12月17日 セトモノ市


 セトモノ市は、これまでで最も賑やかな停車場でした。

 バスが停まった石畳のロータリーは、赤煉瓦の大きな建物に隣接しています。そこいらじゅうに裸電球の金色の明かりが連なっており、どこに立っても四方から照らされますから、足元に影ができないほどです。

 ロータリーから向こうには大通りが伸びており、ここよりももっとたくさんの人が行き交っているようでした。


「セトモノ市での停車時間は、十七彗時だって」

 バスの運転手さんと話し終えた女の子が、言いました。確か、外惑星サービスエリアでは、五彗時の停車時間でした。その時はラーメンを一杯食べて、そこそこ世間話をしたくらいで、五彗時が経過したのでした。ということは、十七彗時というのは、だいたいどれくらいの時間でしょう。

「もしかして、結構長い?」

 さっちゃんが尋ねますと、女の子はうなずきました。

「ゆっくり街を見て回るくらいの時間はあるかな。行こうか、さっちゃん」



 さっちゃんと女の子は、セトモノ市の大通りを歩きます。ここは本当に賑やかで、ボタン商店街よりも多くの往来があるようです。

 ボタン商店街と違うのは、道行く人々の大半が、たった一色のみの格好をしていることでした。誰もかれも頭からつま先まで、白か、赤茶色か、焦げ茶色か、それに似た一色で統一されているのです。

 白い人は、白粉を塗り込めたような肌。紡ぎたての絹のような髪。おろしたてのシーツのような服を着ています。

 赤茶色の人は、栗の鬼皮のような肌。つやつやの瑪瑙のような髪。新品の本革のような服を着ています。

 焦げ茶色の人も、灰色の人も、白茶色の人も、クリーム色の人も、とにかくみんな、一色だけ。黒やら白やら肌色やら、たくさんの色を持っているのは、今のところ、さっちゃんと女の子しかいないのです。

 さっちゃんは、自分が場違いであるような気がして、居心地悪く感じました。かたや女の子は、そんなことちっとも感じていないようです。平気な顔をして、大通りの真ん中をずんずん歩いていきます。


 通りの両脇には、意外にもお店はひとつもありません。赤煉瓦造りの、中層階建てのマンションがずらりと並んでいます。どの建物も、入り口は大通りの側には向いておらず、通りからは規則正しく並んだ窓だけが見えました。

 フイルム団地を思い出させる建ち並びです。けれどここの建物の窓には、フイルム団地のように過去の光景は映し出されておらず、明かりのついている窓とついていない窓と、まばらです。


「あんまり見るものもないかもな。誰かに聞いてみよう」

 女の子は、まったく気持ちが良いほど物怖じしないのです。その辺を歩いていた人を捕まえて、「よそから来たんですがね。バスが出るまで、なにか見て面白いものはありますか」と尋ねます。

 その人は、真っ白な髭をたたえた、真っ白な老人でした。ご老人は、まず女の子に呼び止められたことに驚き、それから、女の子とさっちゃんが複数の色を身につけていることに、大いに驚きました。ナンキンハゼの実のように真っ白な目玉が、今にもこぼれ落ちてしまいそうです。

「あんた方、よそから来んさったのかい。まあ、色がたくさんあって、目に痛いこと」

「ごめんね。でも、たくさん色があるのも、素敵でしょ」

 女の子はそう言って、その場でくるんと回りました。青い吊りスカートが、ふわりと風を受けて広がります。

「うん、すてき、すてき」

 と、おじいさんが褒めましたので、女の子も「おじいさんのお髭も、すてき」と褒めました。


 話を聞けば、おじいさんは今日、とても忙しくしているのだと言います。何に忙しいのかと言えば、今日やるべきことを探すのに忙しかったそうなので、ようやくやるべきことに突き当たり、たいへん喜んでいるようでした。

 よそから来た人たちに、セトモノ市の案内をするのは、この上なく重要な仕事である。そう言いたげに誇らしそうな様子で、おじいさんは、自慢の髭を撫でつつ説明します。

「セトモノ市で見るところ。そう言ったらこの時期は、なんといってもあの木だね」

 おじいさんの、しわしわだけれど真っ白な指が、赤煉瓦のマンション群の向こうに見える、赤茶色の丘を指差しました。丘の上に、真っ白な木が立っているのが、ここからでも見えます。木は天を指す矢印のようなかたちをしており、たぶん、針葉樹なのです。


「クリスマスツリーかな?」

 女の子が言いますと、「そう、そう」と、おじいさんが同調しました。

「普段から、真っ白で、きれいだけどね。この時期はいっとうきれい。ほら、セトモノたちを送り出すのに、火を焚くでしょうが。今夜ですよ、今夜。あれは、絶対、見た方がいい」

「火って? クリスマスツリーに、明かりを灯すということ?」

「焼き入れだよ、焼き入れ。おっと、こうしちゃおられんよ。やるべきことを思い出した。うわぐすりを調合せにゃあ」

 容量を得ない説明をさっさと終わらせて、真っ白なおじいさんは、もうさっちゃんと女の子の姿なんて見えていない様子です。

「ああ、忙しい忙しい。今夜のうちに、調合せにゃあ」

 なんて言いながら、また大通りを歩いて行ってしまいました。


 通りの真ん中に取り残された二人は、顔を見合わせて、それから丘の上を見ました。

「行ってみる?」

「行ってみようか」

 そうして二人は、丘の上の真っ白な木を、見に行くことにしたのです。



 なだらかな丘は赤茶色一色で、土でもなく砂でもないもので出来ていました。さっちゃんたちのほかにも丘を登る人は多くおり、皆、頂上の木を目指しているようです。赤茶の丘と真っ黒な夜を背景にして、白い木のシルエットがひときわ目立ちます。

 さっちゃんは、えっちらおっちらと足を動かしながら、丘を登っていく人たちを横目で観察しました。真っ白な人、白茶色の人、こげ茶色の人。

 彼らの全身が同じ色で統一されていることのほかに、さっちゃんは、もうひとつ、共通の特徴を見付けました。彼らが身に着けているものは、全て無地のものなのです。服にも鞄にも靴にも、何の柄も入っていません。さっちゃんのハンドバッグにささやかに施されている、スイートピーのブーケの刺繍が、ここでは本当に珍しいのです。


 丘を登りきるまで、それほど時間はかかりませんでした。小高い丘からセトモノ市を見下ろしますと、街はさっちゃんが思っていたよりもずっとずっと広いことが分かりました。

 赤煉瓦のマンションは、少なくともさっちゃんが見渡せる地平の限り続いています。バスの停まっているロータリーの周りだけ石畳が敷いてあり、灰色の円が広がっているように見えます。しかしどこも裸電球の光に明々と照らされていますので、赤煉瓦にしろ石畳にしろ、金細工で飾られているかのように華やかなことには変わりありません。


「景色が良いね。ここでちょっと、お茶にしようか」

 女の子が、吊りスカートのポケットから、保温ポットと紙コップを取り出しました。丘の上は風があり、ちょうど手先が冷え始めていた頃合いでしたので、さっちゃんはありがたく、ミカン茶の入った紙コップを受け取ります。

 赤茶色の丘に座って、二人はお茶をいただきます。往来の邪魔にならないよう、道から外れた端っこの方に座ったはずなのですが、道行く人々の何人かは、わざわざ道を逸れて二人の方へ近付いてくるのでした。そして、お茶を飲んでいる二人を見て、「まあ」とか「ほう」とか言って、なにか憧れるように、目を細めるのです。


 お茶を飲んでいるうちに、赤煉瓦の街から、人々はどんどん丘を登ってきて、真っ白な木の元に集まります。この木に今夜、明かりが灯されるのでしょうか。さっちゃんは座ったまま、真っ白な木を仰ぎ見ました。何層にも重なり合った枝葉の陰になり、ここからは空の端すら見えません。

 風が吹くと、真っ白な枝が大きく揺れてこすれ合います。その時に立つ音は、砂やガラスの触れ合うような、ささやかではかなげな音なのでした。



 やがて、さっちゃんがミカン茶の最後の一口を飲み切ったころです。さっちゃんは気が付かなかったのですが、真っ白な木のいちばんてっぺんに、ぽわっと金色の炎が灯りました。そうしますと、木を取り囲んで集まって、ざわざわと賑やかに話し込んでいた人々が、水を打ったように静かになりました。

 それでようやく、さっちゃんと女の子も、何かが始まったことに気が付きます。お茶のセットを片付けまして、真っ白な木の方へ向き直りました。てっぺんに灯った金の炎が、枝えだに乗り移りながら、下へ下へと燃え広がりつつあります。真っ白な枝は、金の炎に燃やされながらも、その白く凛としたたたずまいを崩すことはありません。木も、その全身を炎に包まれながら、天の先を真っ直ぐに指したままです。


 その光景を見た人々のうちから、誰からともなく、歌声が上がりました。

 この歌は、聞いたことがある。と、さっちゃんは思います。聞いた気がするのではなく、確かに聞きおぼえがあるのです。クリスマスの時期に、街によく流れているメロディです。さっちゃんはあまりよく知りませんが、きっと、大いなるものを讃える歌でしょう。

 歌声は、どんどん大きくなっていきます。高く、低く。それぞれの声で歌う人々は、歌い、祈りを捧げながら、金色の炎に吸い寄せられていきます。


「あっ!」

 さっちゃんは思わず、声を上げました。一人が、炎の中に飛び込んだのです。また一人、一人と、歌っていた人々は金色の炎に飛び込みます。その姿は、真っ白な木と同様に、炎に焦がされることはありません。人の形を保ったまま、また歌声もそのままに、熱と光の中にあるのです。


 と、まだ炎に飛び込んでいない人の中に、さっちゃんは、見覚えのある影を見付けました。真っ白な髪をお団子に結い上げ、きらきら、星の髪飾りだけが、金色に光っています。トリドリ公園へ行くバスで一緒になった、あの真っ白な人です。

 さっちゃんは駆け出して、その人の肩に手をかけました。

「あの」

 と声をかけますと、真っ白な人は少し驚いたような間のあとに、「ごきげんよう」と優雅に言いました。


「あなたも、セトモノ市へ来ていらしたのね。良い時期に来られたこと」

 その人は頬を金色の光に染めながら、ゆったりと微笑みます。

「火入れを見られるのは、一年で、この時期だけですからね。あたくしも、これを見にわざわざ寄ったんですのよ」

 「あれって、いったい何ですか? みんな、どうして炎に飛び込むの?」

 さっちゃんの問いかけに、真っ白な人はちょっと首を傾けて、「だって、セトモノは炎から生まれるんですのよ」とだけ言いました。

 歌声はいっそう声高に、そしてそれに呼応するように、炎も天高く燃え上がります。

「あなたは、あの火の中には行かないんですか?」

 それはもしかしたら、ちょっとデリカシーのない質問だったのかもしれません。真っ白な人は、分別のない子供を赦すような微笑みを浮かべて、優しく、言いました。

「あれは、これから生まれるものたちのための炎ですから」



 それから炎は、長い時間燃え続けました。金の火の粉を空に巻き上げ、裸電球よりもずっと明るくずっと熱いエネルギーを、丘の上からセトモノ市へと降り注ぎます。

 その様子を見ていますと、さっちゃんは、小さいときに花火を見た記憶や、流星群を見た記憶や、クリスマスケーキに刺さったろうそくの炎を見た記憶なんかが混ぜこぜになって、その全部の記憶ぶん、懐かしくなるような気がするのでした。


 真っ白なお団子の人は、結局最後まで炎には飛び込まず、さっちゃんと一緒に金色の光を見つめていました。

「あなた、またバスに乗っていらしたの? 前に一緒だった方は?」

 そう問われましたら、ここに来るまでの経緯を話さないわけにはいきません。さっちゃんとすーちゃんがはぐれたこと、すーちゃんを探しに行く途中であることを説明しますと、真っ白な人は真っ白な睫毛を震わせて、「まあ」と言いました。

「ではあなたも、モノオキ沖へいらっしゃるのね」

「あなたも、ということは、あなたも?」

「ええ、あたくしも。ねえ、そしたら、一緒に行きませんこと?」

 真っ白な人が、さっちゃんと同行することになるのは、必然と言える流れでした。女の子も「良いんじゃない。旅は道連れ、世は情け」と、乗り気です。

「そろそろ、バスも出る時間だし。一緒に行こうか」


 いつの間にか火勢は失せ、今は真っ白な枝の端でほそぼそと燃えるのみです。炎の中で歌っていた人々の姿は、炎と共にどこかへ消えてしまいました。それでも歌の残響だけは、セトモノ市のあちこちに引っ掛かり、ふと頭を動かしたときに耳元で囁かれるのです。

 三人は連れだって、赤茶の丘をあとにしました。真っ白な人は、口数こそ多くはありませんが、人数が増えるとそれだけで賑やかになったように感じるものです。

 そうそう、人数が増えたので、ひとつ困ったことも増えました。二人でしたら、「わたし」と「あなた」で済んだことが、三人になるとそうもいかないのです。つまり、さっちゃんは、二人の呼び名が欲しいのでした。


「名前? あなた、おかしなことを訊くのね」

 真っ白な人は、口元を抑えながらお上品に「ほほほ」と笑います。それほどおかしなことを訊いているとは思えないのですが、真っ白な人の頬がほんの少し上気して見えるほど、それはおかしなことだったようです。

「あたくしに名前なんてないけれど、そうね。でしたら、アンと呼んでちょうだいな」

 真っ白な人の呼び名は、アン。なかなかどうして、可愛らしくて良い名前です。


 そうしたら、次は、女の子の呼び名です。さっちゃんが、彼女の方を見ますと、彼女は見るからにいやそうな顔をしています。

「良いじゃない、呼び名なんてなくったって。あなたはさっちゃん、あなたはアン。そしたら私は、さっちゃんでもアンでもないもので、決まりだ」

「あら、いけないわよ。ねえ」

 さっちゃんが何か言う前に、先に文句を言ったのは、アンの方でした。

「あたくしだって、ちゃんと呼び名を示したんですからね。あなたも、名前がなくっちゃあ。何もないというんでしたら、あたくしたちで、とびっきり可愛らしい名前をつけてあげてもよくってよ」

 アンは、なかなか、いたずら好きな性格のようです。女の子は「ちぇっ」とふてくされて、

「じゃあ、良いよ。私は終わり。終わりの終わりの一文字だ」

 と、言いました。アンは、首をかしげます。さっちゃんにも、よく分かりません。

「終わりの、終わりの一文字?」

「終わりの、り」

「ああ、なるほど」


 これでようやく、三人、互いの名前を知ることが出来ました。さっちゃん、アン、そしてりーちゃん。宇宙の果てを行くバスに乗り込んで、三人は、モノオキ沖を目指します。

 とはいえ、下道通過の各駅停車ですから、目的地はまだまだ遠いのです。

「やれやれ。何だか思ってたより、疲れそうな旅だなあ」

 バスの一番後ろの席に座って、りーちゃんがぶちぶち、呟きました。


 プー。ブザー音が鳴り、扉が閉まります。モノオキ沖に向けて、すきまのバスが発車します。


 ちょうど、日付が変わりました。

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