第29話 〈夜刀〉の用心棒の実力

 人六人が乱戦を繰り広げるには手狭な休憩室で、恵の警棒捌きが冴え渡る。


 やむを得なかったとはいえ休憩室ここに恵を案内してしまったことに責任を感じているのか、お化け屋敷の入口で見張りについていた青年が、いの一番に殴りかかってくる。

 恵は顔を横に傾けるだけで相手の拳をかわすと、お返しとばかりに警棒で側頭部を殴打。

 青年が殴られた方向に倒れる中、左右に回り込んできた男女が、目配せ一つせずにハイキックとローキックを全く同時に繰り出してくる。


 蹴り足は男女とも右脚。

 蹴速は左手側にいる男のハイキックの方が速いことを瞬時に見切った恵は、身を沈めてハイキックをかわすと同時に、コンマ数秒遅れて右手側から迫ってきた女のローキックを、警棒の柄尻グリップエンドで上から叩き落とした。

 その一撃でふくはぎの外側の骨――腓骨ひこつをへし折られた女が、金切り声を上げて悶える中、ハイキックをかわされた男が、身を沈めている恵に目がけて拳を振り下ろしてくる。が、それよりも早くに、恵が男の脛を警棒で殴打。

 女のように骨が折れるまでには至らなかったものの、動きを止めるには充分すぎる激痛が男の口から苦悶を吐き出させた。


 その隙に、立ち上がる勢いを利用した掌底で男の顎を跳ね上げ、脚の骨を折られてなお組み付こうとしてきた女の脳天を見もせずに警棒で叩き伏せ、二人同時に昏倒させる。

 直後、重田を除いて唯一健在だった男が、ここぞとばかりに隠し持っていたナイフで、こちらの腹部を刺そうとする。

 恵は闘牛士のように身を翻して刺突をかわすと、昏倒している仲間に勢い余って蹴躓いた男の後頭部に警棒の一撃を叩き込んで、確実に意識を断ち切った。


「ったく、警察刺しにくるとか覚悟決まりすぎでしょ」


 呆れ混じりに言いながら、男の手から離れたナイフの刃を踏み砕いていると、ついぞ仕掛けてこなかった重田が、ゆっくりと拍手しながら讃えてくる。


「剣道を基礎ベースにした我流警棒術……噂に違わぬ手並みですね。ただ、警棒で容赦なく首から上を殴りつけるのは、警察としては如何なものかと思いますが」

「その辺はちゃ~んと加減してるからご心配なく。そもそもあなたたちみたいなのが相手でもない限り、ここまでバカスカどつき回したりなんかしないわよ。それより……」


 つい今し方自分が倒した四人に視線を巡らせ、言葉をつぐ。


「わたしとしては楽できたから別にいいんだけど、手下がやられるまで仕掛けてこないなんて、何を企んでるの?」

「企んでいるだなんてとんでもない。……ただそれだけの話ですよ」


 その言葉に、恵がサングラスの下で眉をひそめる中、重田が鷹揚な足取りで近づいてくる。

 恵が返り討ちにした男女が床に倒れているせいで、足の踏み場に難儀する有り様になっているにもかかわらず足取りは淀みなく、重田の視線は恵を捉えたままで足元に一瞥もくれることはなかった。

 やがて、拳が届く間合いに辿り着いたところで重田は足を止める。

 恵は右手の警棒を下に垂れ下げたまま、重田も構えらしい構えをとらないまま、束の間睨み合う。


 転瞬――


 先に仕掛けた恵が、相手の左側頭部目がけて警棒を振るう。

 即応した重田が、左前腕で警棒の一撃を受け止めようとする。

 これまでの戦闘からもわかるとおり、警棒の一撃は人間の骨をへし折るほどの威力を有している。

 その一撃を前腕で受け止めるなど、自殺行為に等しいところだが、


(この感触は……!)


 重田の前腕を殴った感触が、他の人間を殴った時とは明らかに違うことに、恵は心の中で呻いてしまう。まるでタイヤを殴ったような、人体を殴ったとは思えない感触だった。

 余裕を見せつけるように、重田はニヤリと笑いながら右ストレートを繰り出してくる。

 恵はつねよりも反応が遅れながらも、半身になることで紙一重で重田の拳をかわした。


「思ったとおり、警棒の一撃もたいしたことありませんねぇ!」


 言葉どおりたいしたことがないとアピールするように、警棒を受け止めたばかりの左腕でフックを放ってくる。

 恵はそれを身を沈めてかわしながら、無意識の内に舌打ちを漏らした。


 パンチで殴るにしろ警棒で殴るにしろ、下半身――足の踏み込みがあるかないかで、その威力に大きな差が生まれる。

 重田は手狭な休憩室であえて仲間を倒させることで足の踏み場を減らし、踏み込みを制限させることで、こちらの打撃力を低減させたのだ。


(やられることが仕事と言ったのは、そういうこと……!)


 味方を容赦なく使い捨てるやり口を苦く思いながら、暴風のように荒れ狂う重田のパンチを体捌きだけでかわし、隙をついて脇腹に打突を叩き込む。

 この一撃も上半身のみの力で振るったとはいえ、常人ならば肋骨にヒビが入ってもおかしくないくらいの威力を有している。

 にもかかわらず、重田は微塵も怯むことなく、攻撃直後の隙を突いて殴り返してくる。


 回避は間に合わないと判断した恵は、左腕で重田の拳を防御する。

 だが相手は、上半身の力のみで振るったとはいえ、警棒の一撃を平然と受け止める肉体的怪物フィジカルモンスター

 防御ごと殴り押された恵は、背後に倒れていた女の脇腹に蹴躓き、たたらを踏みながらも壁に背を預けて踏み止まった。


 壁際は比較的足の踏み場があるものの、腕力差を鑑みると逃げ場が制限される危険リスクの方が大きい。

 それならばいっそ廊下に出て戦った方がマシだと考えた恵は、すぐさま入口へ向かい、半端に閉まっていた扉を開けようとするも、


「させませんよぉ!」


 重田は足元に倒れていた味方をボールのように蹴り飛ばし、開きかけた扉にぶつけることで恵が休憩室から出ることを阻止する。

 それによって重田の手前に足の踏み場が生じたことを見逃さなかった恵は、一足目で空いた空間スペースに踏み込み、二足目の踏み込みとともにしっかりと下半身の力も乗せた打突を、相手の喉笛目がけて繰り出した。


 当然のように反応した重田の右手が、霞むほどの速さで喉笛と警棒の間に割り込もうとする。

 いくら相手が肉体的怪物フィジカルモンスターでも、全身の力を乗せた一撃ならば、防御に使った腕を潰すくらいのことはできる――そんな恵の確信を裏切るように、重田は迫り来る警棒を右掌でいなパリングした。


 巧緻極まる防御技術に恵が思わず目を剥く中、重田は空いた左手でボディブローを繰り出してくる。

 反射的に殴られる方向に合わせて飛び下がるも、


「かはッ!?」


 重田の膂力は凄まじく、文字どおりの意味で殴り飛ばされた恵は背中から壁に叩きつけられてしまう。

 好機と見た重田が追撃を仕掛けようとするも、恵は殴られた腹と、したたかにぶつけた背中の痛みを無視して警棒を構えて威嚇することで、相手を踏み止まらせた。


「後ろに飛んでダメージを逃がしたとはいえ、今の一撃を受けてなお隙を見せませんか。なかなかどうして、たいしたものですね」


 重田が喋っている間に薄く長く呼吸することで息を整えてから、言葉で牽制する。


「いやいや、やせ我慢してるだけだから。何だったら今攻めてみる? 案外簡単に倒せちゃうかもしれないわよ~?」


 やせ我慢という言葉に嘘はなく、何だったらちょっと足にきているくらいだった。

 しかし、重田は恵の言うことを鵜呑みにせず、慎重にこちらのダメージを観察するだけで、無理に攻めるような真似はしてこなかった。恵の狙いどおりに。


 裏社会の人間は、表社会の人間以上に、敵の言葉を鵜呑みにしないよう心がけている傾向にある。

 実際、信吾が〈夜刀〉の用心棒候補として訓練を受けていた際、教官に「敵の言葉は鵜呑みにするな」と口酸っぱく教え込まれたという話を、彼の口から聞いたことがある。

 恵はそれを利用して、あえて本当のことを言うことで、まんまとダメージの回復をはかる猶予を確保したのだ。


(とはいっても、このまままともにやり合うのはちょ~っと厳しいわね)


 常人離れ肉体フィジカルに、警棒の一撃すらいなす防御技術パリングテクニック

 さすがは〈夜刀〉の用心棒というべきか、現場を離れていた期間ブランクと視力の低下を差し引いても、手強い相手と言わざるを得なかった。


(信吾くんの方も心配だし、ここはいっちょ賭けに出るとしますかね)


 覚悟と呼ぶにはあまりにも軽い調子で決断すると、恵は悠然と警棒を構え直した。

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