第32話 回想

 あたしの両親は、絵に描いたようなクズだった。

 父親はヤクザの組員で、博打と女遊びで生活費を溶かし、気にくわないことがあったらすぐに暴力に訴えてくるクズだった。

 そいつの内縁の妻である母親は、父親の散財を言い訳に他の男のところに逃げたクズだった。


 こんな奴らは、あたしの家族じゃない。

 あたしにとって家族と言える存在は、恭平――三つ年上の兄貴だけだ。


 兄貴はいつも、あたしのことを護ってくれた。

 クズ親父があたしに暴力を振るったら、自分が酷い目に遭うとわかっているのにあたしのことを庇ってくれた。

 何もしないクズ親父に代わって、盗みを働いてまでお腹を空かせてるあたしを食べさせてくれた。

 そんな兄貴の力になりたくて、兄貴の負担を減らしたくて、あたしも盗みとか色々やってみたけど……結局上手くいかず、兄貴に迷惑かけてばかりだった。

 学校なんて当然行かせてもらえなかったし、あたしたち兄妹は、ただただクズ親父の暴力に怯える毎日を過ごした。


 転機が訪れたのは、あたしが一〇歳になってすぐの頃だった。

 博打で大負けしたクズ親父が、金を返すためにあたしのことを売ろうとしたのだ。あたしのような子供が大好きな、金だけは無駄に持っている変態野郎のところに。


 それを知った兄貴がクズ親父に猛反対するも「親の決めたことに口出しすんじゃねえ!」と都合の良い時だけ父親面して、兄貴をボコボコに殴りつけた。

 あたしは泣きながら止めに入ったけど、何の力もないあたしにクズ親父を止めることなんてできるわけもなく、それどころか余計に怒らせてしまい、今度はあたしがクズ親父に殴られる番になった。


 それを見て怒りが頂点に達した兄貴は、この日初めてクズ親父に刃向かった。

 一三歳にして高校生並みの体格を有していた兄貴は、クズ親父があたしを殴っているところを不意打ちしたおかげもあって、クズ親父を拳だけで半殺しにした。


「このまま生かしておいたら、親父こいつは絶対に俺たちに復讐しにくる。最悪、殺されてしまうかもしれない」


 そう言って、兄貴がクズ親父にとどめを刺そうとして。

 兄貴の言葉が否定できてなくて、止めることはおろか、代わりに手を汚すこともできず、ただ兄貴の大きな背中を見ていることしかできなくて。

 そんな自分が情けなくて、さっきまで流していたものとは違う涙が溢れ出たその時、〝そいつ〟はやってきた。

 明らかにクズ親父よりも偉そうな感じのヤクザ。そのヤクザの傍に、ボディガードのように控えていた〝そいつ〟が。


 生き物としての本能がそうさせたのか、あたしも兄貴も一目〝そいつ〟を見ただけで理解してしまった。

 クズ親父でもなければ、目の前にいるヤクザでもなく、〝そいつ〟こそがこの場において最も危険な人間であることを。


「相手が假屋の野郎だから、わざわざお願いしてついて来てもらったってのに……わりぃな先生、無駄足踏ませちまって。まさか〝人食い〟とまで言われた假屋が、自分テメェ子供ガキにやられてるとは思わなかったわ」


 ヤクザに先生と呼ばれた〝そいつ〟は、愛想笑いと呼ぶにはあまりにも記号的な笑みをたたえながら、かぶりを振る。


「構いませんよ。我々〈夜刀〉の至上目的は依頼主クライアントを護ること。無駄な争いを避けられるなら、それに越したことはありませんから。それに……」


〝そいつ〟はあたしたちを横目で見やり、こう言った。


「存外、無駄足ではなかったかもしれませんので」


 そうしてあたしと兄貴は〝そいつ〟に、重田と名乗った〈夜刀〉の用心棒に保護されることとなった。


 一緒にいたヤクザ――どうやら若頭だったようだ――が言うには、クズ親父は博打の借金を苦に組の金に手をつけたという話だった。

 それを聞いて、あたしまで売ろうとしていたという話をした際は、さすがに若頭もあたしたちに同情してくれた。


 とにかく、クズ親父は組の金に手をつけたことで組長の怒りを買った。

 若頭は、どんな形でもいいから生きたまま自分の目の前に連れて来いと組長に命令されたが、どうやらクズ親父は〝人食い〟と恐れられるほどに腕っ節が強かったらしく、生きて連れて帰るには相応の人的損害を覚悟する必要があった。

 さすがに割りに合わないと考えた若頭は、〈夜刀〉にお願いして重田を派遣してもらい、あくまでも自分を護るためというていで、クズ親父の確保に同行してもらったという話だった。


 ヤクザがそこまで警戒していたクズ親父を、一三歳の兄貴が素手で半殺しにした。

 重田が逸材かもしれないと思うには充分すぎる理由であり、兄貴は〈夜刀〉の用心棒候補としてスカウトされた。


 あたしはスカウトされたわけじゃないけれど、兄貴一人だけを頑張らせるなんて嫌だったから、兄貴に護ってもらってばかりじゃなくて、自分の身は自分で護れるようになりたかったから、あたしも一緒に連れて行ってほしいと重田に直談判した。

 兄貴やクズ親父と同じ血筋だから期待できると思ったのか、重田は二つ返事で同行を認めてくれて、あたしと兄貴は〈夜刀〉に身を寄せることになった。


 ちなみにクズ親父は、手をつけた金額分の臓器を抜かれたという話らしいが、もう二度と顔を合わせる気もなかったあたしたちにとっては、本当にどうでもいい話だった。


 それからあたしと兄貴は〈夜刀〉の下部組織で、用心棒になるための苛酷な訓練を受けることになった。

 訓練はつらいし、しんどいけど、クズ親父のもとで暮らしていた地獄に比べたら何百倍もマシだった。


 そして二年後、一五歳になった兄貴はその実力を認められ、〈夜刀〉の用心棒になった。


 あたしにしろ兄貴にしろ、一から鍛えるには年齢的に遅すぎるくらいだったらしく、わずか二年で兄貴が物になったことには、あたしたちをスカウトした重田も驚いていた。

 このままだとまた兄貴におんぶに抱っこになってしまうと思ったあたしは、より一層訓練に励むようになった。


 だけど、最年少用心棒として噂になっている〝S〟を含めたごく一部の例外を除けば、用心棒になれるのは早くても一五歳。

 例外でもなければ、訓練を開始した年齢も遅かったあたしが用心棒として認められようと思ったら、最短でもあと三年はかかると思った方がいい。

 そんな自分の状況に焦りを覚えたあたしは、用心棒候補としての訓練を続ける傍ら、上層部――といっても下部組織内の話だが――にかけ合って、用心棒をサポートする仕事もやらせてもらうことにした。


 それから訓練も仕事も頑張って頑張って頑張って……あたし自身も組織から認められるようになったけど、あたし以上に認められた兄貴は、用心棒になってからわずか半年後に、本部に栄転することになった。


 あたしたちが所属する下部組織が地方にあるのに対し、本部があるのは都心――東京だ。

 離れ離れになるのは嫌だったけど、その頃には〈夜刀〉の用心棒としての仕事にやりがいを感じ、あたしたちを保護してくれた〈夜刀〉に恩義を感じていた兄貴に、「行かないで」とは言えなかった。


 だからあたしは、兄貴を笑顔で送り出した。

 兄貴の本部での活躍は、下部組織にいるあたしの耳にも届いた。

 兄貴の実力が、〈夜刀〉の中でも五本の指に入るかもしれないと噂されるようになった時は、誇らしさを覚えた。

 けど、兄貴に会えないのは寂しかった。

《LOOK&ROCK》にハマった切っ掛けも、元を正せば兄貴がいない寂しさを紛らわすためだった。


 だからあたしは頑張って頑張って頑張って……どんな形でもいいから本部に行ってやると意気込んでいた時に、あの事件が起きた。


〝S〟が〈夜刀〉の本部を脱走し、〝S〟を追った兄貴が返り討ちに遭って警察に捕まった、あの事件が。


 あたしはサポート要員という立場を利用して情報を集めようとしたけど、地方と東京――物理的に距離が離れすぎているせいもあって、兄貴についての情報は何一つ得ることができなかった。

 代わりに入ってきたのが、〈夜刀〉の本部が警察に制圧されたという、耳を疑うような情報だった。


 当然、あたしが所属していた下部組織も揺れに揺れた。

 そのゴタゴタに乗じて、あたしは組織に無断で東京へ向かった。

 警察に捕まった兄貴の無事を確かめるために。


 現地で情報を集めたところ、兄貴が一般の病院に入院していることを知ることができた。

 兄貴が意識不明の重体になっているという情報と一緒に……。


 信じられなかったあたしは、一般人を装って兄貴の見舞いに行こうとしたけど、案の定警察が見張りについていたため叶わなかった。

 見張りは部屋の外に配備されていたので、あたしは深夜、外壁を伝って窓から兄貴の病室に侵入した。

 久しぶりに会った兄貴は、あたしの記憶よりもまた少し体が大きくなっていたけど……ずっと眠ったままで、頬をつねっても目を覚ましてくれなかった。


 こうして実際に会うまでは「もしかしたらたいした怪我じゃないかもしれない」とか「大袈裟に入院させているだけ」とか、都合の良いことばかり考えていたけれど。

 その全てが本当にあたしにとって都合が良いだけの夢想に過ぎないことを、嫌というほどに思い知らされた。

 思い知らされたから、涙が零れた。

 思わず鼻を啜ったら、部屋の外にいる見張りの警察にも聞こえてしまい、後ろ髪を引かれながらもあたしは慌てて窓から外に逃げた。


 あたしは自分に言い聞かせた。


 大丈夫。兄貴はまだ生きてる。


 でも、ただ生きてるだけ。


 そんなことない。体だって大きくなってる


 でも、このままだと痩せ細っていく。


 いくら都合の良いことを言い聞かせても、頭のどこかから聞こえてきた声が、冷静に、冷徹に、現実を突きつけてくる。


「殺してやる……」


 自然と、そんな言葉が口から零れた。


「殺してやる……!」


 誰を?


「殺してやる……!!」


 そんなの決まってる。


「〝S〟……! 〝S〟……!!」


〈夜刀〉を脱走して、兄貴をこんな目に遭わせたあいつを!


「殺してやる……! 絶対にこの手で殺してやる……!!」


 そう誓ったはずなのに。


 なんであたしはっ――



 ――!?

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