第30話 捜査一課の元エースの実力
重田は、警棒を構える恵を油断なく観察しながら、ジリジリと足場の
どうにも目の前にいる女刑事は下手な詐欺師よりも本心を隠すのが上手いらしく、〈夜刀〉の用心棒として何百何千という人間を殴り倒してきた自分の目でも、この女に先のボディブローのダメージが残っているのかどうか判断がつかなかった。
だから無理攻めはせず、自分にとって足場の
幸い、相手が時間をかけてくれることはこちらとしても都合が良かった。
重田がヤクザの賭場の用心棒をしていたところを〈夜刀〉にスカウトし、本物の用心棒の技術を教えてくれた教官を含めたA班が、今頃は〝S〟に死の制裁を与えていることだろう。
それが終わるまでは、無理をしてまで相手を倒すことに拘る必要はない。
個人的には、自分が教官の真似事をしてスカウトした、西岡宗一の仇をこの手で討ってやりたいという気持ちはある。
だが「討ってやりたい」などと曖昧な言葉を使っている時点で、〝S〟への恨みが強い者たちで構成されたA班の連中に比べたら、自分の恨みは薄いと言わざるを得なかった。
ゆえに自分は、〝S〟の制裁を邪魔しようとお化け屋敷に踏み行った者たちを排除、足止めするB班に回った。
〝S〟への制裁が終わったら、最悪自分たちは警察に捕まるかもしれないが、教官には恩義があるので、数年
今回〝S〟に制裁を与えるために教官に手を貸した連中も、自分と同じように考えているか、〈夜刀〉という組織に致命的な打撃を与えた〝S〟に復讐できれば、後はどうなってもいいと考えている連中がほとんどだ。
けれど、そういった連中の中には、西岡宗一以外にも自分がスカウトした者が何人か交じっており、〝S〟の制裁のためにこちらから声をかけた者もいるので、そいつらに関してはできれば逃がしてやりたい――などと考えつつも、油断なく恵を観察していた重田は片眉を上げる。
ほんのわずかだが、恵の雰囲気が変わった。
勝負に出てくると直感した重田は、より一層気を締める。
場の空気が、みるみる内に張り詰めていき……
今にも爆発しかねないほどにまで膨れ上がった刹那、恵がその手に持った警棒をこちらに目がけて投げつけてきたことに重田は瞠目する。
相手の意図がわからないまま、思考を介することなく動いた左手が、顔面に迫った警棒を防御する。
その隙に、まだしも踏みしめる足場がある右手側から恵が接近してくる。
あえて警棒を投げつけることでこちらの油断を誘い、予備の警棒で奇襲をかけることが恵の狙いだと確信した重田は、彼女がジャケットの下に突っ込んでいた右手を、居合斬りさながらにこちらの右側頭部目がけて振るうのに合わせて
「!?」
二度目の瞠目。
ジャケットの下から振るわれた恵の右手には、何も握られていなかった。
恵は右手を振るった勢いをそのままに、パリングしようと半端に前に出していた重田の右手首を掴み、てっきり警棒を振るう踏み込みに使うとばかり思っていた足場を蹴って、こちらに飛びついてくる。
想定外の一手に、時間にして一瞬、この戦いにおいては致命的な判断の遅れが重田の内に生じる中、恵が跳躍の勢いを利用して振り上げた両脚で、こちらの首と右肩をまとめて挟み込んでくる。
続けて、左手で頭を掴み、首と右肩を挟んだ両脚を「4」の字に閉じ、自身の体重を利用して下方に引きつけることで首の頸動脈を締め上げてくる。
寝技中心の柔道として知られている、高専柔道。
その絞め技の一つ――三角絞めを飛びつきから仕掛けることこそが、恵の真の狙いだった。
完璧に三角絞めが決まった場合、どれほど屈強な肉体の持ち主でも一〇秒足らずで意識を失ってしまう。
鍛え上げた
意識が急速に遠のいていく。
恵の重さを支えきれなくなった上体が、
気がつけば、両膝が床についていた。
いっそ気持ちよさすら感じる中、重田の意識は闇の底へと引きずり込まれていき……恵の下腹部に顔を
重田が完全に沈黙したところで、恵は、相手の首と肩に巻き付けていた両脚を離し、立ち上がる。
「警棒振り回してばっかりだからよく勘違いされるけど、わたし、柔道もけっこうイケる口なのよね~」
床に落ちていた警棒を鼻歌交じりに拾い上げようとするも、重田に殴られた腹部が鈍い痛みを訴えてきて「いたたた……」と、ちょっとだけ
「やっぱり無傷ってわけにはいかなかった。つうかこれ……」
顔を上げて、床に倒れている重田たちに視線を巡らせる。
「さすがに、このままってわけにはいかないわよね……」
信吾のもとに向かうにはまだもう少し時間がかかりそうな現状に肩を落としながら、恵は重田たちの拘束に取りかかった。
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