三、


 志堂の予言めいた言葉で死んだのは、姥沢浩介うばさわこうすけ。わたしや嘉明と同じく二十二歳で、小中高と同じ学校に通った友人。

 宇場ノ塚の子供は集落内にある小中一貫校、宇場ノ塚分校に通う。高校は集落から四十分ほど車を走らせた先にある町、八ノ塚はちのづかの公立八ノ塚高等学校。小中の宇場ノ塚分校も、本校は八ノ塚にある。高校は八塚家が手配した小型のバスで三年間通ったのだが、その間、利用していたのは最大で五人。利用者はわたしと嘉明と浩介。残りの二人は一つ上の椿つばき先輩と、一つ下の桐子きりこ。今年は一人、五つ下の茉里愛まりあが利用していると聞いた。

 高校のある八ノ塚だが、人口は六千人ほど。最盛期は一万二千人ほどだったのが、今ではその半分。それでも百二十人にも満たない宇場ノ塚に比べてかなり多く感じるが、町の要件を満たす条件が人口五千人なので、ぎりぎりの規模だ。昔はこの辺りで一番の町だったので、病院や警察署、大きな商業施設、鉄道の通る駅などがあるが、それらもそのうち移転するか、なくなると噂されている。

 八ノ塚の詳しい成り立ちはうろ覚えだが、江戸時代初期に起こった飢饉、寛永かんえい大飢饉だいききんから逃れてきた人々が住みついたのが始まりだと聞いた気がする。

 寛永ともなれば、三、四百年は前。もとより忌み山と呼ばれていたこの地には住む人がなく、都合がよかったのだろう。八ノ塚という町名が示す通り、八塚家が興したのだと聞く。

 そういった経緯からだろうとは思うが、八ノ塚でも八塚家の影響は大きい。高校では、宇場ノ塚の出身者は浮いていた。遠巻きに眺められているとでもいえばいいのか、わたしは宇場ノ塚出身者以外と話したことがほとんどない。教師とさえ、必要事項のみ。それでも社交的な嘉明や浩介は、それなりに他の生徒と交流していたようだが、わたしは。

 わたしの隣にはいつも嘉明や浩介がいた。何をするにも二人がいて、守られていると言えばいいのか、他の生徒が近付かないようにしていると言えばいいのか。

 ──祝織は美人だから、心配で。

 ──悪い虫から守れって、祝織の母親から頼まれてるんだ。

 そんな状況を訝しむわたしに対する、嘉明と浩介の言葉。常に二人の男に守られるわたしについたあだ名は、姫や巫女。直接言われた訳ではないが、忌み山の巫女──と、聞こえてきたこともある。そう、忌み山の。

 宇場ノ塚や八ノ塚のある大針山だいしんざんは、火山帯に属する連山であり、忌み山の一つ。この連山は外輪山と呼ばれるもので、中心の盆地を囲むように八峰ある。

 外輪山は釜滝山かまたきやま大針山だいしんざん小針山しょうしんざん北元山きたもとやま蓬風山ほうふうざん剣山つるぎやま地倉山ちくらやま鶏首山とりくびやまからなり、その中心の盆地が忌み山の起源、奥森おくもりと呼ばれている。


 ──曰く、奥森には鬼女きじょが住む。

 ──曰く、奥森では子が消える。


 この地に人が住み着く前から伝わる曰く。

 だがここ、宇場ノ塚や八ノ塚に伝わるものは少し違う。


 ──曰く、奥森には忌女いまじょが眠る。

 ──曰く、忌女の祟りは虫が湧く。


 鬼女と忌女。同じだとする者もいれば、違うとする者もいる。これらの曰くは口伝で伝わり、文章などは残っていない。口に出すのも憚られる曰くであり、文字で残すなどもってのほかだと。そういう事情もあって、わたしがこれらのことを知ったのは最近。教えてくれたのは志呉だ。もちろん、睦言のかわりに。

 穢れとか曰くとか、ほんと馬鹿みたい──

 志呉にそう伝えると、満足そうに笑っていた。ただ穢れや曰くなどを馬鹿みたいと思う反面、浩介の死に様は──とは思う。無神論者のつもりだが、信じざるを得ないような、異様な出来事。


 ──曰く、忌女の祟りは虫が湧く。


 そう、虫だ。浩介は死出虫を大量に吐いて、死んだ。

 ──虫が湧いたのか。

 ──八塚家との約束を破ったから。

 ──馬鹿な奴。

 ──忌女の祟りだ。

 参列した浩介の葬儀で聞こえた言葉。見知った顔ばかりだが、忌々しげに死者を冒涜するような声も聞こえ、異様な雰囲気を漂わせていた。

 志堂の予言はこの忌女の祟りのことなのだろう。普通、人は虫を大量に吐き出して死ぬなんてことはない。となればやはり、浩介は祟りで。

 そうなるとなぜ、祟られたのだろうか。志堂は「私に従わなかったからだ」と言っていたが、何か約束を破ったのだろうか。志堂に聞いてみはしたが、教えてはもらえなかった。ならば志呉から──と、挑発して得た情報は「忌女の正式な呼び名は蠱塚忌女やづかのいまじょ」だということ。それ以上は口を噤まれた。聞きたければ外でも抱かせろと言われ、その時は断って終わる。

 その後、なんとか自分で調べられないかと動いてはみたが、集落の者は忌女や八塚家のことには口を噤むうえに、それらに関する文章なども残っていない。手詰まりになったわたしは結局、裏の山で志呉に抱かれた。山道脇にある草むらに組み敷かれ、乱暴に。声を押し殺すのに、必死だった。その際山道を人が通った気配がしたが、わたしの呻きは木々のざわめきに包まれ、消えた。

 ──出したいんだろ、声。正直だよなぁ、体は。

 志呉の囁くように声をひそめた、猥雑な言葉たち。思い出した耳を塞いでみるが、過去からのそれは容赦なく響く。自ら堕ちて汚した体。穢れを注がれ、汚れた体。愛した嘉明には一度も抱かれなかった、体。嫌悪感で吐きそうになるくせに、反応する体が憎い。

 曰くや祟りなど放っておけばいいのに、わたしは体を使った。なぜそんなことをしたのかと問われれば、知りたいのだ、わたしは。この現状を受け入れてはいるが、やはり知りたい。なぜわたしなのか。穢れとは。忌みとは。

 ──じじいの仏師名は八塚忌助やつかいみすけだ。八代目か九代目だったか。代々仏師の家系で八塚忌助を名乗る。蠱塚忌女やづかのいまじょは元は八塚忌女やつかいまじょ。八塚忌助と八塚忌女。これで察しはつくだろ。

 自分で体を差し出したくせに、涙を流すわたしに志呉がくれた言葉。汚れた体を使い、手にした情報。志呉の言葉を信じるならば、蠱塚忌女は実在した人物であり、八塚家の縁者、ということになるのだろう。「忌女は八塚家の血筋なのか」というわたしの問いかけに、志呉は肯定するように薄く笑った。

 つまり、そういうことなのだ。奥森に眠ると云われる忌女は八塚家の血筋。この地は八塚家の、忌女の穢れで呪われており、その穢れをわたしに注いでいる、ということになるのだろう。わたしが選ばれた理由は依然として分からないし、忌女がなぜ祟るのかも分からない。分かっていることと言えば、八塚家の因縁によってわたしは汚され、浩介は祟られ、死んだ。

 やっぱり狂ってる。死ねばいいのに──

 呪詛にも似た言葉を漏らすわたしに、「大丈夫。お前もしっかり狂ってるからよぉ」と心底楽しそうに笑った志呉。腹の奥で、志呉が熱くなるのを感じた。八塚家によって壊されていく日々。八塚家がいなければわたしは汚されず、浩介も死なずに済んだはず。八塚家さえいなければ──

 こんなことになるのなら、浩介と仲直りしておけばよかったと思う。高校卒業前、わたしと浩介は喧嘩をし、疎遠になった。それから四年、浩介とはまともに話していない。原因は浩介からの交際の申し込み。わたしと嘉明の交際は周知の事実だったのだが、浩介が告白してきたのだ。

 ──お前が好きなんだよ、祝織。嘉明と付き合ってるのは知ってる。だけど俺を選んでくれないか。

 逞しい体の浩介に抱きしめられ、告げられた言葉。鋭い目が、懇願するように向けられていた。もちろん応えられるはずもなく、気持ちはありがたいけどと断ったが。

 ──なんでだよ。嘉明は別にお前のこと好きじゃ……

 続く言葉を聞かず、わたしは浩介の頬を打っていた。嘉明のことは信じているし、そんな言葉でわたしの心は揺るがない。なのにわたしは浩介の頬を打った。友人を貶めるような発言をした浩介に、腹が立ったと言われればそうなのかもしれない。だがあの日、わたしは怒りからではなく、言いようのない不安から浩介を打ったように思う。

 大事にされていたことも、優しくされていたことも確かだし、何度も指を絡ませ、柔らかな唇を重ねあったりもした。卒業したら、それ以上の体の繋がりも約束していた。初心な高校生の、初心だからこその約束。触れ合う唇だけで、心臓が破裂しそうだったのを懐かしく思う。

 ただ、それらの行為は全てわたしからだったし、嘉明から求めて来ることはなかった──のだが。

 ──祝織いおり。いずれ一緒になってくれないか。

 わたしからのセックスの誘いを遮るように言ったのが、この言葉。続く言葉は「祝織とのことはちゃんとしたいから、そういうことは卒業してからにしよう」というもの。結局、卒業してすぐに志堂の元へ来たので、約束は何一つ果たされないまま終わったが。

 嘉明と結ばれるはずだった体は、志堂に。今でも嘉明のことは信じているし、愛している。だが思い返してみれば、「そういうことは卒業してからにしよう」と言った嘉明の顔は、ひどく冷えていたように思う。わたしは嘉明に抱かれたいと思っていたが、嘉明は違ったのだろうか。

 わたしはこんなにも嘉明を求めているのに、求めてくれるなら、今すぐにでも嘉明に。

 気付けば鏡台には、恍惚とした表情で自身の体を慰めるわたしの姿が写っていた。

「最低……」

 当時のわたしが今のわたしを見たら、どう思うのだろうか。汚いと罵るだろうか。死ねばいいのにと、冷たい目で見るだろうか。

 かさりと、不快な感触が腕に走る。視線をやれば、そこには一匹の死出虫の姿。夢かうつつか、それはかさりかさりと数を増やして体を這い回り──


 閉じたカーテンが柔らかく照り映えている。壁掛けの古びた時計を見れば、午前六時を少し回ったところ。いつの間にか眠っていたのだろう。昨夜見た死出虫の姿はそこにはなく、夢だったのだと胸を撫で下ろす。ひとまず閉じたカーテンを開き、朝日に目を細めた。

「洗濯、しないと」

 昨夜わたしが汚した敷布団を見て、吐き捨てるように呟く。ここに来た当初よりも、汚れたそれ。受け入れてはいるが、受け入れたくない心。反応したくはないが、反応する体。体の奥が、じわりと熱い。熟した果実の皮がはぜ、どろりと中身が出てくるような不快感。一瞬、押し入れに放り込んだ淫具が脳裏をよぎったが、かぶりを振って立ち上がる。あれを使ったら、本当に終わりだ。わたしはまだ、そこまで堕ちてはいない。そこまでは……。

 敷布団を抱え、部屋を出ようと襖に手をかけ、ふと止まる。昨夜きちんと閉めなかったのだろうか、襖は僅かに開いていた。

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