12月14日 気動車に乗って
バスに揺られている間、二人はずっと無言でした。さっちゃんは、訊きたいことがたくさんありましたので、移動しながらでもお喋りをしたかったのです。しかし、すーちゃんの友達だというおかっぱの女の子は、「眠いから、寝るね」と、バスに乗って早々に目をつむったのです。
「カシオペヤ交換局で降りるから、ひとつ前のバス停を通過したら起こしてね」
そう言って、窓ぎわに頬杖をついて、すうすう寝息を立て始めます。それを無理に起こすわけにもいきませんから、さっちゃんは女の子の隣に座って、両手を膝の上で握りしめ、じっと黙っているのです。
すーちゃんは無事でしょうか。この女の子は、どうしてさっちゃんのことを知っているのでしょうか。どうしてさっちゃんのところに来たのでしょうか。
横目で女の子を盗み見ますと、ちょうどバスの窓から差し込んだ光が、女の子の宇宙色の髪を照らしたところでした。光は、強い青白い光と、暗い赤っぽい光とを交互に明滅させ、バスの車内を照らします。
さっちゃんは青と赤の光を交互に目に焼き付けながら、すーちゃんのことを考えていました。すーちゃんが自分にしてくれたことを考え、そして自分がすーちゃんにしてやれることを考えていました。
『ご乗車ありがとうございます。次は、カシオペヤ交換局前。カシオペヤ交換局前です。お降りの方はお知らせください』
目的のバス停までは、それほど走りませんでした。さっちゃんは、おかっぱの女の子の肩を揺すって起こします。
忘れ物がないように気を付けて、二人はカシオペヤ交換局前でバスを降りました。さっちゃんがバスカードを機械に通すとき、女の子は興味深げにそれを見て、「あとでちょっと、見せてくれる」と言いました。女の子は、すーちゃんと同じように、すきま世界の通貨で運賃を支払ったようでした。
「さて、ここからちょっと歩くよ。向こうの駅から、さらに気動車に乗ってずっと終点まで行った先が、私の家だから」
女の子は、さっちゃんの返事を待たないままに、さっさと歩いて行ってしまいます。さっちゃんは慌てて、その後ろ姿を追いかけます。
駅は、バス停からそれほど遠くない場所にありました。さっちゃんたちが駅に着いたとき、既にホームには気動車がありました。手前のホームには、白い車体に青いラインの入っている車両が。奥側のホームには、オキサイドイエローの車体に、えんじの帯が特徴的な車両が。それぞれ停まっています。
「手前の気動車に乗るよ」
女の子はそう言って、券売機で、金の粒三つぶんの切符を買いました。そうなると、さっちゃんは困ってしまいます。バスカードが使えるのは、バスでだけ。
ボタン商店街で、お金を全部使ってしまわなければよかった。後悔しても、浪費をなかったことには出来ません。
「あの、お金を貸していただけませんか。あとで、かならず返します」
女の子に頼みますと、彼女はあっさり「いいよ」とうなずいて、さっちゃんのぶんの切符も買ってくれました。
券売機を通り、
線路はほの白く光っており、すーちゃんの使っていた、銀河フィラメントの投網によく似ています。その光が時おり揺らめいて見えるのは、どうやら線路は澄んだ水の下に沈んでいて、風か波かのために水面が揺らいでいるためでした。どこまでも透明なその水は、いつかホシウを捕まえた、ホタルガワの水によく似ています。
そうしていますと、汽笛の音が鳴り響きました。間もなく、気動車の出発の時刻のようです。さっちゃんと女の子は、急いで一両編成の気動車に乗り込みました。そして、二人シートのボックス席に、腰を下ろしました。
「気動車というのは、電気じゃなくて熱機関で走る列車のこと。この気動車は、星間ガスを燃やして走っているんだよ」
訊いてもいないのに、女の子が、さっちゃんに教えてくれました。訊いてはいませんが、気動車とは何だろう。電車とは違うのかな、とちょうどそんなことを考えている最中でしたので、さっちゃんは「そうなの」と素直にうなずきました。
低いエンジンの音が、車内を震わせます。金属のこすれ合う高い音を立てて、気動車はゆっくりと動き始めます。
速度が出始めますと、女の子は吊りスカートのポケットから、水筒と、使い捨ての紙コップを取り出しました。すーちゃんの作業着のポケットと同じで、彼女のポケットにも、あらゆるものがしまわれているのでしょう。ポケットからは更に、ビスケットも出てきました。
「どうぞ、おあがりよ」
水筒の中には、熱々のコーヒーが満たされていたようです。コップ一杯のブラックコーヒーと、砂糖のかかったビスケットを、さっちゃんに差し出します。
「ありがとう」
コーヒーをひとくちいただきますと、お腹の中にぽわっと丸い温かさが広がって、それが血液に乗って、全身に回ります。ビスケットを齧りますと、コーヒーで苦くなった口の中に、優しい甘さが広がりました。
そこでようやくさっちゃんは、自分のハンドバッグの中にも、お菓子が入っていることを思い出しました。前に持ち歩いていたチョコレート菓子は、ムゲン坂ですーちゃんと一緒に食べてしまいましたので、さっちゃんは、新しく一口チョコをハンドバッグにいれていたのです。
そのひとつを女の子に差し出しますと、女の子は「わあ、チョコレート!」と、手を叩いて喜びました。その様子が、チョコレート菓子をあげた時のすーちゃんそっくりでしたので、さっちゃんは少しだけ微笑んだのでした。
熱々のコーヒーと、ビスケットとチョコレート。三時のおやつにはぴったりのものたちをいただきながら、二人はようやくゆっくりとお喋りをします。まずは、どうしてさっちゃんのところに来たのかと、それを尋ねました。
「昨日、いつものように朝ごはんを食べていたら、ラジオからニュースが聞こえてきてね。なんでも、ブラウン砂丘で、大発生したスナネズミに飲み込まれた女の子がいるというじゃない。そしてよくよく聞いてみれば、それが私の友人だというのだから、これは大変だと思って、急いで家を出たの」
「それで、どうして私のところに?」
「ニュースでは、女の子がもう一人、砂丘に取り残されたと言っていたからね。そっちも助けないとと思って」
すきま新聞の取材箱は、スナアラシの嵐のあとに忽然と姿を消していましたが、どうやら己の仕事をきちんとまっとうしていたようです。取材箱が持ち帰った大ニュースは、新聞の記事になり、ラジオのニュースになって、おかっぱの女の子の耳に届いたのでした。
それはひとつ納得して、それからさっちゃんは、次に疑問に思っていたことを尋ねます。
「どうして、私の名前を知っているの?」
「すーに聞いたから。彼女のことをすーちゃんと呼んでいる友達のこと、聞いて、知っていたんだ。ミトラ採りの手伝いをしているんでしょう」
そうか。と、これも合点がいって、さっちゃんはビスケットの最後のひとくちを齧りました。
すーちゃんは、すきま世界の友人に、さっちゃんのことを話していたのです。ミトラ採りの手伝いが出来て、ずいぶん楽になったと話したでしょうか。それとも、助手が頼りないせいで手間が増えていると、愚痴を言ったでしょうか。
すーちゃんのことですから、きっと前者でしょう。このおかっぱの女の子も、さっちゃんのことを、ずいぶん好意的にみてくれているようです。
それでは、最後の質問です。
「すーちゃんを、助けられるかな」
女の子は、これにはすぐに答えずに、音を立ててコーヒーをすすりました。そして、「がんばって、探そうと思う」と言いました。
「彼女はしぶといからね。すきまのすきまに落ち込んだって、放棄の海に迷い込んだって、きっと無事でいると思う。どれくらいの時間がかかるか分からないけれど、でも、私には時間は無限にあるからね。いつか、見つけ出せる」
「私も、すーちゃんを探す」
そう言ったさっちゃんを、女の子は、穏やかな目で見つめました。それは、途方もない希望を口にする幼子を、庇護の気持ちで見つめる母親のような、そんな瞳でした。
気動車の窓の外を、踏切警報器の音を伴って、赤色巨星の連星が通り過ぎて行きます。
「すきまの世界は、とても狭いけれど、限りなく広いんだ」
女の子が、ひとつひとつ言葉を選ぶように、さっちゃんに語ります。さっちゃんを傷つけまいとしているのだと、さっちゃんにはよく分かりました。
「物質世界のあなたにとって、時間は無限ではない。私にとってのいつかは、あなたにとっては永遠に来ないかもしれない」
「だけど、私に許された時間のうちは、探したい」
さっちゃんは、おかっぱの女の子の目を真っ直ぐに見て、自分の気持ちを伝えました。女の子の瞳は、まるで銀河のようです。深い夜の色に、恒星の光が渦を描いています。
女の子はしばらく、目を逸らそうともせずに、さっちゃんを見つめ返しました。そしてさっちゃんに手を伸ばして、「バスカードを見せて」と言いました。
ハンドバッグからバスカードを取り出し、女の子に手渡します。始めは真っ黒だったカードも、バスに乗るたびに星が増え、にぎやかな見た目になりました。そういえば、この女の子の瞳と同じ。バスカードに光る星々も今や、宇宙に輝く銀河のように渦を巻いています。
女の子は、バスカードをよく観察しました。指の腹で撫でてみたり、車内の明かりにかざしてみたり。
「これを、どこで?」
バスカードを観察しながら、女の子は、呟くように尋ねます。
「段ボールの中から出てきたの。その……おばあちゃんの荷物が、たくさんあって」
それを聞いて、女の子は「ああ」とうなずきました。それからもう一度、バスカードを指で撫でました。
バスカードに光る星たちの、そのひとつひとつを指先で感じようとでもするように、ゆっくりと、人差し指の腹で撫でてから、カードをさっちゃんに返しました。
「このバスカードはね、さっちゃん。すきま世界への通行券でもあるんだよ。カードが銀河に呑み込まれてしまうまで、それが、さっちゃんに許された時間だ」
バスカードを受け取って、さっちゃんは、ぎゅっと胸の前に抱きとめます。真っ黒のカードが、星々の輝きに埋め尽くされたとき、このカードは有効期限を迎えるのです。
それまでに、すーちゃんを探し出さなくては。今もどこか、すきまのすきまでさまよっているかもしれないすーちゃんを見つけ出すことが、彼女にもらったあらゆる親切へ報いる、唯一の方法だと、さっちゃんは思いました。
「ま、さてはともあれ、私の家に行って、すきまのすきまへ飛び込む準備をしなくてはね。さっちゃんも、色々あって、疲れているでしょう」
言われてみれば、さっちゃんは、もうしばらく眠っていないのでした。ご飯も、さっき口にしたコーヒーとお菓子くらいで、お腹はほとんど満たされていません。
眠いのも、お腹がすいているのも、疲れているのも、とてもそれどころではありませんでしたので、すっかり忘れていたのです。
「うちに着いたら、ベッドを貸してあげるから、まずは眠ることだね。人間、睡魔と空腹と疲労に抗っても、ろくなことがない。外側の困難に打ち勝つためには、まずは己の内側の困難をやっつけるべきなんだよ。だから、私はもうひと眠り」
女の子は、大きなあくびをひとつやりますと、気動車のシートに深々と座り直し、目を閉じました。「降りるのは、終点だから」と、そう言った声は既に夢うつつで、半分寝言のようでした。
さっちゃんも、少し眠った方が良いのかもしれません。そう思って目を閉じるのですが、神経がたかぶっているせいか、全く眠くなりません。さっちゃんはすぐに目を開いて、ぴんと背筋を伸ばしました。
低いエンジン音の響く気動車に揺られ、さっちゃんには、不思議と恐れはありませんでした。
ただ、すーちゃんに無事でいてほしい。自分の持つ有限の時間の中で、すーちゃんにもう一度会いたい。そんな、決心にも似た祈りだけが、あるのです。
ちょうど、日付が変わりました。
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