第28話 黒幕

「假屋さんは無事なのですか?」


 信吾は志倉の登場にいささかも驚くことなく、開口一番、今最も確認すべきことを訊ねる。


「やれやれ……貴様が何事にも動じない人間であることは知っていたが、まさか俺を見ても無反応とはな」

「島谷くんが出てきた時点で、誰が〈夜刀〉の残党であっても不思議はないと思っていましたから。それより、假屋さんは無事なのですか?」


 にべもない信吾に、志倉はため息をついてから答える。


「心配するな。薬で眠らせているだけだ。まあ、無事なのは、だがな」


 挑発にも似た言葉に、わずかに、確かに、信吾の目が据わる。

 無表情無感情な信吾にしては非常に珍しい反応に、志倉は興味深そうに片眉を上げた。


「ほう……まさか、貴様のそんな顔が見られるとはな。そんなにこの娘が大事か?」

「はい。命に代えても救いたい程度には」


 言葉どおり、莉花をたすけるために信吾は拳を構えようとする。


「そうくな。久方ぶりの再会なのだ。もう少し旧交を温めても罰は当たらんだろう?」

「久方ぶり? 再会?」


 思わず、小首を傾げてしまう。


〈夜刀〉の用心棒に認められた者は全員、人の顔と名前を一目で憶えられるレベルの記憶力訓練を施されている。

 人相は勿論、体格や動きのクセまで記憶することができれば、仮に依頼主クライアントの命を狙う輩が変装していたとしても、一度でも目にした相手ならばその変装を見破れるようになるからだ。


 それに、事前に標的の行動を把握してから事に及ぶタイプの殺し屋は、標的の行く先々に先回りして、人ごみに紛れて行動パターンを観察していることが多い。

 人ごみにいる人間の顔を全て記憶することができれば、依頼主クライアントの行き先々に現れる不審な人物――殺し屋に気づくことができる。

〈夜刀〉屈指の実力者である信吾も相応に記憶力に秀でており、授業開始初日にしてクラスメイトの顔と名前を憶えることができたのも、それゆえだった。


 だからこそ信吾は、志倉の「久方ぶりの再会」という言葉に困惑していた。志倉の外見も、声音も、クセすらも、信吾の記憶の中にある誰とも合致しなかったから。


「やれやれ……顔を整形しかえて、声帯も手術しかえて、クセも消しているとはいえ、まだわからんとはな……


 最後の言葉を聞いて、信吾の目が〇・三ミリほど見開かれる。

 その言葉は、信吾が〈夜刀〉の用心棒候補として訓練を受けていた頃、嫌というほどに耳にしたの口癖だった。


「まさか、なのですか?」


 さしもの信吾も、子供の頃に自分を鍛えた男が按樹高校の化学教師を務めていた事実に、わずかながらも言の葉を揺らしてしまう。

 一方志倉は、正解だと言わんばかりに、つまらなさげに鼻を鳴らしていた。


「どうせ警察の調べで、俺が四年前に按樹高校に着任したことは知っているのだろう?」

「はい。そして、あなたが用心棒候補の教官職を辞したのが五年前……もうその時点で按樹高校に潜入することが決まっていたというわけですか」

「ああ。俺も歳だからな。四五歳を迎えたことを機にボスに相談して、原石を磨く側から見つける側に回らせてもらった」


 後半の言葉を聞いて、信吾は得心する。


「つまりは、〈夜刀〉の用心棒となり得る人材を確保するために、顔と声を変えてまで学校に潜入していたというわけですか」

「正確には用心棒以外も含めてだがな。按樹高校はワケありの子供が大勢入学しているせいか、〈夜刀〉向きの人材が豊富でな。教師としての仕事も含めて、楽しくやらせてもらっている」

「楽しんでいるのなら、〈夜刀〉のことなんて忘れて、教師として表社会で生きてみたらどうです?」

「そうはいかんな」


 志倉は眼鏡を取り外し、白衣の胸ポケットに仕舞いながら言葉をつぐ。


「俺は貴様ほど冷血な人間ではないからな。裏社会で野垂死にかけていた俺を拾ってくれたボスには恩義を感じている。それに、〈夜刀〉という組織そのものにも愛着がある」

「だから、オレのことが許せないと?」

「逆に訊くが、貴様のどこに許せる要素がある? 〈夜刀〉に拾われていなければ、公園の便所で野たれ死んでいた分際で、その恩も忘れて組織をけ、あまつさえ組織の情報を売り、そのせいで本部を警察に押さえられた挙句、ボスも豚箱にぶち込まれた。貴様には万死すらも生温い」

「假屋さんを巻き込んだのも、それが理由ですか?」


 ほんのわずかだが、聞く者が聞けばわかる程度に信吾の語気が強くなる。

 まさしく聞く者だった志倉が、楽しげに「くっくっくっ」と喉を鳴らした。


「そのとおりだ。貴様が入れ込んでいるこの娘を巻き込めば、と確信していたからな」


 その言葉に、信吾は一つの気づきを得る。


「まさかあなたは、負けるとわかっていながら、オレのもとに島谷くんを送り込んだのですか?」

「島谷?……あぁ、〝Y〟のことか。奴の才は確かに秀でているが、貴様とは比ぶべくもないからな。だが勘違いするな。〝Y〟を先に貴様にぶつけたのは、貴様を倒したいという〝Y〟の希望を受け入れてのことだ。それとも何か? 貴様への復讐に燃える〝Y〟に『負けるのが目に見えているからやめろ』とでも言えばよかったのか?」


 挑発するような志倉の問いに、信吾は口ごもる。

 それ見たことかと鼻で笑ってから、志倉は話を戻す。


「假屋を人質に使われることを気にしているのなら、それは無用な心配だと言っておいてやろう。そんな生温なまぬるいやり方で貴様を屈服させたところで、オレは勿論、今回貴様の制裁に加担した同志たちも、納得はできないだろうからな」


 不意に、志倉の口の端が悪魔的に吊り上がる。


「俺たちの目的は、貴様に死の制裁を与えること。だがそれは、肉体的な死だけの話ではなく、精神的な死も含まれている。まずは貴様の四肢を潰し、身動きをとれなくしてやる。その上で、動けなくなった貴様の目の前で、假屋を嬲り殺しにしてやろう」

「……何が『無用な心配だ』ですか」


 島谷を前にした時とは比較にならないほどの〝圧〟が、信吾の深奥から放たれる。

 それを前にしてなお微塵も動じることなく、志倉は白衣の下から二本のナイフを取り出す。

 先日、信吾に絡んだ男子生徒が持っていた折りたたみ式バタフライナイフとは造りからして違う、シースに収められたコンバットナイフだった。


「選ばせてやる。徒手でやり合うか、武器ありでやり合うかをな。後者を選んだ場合は、こいつを貴様に使わせてやろう」


 そう言って、ナイフの片割れを信吾の足元に投げ捨てた。

 志倉の意図が全くわからなかった信吾は、率直に訊ねる。


「どういうつもりですか?」

「言っただろう。貴様には肉体のみならず、精神にも死の制裁を与えると。同じ条件下で貴様に敗北を味わわせることも、その一環というだけの話だ」


 思わず、深く、深く、ため息をついてしまう。


「くだらないですね」

「そうやって他人の大切なものを軽んじるから、恨みを買い、関係のない者まで巻き込むことになる。全ては貴様が招いたことだ」

「どの口が」


 無感情に――否、いつも以上に無機質に吐き捨て、足元に投げ捨てられたナイフを鞘ごと踏み砕いた。


「オレは殺し合いをするつもりはありません。ですので……」


 これが答えだと言わんばかりに、信吾は今度こそ両の拳を上げ、左自然体に構える。


「〝白鳳〟は決して殺しをしないという噂は耳にしたことがあったが……そういえば貴様は、俺に教わっていた頃から頑として〝殺し〟の技術を覚えようとしなかったな」


 志倉は手中にあった、もう片方のナイフをその場に捨てる。

 ナイフが落ちていた位置が、気を失っている莉花の顔のすぐ傍だったせいで、信吾の体が思わずピクリと反応してしまう。

 その反応が見たかったと言わんばかりに、志倉は鼻で笑いながら、掌を上に向けて手招きする。


「来い。久方ぶりに訓練をつけてやろう」

「そんな口を聞いて大丈夫ですか? 現場に立つこと自体が久しぶりなのでしょう?」

「口が回る奴よりも挑発が上手いところは相変わらずだな」


 そのやり取りを最後に、信吾も、志倉も、口を閉ざす。

 信吾は左自然体のまま、志倉は構えもとらない完全なる自然体のまま、ゆっくりと間合いを詰めていく。


 そして――


 相対距離が五メートルを切った瞬間、二人は全く同時に床を蹴った。

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