12月21日 テーマパーク
石畳の通りは、しばらく歩くとまた暗くなりました。街灯は立っているのですが、明かりが切れているのです。さっちゃんは、ろうそくはもう使ってしまいましたので、マッチ箱の中のマッチを擦って、明かりを得られないかと試しました。けれどマッチはすぐに燃え尽きてしまいますから、あまり役に立ったとは言えませんでした。
足元も、石畳だったのがふいに違う感触になりました。真っ暗闇の中で、さっちゃんはその場にしゃがみこみ、手探りで地面を撫でてみます。その手触りは、どうやらアスファルトのようです。
平らに整備されたアスファルトの道路を、さっちゃんは歩きます。後ろを振り返れば、さっちゃんの腰に結び付けた命綱が、ぼんやりと銀河の燐光を放っており、それが唯一の光源でした。
闇の中を、さっちゃんは進みます。果たして真っ直ぐ、進めているのでしょうか。不安になって、さっちゃんはハンドバッグの中からキーリングを取り出しますと、そこからコンパスのキーホルダーを外しました。元の大きさに戻し、残り少ないマッチを擦って、コンパスの指している方向を確認します。針は、まるでコンパス自身も行く先に迷っているかのように、赤い矢印をぐるぐる回しています。
「この海の奥側って、どっちか分かる?」
さっちゃんは、コンパスに囁きました。そうしますとコンパスは、ぐるぐるともうひとまわりした後で、矢印を、ある方向へ向けました。それはさっちゃんがずっと歩いて向かっている方向と、そう変わらない向きです。
「ありがとう」
コンパスにお礼を言って、さっちゃんはほんの少し軌道を修正してから、また歩き始めます。
それからもときどき立ち止まって、コンパスの指す方向を確認しました。そのたびにマッチを擦ってはもったいないので、さっちゃんは腰に結び付けた命綱にコンパスを近付けて、薄ぼんやりとした明かりの中で、苦労して方向を見ました。
あるいは、ホシウの羽から採った水素の炎を持っていたことを思い出し、その試験管を持ち出して明かりを得ようとしました。けれど水素の炎は、光よりもぬくもりを与えることの方がずっと得意のようで、ふいに昏く消えそうになる光は、さっちゃんが期待したほどには明かり代わりにはなりませんでした。
コンパスの針に導かれながら、さっちゃんは歩きました。今、海上の舟からどれほど離れているでしょう。確認するすべは何もなく、ただ歩き続けるしか、出来ることはありません。
ずっと歩いていますと、ふと、音楽が聞こえたような気がしました。海の底はどこまでも静かですから、さっちゃんは初め、それを耳鳴りだとしか思いませんでした。しかし二度、三度と聞こえるたびに、音楽は大きくなっていきまして、四度目に鳴ったとき、耳鳴りではないとさっちゃんは確信したのです。
音楽は、やけに明るく楽しげで、ともすればがちゃがちゃした騒音にも近いものです。音楽は、コンパスの針が示す方向から聞こえてきます。さっちゃんは早足で、音楽の鳴る方へと向かいます。音楽は少しずつ、大きく聞こえてきます。
ぽつりと、光の点が見えました。ひとつだけではありません。いくつもの光の粒が、アーチ状に連なっています。音楽は、あのアーチの向こうから聞こえてきます。
あれは、テーマパークです。近付くにつれて、テーマパークにあるべきあらゆるものの姿が見えてきます。メリーゴーランドも、ローラーコースターも、観覧車もあります。さっちゃんはこの場所を、確かに知っているのです。
アーチの手前にある券売機で、入場券を買ってから入らなければなりません。さっちゃんはお金を持っていませんから、ハンドバッグの中のものをすべて出し、お金の代わりになるものを探しました。そして、アーチの脇に立っている人影に、さっちゃんが持っているものを見せました。
「この中で、お金の代わりになるものがありますか。このテーマパークに、入りたいんです」
その人影は、顔も背格好もすべてがぼんやりぼやけていて、男性なのか女性なのか、若いのか歳を取っているのか、まったくわかりません。けれど、テーマパークの制服を着ていますから、この人に訊けば分かるはずだと、さっちゃんは思ったのです。
入り口の人は、ハンドバッグの中身をひととおり確認しますと、さっちゃんが毛糸で編んだものの数々を指差しました。
「キーホルダーのままで良いですか。元に、戻した方が良いですか」
さっちゃんが尋ねますと、入り口の人は「そのままでいい」といったジェスチャーをしましたから、さっちゃんはキーリングから、それらのキーホルダーを外して、入り口の人に渡しました。入り口の人は、編み物のキーホルダーを制服のポケットに入れますと、パンチで穴を開けた入場券を一枚、さっちゃんに手渡しました。
電飾が明々と光るアーチをくぐり、さっちゃんは、テーマパークの中に入ります。入ってすぐに、ずらっと続く花壇があり、季節の花が植えられているのです。今は冬だから、冬の花かしら。さっちゃんはそう思ったのですが、行ってみますと、そこに広がっているのは一面の菜の花畑だったのです。
柔らかな黄色の花弁が、海底を吹く風にそよそよ揺れながら、ずっと向こうまで続いています。花壇の道に立ち入りますと、菜の花の濃い匂いが、さっちゃんの鼻腔をくすぐりました。さっちゃんが歩くたびに、春の匂いと共に、星屑の光が舞い上がります。ミトラ採りを手伝った報酬として、すーちゃんにもらった春の匂いの香水が、ちょうどこんなふうでした。
花壇の道を通り抜けますと、まずそこにあるのはメリーゴーランドです。誰も乗っていないのに、メリーゴーランドの馬たちは、丸屋根の下をぐるぐる回っています。その動きに合わせて、オルゴールの可愛らしい音が、クリスマスキャロルを鳴らしています。同じところを延々と、この馬たちは無限に回り続けるのだろうと、さっちゃんは思いました。
そしてまだ奥へ行くと、低い音を立てながら、ローラーコースターが走っています。車体が急な坂を駆け下りますと、誰も乗っていないコースターから、きゃーと楽しそうな悲鳴が上がりました。
さっちゃんはその光景を横目に見ながら、テーマパークの奥にある、観覧車を目指します。
観覧車の乗り場にも、制服を着た人影がありました。乗るのに、またお金が必要なのです。さっちゃんは、編み飾りのお花をいくつか手渡しまして、観覧車に乗り込みました。
係員さんが扉を閉めて、しっかりとかんぬきをかけます。観覧車はさっちゃんを乗せて、ゆっくりと回転します。
メリーゴーランドの屋根よりも、ローラーコースターの軌道よりも高い場所へと運ばれながら、さっちゃんは窓に手をついて、なるだけ遠くを見ようとしました。
コンパスを取り出して、赤い矢印の指す方向に目を凝らします。双眼鏡だって、使ってみました。だけれど、明るいのはテーマパークの敷地内だけで、その先にいったい何があるのかは、どうしても見えないのです。観覧車は、まだまだ高く上っていきます。
さっちゃんは、遠くを見るのを諦めて、椅子に座りました。プラスティック製の椅子は固くて冷たくて、決して座り心地は良くありません。けれどさっちゃんには懐かしく、居心地よく感じる椅子でした。
「おばあちゃんと来たときも、この観覧車に乗ったな」
眼下に広がる明かりを眺めながら、さっちゃんはつぶやきました。
「そうだったかねえ」
向かいに座るおばあちゃんが、答えました。「うん」とうなずいて、さっちゃんは、視線を窓から正面へと移します。おばあちゃんは、観覧車の椅子に深く座って、微笑んだまま、さっちゃんを見つめています。さっちゃんも、それに応えるように、微笑みを浮かべます。
「観覧車って、ものすごく楽しい乗り物だと思っていたの。それで、乗せてもらったんだけど、乗ってみるとあんまり楽しくなかったんだ。ゆっくりしてて地味だし、すぐに退屈になっちゃった。それで私、すねちゃって、おばあちゃんを困らせたよね」
さっちゃんの話に、おばあちゃんはうなずきながら、また「そうだったかねえ」と言いました。観覧車はゆっくりと、まだまだ上へ向かいます。さっちゃんは再び視線を窓に向けました。今度は、窓の向こうの景色ではなく、窓に映るおばあちゃんの姿を見ました。
「……ほんとはね、嘘」
さっちゃんがそう言っても、おばあちゃんは微笑みを崩しません。さっちゃんの頬から微笑みが消えても、おばあちゃんは判子を押したように、笑ったままです。さっちゃんは、窓に映ったおばあちゃんに向かって、話します。
「おばあちゃんと、このテーマパークに行ったこと、ほんとはあんまり覚えてないんだ。観覧車がつまらなくってすねたのも、お土産にマグカップを買ってもらったのも、帰りたくないって駄々をこねたのも、覚えてない。お母さんから、そういうことがあったよって、聞いただけ」
「そうなの」
窓の中のおばあちゃんは、微笑んだままです。この微笑みすらも、実のところさっちゃんは、あんまり覚えていないのでした。
写真に写っているおばあちゃんは、いつもこうして微笑んでいたのです。だから、おばあちゃんを思い出すとき、記憶の中のおばあちゃんは写真と同じように微笑んでばかりで、さっちゃんは、それ以外のおばあちゃんを思い出せないのです。
「ごめんね、おばあちゃん」
さっちゃんの目から、涙がぽろりと落ちました。おばあちゃんは、写真の中のおばあちゃんと同じ微笑みを浮かべたままです。
やがて観覧車は頂上へと到達し、そこからまたゆっくりと、下っていきます。一番下へ着くまでに、さっちゃんもおばあちゃんも、何も話しませんでした。
一回りしますと、係員さんが扉を開けてくれまして、さっちゃんとおばあちゃんは観覧車を降りました。
観覧車の上から、目的地を探そうというさっちゃんの目論見は、外れてしまいました。しかしだからといって、この先へ行かないという選択肢はありません。そろそろテーマパークを抜けて、進まなければなりません。
「じゃあ、おばあちゃん、さよなら」
さっちゃんが言いますと、おばあちゃんは辺りをきょろきょろ見回して、小走りでさっちゃんに近付きました。そして、スカートのポケットから何かを取り出しますと、それをさっちゃんに握らせました。かさかさに乾燥した手が、さっちゃんの手を握り込みます。
「お母さんには、内緒」
そう言って、おばあちゃんは、にやっと笑いました。それは写真の中のおばあちゃんとは印象が違う、いたずらっぽくてちょっと悪そうな笑みです。握られた手を開きますと、金の粒がみっつ。すきま世界のお金です。
そういえばおばあちゃんは、どこかへ出かけたときはいつも、帰りしなにこうして何かを握らせてくれました。それは小銭であったり、お菓子であったりしたのですが、さっちゃんとおばあちゃんの約束で、お母さんには絶対内緒だったのです。
これは、紛れもなくさっちゃんの記憶、さっちゃんだけの思い出でした。
「あのね、さっちゃん。すきまに入り込んだ思い出は、とっても取り出しにくいけれど、ふとした拍子に転がり出たりするものよ」
そうして、ぱちりとお茶目なウインクを残して、おばあちゃんはまばたきの隙に消えてしまったのでした。
おばあちゃんにもらったお金を、ハンドバッグの中に入れまして、さっちゃんはテーマパークの出口へと向かいました。出口はちょうど、テーマパークの敷地を挟んで入り口の反対側にありましたから、ここから出てまた歩いていけば、海底の奥の奥へと向かえるはずです。
出口のアーチの手前には『再入場不可』の看板が立っていました。過ぎ去ってしまった時間には戻れないのです。
ここを出れば、あの観覧車には二度と乗れません。身長が足りなくて乗れなかったローラーコースターにも、並んでいる人が多いから乗らなかったメリーゴーランドにも、もう二度と、どんなに乗りたいと思っても、乗れません。
「さよなら」
煌びやかな思い出に別れを告げて、さっちゃんは、出口を飾るアーチをくぐりました。ここから先は、また闇が続いています。
明かりもない中を、さっちゃんは歩きます。時々、振り返ってみますと、テーマパークの明かりが遠くに見えました。けれどしばらく行くと、それも見えなくなりました。闇の中に光るものは、さっちゃんの腰から伸びている、命綱ばかりです。
方角を確認して、歩く。歩いたらまた方角を確認して、また歩く。その繰り返しです。闇の中で、さっちゃんは次第に、右も左も、上も下も分からなくなっていきました。ときどき、右か左にものすごく逸れているような気がします。あるいは、自分が逆さまになって歩いているような気もします。
はっきりと分かる方向は、前と後ろだけ。前は、コンパスが指し示してくれますし、後ろは、銀河フィラメントの命綱が伸びているためです。
(でも、それだけ分かれば、充分だわ)
さっちゃんは気丈に自分を叱咤して、歩き続けます。
やがて、旅の終わりが見えてきました。こつーん、こつーんと音が聞こえてきます。その音の方へと行きますと、闇の中に黒々と、大きな壁が、前方に立ちはだかっているのです。
壁の中には光る何かが埋まっており、その明かりが、壁全体を闇の中に浮き立たせています。
壁は左右にどこまでも広がっていて、途切れるところがありません。また上の方にもどこまでもそびえていて、やはり途切れるところがありません。どうしてもこの壁を乗り越えるのは不可能と思え、どうやら海の底は、ここで行き止まりです。
視界いっぱいに壁を捉えて、さっちゃんは立ち止まりました。すーちゃんはきっと、ここにいるのです。
こつーん、こつーん。この音は何でしょう。ひとまずさっちゃんは、壁の近くまで行ってみることにします。
ちょうど、日付が変わりました。
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