第5話 お弁当の交換
階段を駆け下りて、リビングへと入る。味噌汁の匂いが食卓から香っていた。兄の智也が、沢庵を咀嚼しているためぽりぽりとした音がわずかに響いている。智也しか、朝食を食べておらず父はどこだと弁当を作っている母親に、聞いてみると「もう会社に行ったわ」と不機嫌に言われた。母親がどうして不機嫌なのかは分かっているつもりだ。
私は母親と血が繋がっていない。再婚したお父さんの連れ子なのだ。義母にとって私は邪魔な存在。消えてほしいのだろう。それを察しているから、私はこの家でも品行方正に暮らしている。
そのほうが楽だから。
智也は義母が作った弁当を。私は渡された五百円を握りしめた。この愛情の落差も、全て私は認めている。だって唯でさえ「障がい者」による世間の目が家庭には厳しいのにそんななか、義母は、耐えてくれているのだから。私は知っているのだ。ご近所付き合いで義母が陰口を言われていることを。謝りたいけど、そんなことをすれば優しい義母は、自身を惨めに思うだろう。それだけは避けないといけない。
智也と一緒に外に出る。そしたら彼はこちらを見遣り、バッグの中からタッパーを取り出した。そこに弁当のおよそ半分ほどを入れてくれる。
「ほら。毎日コンビニ弁当じゃ飽きるだろ」
「ありがとう」
「じゃあ、俺、駅に行くから。学校頑張れよ」
「うん。智也くんも」
智也は去っていった。
私はまだ、彼のことを兄だと認められていない。その訳は、転勤族である自分の父親が彼を振り回しているからだ。高校二年生である彼を、一時父の転勤で朝四時半起床で始発の電車に乗って登校させていたこともあるぐらいだ。本当に申し訳ない気持ちになる。それに、彼がディスレクシアである私のことをどう思っているのかも、怖くて聞けていない。
嘆息する。そして通学路を歩き始めた。
◇◇◇
三限の授業中、私のところに一枚の紙が回ってきた。周囲を見渡すと、三つ隣の席の女子が「読んで」とハンドサインをして見せている。
字が読めない私は対応に困った。この場合、どうすればいいんだろう。
俯く私に、その女子は困惑した顔をする。
そしたら、隣席の
――しかし、違った。
「『私たちと友達になってくれませんか?』なんだこれ、わざわざ授業中に回すものか?」
紙を回してきた女子を慌てて見た。彼女はニコッと微笑んだ。
友達か。なんだろう、良い響きだ。
四限目の授業が終わると、都君が食事に誘ってきた。私はそれに応え、席を立った。
彼の背を追いかけながら屋上に入ると曇天が覗いていた。
「天気、悪くなったね」
「そりゃあ、六月だもん。梅雨の時期はこれぐらいだよ」
「……そっか」
ベンチに座って、お弁当箱を開けた都君。それを見てみると、たこさんウィンナーやポテトサラダ。唐揚げなどがあった。
「そのお弁当も自分で作っているの?」
「そうだよ。あっ、飯の交換をしようぜ」
私はしばし固まってしまう。そんな様子を見た彼は、「ああ、ごめん。嫌だったらいいんだ」と手を振った。
自分は俯いて、「いいよ」と言ってタッパーから唐揚げを箸で持ち上げて彼の口に突っ込んだ。彼は咀嚼しながら、「優しい味がする。君の親はたくさん愛情をかけているんだね」なんて言ってきた。思わず口角が引きつった。
どうしてそんなこと言うの? 少し悲しくなった。でも思う。そりゃあ勘違いもしてしまうよね。家庭の事情が分からなかったら。
「はい。僕のも」
彼の唐揚げをひとつ貰い咀嚼する。肉汁が口内であふれ出したことに驚いてしまう。普通、唐揚げは時間と共に冷えて固まってしまうものだ。それがないということになにか秘訣があるのではないかと思う。それを尋ねると、
「ああ、油を大量に使っているだけ」
ええ……まじか。じゃあこの一個の唐揚げにどれほどのカロリーがあるのだろうか。
でも、この時間はすごく心地良かった。それだけは確実だ。
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