12月13日 サマヨイ小道
日が昇りました。
白黒の砂丘の上に、真っ白な太陽が顔を出し、澄んだ光がさっちゃんの目を突き刺します。
とうとう、すーちゃんを見つけ出すことは出来ませんでした。
あれからさっちゃんは、クルミの殻の舟から、何度も投網を投げました。すーちゃんほど上手に投げられず、それでも投網に絡まったスナアラシたちを舟に引き上げ、その中にすーちゃんの姿を探しました。
何度も、何度も、何度も。
肩も腕も痛くなり、手のひらは投網に擦れて、皮が剥けてしまいました。それでもさっちゃんは、すーちゃんを探し続けました。
しかしそれにも、終わりが来ます。砂丘の端まで辿り着いてしまったのです。白黒の砂の海は、白黒の礫の浜に続いており、舟を浮かべて移動できるのはここまでのようでした。
礫の浜に降り、さっちゃんはブラウン砂丘を振り返ります。この砂の下に、まだすーちゃんは埋まっているのでしょうか。
以前セピアタテハに呑まれた時は、すーちゃんはどこか遠くの場所に押し流されたと言っていました。今回も、砂に呑まれたあと、同じ場所に流れ着いているかもしれません。どこか遠く、果ての果てに。
でしたら、もしかしたらさっちゃんが探さなくとも、また夜になればいつもの通りに、すーちゃんは現れるでしょうか。窓のさっしのすきまから、風よりもさりげなく、さっちゃんのお部屋に入ってくるでしょうか。
きっとそうだろうと考えた方が、ずっと楽なのです。けれど、そうではないという強い予感が、さっちゃんにはありました。
あの時は、すーちゃんは、誰かに助けてもらったから大丈夫だったと言っていました。それならば、今回すーちゃんを助けるのは、ほかならぬさっちゃんなのです。
このままブラウン砂丘の途方もない砂の海を探すのと、どこだか分からない遠くの場所を探すのと、どちらがより現実的なのかすら分かりません。だけど、ブラウン砂丘の砂の下を探すにしても、いずれにせよ、さっちゃん一人ではどうにもならないのです。
私も、誰かに助けてもらわなければ。さっちゃんはそう思いました。
クルミの殻の舟と、さっちゃんが残していった投網と漏斗。それらを右手で撫でてキーホルダーにして、しっかりキーリングに通してから、さっちゃんは礫の浜を歩き始めました。
海岸線に背を向けて、自分の影を睨みながら、さっちゃんは歩きます。
このまま、すーちゃんを見つけられなかったら、どうしよう。いいえ、きっと見つけるのです。不安と、目尻に溜まった涙とを、さっちゃんはいっぺんに拭いました。
礫の浜は、ずっと歩いていると、やがてアスファルトで舗装された道になりました。背中に朝日を受けながら、さっちゃんは歩き続けます。やがていくら歩いても、太陽が背後から全く動かないことに気が付きました。それで、今がまだ朝なのか、もう昼なのか、それともとっくに夕方なのか、さっぱり分からなくなりました。
アスファルトの道を、ずっと歩きます。まるでムゲン坂を歩いているようです。ムゲン坂と違うのは、ここは真っ暗ではないこと。それから、風景に変化があることです。道の脇は生垣であったり、金網のフェンスであったり、ブロック塀であったりしました。そしてその向こうには、公園があったり、民家の庭先があったり、シャッターを閉めた個人商店があったりするのです。けれど、どこにも人の気配はありませんでした。
誰もいない静かな町を、道は真っ直ぐ貫いています。曲がり道も、分かれ道もありません。太陽は依然としてさっちゃんの背後にあり、行くべき道にさっちゃんの影を落としています。
ここをずっと歩いていったとして、どこへ着くというのでしょう? そして、その場所にすーちゃんを探す手掛かりがあるでしょうか?
やっぱり、一度お部屋に戻った方が良い。そうは思うのですが、いつものようにまばたきひとつでお部屋に戻ることがどうしてもできないのです。それならば、ブラウン砂丘に引き返そうか。そうも思ったのですが、振り返りますと、来た道は朝日に焼かれて真っ白にハレーションを起こしており、さっちゃんは道を進むしかないのでした。
やがて、最初の曲がり角に到達しました。道はやや斜め左に折れており、その先は薄暗い通りが続いています。そこはどうやら、商店街です。
と言っても、ボタン商店街のような華やかな通りではありません。人が二人も並んで歩いたら、それだけで迷惑になってしまいそうなくらい細い道。両脇には、お店なのか掘っ立て小屋なのか分からない、バラックの建物があります。
商店街にはアーケードがかかっていて、錆びた鉄骨に帆布が引っ掛かけられているだけの粗末なそれが、唯一、この通りが商店街であることを主張しています。
『サマヨイ小道商店街』
と、帆布にはそのように書かれているのです。
なんだか気味が悪い。と、さっちゃんは思ったのですが、行くしかありません。帰りの道は太陽に焼き潰されてしまったのですから。
一番手前のお店は、どうやら文具屋のようです。文房具の絵と文字が描かれた電飾スタンド看板が、通りの半分を塞ぐようにして置いてあります。その横には回転式の展示棚があり、鉛筆やボールペンや印鑑なんかが展示されているようです。
店先にちょっと入ってお店の奥を覗きますと、ノートの束が山積みになった棚の奥に、灰色の禿げ頭だけが見えました。声をかけるのはやめて、さっちゃんは通りに戻ります。よく見れば、展示棚に並べられた文房具たちは、どれも真ん中からぽっきり折れていたり、ペン先が潰れていたりしていました。
その先は、カラフルな小物を置いている雑貨屋でした。ビーズやおはじきが多いようです。お店の奥には、やはり棚に隠れて顔は見えませんでしたが、頭をビーズのアクセサリーでごてごてに飾った人がいるようでした。売り物のビーズは、てんでばらばらの種類のものが、包装もされずに棚の上に転がされています。
サマヨイ小道商店街には、そんなふうに、とてもまともとは言えない商品ばかりが、並べられているのです。骨が折れたり破れたりした傘ばかりの傘屋。どこの鍵だか分からない鍵。片っぽだけしかない靴下や手袋……。
ボタン商店街と違って、特に欲しいと思うものもなく、さっちゃんはあっという間に、サマヨイ小道商店街を通り抜けてしまいました。しかし、商店街のアーケードを抜ける最後の一歩を踏み出す前に、誰かがさっちゃんの肩を叩きました。
振り返りますとそこには、灰色ののっぺらぼうがおりました。文具屋の店主です。
――なにか、かっていきなさい。
さっちゃんの頭の中に、意味が流し込まれます。そうは言っても、さっちゃんはすきま世界のお金を持っていません。
「私、急いでいるので」
振り切って行こうとするのですが、文具屋の店主はいっそう強くさっちゃんの肩を掴みます。
――なにか、もっていきなさい。
――どれか、つれていきなさい。
文具屋の店主の後ろに、雑貨屋の姿も見えました。ビーズのアクセサリーで飾った髪の下には、たくさんのビーズが塊になってできた頭がありました。傘屋の店主も靴下屋の店主も、みんなさっちゃんを引き留めに集まってきています。
さっちゃんは怖くなって、いよいよ逃げようとしたのですが、今や商店街中の人々がさっちゃんを取り囲み、逃げ場はどこにもありません。彼らは言葉にならない意味を呟きながら、さっちゃんに迫るのです。
――かっていきなさい。もっていきなさい。つれていきなさい。
――おまえのためでもあるのだから。
――おまえのせいでもあるのだから。
迫られて、責められて、もみくちゃにされて……さっちゃんの姿が人々の中に埋もれそうになったときです。
「こんにちは!」
と、声が響きました。それは、腹の底から思い切り出した、底抜けに朗らかな声でした。商店街の人々は、その声の方を向き、その声の主を確認しますと、さっちゃんの肩を放しました。
声の主は、さっきさっちゃんが辿ってきたばかりの、サマヨイ小道の真ん中を、大股で堂々と歩いてきます。その人が近づきますと、店主たちはさっと左右に避けて道を空けました。関わりになるのを嫌がっているような、だけれど一定の敬意を払っているような、そんな態度です。
「あなたが、さっちゃんだね」
さっちゃんの名前を呼んだその人は、見たところ、すーちゃんと同じ年ごろの女の子でした。青と紺色の中間のような髪を、肩の上で切りそろえておかっぱにしています。白いシャツに青い吊りスカートという出で立ちは、さっちゃんが思うこの年ごろの女の子にしては、少々古風な服装です。
「あなたは、誰?」
さっちゃんは、当然の質問を口にしました。しかしおかっぱの女の子は、さっちゃんの質問には答えずに、さっちゃんの隣に立ちました。そして、さっちゃんを恨めしそうに睨んでいる、商店街の人々を見やりました。
「自己紹介より先に、この状況をなんとかしよう。さっちゃん、どれか貰って行くといいよ」
商店街の人々は、一斉に、自分たちのお店の商品を差し出しました。文房具にビーズ、傘、靴下、手袋。それからハンカチ、イヤリング、鍵、定期入れ……。
その中に、さっちゃんは、見覚えのあるものを見付けました。
それは文具屋の店主が差し出した、ピンク色の消しゴムです。うさぎの形をしていて、片方の耳がほんの少しすり減っています。思い出しました。これは、さっちゃんが小学生の時に持っていた消しゴムです。
幼いさっちゃんは、このうさぎの形を気に入っていて、これを使って字を消すのはやめようと決めていました。使えば、消しゴムはすり減ってしまいます。うさぎがすり減ってなくなってしまうのは嫌だったので、さっちゃんは、それを筆箱の中に入れて眺めるだけにしていたのです。
しかし、ある日、さっちゃんのお友達が、うさぎの消しゴムを使ってしまったのです。消しゴムを貸してと言われ、良いよと返事をして、うさぎの消しゴムは使わないでねと言いそびれたためでした。
さっちゃんは、ひどくがっかりしました。大切にしていたうさぎの、片方の耳が、ほんの少しですが黒く汚れてすり減ってしまったのです。がっかりすると同時に、うさぎの消しゴムのことが、急に大切ではなくなりました。
耳が欠けていないうちは、うさぎは可愛らしいうさぎだったのですが、耳が欠けてしまえば、もうそれはただの消しゴムだとしか思えなくなってしまったのです。
ですから、うさぎの消しゴムをどこかで落としてなくしてしまったときも、さっちゃんはそれほど熱心に探そうとはしなかったのでした。もう、うさぎの消しゴムなんて、どうでも良くなっていたのです。だから見付けないままに、「なくしちゃったなあ」なんて思って、ほったらかしにしたのでした。
文具屋の店主の手から、さっちゃんは、うさぎの消しゴムを取りました。すきまの世界の通貨は持っていませんので、何か対価になるもので支払おうと思いましたが、文具屋の店主は首を横に振って、それを拒否しました。
商店街の人々の恨めしそうな視線は、いつしか静かに凪いだものとなり、さっちゃんに注がれています。いいえ、さっちゃんではなく、さっちゃんの持つうさぎの消しゴムにです。
――もう、なくされませんよう。
――なくしても、さがされますよう。
――みつからなくても、おしまれますよう。
それは、祈りの言葉でした。
「さあ、行こうか」
おかっぱの女の子が、さっちゃんを促します。薄暗いアーケードを出るとき、もう誰も、さっちゃんを引き留めようとはしませんでした。
商店街の先は、まだまだアスファルトの道が長く続いています。一本道を、素性の知れぬ女の子と一緒に歩いていますと、道の先に、何かが見えてきました。ポールの頂点に丸いプレートを頂いて、胴体のあたりには時刻表が貼り付けられています。バス停です。
「あそこから、バスに乗りましょう」
女の子が言いました。
「私の家に行けますから」
はあ。と気の抜けた返事をしたあとで、素直に返事をしている場合ではないと、さっちゃんは思い出します。この女の子がいったい誰なのか、なぜさっちゃんの名前を知っていて、なぜ自分の家に連れて行こうとしているのか、何も知らないのです。
「あの、あなたは誰?」
さっきと同じことを、訪ねてみます。女の子は、「うふふ」と笑って、言いました。
「発音が難しいと思いますので、好きに呼んでくれて構いません。私は、すーちゃんの友達です」
ちょうど、バスが来ました。そしてちょうど、日付が変わりました。
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