12月12日 ブラウン砂丘
だいぶ、片付いた。
さっちゃんは満足感を携えて、部屋の中を見回しました。あれほど山積みになっていた段ボールは、今やあといつつになりました。
ひとつは、捨てようと思って捨てられなかった、写真がたくさん入った箱。
ひとつは、お皿やコップなどの割れ物が入った箱。
ふたつは、本や音楽CDやレコードなんかが入った箱。
そして最後のひとつは、まだ開けていないので、何が入っているのか分かりません。
よくぞここまで、物を減らしたもんだと、自分で自分を褒めちぎります。もう使わないものたちはきちんと終わりを迎え、さっちゃんが使ってやれるものは、さっちゃんの物として新たな生を始めるのです。
夜になって現れたすーちゃんも、お部屋がずいぶん片付いたことに、驚いていました。
「かなり、すきまが減りましたね。どうりで、ちょっと入って来にくくなったはずです」
すーちゃんは、すきまの世界を行くすきまの旅人です。どうやら、すーちゃんがこのお部屋に迷い込んでしまったそもそもの原因は、大量の段ボールにあったようでした。
「廃棄と存続のすきま。必要と不必要のすきま。記憶と忘却のすきまにあるものたちが、あんなにたくさんあったから、私はそのすきまに吸い寄せられて、この部屋に落っこちてしまったのでしょう」
ということは、段ボールの中のものたちを全て片付けてしまったら、すーちゃんはもう、この部屋に来られなくなるということではないでしょうか。
不安げな顔をしたさっちゃんに、すーちゃんは優しく微笑みました。
「私は来ますよ。窓のさっしのすきまから」
北風がぴゅうぴゅう、部屋の中に吹き込んできます。冬もずいぶん深くなり、そろそろ初雪が降るでしょう。
『ご乗車ありがとうございます。このバスは、行き先番号一二一二。すきま五番地経由、ブラウン砂丘行きです。整理券をお取りください』
いつものアナウンスを聞いて、さっちゃんとすーちゃんは、バスに乗り込みます。
「今日は、うんと働きますよ」
そう宣言したすーちゃんは、作業着のポケットから、細い銀の糸で編まれた網を取り出しました。網は筒状に巻かれて、今は片手で持てるほどの大きさですが、広げればさっちゃんのお部屋を包み込めるほど、大きくなるに違いありません。
「銀河フィラメントで作った、投網です。投げて広げるのにはこつが要りますが、なにせ丈夫ですから、重宝しています」
「これで、何を捕まえるの?」
「スナアラシです」
「砂嵐?」
砂嵐なんて、どうやって捕まえるのでしょう。投網の目は細かくはありますが、砂嵐を捕まえるのには適さないでしょう。嵐に舞い上げられた砂粒なんて、編み目のすきまからすぐに逃げていってしまうはずです。
「その砂嵐じゃなくて」
さっちゃんの考えを見抜いて、すーちゃんが説明します。
「スナアラシのアラシは、ヤマアラシのアラシです。知っていますか? 動物です」
「とげとげの?」
「そう、とげとげの」
つまり、砂丘に棲むヤマアラシだから、スナアラシだということでした。それなら、この網でも捕まえられそうです。投網なのは、スナアラシのとげに刺されてしまわないよう、遠くから捕まえなければならないためでしょう。
すーちゃんは、投網に破れやほつれがないかどうか、確認しています。さっちゃんも、それを手伝います。銀河フィラメントは蜘蛛の巣のような、規則的な模様を描きながら編まれています。細い銀色の糸には、もっと細い白金の糸が編みこまれているのか、光の加減によって時おりチラッと輝きます。
「スナアラシが大発生して困っていると、今朝の新聞の一面にありました。そこでこの投網をもって大捕獲。一網打尽、一挙両得というわけです」
「最後のは、ちょっと意味が違うような気がするけど。でも、たくさん採れるといいね」
「そうですね」
すーちゃんが嬉しそうだと、さっちゃんも嬉しいのです。
『次は、ブラウン砂丘。終点です。お忘れもののないよう、ご注意ください』
アナウンスと共に、バスは、砂漠のただ中に停車しました。白黒の砂丘の向こうに、赤いテールライトが消えていきます。なんだかずいぶん、寂しげな場所です。砂だけでなく空も星も白黒です。
「ここが、ブラウン砂丘?」
どっちを見ても、あるのは滑らかな砂丘ばかり。大発生しているというスナアラシらしき姿も、どこにも見えません。人の姿もなく、建物の影もありません。ザー。と、雨の降るような音だけが聞こえます。どこかで、砂が流れ落ちる場所でもあるのでしょうか。
「うーん。来るたびに風景の変わる場所ではありましたが、もっと鮮やかで、こんなに白黒じゃなかったような」
すーちゃんが首を傾げますと、様子のおかしいブラウン砂丘の様子が、もっとおかしくなりました。
ぐらり、と地面が揺れたのです。地震というよりも、舟の上で大波に煽られたときのような、振れ幅の大きな揺れでした。同時に、ザーと鳴る雨音が、どんどん近付いてきます。
なにかが来る。と、さっちゃんもすーちゃんも感じました。先に動いたのはすーちゃんで、作業着のポケットから、小さなクルミを取り出しました。また別のポケットからは、木製のクルミ割り器を取り出して、クルミを素早く割りました。
白黒の砂漠が、山のようにうわっと盛り上がったかと思いますと、大きく波打ちました。そして、殻から飛び出したばかりのクルミの実を、あっという間に飲み込んでしまいました。
さっちゃんとすーちゃんはどうなったかと言いますと、クルミの殻に乗り込んで、激しく暴れる白黒の波の上に、なんとかとどまりました。
砂の下から、バキバキと、クルミが砕ける音がします。もしあれに巻き込まれていたら。想像して、さっちゃんの背筋はぞっと寒くなりました。
「危なかった。クルミが間に合って、助かりましたね」
車ほどの大きさになったクルミの殻は、荒れ狂う砂漠の上ではやや頼りありませんが、今はこれに乗るほかありません。
いったい、ブラウン砂丘はどうしたというのでしょう。砂丘というより、まるで砂で出来た大海原です。
落っこちないように気を付けながら、さっちゃんは殻のふちに手をかけて、下を覗き込んでみます。激しく波打つ白黒を見ていると、目がちかちかしてきて、頭が痛くなってきます。それでもじっと見ていますと、砂の下に、生きものの影を捉えることができました。
「すーちゃん、砂の下にいる!」
まさにそれが、スナアラシです。砂の下で、大量のスナアラシが群れを成して大移動しているので、砂漠は波打ち、荒れているのです。スナアラシの動く音、白黒の砂のこすれ合う音が、ザーという音の正体でした。
スナアラシが大発生しているというニュースは、本当だったのです。そして、砂漠が大荒れになるほど大発生しているならば、なるほど困ることも多々あるでしょうし、すきま世界の新聞の一面を飾るのも納得なのでした。
すーちゃんは、うねる波に翻弄されながらも、さっそく巻いていた投網を解きまして、肩に構えました。まったく、すーちゃんはたくましいのです。さっちゃんも負けてはおられません。なにせさっちゃんは、すーちゃんの助手。すーちゃんのミトラ採りの手伝いをするのが、助手の仕事なのですから。
「私は、何を手伝えばいい?」
ザーと鳴る音にかき消されないよう、叫ぶように訊きますと、すーちゃんは作業着のポケットから、プラスティックの漏斗を取り出しました。
「さっちゃん。たしか、ガラス瓶を持っていましたよね? 私がスナアラシを捕まえますから、さっちゃんは漏斗で、スナアラシを瓶に詰めてください」
さっちゃんはハンドバッグからキーリングを取り出しまして、ガラスの小瓶のキーホルダーを外しました。左手で撫でますと、ガラス瓶は手のひらに乗るほどの大きさに戻ります。
だけど、これじゃスナアラシたちを詰め込むには、いささか小さすぎるのじゃないかしら。さっちゃんの心配もよそに、すーちゃんはさっそく、投網を砂漠へ投げ込みました。
銀河フィラメントの網が、空いっぱいに広がって、そして白黒の砂の上へと降りかかります。スナアラシたちは、初めこそ何の関係もないとばかりに動き回っていましたが、やがて背中のとげに、銀河フィラメントが絡まり始めました。そうしますと、次は手足へ、そして胴体へと網が絡まり、やがて体の自由を奪います。
「かかった! そうれ!」
掛け声と共に、さっちゃんは、投網をちからいっぱい引きました。すると、数えきれないほどのスナアラシたちがいっぺんに、クルミの殻の舟へと引き上げられたのです。
さっちゃんは急いで、投網の端を捕まえました。そして中のものを、漏斗の中に流し込みました。漏斗の先は、小瓶の中に差し込まれています。スナアラシたちは、何やらわあわあ言いながら、漏斗の渦の中に巻き込まれ、小瓶の中に流し込まれました。
投網いっぱいのスナアラシは、漏斗を介して小瓶に詰められますと、ティースプーン一杯ぶんにも満たないのです。これなら、たくさん採れそうです。
「よし、張り切って捕まえましょう」
すーちゃんはまた、投網を投げました。スナアラシたちは、いくらでもいるのです。さっちゃんは次々引き上げられるスナアラシたちを、てきぱきと小瓶に詰めました。小瓶の中で、スナアラシたちは大人しくなって、白と黒のまだら模様の体を丸めて、なんだかうとうとしているようです。
砂漠はなおも荒れ模様で、クルミの殻の舟は、あっちへゆらりこっちへゆらりと翻弄されます。
さっちゃんは、何度か舟から落ちそうになりました。その手を、すーちゃんが掴んで引き留めました。すーちゃんも、投網があんまり重すぎて、何度か砂漠へ引っ張り込まれそうになりました。その腕を、さっちゃんが掴んで引き留めました。
二人は協力して、小瓶いっぱいのスナアラシを捕まえました。
やがて小瓶が満杯になったときも、まだスナアラシたちはブラウン砂丘に溢れていて、大発生はちっとも収まっていません。けれど、もうこれ以上は、捕まえられません。たとえ小瓶がもう一本あったって、さっちゃんとすーちゃんが疲れすぎて、これ以上は無理なのです。
「たくさん採りましたね」
すーちゃんは満足気に、ガラスの小瓶に蓋をしました。作業着のポケットに入れて、あれもどこかで売るのでしょう。今度は、どこに売りに行くのでしょうか。海辺か、山のそばか、あるいは商店街でしょうか。
さっちゃんは、また、すーちゃんの商売について行きたいと思いました。同行させてくれないかと頼もうとしたのですが、その前に、さっちゃんとすーちゃんの気を引くものが現れました。
クルミの殻の舟の上に、四角い何かが浮かんだのです。それは平べったい木の箱で、ひとりでに開いて、中から金属製の小さな文字が流れ出しました。
「あら。取材ですよ、取材」
すーちゃんが、照れ笑いをします。
取材とは、どうやらすきま世界の新聞の取材だということです。ブラウン砂丘にスナアラシが大発生したというニュースは、すきま新聞の一面を飾ったというだけあって、大ニュースのようでした。そこへさっそうと現れた女の子が、投網でもってこれでもかというくらいスナアラシを捕まえたのですから、確かに、取材のひとつもしたくなるというものでしょう。
「なんだか、照れますね」
すーちゃんは照れに照れて、取材をさっちゃんに押し付けようとしたのですが、さっちゃんはすきま世界の文字が分かりませんでしたので、やっぱりすーちゃんが受けるしかないのです。
箱から並び出た文字は、すーちゃんの頭上に文章をつづっていきます。すーちゃんは、立ち上がってからそれを読んで、取材に答えます。
「ええ、個人でミトラ採りをやっておりまして。あの網ですか? 銀河フィラメントですよ。軽くて丈夫なので、スナアラシのとげにもやられません。どこで手に入れたかって? それは企業秘密です。こちらの方は私の助手で……」
恥ずかしがっていたわりには、そつなく取材をこなしています。さっちゃんは、すーちゃんの受け答えに耳を傾けながら、取材が終わるのを大人しく待ちます。
と、その時です。
なんの前触れもなく、世界が引っ繰り返りました。
ブラウン砂丘が、そこに潜む大量のスナアラシが、一斉に身じろぎをしたのです。砂は大きな波となり、波は空に届く前に重力に引っ張られて反転します。
白が黒へ、黒が白へ。天が地へ、地が天へ。
「すーちゃん、あぶない!」
舟の中に座っていたさっちゃんは、咄嗟に舟のへりを掴み、落っこちずに済みました。すーちゃんは、立ったまま取材に答えていたわけですから、なにも、頼るものがありません。
クルミの舟は大きく揺れ、すーちゃんの体は斜めに傾きます。さっちゃんは、片方の手で舟のへりを掴んだまま、もう片方の手を、すーちゃんに伸ばします。
けれど、届きませんでした。
すーちゃんの姿は、白と黒の砂の中に、あっさりと消えていきました。ザーという音が、鳴っています。砂の波は何事もなかったかのように、ざぶざぶとクルミの殻を洗っています。
ちょうど、日付が変わりました。
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