第31話 決着。そして――

 信吾と志倉は、間合いに入るや否や、相手の顔面目がけて右ストレートを放つ。

 互いの腕が交差する中、信吾も志倉も首を傾けるだけで右ストレートをかわした。


 互いの拳が相手の顔の横を通り過ぎていく中、志倉は振り抜いた右拳を開いて信吾の奥襟を掴み、前に踏み込んだ右脚を相手の脚の裏側に運ぶ。

 続けて、奥襟を掴んでいた右手を信吾を真後ろに引き倒す形で前方に引っ張り、裏側に運んでいた右脚で相手の脚を刈り取る、変形の大外刈おおそとがりで投げ倒そうとしてくる。


 当然おとなしく投げ倒されるような信吾ではなく、脚を刈り取られる前に自ら宙返りを打つことで投げを回避すると同時に、その勢いを利用することで奥襟を掴んでいた志倉の手を振り払う。

 のみならず、宙返りの勢いを利用して、相手の脳天目がけて跳び膝蹴りを繰り出した。


 刹那、志倉は膝の力を抜いて自ら倒れ込むことで、跳び膝蹴りを回避。

 信吾が着地と同時に、志倉が転がり起きると同時に、相手の側頭部目がけて右のハイキックを繰り出す。


 即応した二人が、側頭部を蹴られる前に左腕を割り込ませたのも全く同時。

 互いのハイキックに押されて、左腕の防御ごと蹴られた頭がかしいだのも、全く同時だった。


「どうした? 現場に立つのが久方ぶりの老いぼれロートルを相手に、随分手こずっているじゃないか」

「そちらこそ、オレに訓練をつけてやるという話はどこへ行ったのですか?」


 軽口とともに、プロボクサー顔負けの速度でジャブを応酬する。

 拳速と手数は信吾に軍配が上がるものの、志倉は巧みな防御技術でジャブをかわし、いなパリングしながらも打ち返すことで、互角に渡り合っていた。


 決定打はおろか、まともな一撃すら相手に許さぬハイレベルな攻防。

 その均衡を崩したのは、経験という点では信吾のはるか上をいっている志倉の方だった。


 攻防を続けている間に信吾のわずかなクセを見切った志倉は、左ジャブをかわしつつも相手の手首を掴み取り、人体の可動域を無視した方向へ捻り倒そうとする。

 無理にこらえると左手首を捻り壊されると判断した信吾は、捻られた方向に合わせて自ら床を転げることで事なきを得た。


 だが、依然として信吾の手首を掴んだままの志倉は、再びあらぬ方向に手首を捻り、信吾はやむなく先と同じように捻られた方向に合わせて床を転げる。

 合気の達人が、約束組手で弟子を投げ転がす様を想起させる一方的な展開。

 手首を取られたままではジリ貧になるのは明白だが、かといって今の流れに無理に逆らったり、力で強引に振り解こうとすると、左手首を捻り壊されてしまう。

 ならば〝機〟を待つまで――そう割り切った信吾が、さらに三度床を転げたところで、待ちに待った〝機〟が、志倉が自分の懐に引き込む形でこちらの手首を捻り壊そうとする瞬間が訪れる。


 信吾はここぞとばかりに、手首を捻られる方向に合わせて宙返りを打つ。

 志倉は自分の懐に引き込むようにして信吾の手首を捻り壊そうとしたため、必然、宙返りの途中にある信吾の背中は、志倉に覆い被さるようにしてぶつかることとなる。


「ちぃ……!」


 ここからさらに手首を捻り壊すよりも、信吾の背中に押し潰される方が早いと判断した志倉は、すぐさま手を離してその場から離脱。

 ぶつかり先を失った信吾は、そのまま空中で身を翻し、両の足でしっかりと着地すると同時に、背後にいた志倉に後ろ回し蹴りを放つ。

 着地の隙を狙おうとしていた志倉は、前のめりになりかけた体を強引に押し止め、飛び下がることでそれをかわした。


 結果、間合いが開いて仕切り直しになる。


「状況を打破するためならば、平気で無茶をするところも相変わらずだな」


 志倉が呆れたように言う中、信吾は左手を握っては開き、戦闘に支障がないことを確認してから応じる。


「無茶をしなければ左手首を壊されていました。ならば、無茶をした方が合理的というものでしょう?」

「理に適わない合理的もあったものだな」


 と、志倉がますます呆れたように言ったその時だった。

 拳はおろか足先すらも届かないほどに間合いが離れているにもかかわらず、志倉が信吾に向かって両手を振るったのは。

 

一瞬よりも短い刹那、信吾は視認する。

 白衣の袖中しょうちゅうに仕込んでいたのか、志倉が手品のように取り出した二本の投擲用スローイングナイフを、こちらの両肩目がけて投擲する瞬間を。


 信吾は、ボクサーのダッキングさながらに素早く上体を左右に屈め、不意の凶刃を回避する。

 かわされることを見越していた志倉が投擲と同時に床を蹴り、回避直後の隙を突く形で、信吾の顔面に飛び膝蹴りを叩き込む。


 頭部においては最も硬い額で受け止めることでダメージを最小限に食い止めるも、飛び膝蹴りをまともにくらったことに変わりはなく、信吾の上体は盛大に仰け反り、裂けた額から血が舞い散る。

 とどめとばかりに、志倉は右の袖中からナイフを取り出し、かわしにくい胴体を裂きにかか――


「!?」


 次の瞬間、衝撃とともに志倉の手中にあったナイフが、天井高くまで跳ね上がる。

 信吾が、飛び膝蹴りをくらって仰け反った上体をそのまま後ろに倒し、バク転しながら放った蹴り上げで、志倉の右手ごとナイフを蹴り上げたのだ。


「よくもそれで『選ばせてやる』なんて言えましたね」


 着地しながら、徒手でやり合うか武器ありでやり合うかを『選ばせてやる』と言っていたことを淡々と非難する。


「『敵の言葉は鵜呑みにするな』。そう教えたはずだが?」


 減らず口を叩きながら両の袖中からナイフを取り出し、斬りかかってくる。

 莉花を嬲り殺しにする様を見せつけるという言葉に関しては嘘はないのか、こちらの急所を避ける形で。


「鵜呑みにはしてません。実際、アナタが動きにくい白衣を脱がずに戦闘を開始した時点で、何かあるとは思っていましたから」


 次々と襲い来る凶刃を、かわし、時に相手の持ち手を手でいなパリングしながら、表情一つ変えることなく応じる。


「そこまでわかっていながら、信条ポリシーに殉じて折角くれてやったナイフを踏み砕いたというわけか。愚かだな」


 信吾がナイフの対応に集中している隙を突いて、志倉がローキックを叩き込んでくる。

 否応なしに意識が下に向けられた瞬間、志倉は相手の左肩目がけて右刃で刺突を放ち、信吾は半ば反射的に半身になることでそれをかわした。が、完璧にとはいかず、かすめた切っ先が赤い尾を引いていく。


(さすがに強いですね)


 淡々と、冷静に、その事実を受け止める。

 五〇歳とは思えない高い身体能力。

 その三分の一も生きていない信吾とは比ぶべくもない実戦経験。

 勝つためならば手段を選ばない狡猾さ。

〈夜刀〉時代を思い返しても、これほどの強敵と相見えた記憶は少ない。


 だが、あくまでもだけ。

〈夜刀〉を脱走した際に死闘を繰り広げた、ほどではない。


 瞬間――


 信吾の〝圧〟が最高潮に高まる。

 無意識レベルでその変化に反応した志倉が右刃を閃かせ、胸元目がけて横薙ぎを放つ。

 信吾はそれを、微塵の躊躇もなく左前腕で受け止めた。

 ナイフの刃が腕に食い込み、血が滴り落ちるも、骨を断つまでには至らなかった。


 それもそのはず。

 投擲用スローイングナイフは、標的に刺さった衝撃で折れないよう刀身が柔らかくなるよう仕上げられているため、切れ味がにぶい。

 知識としてそれを知っていたからこそ、信吾はあえて左腕をのだ。


 だが当然、そのくらいのことは志倉も知っている。

 ゆえに微塵も動じることなく信吾の左腕から右刃を引き抜き、入れ替わるようにして左刃で刺突を放つも、直後の信吾の行動には彼といえども瞠目せずにはいられなかった。

 信吾はまたしても、左前腕で刺突を受け止めたのだ。

 今度は肉を裂かれる程度では済まず、刃はしっかりと前腕の筋肉に突き刺さっていた。


 これにはさしもの志倉も驚きを隠せず、隙と呼ぶにはあまりにも些細な動揺が彼の内に生じる。が、その動揺も、鎮めるのに一瞬ほどの時間も要さなかった。

 けれど、どれほど小さく、どれほど短い時間でも、隙が生じた事実に変わりはない。

 信吾には、それだけで充分だった。


「が……ッ!?」


 隙のみならず死角すら突いた右のアッパーが、志倉の顎を跳ね上げる。

 そのあまりの威力に両の足がわずかに床から離れる中、信吾はその場で旋転し、渾身の後ろ回し蹴りを胸元の急所――壇中だんちゅうに叩き込んだ。


 蹴り飛ばされた志倉は、派手に床を転げた末に倒れ伏す。

 信吾は左前腕に刺さったナイフを引き抜き、床に捨てながら、倒れ伏す志倉を注視する。


 手応えはあった。

 勝負を決したと思ってもいいほどの確かな手応えが。

 それでもなお信吾は警戒を緩めず、やられたフリをしている可能性も考慮して、何をされても対応できるよう三メートルほど離れた位置から志倉を観察する。

 倒れ伏しているせいで顔が見えず、本当に気絶しているかどうかは確証が持てない。


 ならばいっそ、こちらから隙を晒して相手を誘おうと思った信吾は、あえて志倉に背を向け、いまだ目覚めることなく床に倒れ伏している莉花の方へと歩いて行く。が、やはり動き出す気配はない。


 ここまでしてなお何もしてこないということは、志倉はもう完全に気を失っていると思って間違いないだろう。

 それならそれで、いつ目を覚ますかわからないという問題が発生するので、今の内に志倉の体を拘束しておきたいところだったが、


(……假屋さん)


 倒れ伏す莉花の姿を見たことで、今の今まで抑えていた心配が湧き上がった信吾は居ても立っても居られなくなり、一も二もなく彼女のもとへ駆け寄ることを選択した。


 盾として使い捨てた左腕を垂れ下げながら走る中、ふと気づく。

 志倉が莉花の傍に捨てたはずのコンバットナイフが、いつの間にかどこにも見当たらなくなっていることに。

 まさかと思った信吾は立ち止まり、首だけを志倉の方へ振り返らせるも、やはり志倉は倒れ伏したままで、立ち上がろうとする気配すらない。

 信吾にしては珍しく、ほうと安堵の吐息をついてから、莉花の方へ顔を戻した――その時だった。


 いつの間にか起き上がっていた莉花が、こちらの胸に飛び込んできたのは。


 突然すぎる出来事に、信吾の頭の中が真っ白になった直後、右の上腕に熱を帯びた鋭い痛み走る。


 この痛みには覚えがある。


 なぜなら、つい先程左腕で味わったばかりの痛みだったからだ。


 胸に飛び込んできたはずの莉花が、ゆっくりと離れていく。


 その手には、血に濡れたコンバットナイフが握られていた。


 ワケがわからなかった。


 わからなかったけど、これだけは確かだった。


 たった今、自分の右腕が、莉花に刺されたことだけは。


「これでもう、あんたの両腕は使い物にならないよ」


 まるで信吾のような無感情な声音で、莉花が告げる。

 こちらを見据える彼女の双眸は、見たことがないくらいに暗く濁っていた。


「あんたってさ、いっつも同じ表情してるけど、けっこうわかりやすいところあるよな」


 言いながら、血塗られた切っ先をこちらに向けてくる。


「あんたは今、何が起きたのかさっぱりわからないって思ってる。そうだろ?」


 莉花の言うとおりだった。

 けれど今の信吾は、それを認める余裕がないくらいに混乱していた。

 そんな信吾の心中を察した莉花は、切っ先をそのままに話を続ける。


「ワケがわからないなら教えてあげる。あたしが何者であるのかを」


 一瞬、莉花の表情が悲痛に歪んだ。ような気がした。


「あたしも、あんたや向こうに転がっている志倉と同じ〈夜刀〉……と言っても、下部組織の用心棒候補だし、サポート要員の真似事までやってるような下っ端だけど」


 最も恐れていた言葉が、莉花の口から紡がれる。

 けれど、その後に紡がれた言葉は、信吾が恐れていたもの以上に恐ろしいものだった。


「そして、あんたが意識不明の重体に追い込んだ、西岡宗一こと假屋恭平きょうへいの妹……それがあたしだ」

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