩みが大したことのない事に思えた。
「そうだ。ただ失恋しただけだ……よくある話だ」
鳥居をじっと見つめる。
自分はここに何しにきたのか考える。もちろん、ダンジョンに潜るためだ。
「出会いを求めて来たわけじゃない……」
言葉にしたことで感情が整理されたような気がした。
ちょうどよく火照った身体が、冷たい湧き水で冷やされて気持ちよかった。
俺は池から上がって日課のトレーニングを続けた。
いつの間にか、日も上がってきて、青空が広がっていた。
最高の天気になるのは間違いなさそうだ。
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何もかもがスッキリ解消したわけじゃない。
授業を受けていても、ふとしたらそのことを考えていたりもする。
心が鈍い痛みを感じたりもする。
お昼に栗林さんと五菱さんがお近づきに来たときは、心穏やかではいられなかった。
どうして昨日の今日で、と思った。
俺は、もっぱら三人の話に相槌を打つくらいしか出来なかったし、五菱さんの顔はほとんど見れなかった。いや、まったく見れなかった。
でも表面上は上手く繕えたと思う。
お昼休みが終わり、席を立つとき、一瞬だけ五菱さんが悲しそうな顔をしてるように見えた。
ほんの一瞬だけだったから見間違いかもしれない。
だって、そうじゃないか。
泣きたいのはこっちの方なのに……。
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午後一の戦闘訓練では、基本型の指導が一段落し、大きく二つのグループ、初心者と経験者に分かれて、模擬戦の訓練が始まっていた。
ルールは頭や胴、首に一本入れたら終わりだが、刃をつぶした訓練用の刀剣や槍とはいえ、思いっきり振れば怪我は避けられないので、実際は寸止めで決着となる。
審判は指南役がやってくれる。
試合結果は集計されて、教室に張り出される。
この模擬戦でダントツだったのは、やはり仁だった。
ほとんどの男子は仁に勝てなかったし、俺も仁には負け越していた。
「次っ、前へ」
前に戦ってた生徒の決着が着いたようだ。
指南役の声がかかり、進み出る。
相手は郷田だった。
なにも思うところがなかったわけじゃない。が、俺は努めて平常心で模擬戦に臨んだ。
「始めっ」
開始の合図とともに郷田が踏み込み、上段から責めてきた。
郷田の武器は剣だ。その大きい体格を活かして次々に重い振りを繰り出してくる。
たぶん、上背は一八〇センチくらいある。肉付きも良くて、クラスでも一番デカい生徒だ。ウェイトもパワーも俺より格段に上。
郷田との模擬戦は初めてだが、ダンジョンを順調に探索しているだけのことはある。
だが、動きが雑だ。
フィジカル的な才能は抜群だが、剣道の経験はそれほどではないのだろう。
足さばきは汚いし、力を入れすぎていて剣速がでていない。
端的にいえば雑なのだ。まさに性格的な粗暴さが表れている剣だった。
降りかかる攻撃を避け、短槍でいなし、甘く入ってきたところでカウンターで突き刺す。左肩と左胸の間のあたりだ。
実践ならこれで片腕の動きはほぼ封じられ、決着がつくが、この模擬戦では明確に急所に当てるまで終わらない。
荒い攻撃を避け、打ち払い、突き刺す。
右肩と右胸の間を差し、次はまた左肩と左胸の間を刺す。
郷田も俺との実力差に気づいたのだろう。
どんどん力が入り、顔を真赤にさせて剣を振り回す。もやは剣道ではない。力まかせのチャンバラだ。
終わりにするか……。
力任せに横から振り抜いた胴打ちを、短槍で角度を付けて上に弾き、掻い潜って穂先を郷田の首に当てる。終わりだ。
「やめ――」
指南役の合図が入る。
郷田は勢い余った刀に振り回され半回転して……。
一瞬笑ったように見えた。
そのまま勢いを止めるどころか加速させて――
コイツっ……!
短槍は郷田の首に当てているので防御は間に合わない。
咄嗟に
――剣が宙を舞った。
剣先が頭を掠る。
「やめろっ!!」
指南役が再度止めに入る。
「てめェッ!!」
観戦していた仁が郷田に詰め寄る。
ギリギリだったが、刀を避けきれたはずだった。
郷田が剣を投げさえしなければ。
運動服に何かが滴り落ちる。
……赤い。血だ。額が切れてしまったのか。
「郷田ァ! 何してんだコラァ!」
「止めなさい!」
いきり立った仁を、指南役が止めに入る。
「いやぁ、わりぃわりぃ。勢いがつきすぎてよ」
郷田が薄ら笑いを浮かべて謝罪する。
「急には止まれねえよ、へへ。わかるだろ?」
「あァ!? 剣を投げて、そんな言い訳が通るか!」
「へへっ。汗で手がすべっちまったんだ……。信じてくれるよな? 香取」
「……いいさ」
立ち上がって郷田に向き合う。
相変わらずヘラヘラ顔の郷田と、他の者たちが俺に注目する。
「へへ。わかってるじゃ――」
「おまえの未熟さも考慮すべきだったよ」
郷田のヘラヘラが止む。
「次からは気をつけろよ、雑魚」
「…………てめぇ」
郷田が
「……ハハッ。まァオマエがいいならいいさ」
仁も落ち着いたので、その場の混乱は収まった。
郷田が指南役から注意を受けていたが、こちらを睨んでるのがわかった。
また一悶着ありそうだ。
いや、一悶着で済まさないのはこっちの方だ。
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額の傷は大したことはなかった。
念の為、保険室に行ったが、血はすぐに止まったので絆創膏だけ張ってもらった。
それじゃあ、ダンジョンに行くかという矢先、クラスメイトの
郷田のチームのメンバーで、しばらくまえに郷田たちから爪弾きにされていた男子だ。俺より五センチくらい背が低いので一六五センチくらいだろうか。クラスで一番小柄な男子だ。羊のようなもっさりヘアーで、運動が得意なタイプには見えない。
「オレたちのチームに入りたいだァ?」
「……うん。前々から役立たずだって言われ続けてて、さっきクビだって……」
仁が俺を見る。
さっきの騒動の直後にコレだ。もちろんわかっている。
「なんで俺たちのチームに?」
とりあえず聞いておくか。
「それは、ダンジョン攻略が順調そうで人数が少ないから……。
「そりゃそーかァ」
郷田たちは、碇が抜ければ郷田、骨皮と、池田のチームが合流して五人だ。
茶山たちは三人メンバーで、イケメン古川くんのチームが合流して五人。
残るは、俺たちか、夢見と五木のチームしかない。
「武器は何使ってンだァ?」
「盾がメインで、片手剣を持ってるけど、でもほとんど盾役なんだ……」
「盾役ゥ? それ経験値は大丈夫なのかァ?」
ダンジョンに『経験値』という概念があるのかどうかは定かではない。が、マナが扱えるようになったり、ジョブを得るための成長の推移を、ダン高において『経験値』と言ったりする。
「多分、ダメだと思う……。郷田くんたちに言ったことはあるけど、なら他に何ができるんだって……」
「チッ、あいつらクズだな」
仁が憤る。俺は予想の範囲内ではあったから、仁ほど義憤は感じなかった。
「他に扱える武器はないのか?」
さすがに何もできないメンバーを仲間にいれるわけにはいかない。一方的に与えるだけの関係なんて続かない。
「中学の時は弓道をやってたんだ。けっこう真剣に。だからここでは弓を使おうと思ってたんだけど、郷田くんたちが、危ないからやめろって……」
気持ちはわからなくもない。前衛からすれば、信頼の置けない射手は怖い。
まあ、郷田の本音は、敵を引き付ける
「盾なんてやってても先はない、弓にしたほうがいい」
「えっ、じゃあ入れてくれるの?」
「ああ。といっても、この先ずっととは言えない、碇次第だ」
「それで十分だよ、ありがとう」
碇はお礼をいって、弓を取りに行った。
「……」
仁が無言で確認してきた。
「向こうから仕掛けてくれたんだ、乗った方が早いだろ?」
「それならいいさ」
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弓を持ってきた碇を待ってダンジョンに入った。
碇に詳しく話を聞いたところ、最近の郷田たちは、
碇がなるべく多くの小鬼を引き付けて、防御に徹する。
そして郷田と骨皮が残りのゴブリンを早めに片付け、碇が引き付けていた敵も二人で倒してしまう。
碇が自らモンスターを倒したことは、ほとんど無いのだという。
「碇の弓は、モンスターには刺さらないかもしれない」
俺や仁の攻撃は、一撃でモンスターの急所まで届くようになっていた。
攻撃力の向上を実感しているし、おそらく、マナが扱えるようになってきているんだと思う。
でも、ほとんど攻撃に参加してこなかった碇は、そのレベルにはないだろう。
「それでも、敵の飛び道具持ち優先で攻撃してくれ」
碇にはそれだけ指示していた。
直径四メートルほどの比較的狭いトンネルを抜けた先、見晴らしのよい空洞に小鬼がいた。
距離がある。二十か、二五メートルくらいか。
「視認六! 碇!」
「うんっ!」
碇が矢をつがえ弦を引き絞る。
俺と仁は既に走り出している。
敵は槍ゴブ三体、盾と片手剣ゴブ一体、弓ゴブ二体だ。
俺は右から片手剣ゴブと槍ゴブを相手にする。
バシィッ!
「ギャッ!」
弦を放つ音、それから小鬼の悲鳴が聞こえる。碇の放った矢が命中したようだ。
俺は手早く槍ゴブを片付け、剣ゴブに取り掛かる。
敵を視界に収めながら周りを確認すると、仁も二体目の槍ゴブに取り掛かっていた。
弓ゴブの一体は体勢を崩していたが、起き上がろうとしていた。碇の矢は、案の定刺さってはいなかったが、効いてはいた。
もう一体の弓ゴブが碇を狙っている。
バシィッ!
再度弦を放つ音がした直後、碇を狙っていた弓ゴブの腹のあたりに直撃し、弓ゴブの矢はあらぬ方向へ飛んでいった。
悪くない。
この距離で当てられるなら思った以上にやれそうだ。
俺は相対していた剣ゴブも倒して、残った二体の弓ゴブに近付く。仁も戦いを終えていた。
「碇、来い!」
「えっ? うん」
俺は弓をつがえようとしていたゴブの腕と脚を刺し無力化していた。
殺してはいない。
「碇が殺すんだ」
「……いいの?」
「ああ……。じゃないといつまでもこのままだ」
「うん……」
碇は少しの逡巡の後、片手剣を両手で握って弓ゴブの胸に突き刺した。
何度も繰り返し、一分ほどかけて二体の小鬼にトドメをさした。
それから、倒した各々のコアと戦利品を漁り、装飾品と傷薬を回収した。
「僕、ゴブリン袋を漁ったの初めてだ……」
碇が変な感動をしていた。
装飾品の中に、青く輝く指先ほどの石があった。
装飾品は、今までの所、大した額にはならなくて、価格がついても数百円程度だった。
ただ、俺たちに目利きはできないし、かさばるものでもないので、一応持ち帰っている。
それから同じように戦闘を繰り返し、その日は小鬼を三十四体討伐した。
購買部で精算してもらい、買取額はなんと、合計約一万六千円になった。
青い石が宝石の原石で、一万二千円の値がついたのだ。ちなみに小鬼のコアは一つ百円だ。
「三等分でよかったの?」
碇が端末から口座を確認して驚いている。
「あたりめェだろ」
「もちろんさ。碇の弓、効いてたよ」
碇はそんなことないよと言ってたが、嬉しそうだった。
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